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さまざまな著作で知られる執行草舟の言葉を、「愛」、「信」、「美」…など主題ごとに、ご紹介しています。また「今日の言葉」というボタンを押していただくと、今日のあなたにピッタリの言葉が一つ出てきます。

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草舟語録

  • 愛 ―――人生に迷ったら

    愛 1番
    負のエネルギーの本質は、「誠」というものです。キリストはそれを違う言葉で表わしましたが、それが「愛」なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.292
    愛 2番
    人は愛されて生きる。そのゆえに、人は他者を愛さずにはいられないのだ。
    『おゝポポイ!』p.2
    愛 3番
    危険の感覚なくして、何の学問か、何の修業か、それどころか何の善行なのか、何の愛であるのか。
    『友よ』p.60
    愛 4番
    平和を愛するなら、平和に浸り切ってはならない。
    『友よ』p.61
    愛 5番
    愛することがなくて、何の生命であるのか。信ずることがなくて、何の人生であるのか。
    『「憧れ」の思想』p.67
    愛 6番
    愛されることも、嫌われることも、どちらもその生命の価値には何の差し障りもない。
    『「憧れ」の思想』p.144
    愛 7番
    愛が、革命を創り出している。
    『「憧れ」の思想』p.194
    愛 8番
    本当の愛情があったら、そこに神や仏が出てこなかったらおかしいんです。愛は、絶対に合理精神で証明できるものではないのです。
    『おゝポポイ!』p.277
    愛 9番
    憎しみがなければ愛は認識できない。
    『夏日烈烈』p.236
    愛 10番
    執行草舟による愛の定義=宇宙の秩序そのものを言う。それは善悪を超越して、真理を体現する宇宙の本質である。過酷であり、また優しいものでもあるのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.54
    愛 11番
    小さな生命が、大きな生命を支えているのだ。それがわからなければ、生命がもつ真の「愛」は、ついにはわからないであろう。
    『生命の理念Ⅰ』p.157
    愛 12番
    この宇宙には、何らかの秩序を保って順番通りに運行していくエネルギーがあるのです。それを宗教家は神と呼び、愛とも呼んでいるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.185
    愛 13番
    人を愛するということには完成も何もない。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 14番
    人を愛する気持ちは、人類誕生以来、人類が滅びるまで何度でも創造的再生産として繰り返すのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 15番
    永遠の憧れの彼方に向かって、我々人類は愛を求め続けていくでしょう。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 16番
    現代の人は、愛し方を発明しようとしています。その結果、愛する心そのものの本来の姿までわからなくなってしまいました。
    『生命の理念Ⅰ』p.407
    愛 17番
    真の断念は、真実の他者による感化力によってしか起こらない。つまり、愛の力ということです。
    『生命の理念Ⅰ』p.440
    愛 18番
    人間同士なのですから、愛が薄れるときもあれば、いがみ合うこと、憎み合うこともあるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.18
    愛 19番
    愛し続けるのは構いません。しかし、それが中心になれば、必ず夫婦は別れます。
    『生命の理念Ⅱ』p.19
    愛 20番
    キリストは人生の目的は愛に生きることだと言い、孔子は仁に到達することだと言っている。
    『生命の理念Ⅱ』p.65
    愛 21番
    犠牲的精神、献身、思い遣り、そういうものを表わす大きな哲学概念が愛なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.158
    愛 22番
    他者のために自分を犠牲にすることが愛の根本概念です。
    『生命の理念Ⅱ』p.158
    愛 23番
    本当の愛の実行というのは、もの凄い勇気と、もの凄い強さとが必要で、もの凄い辛苦と悲しみが伴うものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 24番
    愛は、苦しみ悩み考え続ける、その勇気の中に存在しているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 25番
    愛がなければ、人間というのは必ず快と不快だけを求めるようになってしまうのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 26番
    愛は、宗教的には根源の神から与えられるということになります。つまり、宇宙の本質ということです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 27番
    日本では、愛は人間や自然から与えてもらうものです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 28番
    昔から愛の無い人間を育ちが悪いと言ったのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 29番
    子供は、親が愛情を持って自分に接してくれているかどうかということは、全部わかるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.159
    愛 30番
    愛は眼に見えないので、形で示すことはできません。しかし、持っていれば必ず相手に通じるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.160
    愛 31番
    自決というものがいいエネルギーを生むのは、それが他人のために生きた人生になるからです。つまり「愛」の生き方です。
    『生命の理念Ⅱ』p.467
    愛 32番
    苦しみから生まれた愛だけが、老いを美しいものにしていく力を持っていると私は思っています。
    『生命の理念Ⅱ』p.483
    愛 33番
    執行草舟による愛の意志=宇宙の生成そのものがもつ本源的過程を言っている。それは、自己燃焼の無限運動である。
    『生命の理念Ⅰ』p.159
    愛 34番
    本当の愛を知れば人間はその愛の力で、いまここで死んでも悔いはないのです。
    『風の彼方へ』p.287
    愛 35番
    愛の対象は人それぞれ違いますから、他人には理解されない。逆に言えば、人に愛をわかってもらおうと思ったら、絶対に実行できません。
    『風の彼方へ』p.296
    愛 36番
    愛は伝える必要もないし、わかってもらう必要もない。愛は宇宙的真実であり、実行に価値があるということです。
    『風の彼方へ』p.297
    愛 37番
    愛の本当の大切さは、自分でさんざん人生しくじって、いろいろやらないとわかりませんよ。
    『魂の燃焼へ』p.33
    愛 38番
    他のために自分が犠牲になって消えていくというシステムを、「愛のシステム」と言うんです。
    『魂の燃焼へ』p.116
    愛 39番
    頭山満の精神は、歴史の捨石になることを辞さぬ精神である。そこに、垂直の高貴性が存する。その品格は、精神から生まれる犠牲的な愛によって支えられているのだ。
    『憂国の芸術』p.105
    愛 40番
    白隠は、実にその人生も不合理極まりない人物であった。しかし、「慈悲」の心、つまり「愛」を持ち続けていたのであろう。
    『孤高のリアリズム』p.211
    愛 41番
    真の愛情は仕事に生きる人間にしか摑めないものである。何故なら愛情は背中から出るものだからです。
    『見よ銀幕に』p.48
    愛 42番
    真の優しさは苦悩の中から生まれるのだ。自分が不幸を背負って人は始めて他人を思いやり愛することができるのだ。
    『見よ銀幕に』p.114
    愛 43番
    本当の愛とは日常性を持続するものなのだと思う。
    『見よ銀幕に』p.273
    愛 44番
    愛の実践は綺麗事や柔弱からは生まれないのだ。
    『見よ銀幕に』p.395
    愛 45番
    愛するとは驚きの心と眼でもって生きることなのである。愛するとは終わりのない旅路なのである。 
    『見よ銀幕に』p.434
    愛 46番
    人を愛することと人を支配しようと思うことは紙一重である。
    『見よ銀幕に』p.550
    愛 47番
    信頼がある。友情がある。そして、何よりも、愛がすべてなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.12
    愛 48番
    愛も希望も一片であるところが何とも人生を楽しくする姿と思える。
    『見よ銀幕に』p.483
    愛 49番
    生命は、夢によって成り立つ。そして夢は、純愛によって支えられているのだ。つまり、運命への愛(アモール・ファーティ)である。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    愛 50番
    人間を突き動かすものは地位や財産や名誉やましてや知識などではないのだ。真の愛なのである。 
    『見よ銀幕に』p.641
    愛 51番
    下らない人間の特徴は「愛」に必要以上にこだわることである。それは「愛」が無いからなのだ。 
    『見よ銀幕に』p.351
    愛 52番
    他者に対する愛のみが真実を見る眼を人間に与える。
    『見よ銀幕に』p.549
    愛 53番
    真の愛が、苦しみと憤りを支えているのだ。愛がなければ、人間は燃え尽きる苦しみを生き抜くことはできぬ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.28
    愛 54番
    愛は過酷そのものと言えよう。愛と過酷の相対性原理が、真の復活を生むのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.28
    愛 55番
    愛情とはいつの世も真実の姿は実は「自己犠牲」なのである。本当に重要で大切なものを愛する者のために犠牲とすることが愛なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.391
    愛 56番
    真の愛情とは義務と責任をあくまでも果たしていくことなのだ。
    『見よ銀幕に』p.553
    愛 57番
    人を愛することはあらゆる事柄を貫抜く根本哲理である。それがなければ、全ての事柄には価値が無くなるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.8
    愛 58番
    愛は、生命の根源である。信は、文明の根底を支えているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.67
    愛 59番
    友を愛するように、生命の悲痛を愛さなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.136
    愛 60番
    愛が宇宙と星の本質なのだ。その愛の営みが、我々の生命を創った。その生命の愛が、また現代の我々を創り上げた。愛の犠牲的精神だけが、すべてを創ってきたのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.17
    愛 61番
    自己の生命を突進させなければならない。愛を秘めて、苦しみを秘めて、我々はこの世を突き抜けなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.307
    愛 62番
    宇宙とは、死の空間なのだ。その漆黒の空間に我々の存在がある。その存在は、地獄の炎に焼かれながらこの地上に降り立ったのだ。愛の魂が、地獄の業火をくぐり抜ける力となったのである。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    愛 63番
    相手を知り尽くし所有することが愛だというのは錯覚である。
    『見よ銀幕に』追補1 p.11
    愛 64番
    悲願とは、自分の生命の奥深くから生まれる祈りである。人間の悲しみが生み出す、愛の呻吟(しんぎん)なのだ。
    『悲願へ』p.3
    愛 65番
    愛というのは、すべて自己犠牲です。
    『悲願へ』p.61
    愛 66番
    自分が不幸になってもかまわないと思うと、他者を愛することも出来るようになってくる。
    『悲願へ』p.66
    愛 67番
    自分が、不幸というと言葉は悪いですが、それでかまわないと思えば必ず愛の実践が出来るのです。
    『悲願へ』p.66
    愛 68番
    愛とは何だろうかなどと考えなくてもいいのです。自分の人生を犠牲にして、誰かに自分の生命とか人生を捧げようと思えば、そこに必ず愛が生まれて来るのです。
    『悲願へ』p.66
    愛 69番
    「愛」や「慈悲」から出てきているものが、「天命」を生み出す。
    『悲願へ』p.164
    愛 70番
    正しいとは「弁証法的陰陽対立の思想を止揚して、愛に基づく結論を下すこと」なのです。
    『悲願へ』p.180
    愛 71番
    国を本当に思って、国のために命を捨てるというのが本気なら、それは大変な愛なのです。
    『悲願へ』p.182
    愛 72番
    正しいことというのは、愛に基づくものだということの証拠に、必ず共感者や協力者が出てきます。共感者が出なかったら、それは正しくないと思ってください。
    『悲願へ』p.182
    愛 73番
    愛は先ほども言いましたが、一言で言うと、犠牲的精神のことです。つまり、自分よりも何か他のものや他者のために、自分の能力や精神そして肉体的生命を捧げることを言います。
    『悲願へ』p.183
    愛 74番
    愛による関係はすべて、対象に対して自分を捧げ尽くす関係を言うのです。
    『悲願へ』p.184
    愛 75番
    愛とは、自分の生命を何ものかに捧げる行為ですから、自分の命は無いものとなるのです。
    『悲願へ』p.187
    愛 76番
    愛が分かると「問答無用」という生き方が出来るようになり、すべての出来事に「体当たり」をすることが可能となってくるのです。
    『悲願へ』p.187
    愛 77番
    愛が認識されると、自分の生命というものはもう無いのと同じですから、あとは問答無用の人生と体当たりの人生を送れるようになる。
    『悲願へ』p.187
    愛 78番
    自己の生命を真に活かしたければ、愛が何かということを、色々なもので会得するしかない。
    『悲願へ』p.188
    愛 79番
    愛の中に死ぬのが、生命の価値だということを私は言っている。愛が無ければ永遠に生きるならまだしも、愛はあっても無くても必ず死ぬのです。
    『悲願へ』p.188
    愛 80番
    愛の中に死ななければ自己の生命の意味がない。全く愛が無く死ぬのは、言葉は悪いですが塵芥(ごみ)と同じなのです。
    『悲願へ』p.188
    愛 81番
    愛という「負のエネルギー」が正しいというのは、ある程度分かっていても、力にならないのです。これを力にしようとする思想が、私の場合は「絶対負」という言葉になり、私の菌学研究とその事業になったのです。
    『悲願へ』p.193
    愛 82番
    生命を燃焼させて「体当たり」と「問答無用」の人生を送れば、それが愛の実践であって、愛が力を持ったということで、物質と同等になるわけです。
    『悲願へ』p.193
    愛 83番
    愛に生きなければ何も無い。それ以外はもうすべていらないというくらいに生きて、初めて実人生という物質と愛の平衡がとれるかどうかという程度です。
    『悲願へ』p.193
    愛 84番
    問答無用と体当たりで生きるためには、その核心に愛が必要だと私がいつも言っているのは、正しくやるためにということなのです。
    『悲願へ』p.208
    愛 85番
    価値のある生命を築き上げるには、愛に基づく体当たりが出来なければなりません。
    『悲願へ』p.209
    愛 86番
    愛情を受けられること自体が、大変に素直な人です。歪んでいる人は愛情を受けられない。
    『悲願へ』p.257
    愛 87番
    人から愛を与えられると、青春に突入できるのです。青春というのは燃えるような慟哭(どうこく)の人生なのですが、青春に入れること自体、愛が成せる(わざ)だと言えます。
    『悲願へ』p.258
    愛 88番
    愛というのは必ず、ひとつ愛せる人は別のものも愛せるのです。
    『悲願へ』p.261
    愛 89番
    いじめというのは悪いのは分かるけれども、実はいじめの心が愛する心にも育っていくんだよ。
    『現代の考察』p.124
    愛 90番
    文化っていうのは差別化なんだよ。だから悪い意味でも差別化の意識がなかったら、良い差別化の愛もないってことなんだよ。
    『現代の考察』p.124
    愛 91番
    自分を愛してもらいたいという人は、愛を知ることはできません。愛は、自分が愛する対象のために自分の命を投げ出すことなのです。
    『現代の考察』p.188
    愛 92番
    毒を食らえば、愛に生きることができるようになる。
    『現代の考察』p.205
    愛 93番
    人間は、生まれたならば、愛に生きて愛の中に死ねるようにならなければ、生まれた価値は何もない。
    『現代の考察』p.205
    愛 94番
    結局私の言いたいことは、愛に生きる魂の無限成長こそが人間の人間たるいわれなのだということなのです。
    『現代の考察』p.210
    愛 95番
    愛情から言えば、自分自身が毒物と化すことが一番他者に対して愛情があるということなのです。
    『現代の考察』p.238
    愛 96番
    愛が深ければ深いほど、その愛情が深いものを捨てるということも、また大きい愛を生み出すものになっているということです。
    『現代の考察』p.245
    愛 97番
    愛するものを殺すことが、バロックの天才たちに課された使命であった。
    『見よ銀幕に』追補6 p.2
    愛 98番
    ヒューマニズムの抬頭によって、人間は愛の発動を自らの反骨精神に負わなければならなく成ったのだ。
    『見よ銀幕に』追補7 p.27
    愛 99番
    心の触れ合いとは「生きる為」の「必然」によって喚起(かんき)されるものなのだ。心の触れ合いは好き(この)んでする様な遊び事ではないのだ。やむにやまれぬ必要から無理をして行なわれるものなのだ。
    『見よ銀幕に』p.423
    愛 100番
    相手を知り尽くし所有する事が愛だというのは錯覚である。
    『見よ銀幕に』追補1 p.11
    愛 101番
    語らないからこそ、語れないからこその偉大な夢なのである。偉大な志なのである。偉大な深い愛情なのである。
    『見よ銀幕に』追補2 p.16
    愛 102番
    信念は信仰と愛情に()って人間存在の最も深い所から発している。
    『見よ銀幕に』p.405
    愛 103番
    正直に生きる生き方こそ、真の愛の実践なのではないか。
    『見よ銀幕に』p.576
    愛 104番
    生きるとは、愛することである。人を愛し、国を愛し、仕事を愛する。愛するもののために、自己の生命を投げ捨てることに尽きる。生きるとは、それに尽きるのではないか。
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    愛 105番
    愛のゆえに死ぬる覚悟だけが、生きることの意味を創り上げる。
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    愛 106番
    愛は義の中でしか生きられない。義のない愛は、生命の放縦(ほうじゅう)を引き入れることになる。
    『現代の考察』P.533
    愛 107番
    愛は生命の根源であり、人生の豊潤を与えてくれる。その愛が生きるか死ぬかが、義の存立にかかっているのだ。
    『現代の考察』P.533
    愛 108番
    命を投げ出す場合には、その命を本当に愛していないと何の意味もない。
    『現代の考察』p.95
    愛 109番
    情感の食物というのは、基本的には愛情だと言えます。そして精神の食物というのが、一般的に言う宗教心のことです。
    『現代の考察』p.175
  • 信 ―――人生に迷ったら

    信 1番
    愛すべきものが一つでもあれば愛し、信ずべきものが一つでもあれば信ずる。
    『生くる』p.17
    信 2番
    信念がないときは、やたらと行動を起こしたがるのが人間なのだと私は自己の体験で知った。
    『生くる』p.14
    信 3番
    見えないものを見えないがゆえに信じ、聞こえないものを聞こえないがゆえに信ずる。
    『生くる』p.292
    信 4番
    信ずるとは、信ずる自己を信ずることを言う。
    『生くる』目次
    信 5番
    信じることによって、人生はそのすべての果実を手に入れることができる。
    『友よ』p.127
    信 6番
    現実を見ないことによって、人間の未来を信ずる力が生まれてくるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.62
    信 7番
    私がおふくろを死ぬほど好きだったのは、わが子だから可愛いという恣意的な感情からではなく、何度私が死に懸けようと、母と私に与えられた運命をただ信じ、信ずる心を貫いて死ぬという生き方を実践した人だからです。
    『おゝポポイ!』p.205
    信 8番
    僕が一番大切にしているものは、今の文明が生まれる以前に人類が誕生したときの、生命のもつ「初心」なんだよ。
    『夏日烈烈』p.18
    信 9番
    ひとっ飛びに信じなければ、思想というものは自己の中に入ってはこない。
    『夏日烈烈』p.28
    信 10番
    聖書というのは「信じよう」と思って読むと、僕もそうだけど涙が流れてくるんだよ。
    『夏日烈烈』p.360
    信 11番
    宗教はご利益を願ったら絶対ダメで、それを求めれば文明的に見ても宗教は最も悪いものに変化してしまいます。
    『風の彼方へ』p.74
    信 12番
    宗教心がわからなければ、我々は人類史から何ものも学び取れない。
    『根源へ』p.180
    信 13番
    「聖なるもの」を顕現できるのは、厳しさと優しさの両面をもつ宗教だけだったはずなのです。
    『根源へ』p.183
    信 14番
    宗教心というのは、原始に通じる人間の深い謎がそこにあるのではないか。
    『根源へ』p.194
    信 15番
    宗教心は誰の中にも必ず存在するものです。
    『根源へ』p.198
    信 16番
    我々のいのちは、神話から紡ぎ出されているのだ。
    『憂国の芸術』p.142
    信 17番
    信ずることは、人間だけが持つ高貴性を証明するものである。
    『生くる』p.292
    信 18番
    信ずることは自己の存在を感ずることであり、人生そのものを抱きしめることを意味している。
    『生くる』p.292
    信 19番
    信なくして、この世は何もない。
    『生くる』p.292
    信 20番
    信ずる心があれば、すべてがある。
    『生くる』p.292
    信 21番
    信ずることは生命(いのち)である。いや生命よりも大切なものだと思う。
    『生くる』p.292
    信 22番
    この肉と骨に、限りなき尊厳と価値を付加するものこそが信ずる心である。
    『生くる』p.292
    信 23番
    信ずるとは、ただ信ずるその心を言う。
    『生くる』p.292
    信 24番
    不幸の絶えぬこの世をそれゆえに信じ、嘘でも何でも人の(げん)を信じて生きる。
    『生くる』p.292
    信 25番
    友を信じ、家族を信じて祈る。祖国を信じ、人類を信じ、信じて信じて死ぬまで信ずる。
    『生くる』p.292
    信 26番
    必ずなる。なると信じている。
    『生くる』p.293
    信 27番
    信なくして何の生命ぞ。
    『生くる』p.293
    信 28番
    生きるということは、そのまま信ずることを意味する。
    『生くる』p.293
    信 29番
    私自身、今まで、信じたことだけが人生に価値を与えてくれた。過去に私も多くのことを疑った。その結果、卑しさにとりつかれた自分に気づかされただけであった。
    『生くる』p.293
    信 30番
    疑えば、どんなつまらないこともできない。私自身、今日までそれなりに何とかできたものは、すべて信じたものだけである。
    『生くる』p.293
    信 31番
    自分自身を、構築してきた思い出に残る事柄も、自己確立に役立ったものはすべて信じたことだけであった。
    『生くる』p.293
    信 32番
    人生とは、本当に面白いもので信ずれば嬉しくなる、体の調子も良くなる、異性にももてるようになる(若者よ!よく聞いておけ)。
    『生くる』p.293
    信 33番
    原動力は信ずる心だけであった。
    『生くる』p.293
    信 34番
    本質は信ずる心だけにあり、他は一切理屈でしかない。
    『生くる』p.293
    信 35番
    この世は、信ずればいかなることもなし遂げられ、疑えば何のために生きているのかわからなくなる。
    『生くる』p.293
    信 36番
    科学すら、疑いから出発しても、科学を信じた人たちによって今日の隆盛を見ている。科学者たちの信ずる心に、私は大なる敬意を払う。
    『生くる』p.294
    信 37番
    誰もが、初めての道を歩むのだから、強く深く自分の人生を信じなければならない。
    『生くる』p.297
    信 38番
    信ずれば信ずるほど、自己の人生は稔り豊かになる。そう信じて、私は生きている。
    『生くる』p.297
    信 39番
    愛すること、信ずること、「自己」よりも大切なものがあること、つまり、これらの人間を人間たらしめている精神活動はすべて負のエネルギーによるものなのだ。
    『「憧れ」の思想』p.24
    信 40番
    信ずることが青春であり、小利口は老化なのだ。
    『見よ銀幕に』p.27
    信 41番
    人と人が信じ合うには勇気がいるのだ。
    『見よ銀幕に』p.165
    信 42番
    良いものだけしか知らない信念はただの突っ張りであり、()()の虎である。 
    『見よ銀幕に』p.427
    信 43番
    信念とは伝統に生きることである。勇気とは唯一人でも立ち上がることである。 
    『見よ銀幕に』p.575
    信 44番
    人は信ずるに()る事柄を信じれば本当に良い人生が与えられる。……それは「真実」でなくとも良い。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.13
    信 45番
    「真実なるもの」は嘘でも良いのだ。
    『見よ銀幕に』追補1 p.13
    信 46番
    人は本当に清い人の存在を信じることができない。
    『見よ銀幕に』追補3 p.2
    信 47番
    悲願へ向かって我々も進み行かなければならない。
    『悲願へ』p.4
    信 48番
    戦後の夢は、「繁栄・平和・幸福」であった。その非現実を、我々の父祖たちは信じた。そしていま、その真の現代的意義を我々は知らなければならない。それが、父祖たちの涙に応える唯一の道である。
    『悲願へ』p.16
    信 49番
    信じなければ駄目です。ああ、これは執行草舟という男が言っているのだと思って読んでは駄目です。同じ人間の一人が、小学生のときからそれを信じて生きて来た人間が、すべてを懸けて言っていると思って読んでもらえたなら、無頼の精神は身につきます。
    『悲願へ』p.69
    信 50番
    自分の信念に自己の命を懸ける人だけが真の政治家なのです。
    『悲願へp.168
    信 51番
    私は、自分の意志だけで愛だと信ずるもののために生き、そして死のうと思っています。
    『悲願へ』p.188
    信 52番
    自分の信念の通りに生きて、全く不幸になっても一向にかまわない。そんなことは、どうでもいい。親からもらったこの生命を、思いっきり信ずる道に叩きつけるだけだと思っています。
    『悲願へ』p.227
    信 53番
    私は自慢ではないですが、どんなに苦しくても、みんなが賛成してくれるだろうなどと思っていることを、自分の信念と違うのに喋ったことはない。
    『現代の考察』p.236
    信 54番
    人のためとか、後世のためとか。その発想がまず初期で駄目になる。すべて人間がやることというのは、全部、生命がやっていることで、まず自分のためなのです。そして、自分の「信ずるもの」のためなのです。
    『現代の考察』p.283
    信 55番
    その深淵を抱き締めなければ、生命を愛することは出来ない。人類は、その悲哀に立ち向かう精神を「信仰」と名づけて来たに違いない。
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    信 56番
    記憶がなければ、信義はない。つまり人間を人間たらしめて来たものは、我々の記憶である。
    『見よ銀幕に』追補8 p.3(予定) 「デイライツ・エンド」
    信 57番
    信念や人間性は、現代人が使うような軽いものではない。民主主義の政治家が使うような事柄ではない。
    『見よ銀幕に』追補8 p.7(予定) 「杉原千畝」
    信 58番
    未来は、信仰の問題であって、人間が自らの「力」で考えるべきものではないのです。
    『根源へ』p.145
    信 59番
    生命が、生命として生きるために信仰は生まれたのだ。それを、それだけを語り続けた男が内村鑑三であった。語り続けることによって、内村はすべてに「敗北」した。偉大なる敗北である。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    信 60番
    真の人間の絆は綺麗事(きれいごと)ではない。しかしその底辺に見る事の出来ぬほど深い所に存在する真の愛情と友情と信頼が在る。 
    『見よ銀幕に』p.521
  • 美 ―――人生に迷ったら

    美 1番
    生きるとは、美しく滅びることを言う。
    『友よ』p.109
    美 2番
    私が詩を愛するのは、それが人間の生き方に美をもたらす力を秘めているからである。
    『友よ』p.111
    美 3番
    科学も物質の中にある大いなるもの、美しきもの、すばらしきものを見出すために、人類が創り出したものであった。
    『友よ』p.123
    美 4番
    純白な白と、不純な黒がきれいに織られていれば、それは美しい織物ではないか。
    『友よ』p.152
    美 5番
    美しいものを知らなければ、美しいものの見方は生まれない。
    『友よ』p.176
    美 6番
    美しいとか恰好がいいという心の部分は今も昔も、西洋も東洋も、人間であれば共通の基準があるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.248
    美 7番
    美しい国は、汚い場所もあるから美しいのです。
    『風の彼方へ』p.256
    美 8番
    理想というのは、美しいものじゃなきゃだめです。他人のためになるもの、国のために役立つもの、人々の夢とか、健康とか、幸福に役立つもの以外はぜんぶだめです。
    『魂の燃焼へ』p.102
    美 9番
    安田靫彦は、日本の美を描き切った。その眼は、「物」がもつ生命の深奥を見つめていた。
    『憂国の芸術』p.113
    美 10番
    死生観というのは、つまるところは「美学」なので、自分がこのような死に方をしたい、こういうふうに人生を締めくくれたら最高だと思うことが死生観なのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 11番
    芸術でも仕事観でも、美学というものはすべて宇宙に貫通する順番を表現し、体現したもののことなので、その順番に合わせれば合わせるほど宇宙の本源に近付くことになるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 12番
    およそ人間生活にとって真に意義のある所業は、すべての言動の中に存在する美を、修練によって磨き上げることにある。
    『生くる』p.164
    美 13番
    私の言う美学とは、それぞれの人間が持つ人生の営みの中から、その最も美しい価値を引き出すための方法論を指す。
    『生くる』p.164
    美 14番
    あらゆる価値の中に潜む美を磨き上げ、歴史過程の一環となしていくことこそが、美学化と呼ばれるにふさわしい。
    『生くる』p.164
    美 15番
    人類の文明と文化のあらゆる分野は、この美学化の追求にあると言っても過言ではない。
    『生くる』p.164
    美 16番
    言語の美学化は詩となる。
    『生くる』p.164
    美 17番
    音声の美学化は音楽を生む。
    『生くる』p.164
    美 18番
    住空間の美学化を美術・建築と呼ぶ。
    『生くる』p.164
    美 19番
    知識と知恵の美学化は学問を創る。
    『生くる』p.164
    美 20番
    人間関係の美学化は礼をもたらす。
    『生くる』p.164
    美 21番
    勇猛と恩義の美学化を武士道という。
    『生くる』p.164
    美 22番
    美学化が高度に洗練されたとき、人はそれを芸術と認識する。そして、それが歴史を創る。
    『生くる』p.164
    美 23番
    この実社会における仕事に美学を導き入れ、仕事の中に潜む美を追求することによって、芸術に至る生き方を求める。
    『生くる』p.165
    美 24番
    仕事は「規律、命令、服従、献身」の四つの文化の回転エネルギーによって文明的価値を追求する美学なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.389
    美 25番
    美学の対極にあるものが怠惰、安逸、無作法、滅茶苦茶、鈍感、わがままなどの好き勝手な生き方となる。
    『生くる』p.165
    美 26番
    命令と服従は、およそ人類の美しき姿の代表的なものであろう。親子しかり、君臣しかり、師弟しかり。つまり、この世の人と人の絆を築き上げる根本となる美学なのだ。
    『生くる』p.166
    美 27番
    道元の開基による永平寺では、その禅の教えに自ら服従する僧たちの、八百年に及ばんとする日常が、禅の美を今日まで伝えている。
    『生くる』p.166
    美 28番
    献身なくして、美しきものは何もないと断言できる。いかなる理論も、いかなる大義もいかなる価値も、献身の心がなければ、すべての美を失ってしまう。
    『生くる』p.166
    美 29番
    仕事がその人にとって価値のあるものでない場合は、その人の人生も全く美的ではなくなるのが、と言うものであろう。
    『生くる』p.167
    美 30番
    仕合せとは、自己の人生に美を見出すことを言う。
    『生くる』p.169
    美 31番
    死生観というのは、つまるところは「美学」なので、自分がこのような死に方をしたい、こういうふうに人生を締めくくれたら最高だと思うことが死生観なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 32番
    執行草舟による美学の定義:美の本質、美の基準、美の価値などを人生航路に求めていく生き方。
    『生命の理念Ⅱ』p.127
    美 33番
    美学というものはすべて宇宙に貫徹する順番を表現し、体現したもののことなので、その順番に合わせれば合わせるほど宇宙の本源に近付くことになるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 34番
    美しさとは、宇宙と生命の秩序を体現することなのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 35番
    人間は、秩序と真理を美しいと感ずる。その美しさを慕い創り出そうとする生き方に「美学」がある。
    『生命の理念Ⅰ』p.186
    美 36番
    この世には、崇高で美しい不幸がある。青く光る涙のような、美しい不幸がある。
    『孤高のリアリズム』p.219
    美 37番
    私は、若き日にT・Sエリオットの「ダンテ論」を読んだことがある。その中で、芸術家がぞっとするような汚いものを見つめるのは、美の追求のための衝動であるという意味の文があったことを思い出した。
    『孤高のリアリズム』p.226
    美 38番
    「美は、決闘である」というボードレールの言葉を戸嶋靖昌は愛していた。
    『孤高のリアリズム』p.236
    美 39番
    「恐るべき美が生まれた」。それは、アイルランドの魂が、一筋の希望を摑んだことを歌っているのだ。それをイエイツは「美」と表現した。
    『孤高のリアリズム』p.237
    美 40番
    「誰でもないもの」が笑う、あの「ギリシャ的晴朗」(die griechische Heiterkeit)の笑いが遠く揺らめく「点」に見える。さながら、孤独な美しい人間の出帆のようだ。
    『孤高のリアリズム』p.257
    美 41番
    反骨のない人間には真の規律の美はわかりません。反骨精神のないふやけた人間に規律を強制するとつぶれるか杓子定規な人間になるんです。
    『見よ銀幕に』p. 16
    美 42番
    好む通りに生きるとは、生き方の中に美学が確立して、初めてできることとなる。 
    『友よ』p.70
    美 43番
    あらゆる価値が美学化されていく根底にあるものは、規律、命令、服従、献身である。……これらの美学が、あらゆる仕事を価値あるものとし、歴史の一環となす力を有している。 
    『生くる』p.165
    美 44番
    美学とは輝く価値を引き出す決意である。 
    『生くる』 目次
    美 45番
    美しさの根元とは何であるのか。天を敬い、人を愛するということであろう。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    美 46番
    「勇気」である。勇気が無ければ美しく生きることは全くできない。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    美 47番
    思い出が綺麗事でないことは重要なことである。美しくするのは自分なのである。 
    『見よ銀幕に』p.495
    美 48番
    人間には、花が必要である。……人生が、辛ければ辛いほど、美しい花が必要なのだ。どんなにつまらなく見える人間にも、美しい「何ものか」がある。花とは、それを人間に知らしめるものであるに違いない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.10
    美 49番
    生きるべき道がはっきりと示されている世の中においては人間の感情というものはどこまでも美しく昇華していくのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.1
    美 50番
    苦しみを生き抜くのが人生なのですから、相克の苦しみを生き抜いていることに「美学」をもっと感じなければいけません。 
    『現代の考察』p.46
    美 51番
    義経は負けたから美しいのでは無いのだ。美しい人間であったから美しいのである。その辺を間違えると日本人が古来陥入る誤った「滅びの美学」に通じてしまうのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    美 52番
    夜空に輝く星は、我々が手にすることのできない理想と同じものである。 
    『生くる』p.349
    美 53番
    名人はすべて孤独である。本当に努力し、真に鍛錬した人は楽々悠々と見える。孤独の中に、美を感じた人だから、そのようになれたのだ。 
    『友よ』p.72
    美 54番
    職人が作ったものでも、美しいものや優れたものは、人が見れば宗教性を感じます。 
    『悲願へ』p.30
    美 55番
    他人にわかってほしいと願う心をもつ者は、本当の自己の人生を確立することはできない。他人にわからないからこそ、そこに美意識が生ずるのだ。 
    『友よ』p.72
  • 真 ―――人生に迷ったら

    真 1番
    正しさにこだわっていては、真実や真理は見えない。
    『生くる』p.36
    真 2番
    絶対に正しいものなどは、この世には存在せぬ。
    『生くる』p.36
    真 3番
    真実や真理は、正否にあるのではない。誠にある。
    『生くる』p.39
    真 4番
    間違いを恐れては、決して誠は貫けない。
    『生くる』p.39
    真 5番
    自分が血を滴らせ、汗を流して考え抜いたこと以外は、他人に語ってはならない。
    『生くる』p.112
    真 6番
    善の完全な遂行は人間にはできない。
    『生くる』p.153
    真 7番
    人間は馬鹿でもなんでもよい。悪人ですらよいと私は思っている。問題は、恩を知る者か知らぬ者かにかかっている。
    『生くる』p.239
    真 8番
    人類誕生以来、一貫して平等に与えられているものは、人生はみな一度だけという真理である。
    『生くる』p.258
    真 9番
    バッハの音楽によって、どれほど多くの真理を摑んだか計り知れない。
    『生くる』p.302
    真 10番
    理性だけでは物事は動かない。
    『生くる』p.302
    真 11番
    恨みはきたならしい感情ではない。
    『生くる』p.323
    真 12番
    言挙げをするな。その先に道がある。
    『生くる』目次
    真 13番
    自信を持てば、破滅が始まる。
    『生くる』目次
    真 14番
    時間は他人に盗めない。
    『生くる』目次
    真 15番
    習慣を変える力は、新たなる習慣を措いてほかにはない。
    『生くる』目次
    真 16番
    「転ず」れば、黒は白と化する。
    『生くる』目次
    真 17番
    点に還れ。小さなものには歓びがある。
    『生くる』目次
    真 18番
    悩みには、神と悪魔が同居している。それを見分けなければならない。
    『生くる』目次
    真 19番
    太古以来、人間のもつ凡庸さから悪徳が生ずる。
    『友よ』p.60
    真 20番
    小賢しい人間、悩める人、弱き者は時間軸の捉え方が短い。
    『友よ』p.90
    真 21番
    悲しくなければ何の意味もない。
    『友よ』p.124
    真 22番
    天才とは、凡人が避けて通るものを、避けて通らない人を言う。
    『友よ』p.155
    真 23番
    見つめて、見つめて、見つめ続けるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.30
    真 24番
    現実の中に生きる人は、現実を本当に見ることはできない。
    『「憧れ」の思想』p.58
    真 25番
    「荒野」に向かって叫ぶことが、最も大切なこととなる。「心地よい」ところに向かって叫んでも、何にもならない。
    『「憧れ」の思想』p.201
    真 26番
    役に立たないこと、無益なこと、それによって沈黙は屹立するのだ。現代文明の中に「愚かさ」の牙城を立て、利益と成功そして幸福だけを追求するこの世を切断するのである。
    『「憧れ」の思想』p.272
    真 27番
    生命の奥から出た言葉でなければ、他者の真の共感を得ることは決してできない。
    『「憧れ」の思想』p.272
    真 28番
    役に立たなければ意味がないというのは、浅はかな考えです。役に立たないものが、実は真に役に立つんです。
    『おゝポポイ!』p.208
    真 29番
    文明というのは陰と陽の対立だから、一方的に善人になろうとするとなれない。逆に悪いことを許容すると、善も生まれてくる。
    『夏日烈烈』p.35
    真 30番
    感動と論理というのは、永遠の弁証法を形創っている。つまり「真実」ということだ。
    『夏日烈烈』p.35
    真 31番
    人類が滅ぶなら、皆が「喜ぶもの」に決まっていると思っている。平和とか、愛とか、優しさとか。
    『夏日烈烈』p.203
    真 32番
    プラトンの昔から、真理に近いものを語ろうとするときにはその多くが問答体になってるんだよ。それは真理が流動体だからなんだ。
    『夏日烈烈』p.44
    真 33番
    現実をしっかり見て、黒は黒、白は白と認めれば、どんなに苦しかろうが、自由になっていきます。
    『風の彼方へ』p.141
    真 34番
    リアリズムの観点から言うと、本当にものを見るのは簡単なんです。簡単だと思えば見られるのです。
    『風の彼方へ』p.150
    真 35番
    良い製品を作り、顧客のために全精力を尽せば、伸びないはずがありません。そう思っているだけです。伸びないのなら、自分をごまかしているだけで、そうしていないのです。
    『風の彼方へ』p.151
    真 36番
    現世を重視している人には魅力がありませんね。そして、みじめで弱いです。人に認められたがり、この世で成功したがる。だから保身的になります。
    『風の彼方へ』p.208
    真 37番
    損得勘定を乗り越えられないと、歴史も正しい見方ができません。なぜなら、これは日本だけではないのですが、間違いというのは全て、得をしたくて起きているんです。
    『風の彼方へ』p.226
    真 38番
    お金というものは、社会の真実を自分に教えてくれるものと言ってもいいでしょう。だから、お金は厳しいものであると同時に、すごく大切なものだと思う。
    『魂の燃焼へ』p.86
    真 39番
    あらゆる「権力」は、他者を従わせようとするとき、必ず「餌」を出すのだ。
    『孤高のリアリズム』p.199
    真 40番
    単純とは、瞬時にして把握する「全体」ということである。
    『孤高のリアリズム』p.202
    真 41番
    全体が大切なのだ。部分は全体のためにある。
    『孤高のリアリズム』p.203
    真 42番
    目には、体奥の深くから湧き出づる、初発の光源が宿されているのである。
    『孤高のリアリズム』p.205
    真 43番
    私は、もともと未完の芸術を愛してきた。
    『孤高のリアリズム』p.206
    真 44番
    悩めば人間は綺麗事を摑むこととなる。
    『見よ銀幕に』p.34
    真 45番
    本当の決意のための断念は人の情によって行われる。
    『見よ銀幕に』p.17
    真 46番
    心意気だけが決断を生み、実行を生み出すのだ。
    『見よ銀幕に』p.18
    真 47番
    弱い人間でなければ真に強くは生きられません。これが私の持論です。
    『見よ銀幕に』p.42
    真 48番
    良い人は心に自由を持っています。善悪にこだわりません。人に好かれようとするのではなく良いと思うことをしているのですね。
    『見よ銀幕に』p.36
    真 49番
    貫くとは心の中の作用であり、現実を見過ぎる人間は現実に負けていくのだ。貫く現実が現実なのである。
    『見よ銀幕に』p.59
    真 50番
    虚偽を恐れる者に、真実を摑むことはできない。 
    『「憧れ」の思想』p.91
    真 51番
    事実を認識してそれを(おのれ)の心に刻み込ませる力こそが真の人生を切り拓く根本哲理であると考えています。 
    『平成12年度 年末の辞』
    真 52番
    多くを望む者は何も得ることはできない。 
    『平成16年度 年末の辞』
    真 53番
    真の独立自尊からは全ての美しきもの、価値ある事柄が生まれ出づるのである。 
    『平成18年度 年末の辞』
    真 54番
    自己は、他者のためだけに存在しているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.176
    真 55番
    カッコ良い人達というのはね、みんな好き勝手に生きているのに筋目(すじめ)だけはびしっと通っているんですね。 
    『見よ銀幕に』p.555
    真 56番
    すべて、バランスが大切なのだ。昔の言葉で言う、「塩梅(あんばい)」である。 
    『生命の理念Ⅰ』p.91
    真 57番
    他人に対して説教をする人間は多い。しかし、人生は説教を聞いても何の価値もない。ただ一つ、価値のあるものは共感に尽きる。 
    『友よ』p.24
    真 58番
    決断とは決断ではないのだ。決断とは自分が死ぬことなのである。決断とはダメであった場合の責任を(おのれ)一人で背負うことなのである。背負うとは自己存在が死ぬことなのである。だからすでに死んでいる人間にしか真の決断はできないのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.18
    真 59番
    嘘ほど心地好いものはなく、真実ほど厳しいものはない。 
    『見よ銀幕に』p.376
    真 60番
    健康というのは気遣ったらもう病気なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.349
    真 61番
    戸嶋画伯は言っていた。「旨いものを食いたがる奴と、あたたかいベッドを求める奴を、俺は信用しない」それが口ぐせであった。 
    『平成21年度 年末の辞』
    真 62番
    僕は、人生に立ち向かう本当の心がけを一つだけ挙げろと言われれば、「リアリズムと向き合う」と答えます。 
    『風の彼方へ』p.139
    真 63番
    確信のないものは、何だか優しくて温かいものに見える。ただし、見えるだけであって本質は虚無である。 
    『友よ』p.21
    真 64番
    燃料とは、それ自体が「危険」であるものを言う。安全で安定したものや、固定したものは燃料にはならない。 
    『「憧れ」の思想』p.135
    真 65番
    必ず「物事」というのは、二つ一緒に混ざりあっていなければ回転しないのです。 
    『悲願へ』p.23
    真 66番
    大体、まじめ過ぎる人は駄目なのです。 
    『悲願へ』p.32
    真 67番
    精神と肉体、豊かさと貧しさ、それぞれの均衡を保っていくことが大切です。この均衡が、「物心一如」ということなのです。 
    『悲願へ』p.70
    真 68番
    大成功者の多くは、時限立法の思想だということです。 
    『悲願へ』p.71
    真 69番
    理想がなかったら、大衆性はすぐに下世話なものになってしまうのです。つまり、下衆(げす)になってしまう。ところが理想に支えられていると、それが偉大な輝くような「衆知」になってくると私は思うのです。 
    『悲願へ』p.72
    真 70番
    日本とドイツなど、こういう真面目な民族は絶対に戦争には勝てない。英米のような、ある種狡猾(こうかつ)な国しか勝てないのです。 
    『悲願へ』p.94
    真 71番
    間違った道徳観というのは、正しいものは決まっている、一つしかないと思っていることなんだ。 
    『悲願へ』p.101
    真 72番
    教条主義というのは自分と同じじゃなければ駄目だという思想です。教条主義に陥る人間は、実は道徳の名の下に、自分の考えを他人に押しつけようとしているだけだということに気づいてほしいのです。 
    『悲願へ』p.101
    真 73番
    道徳観とは、協力して何かを創り上げようと思う心に近いものだと思えばいい。 
    『悲願へ』p.101
    真 74番
    別々の道徳を打ち立てるのが真の教養です。そして別々の道徳を打ち立てるためには、ぶつかり合いがなければ出来ない。 
    『悲願へ』p.102
    真 75番
    人間にとって価値のある本当のことというのは、実は非効率で不合理で、生産性がなくて、面倒くさいことしかない。それが貧しさから生まれる真の豊かさだと私は思っている。 
    『悲願へ』p.103
    真 76番
    利便性や物質的豊かさだけで生きると合理主義に必ずなっていくんだ。 
    『悲願へ』p.104
    真 77番
    体当たりをしていれば、合理主義には絶対にならない。 
    『悲願へ』p.108
    真 78番
    道徳に関する限りは他人にこうしろああしろと言ったら、その時点で落第ですよ。 
    『悲願へ』p.117
    真 79番
    真の人格者というのは、他人にはすごく甘い。そして自分に厳しい。 
    『悲願へ』p.118
    真 80番
    道徳を他人に言う人は、全部が噓と思っていい。そう思っていて間違いないし、特に道徳はすべてそうだと思っていい。 
    『悲願へ』p.118
    真 81番
    道徳的なことを覚えたとしたら、自分に対してやる人が真の道徳家だ。 
    『悲願へ』p.118
    真 82番
    「道徳の力」は、そう生きている人が放つ感化力の中にあるんだ。 
    『悲願へ』p.118
    真 83番
    学校で生き方を教えようなんて、とんでもない話だ。かえってやると、さっき言った教条主義になっちゃう。押しつけだよ。 
    『悲願へ』p.132
    真 84番
    正しさというものには、絶対値がない。絶対値があるのは神だけですから、神以外には絶対値はないのです。すべてが相対的です。つまり、すべてが陰陽の対立として回転しながら存在している。 
    『悲願へ』p.180
    真 85番
    絶対的に硬いものもないし、絶対的に軟らかいものもない。強と弱も混ざっている。 
    『悲願へ』p.182
    真 86番
    馬鹿な結論は、必ず自我から出る結論だということを知るのは大切な知恵です。 
    『悲願へ』p.182
    真 87番
    正しい結論なら、断行することが出来る。ここが現世の厳しいところです。もしも断行できないなら、それは正しくないということです。 
    『悲願へ』p.182
    真 88番
    病院で管に繫がれて愛も知らないで、噓をつかれて死んでいく人が多い。「大丈夫だよ、大丈夫だよ」なんて言われて可哀想ですよ。私はやはり人間の尊厳が大切にされる社会でなければ駄目だと思う。 
    『悲願へ』p.188
    真 89番
    物と心が両方とも大切なのだと言っている人は物質主義に決まっているのです。それほど物質というのは人間に対する力が強い。 
    『悲願へ』p.193
    真 90番
    物質をすべて無価値にして切り捨てて、さらに捨てて何にも価値がないということにすると、初めて物心一如になれる。 
    『悲願へ』p.193
    真 91番
    物質は悪魔なのです。キリスト教の文献を読むと分かりますが、悪魔というのは物質のことなのです。 
    『悲願へ』p.194
    真 92番
    物はとにかくいらない、捨てる、無価値と思っていてちょうどいいということです。 
    『悲願へ』p.194
    真 93番
    大上段から生命が大切だ、大切だと言っている人は大体、自分の地位の保身をしているか、金儲けがしたいだけなのです。 
    『悲願へ』p.196
    真 94番
    生きるにはお金が必要です。儲けろと言わなくても、お金は儲けなければなりません。空気を吸わなければ生きられません。ご飯を食べなければ生きられないのです。 
    『悲願へ』p.197
    真 95番
    すごく立派な精密なものを作ろうという物質的な考えだけでは、良い会社を創ることは人間には出来ない。もちろん体当たりだけでは物が出来ないのも当たり前なのですが、体当たりで生きないと、物を作る出発点そのものに立てないということです。 
    『悲願へ』p.203
    真 96番
    物の呪物性を見抜く人間が真の実業家なのです。 
    『悲願へ』p.204
    真 97番
    人間生活にとって物が呪物のときが、物が売れているときなのです。呪物ではなくなったら、どんなに宣伝しようが、頑張ろうが、売れないのです。 
    『悲願へ』p.204
    真 98番
    問答無用と体当たりは、今言われたように間違ったことや欲望にかられたことでも起きている。確かにそれも形としては同じに見えます。だからそれを正しいことで出来なくては駄目だという話です。 
    『悲願へ』p.208
    真 99番
    政治家というのは、根源的に自分の身を(なげう)って、国家百年の大計のために自己の生活や生命を捨てることを(いと)わない人のことです。 
    『悲願へ』p.212
    真 100番
    欲望は、大切に決まっています。大切に決まっているので、大切にする必要がないと私は言っているのです。 
    『悲願へ』p.214
    真 101番
    物質主義からは、人間生活にとって良い物質は出てこない。 
    『悲願へ』p.217
    真 102番
    未完そのものは何の不幸でもない。 
    『悲願へ』p.226
    真 103番
    本当に何かを為した人で、不幸でない人はいないです。 
    『悲願へ』p.231
    真 104番
    物質は確かに必要ですが、絶えず心より下でなければ駄目なのです。 
    『悲願へ』p.239
    真 105番
    頭が良くて賢い奴は大体、青春は送れない。甘ったれで馬鹿な奴は青春に突入できる。 
    『悲願へ』p.258
    真 106番
    痩せ我慢を通せば、それは本物になっていきます。 
    『現代の考察』p.50
    真 107番
    聖人君子というのは、他人(ひと)の言うこと、つまり他者の評価なんです。だから立派というのも、聖人君子も他者がどう思うかということです。 
    『現代の考察』p.62
    真 108番
    文明を築くには義がいる。義というのは、厳しさです。だから、仁は最高の心の形態だと言うけれど、文明としては最高ではない。 
    『現代の考察』p.98
    真 109番
    「教育勅語」は天皇と直結するものだから、家に帰って一人で瞑想して、考えるものなんですよ。人が介在したら駄目です。 
    『現代の考察』p.105
    真 110番
    馬鹿な人は自分は馬鹿なのだと認識する。今も言ったように、実はこれが重大で、馬鹿だと分かったら自分が馬鹿でも人生は全く大丈夫なのです。 
    『現代の考察』p.165
    真 111番
    辛いことを乗り超えれば乗り超えるほど、自己の本質や物事を見つめることができるようになる。 
    『現代の考察』p.198
    真 112番
    昔は近所がみんな正直なので、非常に勉強になった。今は表面を飾って偽装しているから、真実を見るのは難しい。 
    『現代の考察』p.207
    真 113番
    もし本当に福音書に書いてあることが全部信じられたら、キリストと出会っているのと何も変わらないし、差は一切ないよ。 
    『夏日烈烈』p.84
    真 114番
    清く慈悲深い真に偉大な人はその心の中に「祈り」が有るのだ。その心の中に「聖地」を持って居るのである。だから他人がその心の中の真実を窺い知る事は不可能なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.2
    真 115番
    「水爆は最後の人間である」というその言葉の中に、三島由紀夫の社会に対するアンチテーゼとしての全哲学が入っているわけなんだ。 
    『夏日烈烈』p.69
    真 116番
    共感を人に与えられないのなら、それは嘘だからなのだ。人生も芸術も学問も事業も、本物はすべて共感と呼ばれる感化力を内在している。 
    『友よ』p.24
    真 117番
    絶対負は沈黙と静寂、そして火を生み出す根源のエネルギーだな。 
    『夏日烈烈』p.261
    真 118番
    人間が最も真心に溢れ純粋であった時に生まれた、人間の誠の生き方が神勅なのである。 
    『平成15年度 年末の辞』
    真 119番
    本音だけが本当に人に通ずるのです。 
    『見よ銀幕に』p.298
    真 120番
    人間が真に活動をする時、そこには多くの犠牲が付き(まと)う。その犠牲を乗り越えて人を動かすものは人間同士の真心の交流と使命だけである。 
    『見よ銀幕に』p.365
    真 121番
    真の真心とは生真面目(きまじめ)さから生まれる義務感が生み出すのです。 
    『見よ銀幕に』p.495
    真 122番
    正直である事が長く深い絆の最も大切な事である。そして正直である事は綺麗事だけでは不可能なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.419
    真 123番
    正直な人々はどんな失敗をしでかしても実にスマートである。 
    『見よ銀幕に』p.608
    真 124番
    その場その日がすべてでない人間は、嘘の人生である。 
    『「憧れ」の思想』p.298
    真 125番
    本当の責任感の中枢(ちゅうすう)には人としての真心が一番大事なのだ。
    『見よ銀幕に』p.279
    真 126番
    赤心がなければ、荷を背負って、責任を遂行することはできない。重ければ辛いのが当たり前で、辛さを忍ぶものは、人の誠しかない。誠があれば、荷はいくらでも背負える。
    『生くる』p.190
    真 127番
    厳しさがないやさしさなんかは何の価値もないということを、キリストはいろんなところで言ってるんだよ。
    『夏日烈烈』p.209
    真 128番
    不摂生な生活をしている人は、必ず子孫に報いがいきます。
    『生命の理念Ⅰ』p.73
  • 憧れ・夢 ―――人生に迷ったら

    憧れ・夢 1番
    憧れが、人生に意味を与え続けてくれた。
    『生くる』p.126
    憧れ・夢 2番
    憧れを持て。生の痕跡をこの世に刻め。
    『生くる』目次
    憧れ・夢 3番
    我々の祖先が築き上げてきた、人類の憧れを引き継がなければならないのである。
    『根源へ』p.470
    憧れ・夢 4番
    憧れは、不幸だからもつことができるのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.3
    憧れ・夢 5番
    命よりも大切なものがあるからだ。私は、それを「憧れ」と呼ぶ。
    『「憧れ」の思想』p.21
    憧れ・夢 6番
    垂直を仰ぎ続けることが、憧れを自己に引きつけるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 7番
    人間に与えられた知性や精神、そして自己の存在をより燃焼させたいという、根源的な欲求こそが憧れを生む。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 8番
    挑戦する自己の行為を、長く継続的に行なったものだけに、深淵な海底のような平安が訪れる。
    『友よ』p.64
    憧れ・夢 9番
    我々の祖先が築き上げてきた、人類の憧れを引き継がなければならない。
    『根源へ』p.470
    憧れ・夢 10番
    憧れには、人間の実存のすべてがある。
    『「憧れ」の思想』p.1
    憧れ・夢 11番
    憧れは、燃えさかる悲しみである。
    『「憧れ」の思想』p.1
    憧れ・夢 12番
    憧れだけに生きることを決めたとき、私は自分が人間になったことを実感した。
    『「憧れ」の思想』p.1
    憧れ・夢 13番
    核兵器と核利用社会が出現したのは、人間がその精神に「憧れ」を失ったからに他ならない。
    『「憧れ」の思想』p.56
    憧れ・夢 14番
    憧れに向かって生きる人間こそが、実際の現実にも強いのだ。
    『「憧れ」の思想』p.61
    憧れ・夢 15番
    未来とは、現実の状況の上に築かれるものではない。それは、人間の憧れが築き上げるものなのだ。
    『「憧れ」の思想』p.62
    憧れ・夢 16番
    愚かさとは、崇高から滴る涙である。それは、野蛮と高貴の無限弁証法に支えられた、憧れに向かう生命の讃歌なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.69
    憧れ・夢 17番
    結果のいかんを問わず、我々は人間として生きるために、それぞれの憧れのもと、愚かに生き抜くことこそが最も尊いのではないだろうか。
    『「憧れ」の思想』p.103
    憧れ・夢 18番
    ただ石のように、そして、ただ泥のように黙って死ぬ。憧れに生きる人間は、そのような犬死にとも言える人生の不合理を受け容れなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.131
    憧れ・夢 19番
    憧れの人生においては「考える人間」はすべて挫折してしまう。
    『「憧れ」の思想』p.132
    憧れ・夢 20番
    元々、人間は、遠い憧れに向かって生きるように創られている。人類は誕生以来、そのような生物として生きてきたんだ。
    『夏日烈烈』p.103
    憧れ・夢 21番
    生命とは、哭きいさちる舞踏とも言えるのだ。それは、自己に貫徹する「憧れ」を神に捧げる祝祭である。
    『生命の理念Ⅰ』p.77
    憧れ・夢 22番
    人間の生命は、遙かなる理想のゆえに生まれた。そして、その理想のために生き、ついに理想に向かって死するのである。
    『生命の理念Ⅰ』p.16
    憧れ・夢 23番
    遠い憧れにはなかなか到達できない。当たり前のことなんだ。だから、簡単に到達できるようなことなんてだめなんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.50
    憧れ・夢 24番
    君知るや 我がうつしみに 風起ちて 夢は何処へ 行くべかるらむ
    『憂国の芸術』p.1
    憧れ・夢 25番
    人生とは、ただ憧れに生きることである。
    『憂国の芸術』p.92
    憧れ・夢 26番
    安田靫彦は、義経を愛した。私は、そこに靫彦その人の生き方を見るのである。強く正直であり、「何ものか」のためには命などいつでも投げ捨てる覚悟がある。
    『憂国の芸術』p.115
    憧れ・夢 27番
    安田靫彦は、日本の伝統を伝えるために、その病身に鞭を打った。つまり、永遠の青春に向かって生きていたのだ。
    『憂国の芸術』p.115
    憧れ・夢 28番
    ゲーテに出会ったとき、憧れがもつ悲しさと苦悩を深く感じたのだ。
    『「憧れ」の思想』p.18
    憧れ・夢 29番
    憧れとは何か。そして、人間は何を為すべきなのか。それを知るためには、人間とは何ものであるのかを考えなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.18
    憧れ・夢 30番
    憧れは希望よりも、もっと切なく悲しいものだ。つまり、希望よりも、もっと愛すべき「何ものか」である。
    『「憧れ」の思想』p.20
    憧れ・夢 31番
    憧れとは、ともしびを慕い、想い続ける精神を言う。それは、悲しみである。なぜなら、それが生命のもつ根源的実存の雄叫びだからだ。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 32番
    ゲーテの言う憧れに生きれば、苦悩と悲痛が襲いかかってくる。
    『「憧れ」の思想』p.22
    憧れ・夢 33番
    「憧れ」とは、命がけで手に入れるものと言えよう。
    『「憧れ」の思想』p.27
    憧れ・夢 34番
    憧れは、肉体を顧みない人間にしか実感できない。
    『「憧れ」の思想』p.31
    憧れ・夢 35番
    生命の叫びを、美しいものに変える力が、憧れの本質のひとつになっていると言ってもいいのではないか。
    『「憧れ」の思想』p.44
    憧れ・夢 36番
    人生は短く、憧れは遠い。
    『「憧れ」の思想』p.46
    憧れ・夢 37番
    武士道の憧れが、日本人の忠義と誠実を練り上げてきた。
    『「憧れ」の思想』p.46
    憧れ・夢 38番
    人間の崇高とは、憧れを目指すその生き方と死に様の中にあるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.53
    憧れ・夢 39番
    現実を見ない生き方が、垂直を生む。それが、憧れを近づけてくれるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.57
    憧れ・夢 40番
    真の憧れに生きることこそが、生命に真の幸福をもたらすことができる。 
    『生命の理念Ⅰ』p.3
    憧れ・夢 41番
    憧れは、心の友を持って、初めて勇気を得ることができる。 
    『「憧れ」の思想』p.44
    憧れ・夢 42番
    真の憧れが、ただ美しいだけのものではないと確認してもらいたい。それは、命がけの「慟哭(どうこく)」と言えよう。 
    『「憧れ」の思想』p.48
    憧れ・夢 43番
    我々は、結果にかかわらず、憧れに向かわなければならない。そのために、我々は生まれてきた。 
    『「憧れ」の思想』p.103
    憧れ・夢 44番
    憧れは、宇宙と生命そして文明の淵源である。 
    『「憧れ」の思想』p.104
    憧れ・夢 45番
    憧れは、不幸を受け容れる生き方によって摑み取ることができる。 
    『「憧れ」の思想』p.105
    憧れ・夢 46番
    憧れに向かう人間はみなドン・キホーテの子孫なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.113
    憧れ・夢 47番
    憧れに向かって進む道筋にある失敗は尊い。 
    『「憧れ」の思想』p.301
    憧れ・夢 48番
    「憧れ」がないなら、人類はない。 
    『夏日烈烈』p.97
    憧れ・夢 49番
    私は『ベラスケスのキリスト』の中に、人間の憧れの原点をみてきた。著者(ウナムーノ)は、キリスト教を超越して、本書の中に生命の実存を歌い切っている。
    『ベラスケスのキリスト』 帯
    憧れ・夢 50番
    憧れを持って生きること、それ以上の人生があるであろうか。私は信じたものだけで成長し、生き、そして死ぬつもりである。私は自分を本当に幸福な人間だと思っている。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.13
    憧れ・夢 51番
    憧れに向かう者は、食おうと思ってはならない。 
    『「憧れ」の思想』p.247
    憧れ・夢 52番
    愚かさの中に、真の輝きを見出せる人間こそが、憧れに向かう人生を生きることができる。 
    『「憧れ」の思想』p.103
    憧れ・夢 53番
    結果のいかんを問わず、我々は人間として生きるために、それぞれの憧れのもと、愚かに生き抜くことこそが最も尊い。 
    『「憧れ」の思想』p.103
    憧れ・夢 54番
    憧れが捨て身を生み、捨て身が生命の完全な燃焼を司る。 
    『「憧れ」の思想』p.83
    憧れ・夢 55番
    自己の弱さと卑小に哭き続ける人間だけに、本当の憧れはほほえみかける。 
    『「憧れ」の思想』p.126
    憧れ・夢 56番
    いつでも、成功する人の意見というのは「その時代」にはすべてが夢なのです。 
    『悲願へ』p.48
    憧れ・夢 57番
    本当の意見や理念というのは夢なのです。そのときの現実にはないということです。 
    『悲願へ』p.49
    憧れ・夢 58番
    この世は夢だということは本当なのです。本当にすべて夢なのです。 
    『悲願へ』p.55
    憧れ・夢 59番
    魔法の中を生き切るその夢が、現世だと私は思っています。 
    『悲願へ』p.56
    憧れ・夢 60番
    憧れに向かって、魂をぶつけなければいけない、肉体をぶつけなければいけない。 
    『現代の考察』p.52
    憧れ・夢 61番
    到達不能な憧れに生きることが、自分の魂の自由をもたらすのですが、不合理に向かって生きる、不可思議に向かって生きる、不可能に向かって生きるということです。 
    『現代の考察』p.57
    憧れ・夢 62番
    到達できるものはすべて駄目です。到達不能のものでなければなりません。憧れというのは、一生涯到達できないものなのです。 
    『現代の考察』p.57
    憧れ・夢 63番
    戦艦大和の上に、遅れて来た国家は、すべての夢を託したのだ。そして、その夢は「力」の前に崩れ、南海の海底に沈んだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.16
    憧れ・夢 64番
    現代においては、憧れに向かう垂直の精神を立てるには読書しかない。 
    『「憧れ」の思想』p.278
    憧れ・夢 65番
    断じて、利口に成ってはならぬ。利口に成れば、垂直を仰ぐことは出来ぬ。 
    『「憧れ」の思想』p.67
    憧れ・夢 66番
    この埴谷雄高は、自己の生命の淵源に向かって垂直に生き切った人物であった。すべての思索が、自己自身の内部から生まれていた。想像力ということにおいて、埴谷雄高を凌駕する作家はいないであろう。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.2
    憧れ・夢 67番
    非日常とは、つまりは垂直を志向するということに尽きる。 
    『「憧れ」の思想』p.23
    憧れ・夢 68番
    決して成就することのない、清く遠い「憧れ」を目指して生きなければならない。 
    『生命の理念Ⅰ』p.20
    憧れ・夢 69番
    憧れは、遠い。人類の精神の積み上げが、いくらあってもまだ遥かに遠い。 
    『「憧れ」の思想』p.250
    憧れ・夢 70番
    遠くを見ること、遠い星を見つづけることが何より大切なのだろう。 
    『友よ』p.63
    憧れ・夢 71番
    ()の白い雲が蒼穹に浮かぶ限り、私はそれを追い続ける。 
    『平成21年度 年末の辞』
    憧れ・夢 72番
    憧れとは、魂の故郷へ向かって生きることを言う。 
    『「憧れ」の思想』p.170
    憧れ・夢 73番
    灯と成れる者は名利を求めてはなりません。 
    『平成11年度 年末の辞』
    憧れ・夢 74番
    灯はどんなに小さくても良い。確実に存在し、小さな小さな光を放っていることが重要なのです。 
    『平成11年度 年末の辞』
    憧れ・夢 75番
    憧れ、それは私にとって、今日までを生ききる上で、唯ひとつの灯(ともしび)となっていた。 
    『生くる』p.126
    憧れ・夢 76番
    修業の身にあっては、あらゆる権威や言説から独立した孤高の道を行かねばならない。 
    『「憧れ」の思想』p.146
    憧れ・夢 77番
    「主よ、何処へ」と言ったとき、ペテロの中に眠る真の憧れが「立ち上がった」のだろう。 
    『「憧れ」の思想』p.108
    憧れ・夢 78番
    自己の憧れに向かって、いのちの舞いを祭壇に捧げるのである。それだけが生命の本当の意義なのだ。 
    『生命の理念Ⅰ』p.100
    憧れ・夢 79番
    真の夢とは、自己の生命と霊魂を何事かに捧げる事である。自分の命に真の誇りを感ずるならば、人はその命を何ものかに捧げなければならない。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.10
    憧れ・夢 80番
    武士は自己の目指すべき「目上」を肌で感ずることが出来た。そして、その目上の人間の先に、武士の精神が目指す「憧れ」が存していたと言えよう。 
    『「憧れ」の思想』p.115
  • 魂 ―――人生に迷ったら

    魂 1番
    いかなる魂を摑み取るか、その選択が個性を創る。
    『生くる』目次
    魂 2番
    西郷の高貴で偉大な魂にふれると、私は今でも五歳の小児より小さくなってしまう。
    『友よ』p.137
    魂 3番
    私は文明の「魂」を慕いつつも、実存の「骨と肉」に苦しみ続けてきたひとりの男である。
    『根源へ』p.469
    魂 4番
    魂とは、人間の精神が生まれ出づる源泉を形創っている。それは、混沌の中に煌めく重い「質量」である。
    『「憧れ」の思想』p.31
    魂 5番
    焦がれうつ魂を、抱き締めなければならない。それが人間の使命なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.99
    魂 6番
    私は自分の魂を信じています。「時代の流れ」を無条件に信じることはできません。
    『おゝポポイ!』p.149
    魂 7番
    欲望に苛まれると、人間というのは頭も停止するし、それから魂が弱くなる。
    『夏日烈烈』p.112
    魂 8番
    物質的な豊かさは、ほどほどをわきまえることが一番大切だということだよな。それをわきまえるのには、魂の問題を考えるのが一番近道なんだ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 9番
    自分の存在の根源は、人間の情感が引きつける「魂」であり、人間の悲哀をともなう「生命エネルギー」なんです。
    『魂の燃焼へ』p.110
    魂 10番
    ますらをの 涙もにじむ ことどもを 風のかたみと よしや伝へむ
    『憂国の芸術』p.39
    魂 11番
    ()つ風を (たま)(きは)まる (いのち)()て ()きて(くだ)きて 生きて死につつ
    『憂国の芸術』p.112
    魂 12番
    人間への興味も、本を通して、過去に生きた人々との魂の交流が主力であった。
    『「憧れ」の思想』p.57
    魂 13番
    地球上にいる我々もまた、ちっぽけではあるけれども、その巨大なエネルギーの分霊なんです。
    『魂の燃焼へ』p.111
    魂 14番
    (魂というのは)愛とか、友情とか、尊敬とか、自己犠牲とかの価値を感ずるエネルギーですね。これもまた負のエネルギーで、我々の肉体の中でぐるんぐるんと回っているわけですよ。
    『魂の燃焼へ』p.112
    魂 15番
    魂が電光を散らし、肉体が激突する。そこに生まれる脈動だけが、生命の本源を形創るものではないだろうか。
    『夏日烈烈』p.1
    魂 16番
    魂は、その雄叫びによって燃えさかる深淵と化していくと言っていい。
    『夏日烈烈』p.1
    魂 17番
    自分の魂に、その片鱗が元々ないものの場合、何の感動も興味も示さないよ。興味を示すということは、本人の中にそうなれる要素があるということなんだ。
    『夏日烈烈』p.27
    魂 18番
    自分の魂が共鳴したその瞬間に、自分がそうなれる。
    『夏日烈烈』p.28
    魂 19番
    信じるためにも自分の感性と能力を築き上げ、魂を練磨していくのは、本当に大切なことなんだ。
    『夏日烈烈』p.29
    魂 20番
    幼子のごとくの魂を持っているのは、生命の本質で、本当なんだよ。
    『夏日烈烈』p.62
    魂 21番
    過去の書物を信じて、歴史上の人の魂の中に没入するしかないということだけだ。
    『夏日烈烈』p.83
    魂 22番
    僕は自分の読みたいものしか読まない。僕の魂が求めるものだな。
    『夏日烈烈』p.92
    魂 23番
    魂を込めて書かれた本以外は読む気がしない。
    『夏日烈烈』p.134
    魂 24番
    魂が生きるためには糧が必要なんだ。
    『夏日烈烈』p.148
    魂 25番
    「生くる」という表現は、魂の覚悟というものがある言葉なんだ。
    『夏日烈烈』p.151
    魂 26番
    『万葉集』なら歌を読めば古代人の魂がわかるんだ。
    『夏日烈烈』p.213
    魂 27番
    魂のある人はその芸術作品を見ればもう「魂のすべて」がわかるんだよ。
    『夏日烈烈』p.213
    魂 28番
    『友よ』というのは言うならば「魂のふるさとに戻る」というのかな……。
    『夏日烈烈』p.234
    魂 29番
    (火は宇宙の本質であることから)火がわかると、魂が何であるかもわかってくるし、我々の生命が何かもわかってくるんだよ。
    『夏日烈烈』p.260
    魂 30番
    三浦義一は何度も生まれ、何度も死んでいる。不滅なんだよ、あの魂はね。
    『夏日烈烈』p.282
    魂 31番
    魂が進化するのは無限で、人類というのは最終的には、神と合一するであろう、と言われている動物ということになるんだ。
    『夏日烈烈』p.303
    魂 32番
    魂に向かえば、物質のことはすぐにわかるようになるんだ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 33番
    魂の永久革命を慕い続けよ。
    『夏日烈烈』p.305
    魂 34番
    (天使とは)アンドロメダのエネルギーであり、人間の魂を人間の魂たらしめる「天空のエネルギー」とも言える。
    『夏日烈烈』p.311
    魂 35番
    (『根源へ』は)内面的に僕が読んできた本だとか、魂の変遷を書いてるわけ。要するに魂の、内面の人生だ。
    『夏日烈烈』p.321
    魂 36番
    ウィリアム・ブレイクは僕の魂を形成するものの一つだよ。
    『夏日烈烈』p.346
    魂 37番
    本とか特に文学というのは、魂の毒だから食らわなきゃならないわけだよ。
    『夏日烈烈』p.379
    魂 38番
    失った魂は、自分そのものが海に飛び込まないと、もう見つけることはできない。
    『夏日烈烈』p.405
    魂 39番
    魂には、保障も権利もない。 
    『「憧れ」の思想』p.191
    魂 40番
    魂とは、肉体が逃げ出そうとするとき、それを逃がさない「何ものか」である。 
    『「憧れ」の思想』p.31
    魂 41番
    魂とは、自己の肉体の外部にある人類の文化と、自身の心が融合したものです。 
    『根源へ』p.144
    魂 42番
    魂の進化とは何かと言えば、人間が宇宙の故郷(神)を求めていくことです。 
    『風の彼方へ』p.250
    魂 43番
    魂の進化のために苦しみ続けるのが真の人間の姿なのです。 
    『風の彼方へ』p.250
    魂 44番
    神とは、宇宙の根源的エネルギーです。我々の魂は宇宙の根源エネルギーから直接に生まれたということがわかると、本当の人間の価値がわかります。 
    『風の彼方へ』p.251
    魂 45番
    我々はあまりに強い自我意識により、人の魂と真に交流することができないのではないか。 
    『見よ銀幕に』p.585
    魂 46番
    イエスは、人類のもつ生命の雄叫びのゆえに、受難を引き受けているのだ。つまり、魂を知る新しい時代を築くためだけに、己れの身を生命の歴史に捧げたと言ってもよい。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.23
    魂 47番
    私は、自分の魂の本質も宇宙の果てにあると思っています。そこに、死んでから私は行くつもりでいます。 
    『悲願へ』p.55
    魂 48番
    進化思想の中で、正しい進化というのは宗教的に言うと魂だけなんだ。 
    『悲願へ』p.136
    魂 49番
    魂は、無限に神に近づいていかなければ駄目なんだ。 
    『悲願へ』p.136
    魂 50番
    魂というのは、これは滅びるまでは、人類は神に向かって無限に進化していかなくてはならないものだ。 
    『悲願へ』p.137
    魂 51番
    魂とは、我々の肉体ではない。それは民族の初心とも言えるものではないだろうか。 
    『現代の考察』p.14
    魂 52番
    自己の本当の生命を生かすことを、魂の救済と呼ぶ。そのためには、私は痩せ我慢と意地がもっとも大切だと言ってきた。 
    『現代の考察』p.16
    魂 53番
    文明の中を生きて、文明を突き破らなければならない。真の生命を輝かせることが、自己の魂の救済となるのだ。 
    『現代の考察』p.16
    魂 54番
    武士道とは、一つの文明なのです。つまり、民族の魂の具現化であるということを、常に考え方の根底に置いていないといけません。 
    『現代の考察』p.24
    魂 55番
    この文明社会を生き抜いて、かつ一人ひとりが持っているその自己の魂というのを確実に生かさないと、人生の意味はない。 
    『現代の考察』p.52
    魂 56番
    痩せ我慢と意地を貫けば、今言った自己の魂をこの世で救済することができるのです。 
    『現代の考察』p.52
    魂 57番
    文明を突き破らないと、魂は絶対に救済できない。文明の中に甘んじたら終わりですね。 
    『現代の考察』p.53
    魂 58番
    西洋でも価値のある文学というのは、ほとんど自分の魂のために何かを投げ捨てる、肉体を投げ捨てる話です。 
    『現代の考察』p.55
    魂 59番
    現代社会において自己の魂を救済するためには、死ぬまで苦悩し続けなければならないということなのです。 
    『現代の考察』p.58
    魂 60番
    武士が斬り合いをしている時代の方が、考え方をちょっと変えれば、非常に魂っていうのは救済される。今は何にもできない。魂がそのまま生きたまま腐っていく。 
    『現代の考察』p.127
    魂 61番
    現代人はほとんど信仰を持つための基本となる魂がない。だから下手に持たない方がいいということです。 
    『現代の考察』p.254
    魂 62番
    魂を磨くというのは、自分一人のことです。現世的には何の得もないが、自分が命を懸けてやることです。磨くだけで結果が出なくて死んでもいい。それが重要なのです。 
    『現代の考察』p.262
    魂 63番
    魂というのは、宇宙の心のことです。宇宙空間に遍満する宇宙的価値観です。 
    『現代の考察』p.263
    魂 64番
    魂を摑まなかった人は家畜になる。つまり動物です。人間の形をした動物だということです。 
    『現代の考察』p.263
    魂 65番
    鬼神とは、我がうち深く存する祖霊であり、私の骨肉が朽ちるまで共に歩む、我が魂そのものである。 
    『平成22年度 年末の辞』
    魂 66番
    役に立たないこと、無益なこと、それによって沈黙は屹立(きつりつ)するのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.272
    魂 67番
    傷付けられた誇りが真の誇りに成長して行く為には、人間は精神的であり信仰的であり、かつ不条理で理不尽と思われる程の「魂」に憧れる日々を送っていなければならないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.19
    魂 68番
    我々の肉体が、重力を知った時、我々の魂が屹立したのだ。この宇宙空間を知る者こそが、人類を創っている。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    魂 69番
    「諸行無常」という仏教的なものが、松下思想には人生の問題として多く出てきます。 
    『悲願へ』p.26
    魂 70番
    誇りとはつまり霊魂の事である。そして霊魂とはつまり我々の存在の根本の柱であり、それは我々の存在の全てであるという事である。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.13
    魂 71番
    美しき人間の魂を磨き上げる為には汚なさというものもその周りには必要なのである。 
    『見よ銀幕に』p.291
    魂 72番
    心を打つ生き方は「筋が通っている」という事に()きる。 
    『見よ銀幕に』p.392
  • 名誉 ―――人生に迷ったら

    名誉 1番
    ぶるぶる震えていようが、何しようが、出撃したならその人は勇敢な人だってことだよ。
    『夏日烈烈』p.129
    名誉 2番
    名誉心は、人間が「人間らしく」生きる上で、欠くことの出来ない大切な「精神」です。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 3番
    人間は名誉心を持たないと、気持ちを奮い立たせたり、やる気を持続させることができません。別の言い方をすれば、名誉心を失うことによって、現代人は恥を恥だと思わなくなったのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 4番
    名誉心とは、自己の外部にある高貴なる「理想」に向かって生きようとする意志から、自己の中に生まれるものです。
    『生命の理念Ⅱ』p.40
    名誉 5番
    生命がもつ、理想を見つめなければならぬ。理想が、我々の人生に名誉心をもたらしてくれるのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.59
    名誉 6番
    先祖を敬う、つまり先祖崇拝は名誉心と深い関係があります。それは精神の概念そのものというよりも、むしろ精神的な生き方をするための方法論なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.76
    名誉 7番
    「地獄には地獄の名誉がある」そうダンテは言っていた。生命の悲哀が、あのダンテをしてかく言わしめたのである。
    『生命の理念Ⅱ』p.83
    名誉 8番
    名誉心は、戦いから生まれる。戦いのないところに、名誉心は絶対にありません。
    『生命の理念Ⅱ』p.83
    名誉 9番
    今の日本は戦争を放棄しているので、日本人は愛国心という名誉心をもつことができません。
    『生命の理念Ⅱ』p.84
    名誉 10番
    戦う覚悟を持たずに精神性を説けば、それはただの無責任な評論家であって名誉心に生きているとは言えません。
    『生命の理念Ⅱ』p.85
    名誉 11番
    我々は、幻想の平和に浸りながら戦う精神を失い、その結果、自己の名誉心を失いつつあるのです。
    『根源へ』p.104
    名誉 12番
    名誉心がなければ、人は戦うことができません。
    『根源へ』p.105
    名誉 13番
    名誉心は善悪や幸・不幸は関係ない。
    『根源へ』p.105
    名誉 14番
    悪をなすためにも名誉心は必要なのです。また名誉心のゆえに不幸を招くことも多々あります。
    『根源へ』p.105
    名誉 15番
    名誉心は自分らしい個性のある人生を送ろうと思ったら絶対に必要なものなのです。
    『根源へ』p.107
    名誉 16番
    正義の断行を支えている精神が、名誉心に他なりません。
    『根源へ』p.112
    名誉 17番
    名誉心とは、主体を持って生きようとする国家や個人にとっては、命より大切なものです。
    『根源へ』p.112
    名誉 18番
    名誉心がなければ、愛国心も生まれません。
    『根源へ』p.115
    名誉 19番
    名誉心を養うには、人間が卑小な存在であるという認識を徹底的に叩き込むべきです。
    『根源へ』p.117
    名誉 20番
    つまらない自分だが、何か意味のあることができないか、と考えることが名誉心を呼び込むのです。
    『根源へ』p.117
    名誉 21番
    名誉心がまた、魂そのものを養っていくのです。
    『根源へ』p.118
    名誉 22番
    出会いの感動によって自分と他者が一体となり、そこに自己の生き方という名誉心が芽生えてくるのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 23番
    名誉心を育むには出会いが大切であるからこそ、秀れたものとの出会いを求めなければならないのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 24番
    真の出会いが名誉心を生み、その名誉心が魂を育んで、個性ある生き方を創るのです。
    『根源へ』p.119
    名誉 25番
    名誉心がなければ、自己に打ち克ち、自己の殻を破って前進しようとする克己心も生まれません。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 26番
    気品や個性、信念や生命エネルギーの燃焼へ向かう生き方、向上心や探求心の問題もすべて、名誉心が原動力になっています。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 27番
    名誉心を養うには、名誉を求める生き方を自己が選択し、意識することによって宇宙からそのエネルギーが注ぎ込まれるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 28番
    名誉心がなければ恥もない。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 29番
    恥を雪ぐとは、内なる名誉の回復を意味しているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.39
    名誉 30番
    名誉心とは、物質的なものが何ら介在しない、まったく純粋な精神や生命エネルギーの問題だということです。
    『生命の理念Ⅱ』p.40
    名誉 31番
    理想と呼ばれる憧れに、自分の生き方を合わせるのが名誉を求める生き方です。
    『生命の理念Ⅱ』p.41
    名誉 32番
    名誉は絶えず自分で意識して、意識することによって自分を奮い立たせるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.43
    名誉 33番
    名誉心の受け皿としての自己が確立することによって初めて、名誉心を持つことができるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.49
    名誉 34番
    封建時代における領主に対する忠義心が、国家に対する忠義に変わったものが愛国心であり、愛国心は名誉心の代表的なもののひとつです。
    『生命の理念Ⅱ』p.41
    名誉 35番
    忠義に生きようとすることが武士の名誉なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 36番
    サラリーマンの道は、武士道と同じ忠義の道です。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 37番
    会社に骨を埋める気持、さらには会社のために命を捨てる覚悟で生きるのが、サラリーマンの名誉なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.52
    名誉 38番
    人間は他人のために生きることを習得して、初めて名誉を求めることができます。
    『生命の理念Ⅱ』p.53
    名誉 39番
    真の実業家は、実務としての商売をしていても、真の名誉を求めて仕事をしているのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.53
    名誉 40番
    歴史の中にその民族の理想がある。
    『生命の理念Ⅱ』p.54
    名誉 41番
    この世には、命よりも大切なものがある。それがわからなければ、人間となることはできないのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.38
    名誉 42番
    生命がもつ、理想をみつめなければならぬ。理想が、我々の人生に名誉心をもたらしてくれるのだ。
    『生命の理念Ⅱ』p.59
    名誉 43番
    誇りと名誉の伝統に根差していない意地は本当に価値のある意地ではない。 
    『見よ銀幕に』p.402
  • 不合理 ―――人生に迷ったら

    不合理 1番
    この世は理不尽がつきまとう。それを乗り越える力は恩と情にしかない。
    『生くる』p.15
    不合理 2番
    反作用によって人間がつぶれてしまうのは、反作用がない世界があると錯覚しているからに過ぎない。
    『生くる』p.158
    不合理 3番
    誠意とは、善意ではない。汚れ果てても築き上げるものだ。
    『生くる』目次
    不合理 4番
    生命の本源に到達する道は、不合理と不幸に満ちており、一人ひとりが、自分だけの孤独の道を歩まねばならない。
    『「憧れ」の思想』p.143
    不合理 5番
    人生観の根本は、不幸を受け入れる思想を持つことです。それは、革命の精神を持つということでもあるのです。
    『耆に学ぶ』p.44
    不合理 6番
    不合理を嫌ったり、それから逃げることなく、それを積極的に受け入れ消化しなければなりません。
    『耆に学ぶ』p.47
    不合理 7番
    不合理を仰ぎ見る。文明の毒を受け入れることで人間の精神は強くなれます。
    『耆に学ぶ』p.48
    不合理 8番
    自分の命や幸福が何より大切ならば、この世で価値のある真に人間的なことを行なうことはできません。自分でない、自分を捨て去るその対象の中に生きる価値観があると僕は思っています。
    『風の彼方へ』p.35
    不合理 9番
    否定の否定の否定の否定を通り越していくと、きれいで優しい希望ではなく、本当の生命感を摑めるのです。
    『風の彼方へ』p.44
    不合理 10番
    生命そのものが不合理で、決して楽しいものではありません。どちらかといえば、生命は悲しいものです。
    『風の彼方へ』p.58
    不合理 11番
    生きていることそのものが矛盾なんです。だから、より大きな矛盾に立ち向かっていくことが、結果として、生きていることの矛盾を解決することにつながるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 12番
    白隠の力は、沈黙が生み出した力だと私は思っている。沈黙、すなわち暗黒の渦巻く不合理である。
    『孤高のリアリズム』p.211
    不合理 13番
    不合理を仰ぎ見なければならない。
    『根源へ』p.27
    不合理 14番
    人生とは、不合理の極みを生き切ることです。
    『根源へ』p.28
    不合理 15番
    もともと日本人は、不合理を美学となした民族と言えるのです。
    『根源へ』p.28
    不合理 16番
    不合理を乗り越えるには野性が必要です。つまり純粋性です。潔さと言ってもいい。
    『根源へ』p.28
    不合理 17番
    日本文明がもつ、他の文明ともっとも異なるものは何か。それが不合理を許容する心なのです。
    『根源へ』p.37
    不合理 18番
    私は、不合理を許容できない人間に、もっとも軽薄な人間性を感じます。
    『根源へ』p.40
    不合理 19番
    真実の死に方を見つけられれば、真実の生き方がわかる。つまり、不合理を仰ぎ見て生きるということです。
    『根源へ』p.41
    不合理 20番
    日露戦争に勝ったのは、乃木大将という不合理を許容して呑み込んだ人が軍司令官にいたからです。
    『根源へ』p.43
    不合理 21番
    不合理を許容することは一種の美意識です。
    『根源へ』p.43
    不合理 22番
    不合理を受け容れなければ真の生き方は生まれず、死生観も持てません。
    『根源へ』p.43
    不合理 23番
    すべては「不合理ゆえにわれ信ず」です。
    『根源へ』p.43
    不合理 24番
    乃木の場合は説明ができない。説明ができない能力が、乃木希典の能力なんだよ。
    『夏日烈烈』p.138
    不合理 25番
    (『ハムレット』の不合理がいい)また不合理を愛するという点では、他に『奔馬』の飯沼勲なんかが代表だよな。
    『夏日烈烈』p.222
    不合理 26番
    不合理も、病気も不幸も、全部これは人生論的に言うと毒なんだよ。
    『夏日烈烈』p.350
    不合理 27番
    僕は「毒を食らえ」と言って、不幸になれ、不合理を食らえ、と言っているわけ。これが逆説で言うと、自分の与えられた生命を燃やし切るための最低条件ということなんだよ。
    『夏日烈烈』p.350  
    不合理 28番
    キリスト教がなんで強いかっていうと、矛盾だらけの宗教だからなんだ。だってイエスが処女から生まれたとかさ、無理ですよ、ふつうは。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 29番
    何がなんでも信じろって。信じなかったら火あぶりだからね。でも、その強いられた矛盾をのみ込む強さが、ヨーロッパ人の強さなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 30番
    僕がなぜ武士道に魅力を感じるかというと、いちばんは武士道の中にある不合理性なんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.191
    不合理 31番
    むしろ、矛盾を大好きにならなきゃ。人生を生きるコツは、矛盾をどう楽しむかに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 32番
    矛盾を、僕は「運命」と呼んでいるんです。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 33番
    矛盾に立ち向かうか、逃げるかで、人間の強さが決まってくる。
    『魂の燃焼へ』p.192
    不合理 34番
    真の文明とは、不合理を許容する生き方だけが生み出す精神そのものなのです。
    『根源へ』p.45
    不合理 35番
    不合理を許容する心だけが死生観を打ち立て、人生を拓くことができるのです。
    『根源へ』p.44
    不合理 36番
    (ヨーロッパ人の塹壕戦について)不合理を受け入れる思想がなければ、あのような「狂気」に基づく行動はできないのです。何と言っても、機関銃の掃射をしている相手に向かって突撃するのです。
    『根源へ』p.45
    不合理 37番
    矛盾に満ちた不合理こそが、生命を燃焼させる燃料となっている。 
    『「憧れ」の思想』p.102
    不合理 38番
    不合理を愛するとは、自己の人生に降りかかる矛盾を、すべて受け取るということである。 
    『「憧れ」の思想』p.103
    不合理 39番
    不合理を愛するとは、実人生の矛盾をすべて愛するということでもある。 
    『「憧れ」の思想』p.105
    不合理 40番
    我々は、不合理の神秘が渦巻く海原をつんざいて憧れに向かっている。 
    『「憧れ」の思想』p.122
    不合理 41番
    現世の不合理を愛すれば愛するほど、また現世の不幸を味わえば味わうほど、憧れは自分のものとなる。 
    『「憧れ」の思想』p.123
    不合理 42番
    合理性とは、宇宙と生命の本源を切り捨てたものの整理整頓と言ってもいい。 
    『「憧れ」の思想』p.125
    不合理 43番
    真に生きるとは、危険と不合理の中で叫ぶ生命そのものを愛することではないのか。 
    『「憧れ」の思想』p.133
    不合理 44番
    芸術は不合理が生み出す美の形態と呼んでもいいのではないか。 
    『「憧れ」の思想』p.137
    不合理 45番
    生命に、普遍的な正しさはない。生命は不合理なのだから。 
    『「憧れ」の思想』p.141
    不合理 46番
    人生は不合理に満ち、正しいものも無く、また間違いも無い。ただあるものは、自己の生命だけである。 
    『「憧れ」の思想』p.147
    不合理 47番
    不合理と不幸を突破する生命の力だけが、本当の「自己」を築くのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.147
    不合理 48番
    安定と安楽が、我々の生命を殺すのだ。我々の合理精神に心地よいものが、我々の魂の神秘を腐らせていく。 
    『「憧れ」の思想』p.164
    不合理 49番
    不合理は、宇宙と生命の法則であり、真実である。 
    『「憧れ」の思想』p.164
    不合理 50番
    不合理なことにぶつかっていくと、心は幸福になりますよ。もともと、幸福は結果論なんですよ。 
    『悲願へ』p.106
    不合理 51番
    不合理と悲哀をつんざいて生きるドン・キホーテの中に、憧れに向かう人間の生命の原点を見出しているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.110
    不合理 52番
    「不合理の精神」は、人間に「不幸」を貫いて獲得する、真の憧れと呼ばれる「幸福」をもたらすに違いない。 
    『「憧れ」の思想』p.110
    不合理 53番
    愛が分かる人は、不合理にぶつかり、不合理に苛まれて来た人ということです。苛まれなければ、愛は分かりません。 
    『悲願へ』p.40
    不合理 54番
    不合理を喜んで受け容れなければ、それを消化吸収できない。 
    『悲願へ』p.105
    不合理 55番
    不合理の世は、不合理によって突き進まなければならない。 
    『現代の考察』p.15
    不合理 56番
    仁と義が、もともと相克するエネルギーだということを知らなければならない。反発は、体当たりによって「核融合」しない限り、絶対に乗り超えることはできない。 
    『現代の考察』p.15
    不合理 57番
    仕事というのは、この一つの不合理を他の不合理に転換する作業なのです。 
    『現代の考察』p.36
    不合理 58番
    不幸を受け容れる覚悟をすると、この文明の中で自分の生命を本当に生かす「破れ」がどういうことなのかを自分で摑めるのです。 
    『現代の考察』p.47
    不合理 59番
    仁と義の拮抗がうまくできると、結果的に家庭もうまくいくし、仕事もうまくいく。 
    『現代の考察』p.51
    不合理 60番
    不合理を受け容れ、苦悩に真正面から立ち向かうと、不合理の社会を楽しむことができるようになってくる。 
    『現代の考察』p.51
    不合理 61番
    昔からそうですが、文明が生まれてから、この世と呼ばれるものを支配しているのは、不合理であり悪魔なのです。だから、この世の中で自分の生命を本当に輝かそうと思ったら、悪魔との闘いになる。 
    『現代の考察』p.171
    不合理 62番
    不合理を愛するということは、不合理であることそのものの中に、自分が積極的に突入していくということです。 
    『現代の考察』p.201
    不合理 63番
    人間だけが文明というものを推進しなければならない使命がある。だから人 間は、その文明の不合理を全部受けなければならない存在なのです。 
    『現代の考察』p.261
    不合理 64番
    垂直とは、不合理の集積の上に(そび)える「祭壇」のことである。 
    『「憧れ」の思想』p.102
    不合理 65番
    遠いともしびとして瞬く「憧れ」は、不合理という荒野の果てに揺らいでいるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.102
    不合理 66番
    キリスト教は、不合理を愛する宗教である。それが、この宗教を世界的にしたのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.114
  • 情熱 ―――人生に迷ったら

    情熱 1番
    情熱とは、人間を人間たらしめているものです。……つまり、生命力そのものです。
    『根源へ』p.238
    情熱 2番
    キリストは情熱に突き動かされたがゆえに、受難を引き受けることになったのです。だから、情熱と受難は等しい。
    『根源へ』p.240
    情熱 3番
    情熱のもっとも崇高なものが愛なのです。
    『根源へ』p.241
    情熱 4番
    情熱の裏には希望の力が隠されている。
    『根源へ』p.241
    情熱 5番
    人は情熱に突き動かされ、受難に遭うべきなのです。
    『根源へ』p.241
    情熱 6番
    自己の生命が、真に他の存在の役に立ちたいのなら、自己独自の情熱を抱き締めなければなりません。
    『根源へ』p.241
    情熱 7番
    自己の生命と人間の歴史の真実の中に隠された「悲しみ」を感知したとき、我々は真の情熱を認識することができるのです。
    『根源へ』p.242
    情熱 8番
    真の情熱は悲しみと直面するのです。
    『根源へ』p.243
    情熱 9番
    情熱をもつ人生には覚悟が必要なのです。
    『根源へ』p.243
    情熱 10番
    情熱的なことは、詩的で非日常的です。
    『根源へ』p.244
    情熱 11番
    非日常が常なるものになって初めて、真の情熱が生まれるのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 12番
    ポルトガルの航海術の飛躍的な発展の原動力は、情熱の存在によって支えられていたのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 13番
    不合理の極みとも言える情熱によって、科学的な眼を持てるようになったのです。
    『根源へ』p.245
    情熱 14番
    情熱は、不合理を科学的真実に変える力があるのです。
    『根源へ』p.246
    情熱 15番
    鑑真とザビエルは、まったく同じ情熱です。
    『根源へ』p.247
    情熱 16番
    神父ダミアンのもつ情熱は、情熱のひとつの典型であると思います。
    『根源へ』p.248
    情熱 17番
    (『異邦人』の主人公)ムルソーの人生の大半は、情熱を殺すために生きていた。
    『根源へ』p.250
    情熱 18番
    情熱に突き動かされた人間は、その結果がどうであろうと、人間らしい人生を感ずることができるのです。
    『根源へ』p.250
    情熱 19番
    (『異邦人』の主人公)ムルソーはその深部を、世界は美しいと「信ずる」強烈な情熱によって支えられていたと私は思っているのです。
    『根源へ』p.250
    情熱 20番
    情熱というのは人間を高貴にすると同時に、破滅させるものであり、人間の人間らしさのすべてであると言っているのです。
    『根源へ』p.251
    情熱 21番
    忍ぶ恋は、人間の情熱がもつ、もっとも崇高な神秘なのです。
    『根源へ』p.252
    情熱 22番
    情熱を知るためには、善悪を判断することなくひたすら愛せよと語りかける。
    『根源へ』p.252
    情熱 23番
    善悪は文明であり、情熱は生命そのものなのです。その均衡の上に真の人生があります。
    『根源へ』p.253
    情熱 24番
    愛がなければ、情熱はすべて、そのままエゴイズムでしかありません。
    『根源へ』p.253
    情熱 25番
    満たされてしまえば情熱は失われてしまうのです。
    『根源へ』p.253
    情熱 26番
    希望なきところに愛はなく、愛がなければ真の情熱はありません。
    『根源へ』p.254
    情熱 27番
    情熱は、人生を真に豊かにするものであると同時に、またもっとも激しい苦悩をもたらすのです。
    『根源へ』p.254
    情熱 28番
    憧れが苦悩を生み出し、その苦悩が愛によって生ずる認識と希望を手探りでたぐり寄せ、真の情熱を生み出していくのです。
    『根源へ』p.255
    情熱 29番
    情熱は不滅性への渇望から生まれる。
    『根源へ』p.257
    情熱 30番
    情熱に接すれば、人は恐るべき生の深淵を(のぞ)くことになるのです。そして、それを乗り越えなければならない。突破するには勇気しかない。
    『根源へ』p.260
    情熱 31番
    ドン・キホーテは、なぜ「情熱の騎士」になったのか。それは彼が徹底的に「絶望した人間」としての人生を歩んだからです。
    『根源へ』p.262
    情熱 32番
    他人から嘲笑され、打ち負かされたことで、ドン・キホーテは偉大になりました。つまり勝利者になったのです。……彼が受難と呼ばれる苦悩に満ちた人生を、その情熱によって生き切ったからです。
    『根源へ』p.262
    情熱 33番
    情熱とは、涙の哲学なのです。
    『根源へ』p.263
    情熱 34番
    人間にとって最後のものは、燃え尽きる生命の雄叫びしかないのです。つまり、情熱であり、その結果としての涙です。
    『根源へ』p.263
    情熱 35番
    情熱を持ち続けるためには、人間は生涯にわたり忍ぶ恋をしなくてはいけない。
    『根源へ』p.265
    情熱 36番
    忍んで忍んで、憧れて憧れて、そして灰になるのです。
    『根源へ』p.265
    情熱 37番
    愛と認識が情熱を生み出し、そこに真の希望が見えてくるのです。
    『根源へ』p.271
    情熱 38番
    情熱を取り戻すには、野生を取り戻すことしかありません。
    『根源へ』p.275
    情熱 39番
    私は「一粒の麦」の精神こそが、人間の情熱の原点だと考えているのです。
    『根源へ』p.276
    情熱 40番
    思想とは考え方や知識では無く、一人の生きている人間の情熱なのだ。
    『見よ銀幕に』p.53
  • 孤独 ―――人生に迷ったら

    孤独 1番
    壁を見れば自分がわかる。
    『生くる』目次
    孤独 2番
    シジフォスのごとく、孤独そのものに生き、そこに棲むのだ。
    『友よ』p.64
    孤独 3番
    孤独を知る者だけが、他人を受け入れる度量をもつのであろう。
    『友よ』p.64
    孤独 4番
    愛を受けたる者は、孤独を恐れない。孤独は愛の証である。
    『友よ』p.64
    孤独 5番
    人と争う人間は、孤独を感じないですむ。
    『友よ』p.124
    孤独 6番
    現代のような水平社会では、垂直に生きようとすると変わり者だと見られがちです。そういった非難に耐えながら垂直に生きていかなければ絶対に孤独にはなれない。
    『根源へ』p.415
    孤独 7番
    我々は、どこから来て、どこへ行くのか。
    『憂国の芸術』p.124
    孤独 8番
    孤独とは、ただ独りで生きる気概を言う。
    『孤高のリアリズム』p.194
    孤独 9番
    真の孤独が、真の出会いを生む。
    『孤高のリアリズム』p.194
    孤独 10番
    私もまた、孤独な人間であった。私は、つとに自分自身の不良性が招いていた孤独に過ぎなかった。しかし、孤独は孤独である。
    『孤高のリアリズム』p.195
    孤独 11番
    孤独は、それ自身の働きによって、私に宇宙への志向と生命の悲哀を考え続ける人間性を与えてくれた。
    『孤高のリアリズム』p.195
    孤独 12番
    人間が立ち上がるには、「孤独」がことのほか大切です。孤独の中にあってだけ、人間は自己の道を貫くことができるのです。
    『根源へ』p.410
    孤独 13番
    孤独の中にあってだけ、人間は自己の道を貫くことができるのです。
    『根源へ』p.410
    孤独 14番
    人間の絆も関係も、それぞれにおいて孤独な人間の間にしか成立しないのです。
    『根源へ』p.410
    孤独 15番
    孤独は人間形成の核になるものであり、孤立は人間性を喪失した状態を言うのです。
    『根源へ』p.412
    孤独 16番
    (孤独とは)自己固有の魂を求め続ける人生が招く生き方であり、それは必ず高貴さを伴う。
    『根源へ』p.412
    孤独 17番
    自らを失うものになっていくのが孤立で、自らを創ろうとする行動が孤独なのです。
    『根源へ』p.413
    孤独 18番
    孤独な過程を生き続けなければ、人間は絶対に自らを創ることはできません。
    『根源へ』p.414
    孤独 19番
    私の良いところは、子どもの頃から、友達ひとり欲しいと思ったことがないという点です。
    『現代の考察』p.457
    孤独 20番
    自己の運命を信じるには、運命への愛を持たなくてはならない。これがないと孤独な人生には絶対に入っていくことはできません。
    『根源へ』p.415
    孤独 21番
    孤独の敵は我欲です。名声を得たい、成功したいという我欲に呑み込まれると、絶対に孤独にはなれません。
    『根源へ』p.416
    孤独 22番
    永遠を求める孤独の中からしか、「実際の知恵」は生まれない。
    『根源へ』p.418
    孤独 23番
    セルバンテスは牢獄の中で孤独というものの価値を会得したのだと私は思います。
    『根源へ』p.419
    孤独 24番
    『ドン・キホーテ』は、孤独の悲哀を描いた世界最高の「詩」そのものです。
    『根源へ』p.419
    孤独 25番
    家族が何人いようが友人がいくらいようが、人間はただ独りで死ぬ。
    『根源へ』p.422
    孤独 26番
    ただ独りで生まれ、ただ独りで死ぬ。
    『根源へ』p.422
    孤独 27番
    (ジョルジュ・バタイユによれば)真の孤独に入れば、現世のものはすべてが「過剰な」どうでもよいものであると気づく。
    『根源へ』p.422
    孤独 28番
    孤独とは、崇高なるものに恋焦がれることです。
    『根源へ』p.422
    孤独 29番
    垂直の人生を歩もうとすれば、必ず孤独になる。
    『根源へ』p.422
    孤独 30番
    (孤独の意味は)武士道的に訳せば、「忠義」という意味に近いと思います。
    『根源へ』p.423
    孤独 31番
    「何ものか」に忠義を尽くそうと考えると、孤独な生き方になるのです。
    『根源へ』p.423
    孤独 32番
    絶望から出発するものが武士道の孤独である忠義なのです。
    『根源へ』p.424
    孤独 33番
    英雄とは孤独者のことだ。
    『根源へ』p.427
    孤独 34番
    「孤忠」とはただ独りで尽くす忠義のことです。絶対に成就することのない恋であることを知りながら、相手のためにただ独りで想い続ける。
    『根源へ』p.426
    孤独 35番
    孤独とは人類の魂と自己の生命が感応し交叉して生ずるものです。
    『根源へ』p.426
    孤独 36番
    愛情と友情と信頼の世界に生きる者にして初めて孤独で勇敢な行為をなすことが可能なのである。 
    『見よ銀幕に』p.499
    孤独 37番
    真の孤独こそ人生にとって最も大切な概念であり、それはまた深い人間味によって初めて到達可能なものなのです。 
    『見よ銀幕に』p.610
    孤独 38番
    (生命の本源に到達する道は)一人ひとりが、自分だけの孤独の道を歩まなければならないのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.144
    孤独 39番
    幸福なる孤独、王者の孤独……自立したる自己は、そのゆえに他人は誰も見てはいない。 
    『友よ』p.64
    孤独 40番
    自己の美学をもち、それを孤独の中で育んできた人間は、自然に生きているだけで、その姿は美そのものとなる。 
    『友よ』p.73
    孤独 41番
    自己の存在を本当に愛する者だけが、憧れに向かう孤独を生き切ることができる。 
    『「憧れ」の思想』p.219
    孤独 42番
    真の孤独に耐えることのできる人間でないと、ギリシャ・ローマの偉大性にも気づくことができなかったのです。 
    『根源へ』p.227
    孤独 43番
    死ぬことによって真の孤独が生まれるのである。そしてその真の孤独だけが真の決断を行なわせるのである。現世ですでに死んでいない人間には決断も責任も本当のところはわからないのかもしれない。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.18
    孤独 44番
    最初の人間は孤独の中を生きる。悲しみから生まれ、生の熱情を抱きしめるのである。ただ一人で立ち、ただ一人で歩む。そして、ただひとりで死ぬのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.26
  • 出会い・別れ ―――人生に迷ったら

    出会い・別れ 1番
    別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『生くる』目次
    出会い・別れ 2番
    別れれば、次に真の出会いがくる。それが、この世というものではないか。別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『友よ』p.10
    出会い・別れ 3番
    別れることが念頭にない人間関係は、嘘の関係である。
    『友よ』p.11
    出会い・別れ 4番
    「啐硺の機」というのは、僕流の解釈では、一つの生命と他の生命との真の出会いだと思います。一つの生命が他の一つの生命と電光のように出会う瞬間ですね。そこに真の生命の交感が生まれる。
    『風の彼方へ』p.25
    出会い・別れ 5番
    過去の自分と別れなければ、新しい自分とは出会えない。
    『友よ』p.52
    出会い・別れ 6番
    別れは別れに出会うことによって永遠の中に溶け込む。
    『根源へ』p.460
    出会い・別れ 7番
    「啐啄の機」というのは、僕流の解釈では、一つの生命と他の生命との真の出会いだと思います。一つの生命が他の一つの生命と電光のように出会う瞬間ですよ。
    『風の彼方へ』p.25
    出会い・別れ 8番
    出会いとは、孤独なる人間が、永遠に向かう他の孤独なる人間を見上げることなのである。
    『孤高のリアリズム』p.194
    出会い・別れ 9番
    出会いがなければ、人生はなく、また別れもありません。
    『根源へ』p.390
    出会い・別れ 10番
    出会いは、それを求める魂を持つ者のみに訪れるものです。
    『根源へ』p.390
    出会い・別れ 11番
    すべての人の人生は出会いによってだけ築かれていくのです。
    『根源へ』p.391
    出会い・別れ 12番
    真の出会いを経験するには「無限なるもの」「永遠なるもの」に通じる「何ものか」に繋がっていると思える出会いをしようとしなければなりません。
    『根源へ』p.391
    出会い・別れ 13番
    すべての出会いを、その善し悪しは別として、自己の運命の一環と捉えたとき、その出会いには初めて意味が見出されてくるのです。
    『根源へ』p.394
    出会い・別れ 14番
    人間は、崇高とも高貴とも出会う。また、神秘、悲哀、そして悲痛や苦悩とも出会います。
    『根源へ』p.395
    出会い・別れ 15番
    生命には真の孤独はない。永遠と、神がある限り、絶対的な孤独はないのです。
    『根源へ』p.395
    出会い・別れ 16番
    「何ものか」と触れ合うとは、巨大な宇宙的実存の「悲しみ」を直視することなのです。
    『根源へ』p.396
    出会い・別れ 17番
    出会いとは、運命とも言えるのです。
    『根源へ』p.397
    出会い・別れ 18番
    価値があるのは出会いそのものなのです。だから出会ってすぐに死んでしまってもかまわない。
    『根源へ』p.397
    出会い・別れ 19番
    出会いがなければ自分の人生も始まりません。出会いは、屹立した精神が行なうものなのです。
    『根源へ』p.399
    出会い・別れ 20番
    本質行為とは、我の生命と汝の生命の間に火花を散らすことなのです。
    『根源へ』p.400
    出会い・別れ 21番
    真の出会いによって真の自己を知り、真の自己に出会って初めて「永遠のなんじ」に出会うことができる。
    『根源へ』p.402
    出会い・別れ 22番
    「火を噴く今」を大切にすることが真の出会いを生むということです。
    『根源へ』p.402
    出会い・別れ 23番
    何かと出会うのにもっとも大切なことは、自己を捨てることです。
    『根源へ』p.403
    出会い・別れ 24番
    ありのままを悲しみ、ありのままを受け入れるのです。もちろん、ありのままを憎み、ありのままを嫌うということにもなる。そういう人だけが真の出会いを迎えることができる。
    『根源へ』p.403
    出会い・別れ 25番
    一回性がわかり、そこに身を投じることができれば、人は自由と出会い、そして運命と出会う。
    『根源へ』p.404
    出会い・別れ 26番
    何と出会っても喜びそして悲しみ、その出会いを抱きしめる。そうすることで人は「永遠のなんじ」と出会うことになるのです。
    『根源へ』p.404
    出会い・別れ 27番
    真の出会いとは「悲しみ」そのものです。
    『根源へ』p.405
    出会い・別れ 28番
    あらゆるいのちがかかえる悲しみを、我がうち深くに受け入れ、そして愛する。それが出会いなのです。
    『根源へ』p.406
    出会い・別れ 29番
    出会いがなければ愛はなく、愛がなければ別れはありません。
    『根源へ』p.406
    出会い・別れ 30番
    私は、不合理を愛することによって、真の出会いを手に入れてきたと思っています。出会ったものの中に、いつでも別れの悲痛を感じながら生きてきたのです。
    『根源へ』p.408
    出会い・別れ 31番
    出会いとは、燃え上がる炎なのです。
    『根源へ』p.408
    出会い・別れ 32番
    別れとは、有限な生命を認識するためのけじめである。
    『根源へ』p.450
    出会い・別れ 33番
    出会いと別れ、それぞれを認識する力が強い人ほど、けじめのある個性に満ちた人生を築き上げることができる。
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 34番
    「出会い+別れ=いのち」
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 35番
    人生において、出会いは「新生」を生み、別れは「復活」のみずみずしい息吹きを我々に与えてくれる。
    『根源へ』p.451
    出会い・別れ 36番
    日本人は、別れを「無常」と理解してきました。
    『根源へ』p.452
    出会い・別れ 37番
    生きているものは必ず死に、会ったものは別れる定めにある。
    『根源へ』p.453
    出会い・別れ 38番
    『平家物語』が大切にされてきたのは、別れに由来する悲しみが真の希望をもたらすからです。
    『根源へ』p.453
    出会い・別れ 39番
    一回性とは、つまり強烈な「けじめ」のことです。別れも、けじめそのものです。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 40番
    「一回性の恐るべき眼差し」に見つめられているものが別れなのです。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 41番
    「自己と別れる」ことが道元の言う、自己を捨てることに繋がっている。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 42番
    私は、あらゆるものとの出会いを認識するために、出会ったとき、すぐに別れを考える習慣を身につけています。
    『根源へ』p.458
    出会い・別れ 43番
    別れは新しい出発を生み出します。
    『根源へ』p.459
    出会い・別れ 44番
    芭蕉の俳句のほとんどには、別れがその中心思想として存在しています。
    『根源へ』p.463
    出会い・別れ 45番
    別れを経験していない人間に吟味すべき涙はありません。人生の価値とは、涙によってしか量れないのです。
    『根源へ』p.468
    出会い・別れ 46番
    本当の人生の豊かさの根源である「出会い」とは深く静かに与えられるものであると私は思っている。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
    出会い・別れ 47番
    人と人の本当に豊かな「出会い」とは各々の人の心だけが決めることができるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
    出会い・別れ 48番
    桜井の別れは「恋闕(れんけつ)の形而上学」の一つだと私は考えています。 
    『根源へ』p.455
    出会い・別れ 49番
    思い出を呼び醒ますことによって、我々は真の別れを摑むことができるのです。 
    『根源へ』p.460
    出会い・別れ 50番
    一期一会(いちごいちえ)こそが人生の根本哲理であるだろう。その心なくして真の愛情も友情も信頼も無いであろう。 
    『見よ銀幕に』p.277
    出会い・別れ 51番
    困難に直面したとき、人間は思い出に残る「出会い」をする。しかしそれは困難が人間に人間同士の繋がりの重要さを側面から教えるだけのこと であって、「出会い」そのものは人が人を大切に思う心があれば、いつでも存在するものである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
    出会い・別れ 52番
    何ものかを愛し、恋し、憧れる心だけが「出会い」を生むのだ。その心をいつの日も持つ者は、「出会い」という「神の恩寵」に恵まれるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
  • 学 ―――人生に迷ったら

    学 1番
    恩を噛み締め、人の情を心底から受け入れて、初めて人間には知恵が生ずる。
    『生くる』p.15
    学 2番
    真の学問は人から人、人と人とのつながりからしか生まれない。
    『生くる』p.32
    学 3番
    人がいて、初めて学問があった。人が去れば、技巧と堕する。
    『生くる』目次
    学 4番
    学問を研究するにあたって私は、まず、その学問に生きた人物そのものの研究を軸とした。
    『生くる』p.34
    学 5番
    (私は)すべての学問や理論を、人体機能に還元して考える癖を持っていた。
    『生くる』p.34
    学 6番
    私は生来、度を越した負けず嫌いの性格を持っていた。そのため学問は、死ぬほど努力して身につけた。
    『生くる』p.35
    学 7番
    宗教も哲学も科学も歴史も何もかもを、人間のもつ誠が創造してきた。
    『生くる』p.36
    学 8番
    真理を探究する心が、宗教を生み、哲学を創り上げた。
    『生くる』p.37
    学 9番
    科学こそが、真実を知る唯一のものだと信じて、身命を(なげう)って研究した人々に私は感動する。
    『生くる』p.37
    学 10番
    絶対に負けるとわかっている側に、恩義のゆえに味方して死んだ人々に、私は真実を見る。
    『生くる』p.39
    学 11番
    科学の中には真実は一つもない。
    『生くる』p.56
    学 12番
    統計ほど非科学的なものはない。
    『生くる』p.59
    学 13番
    事実を事実の通りに認識して、それを積み上げていくと、驚くかも知れないが誰でも科学者になれる。
    『生くる』p.60
    学 14番
    実は、時間の淘汰をくぐり抜けた事柄が、最も科学的で正しい。
    『生くる』p.61
    学 15番
    細かなことを考えるのが科学ではない。科学こそ、最も飛躍が必要な学問なのだ。
    『生くる』p.255
    学 16番
    礼は科学である。目に見えぬものと対峙する東洋の叡智なのだ。
    『生くる』目次より
    学 17番
    人間というのは、知識がないと無謀なことができる。
    『友よ』p.67
    学 18番
    我々人間は、合理性や科学だけでは、決して生きることも死ぬこともできないのです。
    『根源へ』p.40
    学 19番
    目で見える人間生活を離れた分野は、本来は、東洋哲学やまたはギリシャ哲学によって説明されなければ、その真実の姿に近づくことはできません。
    『根源へ』p.52
    学 20番
    興味を示すということは、本人の中にそうなれる要素があるということなんだ。
    『夏日烈烈』p.27
    学 21番
    科学や医学は、常に絶対的に正しい神のようなものでもなければ、単なる悪魔でもありません。それらは、人間が用いる道具なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.52
    学 22番
    僕は現代の文科省的な教育システムそのものと、人間の生命は相反していると思います。いまの教育というのは、まあ知識を覚えるにはいいですが、精神を鍛えることに関しては意味がない。
    『風の彼方へ』p.80
    学 23番
    頭脳に重きを置いている人間は、みんな嘘ですよ。間違いない。人間は存在の全てで思考しなければなりません。心と体、そして経験の全てです。
    『風の彼方へ』p.89
    学 24番
    日本人はもうすでに能力も道徳心も優秀ではないことを認めないとダメなんです。働いてもいませんし。それに、知能程度も低いですよ。文学だろうが、国語力だろうが、英語力だろうが、全部ひと昔前よりも低いです。
    『風の彼方へ』p.228
    学 25番
    本当の学問というのは読書といっしょで、問いがすべてなんです。
    『魂の燃焼へ』p.44
    学 26番
    文学にしろ哲学にしろ、偉大なものはたいてい未完ですよ。それだけ最初の志が壮大だったからこそ、未完になるんです。
    『魂の燃焼へ』p.50
    学 27番
    日本人というのは、我々が考えているよりかなり科学的な民族です。しかし、科学の中に「神」がいないので、ある地点まで発展すると崩れ去ってしまう。
    『憂国の芸術』p.56
    学 28番
    東洋的な科学や医学には絶対的存在がないという点で、脆弱性を内包しています。
    『憂国の芸術』p.56
    学 29番
    元々学問というのは、自分が好きでやって、悩んで悩んで悩んで、もうそれでもまだ言葉にできない。苦しい人がその言葉を教えてもらうのが、実は学問だったんだよ。
    『夏日烈烈』p.180
    学 30番
    朱子学というのは最も科学的な哲学なんだ。
    『夏日烈烈』p.264
    学 31番
    朱子学が文明の学問だとわかると、封建が実は文明的で、近代は非文明的だとわかってくるんだよ。政治はだから、非文明。
    『夏日烈烈』p.265
    学 32番
    学校制度がなくて、学問は好きな人だけが集まって、昔の寺子屋や大学みたいにやってるなら、この人類は滅びないと思うよ。
    『夏日烈烈』p.445
    学 33番
    医学そのものは病気を治す学問だから、人間学なんだよ。
    『夏日烈烈』p.458
    学 34番
    学問って本当は積み上げじゃないんだよ。本居宣長も折口信夫も元がないものに挑戦した。だからそれは天空から来たんだよ。
    『夏日烈烈』p.509
    学 35番
    医者にとっての最大の能力は何かというと、何がわかっていて何がわからないのかを、克明に理解することだと言っている。
    『夏日烈烈』p.103
    学 36番
    道徳を勉強して、その道徳を打ち破り、道徳を打ち破った挙げ句に、打ち破った道徳で自分を(さいな)むことが大切なのです。
    『悲願へ』p.34
    学 37番
    豊かというのは、勉強しなければただの自堕落になってしまいます。
    『悲願へ』p.239
    学 38番
    文学が滅びればその民族は滅びます。文学を求める魂そのものが、その民族の人間としての生き方を問うものなのです。
    『現代の考察』p.20
    学 39番
    中国の学問の弱さというのは、理論に走り過ぎているということに尽きる。だから学問だけでは駄目なんだ。学問というのはどこまで行っても固定だから。
    『現代の考察』p.98
    学 40番
    教育とは、本来はいじめないと駄目なのです。いじめることが教育の基本なのです。
    『現代の考察』p.180
    学 41番
    自分が文学に突入していけば、必ず苦しくなる。苦しくならなかったとしたら、文学を読んでいないということです。
    『現代の考察』p.217
    学 42番
    吐くために吸い、吸うために吐く。私は、素数に魅力を感じ続けて生きて来た。
    『見よ銀幕に』追補6 p.31
    学 43番
    文化はその生命(いのち)を育み発展させるために道というものを生み出したのである。
    『平成15年度 年末の辞』
  • 芸術 ―――人生に迷ったら

    芸術 1番
    絵画や彫刻から、熱情の放射を浴び続けている。
    『根源へ』p.218
    芸術 2番
    音楽とは、いつの日も人間に「時の回廊」をもたらすものだとつくづく思います。
    『根源へ』p.219
    芸術 3番
    我々は、文明の中で生きているから芸術を必要とする。文明がなければ芸術は要らない。
    『根源へ』p.220
    芸術 4番
    神と分離することによって、人間は孤独を知り、現代に通じる苦悩が生まれた。それが現代の芸術を生むのです。
    『根源へ』p.227
    芸術 5番
    理想が、初心にある限り、音楽は我々にとって永遠の芸術となる。
    『根源へ』p.435
    芸術 6番
    今後の日本がどうなっても、燃える魂の芸術作品が残っていれば、そこから何ものかを汲み取る人間が必ずいると信じている。
    『おゝポポイ!』p.149
    芸術 7番
    他人に映画を薦めるときも、タルコフスキーやキアロスタミの芸術的な映画と、石原裕次郎やジョン・ウェインはまったく同列です。私の中では何も違わない。
    『おゝポポイ!』p.187
    芸術 8番
    私は安田靫彦の描く、高く清く悲しい線が、日本の魂を継承すると信じて疑いません
    『憂国の芸術』p.12
    芸術 9番
    日本文化の中核をなすその「みやび」と「もののあはれ」を、完璧な芸術として描き切った画家は、安田靫彦を措いて他にありません。
    『憂国の芸術』p.20
    芸術 10番
    安田靫彦の作品はそこに「ある」のではなく「いる」のです。一つの生命体として動き、呼吸をし、生きているのが感じられる。
    『憂国の芸術』p.23
    芸術 11番
    「みやび」と「もののあはれ」の深淵が日本人の生命エネルギーの本体なのです。それこそを私は伝えたいのです。
    『憂国の芸術』p.36
    芸術 12番
    書には、人間のすべてが表われます。血も骨も肉もです。そして、魂と未生の過去から続くその人物の人生そのものが現われる
    『憂国の芸術』p.38
    芸術 13番
    白隠の書には、書を超えた日本人の大家族主義の息吹が感じられるのです。真の「家族」愛です。慈愛が、書の中にうねり狂っている。
    『憂国の芸術』p.43
    芸術 14番
    南天棒に心惹かれるのは、英国ではユーモア、フランスではエスプリと形容されるひとつのダンディズムが貫かれていることです。
    『憂国の芸術』p.44
    芸術 15番
    南天棒の書は、禅の深淵に西洋的な感性が付加されていることによって、全く新しい日本人の魂を創り上げているのです。
    『憂国の芸術』p.44
    芸術 16番
    真の芸術とは、民族の歴史の中から生まれ出た、血みどろの戦いの痕跡なのです。
    『憂国の芸術』p.55
    芸術 17番
    真の芸術とは相克と葛藤の歴史であると同時に、民族ごとの最も秀れた精神の発露でもある。
    『憂国の芸術』p.55
    芸術 18番
    戸嶋靖昌の芸術は、日本人がもつ熱情の魂の発露そのものだと私は思っています。
    『憂国の芸術』p.65
    芸術 19番
    戸嶋靖昌の絵は他人に媚びるところがないのです。そして生命の悲哀と向き合い、人間の生命に内在する「崇高性」を志向しています。
    『憂国の芸術』p.76
    芸術 20番
    戸嶋靖昌は、人や物がもつ生命の本質から放射されるものを描いている。混沌とした存在がもつ悲しみを捉え、汚れたるものの中に内在する高貴性を見つめているのです。
    『憂国の芸術』p.77
    芸術 21番
    真の芸術は、重厚かつ深刻で、至高の存在へ向かって突進するものです。
    『憂国の芸術』p.83
    芸術 22番
    形のない形。それが、山口の憧れる芸術であろう。
    『憂国の芸術』p.101
    芸術 23番
    山口長男の芸術は、「素数の変幻」によってなり立っている。
    『憂国の芸術』p.103
    芸術 24番
    東郷平八郎の書には、武士道が育んだ「赤誠」によって支えられた科学精神がある。つまり、日本人の精神のひとつの理想の姿が、ここに芸術として存在するのだ。
    『憂国の芸術』p.110
    芸術 25番
    山岡鉄舟の書は詩と論理の婚姻が生み出した、日本的芸術そのものなのである。
    『憂国の芸術』p.118
    芸術 26番
    夜は、人間を謙虚にする。生きる者が、その淵源と向き合うときと呼んでよい。つまり、祈りである。
    『憂国の芸術』p.129
    芸術 27番
    私が自己の「コレクション」の主力で蒐めている靫彦の作品は、〈日本人の情熱と悲哀を表わすもの〉という観点に立っているのです。
    『憂国の芸術』p.13
    芸術 28番
    私は芸術だけが、民族の魂を未来へつなぐことのできる、唯一の「神話」だと考えています。
    『憂国の芸術』p.18
    芸術 29番
    いつの世も、魂の正しい系譜は「芸術」によってなされてきた。
    『憂国の芸術』p.18
    芸術 30番
    私は民族が魂を継承し、それをいつの世にも「復活」(ヴァスクレセーニエ)させる力こそが真の芸術だと思っているのです。
    『憂国の芸術』p.19
    芸術 31番
    平野遼は独学で絵を学び、言うならば「自己が生きるために画を描き続けた人間」です。
    『憂国の芸術』p.30
    芸術 32番
    生命の本質は悲しく、生きることは切ない。だからこそ、人は希望に生きようとするのです。そして希望が、芸術を我々にもたらしてくれた。
    『憂国の芸術』p.37
    芸術 33番
    何かに偏ることによって、われわれは力を蓄え、生命の息吹をこの世に刻み込んでいる。それを伝えるものこそが、真の芸術なのです。
    『憂国の芸術』p.37
    芸術 34番
    書は、生命と言語の婚姻です。
    『憂国の芸術』p.40
    芸術 35番
    ヨーロッパの美術は、中心に神の存在があります。日本では己を殺す「真心」です。
    『憂国の芸術』p.54
    芸術 36番
    我々は、先人の「涙」を承け継がなければなりません。それが「書」の中でこちらを見つめているのです。
    『憂国の芸術』p.63
    芸術 37番
    人間性と芸術は、陰陽の相関関係にあるというのが私の考え方であった。つまり、肉体と精神は弁証法的循環にあるのだ。
    『孤高のリアリズム』p.196
    芸術 38番
    創造とは、苦悩とその苦痛の中からしか生まれない。
    『孤高のリアリズム』p.200
    芸術 39番
    キャンバスのど真ん中に打たれた一つの「点」が、すべての始まりとなる。
    『孤高のリアリズム』p.201
    芸術 40番
    部分を描くことは技術的に楽なのだ。それに反し、全体を描くことは、その把握のために血の涙を流さなければならない。
    『孤高のリアリズム』p.202
    芸術 41番
    美しいものを描くために、汚い色を使うことは身を裂く苦痛を与えるのだ。それに耐える力が、真の芸術家には必要となる。
    『孤高のリアリズム』p.209
    芸術 42番
    白隠のもつ根源的な「力」とは、慈悲の精神から生まれる真の人間的祈りの力であろう。
    『孤高のリアリズム』p.210
    芸術 43番
    白隠の「書」は、紛う方なき痕跡である。それは、この禅師の全生命を叩き付けた実存なのだ。
    『孤高のリアリズム』p.212
    芸術 44番
    痕跡の芸術をこの世に残す人間は、現世には生きていない。
    『孤高のリアリズム』p.216
    芸術 45番
    無限のエネルギーが、無限の悲しみを創造する。
    『孤高のリアリズム』p.218
    芸術 46番
    革命の精神の奥に、芸術の原故郷がある。
    『孤高のリアリズム』p.245
    芸術 47番
    音楽は血なのだ。音楽は涙なのだ。
    『見よ銀幕に』p.110
    芸術 48番
    音楽と文学というものは良い思い出というものを自分の人生に持ち、本当に生甲斐のある人生を築くために最も必要なものである。 
    『見よ銀幕に』p.595
    芸術 49番
    W・フルトヴェングラーはB・ワルターと並んで二十世紀最大の指揮者であり音楽家である。……若き日にこの二人の指揮者が構築する深淵な音楽がなかったならば、多分私の青春は破綻(はたん)していたであろう。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.5
    芸術 50番
    生の燃焼が芸術の主体でありまた客体である。主体と客体のそれぞれの生の燃焼の間に、真の生の交流が生起するとき、我々はそこに芸術を感ずるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.5
    芸術 51番
    宇宙と直結してるものが真の文学であり芸術だよ。 
    『夏日烈烈』p.184
    芸術 52番
    『万葉集』の本当の精神がわかるのは、なんといっても保田與重郎の『万葉集の精神』だよ。あの本を読んでから『万葉集』を読んでほしい。
    『夏日烈烈』p.212
    芸術 53番
    芸術だけが真に人間の魂の糧となることができる。 
    『平成19年度 年末の辞』
    芸術 54番
    政治的信条などは文学や芸術から見れば、実に他愛ないものだと思わざるを得ない。 
    『友よ』p.18
    芸術 55番
    芸術をきれいごとと考えている人間がいかに多いことか。 
    『友よ』p.20
    芸術 56番
    愛するものを殺すことが、バロックの天才たちに課された使命であった。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.2
    芸術 57番
    文学論というのは不幸を誘発するものだよ。 
    『夏日烈烈』p.289
    芸術 58番
    詩であり文学である「死の跳躍」(サルト・モルターレ)なくして、何の学問であるのか、何の数学であるのか。つまり、何の人生であるのか。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.18
    芸術 59番
    優れた物は、正しく言うと「呪物(じゅぶつ)」です。呪物という言葉が本当に良い物には一番ふさわしい言い方です。 
    『悲願へ』p.204
    芸術 60番
    神話というものから生まれたのが、その民族の文化のすべてであり芸術そして文学を生み出していくのです。 
    『現代の考察』p.20
    芸術 61番
    ベートーヴェンがなぜベートーヴェンかというと、ベートーヴェンになる音楽の才能というのは、あれは宇宙霊なのです。だから人がベートーヴェンをものすごく尊敬すればその宇宙霊を、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの霊を摑むことができる。 
    『現代の考察』p.263
    芸術 62番
    魂だけが持つ、「混沌」の力が芸術を創り上げているのだ。 
    『現代の考察』p.414
    芸術 63番
    真の芸術は、命と命のやり取りに等しい。それは時間をつんざいて伝わり、空間を切り裂いて到来する。 
    『現代の考察』p.415
    芸術 64番
    なぜ、利休が生まれたのか。なぜ、利休が生き続けられたのか。なぜ、利休は自ら死んで行ったのか。そして、なぜ日本人は、かくも利休を見上げ続けているのか。これらの疑問を、私は身の内に抱きながら生きて来たのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.15
    芸術 65番
    心に自分の「音楽」を持ち、真の神に触れようとする心だけが本当の人生を創り出すのだ。 
    『見よ銀幕に』p.478
    芸術 66番
    生きることは辛いことなのだ。だが、生命は生きなければならぬ。そこに人間が神を求め、芸術を慕ういわれが存在する。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.15
    芸術 67番
    有限な存在であることを知りながら、それでも永遠を志向して懊悩する人間のためにあるもの、それが現代の芸術なのです。 
    『根源へ』p.235
    芸術 68番
    人間は、芸術に向き合うことによって、初めて垂直軸が立つのです。つまり生命の屹立(きつりつ)です。 
    『根源へ』p.232
    芸術 69番
    私が灯(ともしび)を目指して生きる時、音楽は崇高なる嘆きと化する。 
    『生くる』p.304
    芸術 70番
    茶は生きる事、つまり戦う事の見事な美学化である。燃え()きる為には深く沈潜(ちんせん)し深く呼吸せねばならぬ。 
    『見よ銀幕に』p.277
    芸術 71番
    戸嶋は口下手で言語で喋れない。ものすごい想念を持ってるけど、言語的に喋れない人間だから絵の天才になれたんだと思うよ。 
    『夏日烈烈』p.178
    芸術 72番
    沈黙がなければ芸術はない。 
    『夏日烈烈』p.179
    芸術 73番
    ()とは、空間の中に漂う沈黙なんだよ。それを感じ取るのが音楽だということだね。 
    『夏日烈烈』p.182
    芸術 74番
    僕が親しかった音楽家の黛敏郎は「音符と音符の間にある沈黙こそが音楽の本性なんだ」と言っていたね。 
    『夏日烈烈』p.182
    芸術 75番
    現代の芸術は、中世の愚かで悲しい信仰の中で、生命を燃焼させた人間の魂の雄叫びが生み出したものなのです。 
    『根源へ』p.224
    芸術 76番
    ベラスケスの偉大な絵画が、ウナムーノに霊感を与えた。その霊感によって、ウナムーノは自己の生命の淵源と触れ合ったのだ。 
    『ベラスケスのキリスト』p.Ⅴ
    芸術 77番
    芸術とは、宇宙の地上化である。だから真の芸術は暗く、重く、悲しいのだ。 
    『現代の考察』p.415
    芸術 78番
    芸術は、人間に自己の運命を突きつけてくる。 
    『現代の考察』p.415
    芸術 79番
    芸術は、人間にその勇気を試す働きがあるのだ。 
    『現代の考察』p.415
    芸術 80番
    人間の本当のその青春を私は芸術と呼びたいのだ。 
    『現代の考察』p.417
    芸術 81番
    「格好いい」または「美しい」からやっていると、自分の中の芸術性がどんどん高まっていきます。 
    『現代の考察』P.424
    芸術 82番
    優れた芸術というのはそういうもので、時間を超越して自分の体内に直に伝わってくるのです。 
    『現代の考察』P.427
    芸術 83番
    芸術とは、宇宙と人間の生命との交信の残骸である。 
    『現代の考察』P.440
    芸術 84番
    私は人間の生命の叫びが生み出す本当の人生も、芸術と思っているのです。 
    『現代の考察』P.445
    芸術 85番
    芸術を愛し、芸術を理解しようとする人間は不断の自己超克に生きなければならない。 
    『現代の考察』P.460
  • 若さ・老い ―――人生に迷ったら

    若さ・老い 1番
    一生とは、よく老いることにほかならない。
    『根源へ』p.277
    若さ・老い 2番
    人生観とは、「どのように生き、どのように死ぬか」ということを考えることです。ですから「老いの問題」というのは、人生観そのものなのです。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 3番
    「老いたくない、死にたくない」と考える人には、ひとつの独立した、人間らしい人生はありません。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 4番
    いまの日本人が憧れる若さとは、生物学的なものであって、人間的な若さではありません。
    『根源へ』p.279
    若さ・老い 5番
    老いを考えることは、死を見つめ、どう生きるべきか、それ自体を考えることに繋がっていくのです。
    『根源へ』p.280
    若さ・老い 6番
    (老いる)覚悟とは、日常的なことでは容易には手に入りません。そこには必ず、非日常のロマンティシズムが必要なのです。
    『根源へ』p.281
    若さ・老い 7番
    常に死を意識して生きろということです。
    『根源へ』p.281
    若さ・老い 8番
    良寛は、偶然性によって良寛になったのではないのです、そこには、悶え苦しむひとりの人間の「老い」の道程があった。
    『根源へ』p.282
    若さ・老い 9番
    (自己の生きる覚悟が決まった三十歳の頃)「君()よや双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり」の詩が腑に落ち、何かすーっとはらわたに沁み込んだことをよく覚えています。
    『根源へ』p.282
    若さ・老い 10番
    若さにしがみ付くのは、若者コンプレックスです。これがいちばん(たち)の悪い、老醜をさらす生き方になります。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 11番
    老いの美学があると、老人中心の社会ができる。社会は老人中心のほうが安定します。そして歴史的にも「良い社会」なのです。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 12番
    明治維新のような若者中心の社会は、何をしてよいかわからない「秩序の破壊」を意味しているのです。
    『根源へ』p.283
    若さ・老い 13番
    老いの美学が退けられ、若者が中心になっている社会は不幸な社会です。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 14番
    もともと「老」とは、秀れた者という意味があるのです。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 15番
    若さなどは、知恵もなければ学問もない。ましてや成熟のかけらもありません。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 16番
    「養生」は決して若さを保つためにあるのではありません。人間として成熟し、老いるための東洋的な身心の知恵なのです。
    『根源へ』p.284
    若さ・老い 17番
    (若いときは)まだまだ、魂を持った人間としての価値は未知数なのです。
    『根源へ』p.285
    若さ・老い 18番
    人間が死ぬときに問われるのは、その魂がどの程度まで成熟したかということです。
    『根源へ』p.286
    若さ・老い 19番
    老化とは、深いところでは生まれたときから始まりだすのです。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 20番
    人生とは、耐えることであり、それが老いの本質です。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 21番
    よく老いた者は、またよく耐えた者です。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 22番
    どう老い、どう死ぬかを決めれば、年を取れば取るほど人間は賢くなり、人格も高潔になっていくことができる。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 23番
    成熟とは、自己を「詩」となしていくことなのです。
    『根源へ』p.287
    若さ・老い 24番
    自然の中では、賢くなければ長生きはできません。
    『根源へ』p.288
    若さ・老い 25番
    (ゲーテについて)若いときに立てた初心を貫き、八十代で完成させる。それが人類の宝となるような名作なのですからすごいです。大人物です。
    『根源へ』p.288
    若さ・老い 26番
    重要なのは「滅びて甦れ!」(Stirb und werde! ゲーテの言葉)です。
    『根源へ』p.289
    若さ・老い 27番
    滅びてもよいという気持ちがなければ、真の成長と成熟はない。
    『根源へ』p.289
    若さ・老い 28番
    老いるためには、外部に対して目が開かれていなければならないのです。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 29番
    (老いるために)自己以外を「見る」とは、耐えることなのです。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 30番
    自己の周りにある、「あらゆるもの」が、本当に見えるようになったとき、自己固有の真の成長と成熟の過程に入ることができるのです。……つまり、真の「老い」です。
    『根源へ』p.290
    若さ・老い 31番
    世の中が本当に見えてくれば、自分の存在の真実が見え、それによって自分の生き方がわかってくるのです。そうすれば真に老いられる。
    『根源へ』p.292
    若さ・老い 32番
    老いとは、より秀れていくことであり、またより美しくなっていくことです。
    『根源へ』p.292
    若さ・老い 33番
    もし若いうちに理想を持てなかったら、悪人にすらなれないというのは、覚えておいたほうがいいですよ。
    『魂の燃焼へ』p.102
    若さ・老い 34番
    若い人にとにかく言いたいのは、「得をしたい」と思うなっていうことです。思った瞬間に、流行に押し流される。流行っていうのは、人間の弱さをついてくるんだ。だから、むしろ「損しよう」と思って初めて、自分独自のことができる。
    『魂の燃焼へ』p.204
    若さ・老い 35番
    若者と語り合うことほど、楽しいことは他にない。年を経たひとつの青春が、いままさに芽を吹こうとするもうひとつの青春とぶつかるのだ。
    『夏日烈烈』p.1
    若さ・老い 36番
    若さは、生命にとっては本質的な過程であって、人間的には何の価値もない。価値は老いの問題にある。
    『夏日烈烈』p.59
    若さ・老い 37番
    老いるかどうかというのは、言葉を換えれば「変革する」、「成長する」ということだ。
    『夏日烈烈』p.59
    若さ・老い 38番
    正しく老いていくには、人間は自分の生命の雄叫びをコントロールしていかなきゃならない。
    『夏日烈烈』p.60
    若さ・老い 39番
    老いっていうのは、言葉としては老いになるけども、つまりは文明論なんだよ。
    『夏日烈烈』p.71
    若さ・老い 40番
    老いがない青春なんて、ただの退廃でしかない。老いがあっての青春だ。
    『夏日烈烈』p.71
    若さ・老い 41番
    若くても、老いて死ねばいい。
    『夏日烈烈』p.306
    若さ・老い 42番
    よく老いるために一番重要な思想が「毒を食らえ」ということなんだ。
    『夏日烈烈』p.351
    若さ・老い 43番
    今の日本は、「永遠の子供」ということだな。「年を取ることができない国」だよな。
    『夏日烈烈』p.357
    若さ・老い 44番
    自分の生命の力を信じなくて、何の人生であるのか。自分の肉体が、その寿命を全うするまで健全に活動することを信じなければいけません。そうしなければ、強く正しい「老い」を摑むことはできないのです。
    『耆に学ぶ』p.43
    若さ・老い 45番
    賢く老いるということは、かっこよく、強い老人になるということです。その最も強い形は何かというと、死んでから最強の人間になる人生です。
    『耆に学ぶ』p.49
    若さ・老い 46番
    進化論の誤用によって、無条件の長生きがすばらしい価値になってしまった。しかし、とにかく生きろ生きろ言うのは、全ての人を不幸に陥れる考え方だと思っています。
    『風の彼方へ』p.287
    若さ・老い 47番
    自然の成長が止まり、自分の力で成長をしていくところからが真の「老いの美学」と呼べるものなのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.482
  • 毒 ―――人生に迷ったら

    毒 1番
    「毒を食らえ」という思想の第一は、「肉体の毒」を取り込むために「何でも食え」ということです。
    『耆に学ぶ』p.42
    毒 2番
    自然物を、毒も含めて体に取り込む、そうしないと体は強くなりません。
    『耆に学ぶ』p.43
    毒 3番
    毒が入りすぎて、下痢にでもなったとしたら、下痢のまま過ごせばいいんです。死にはしません。
    『耆に学ぶ』p.43
    毒 4番
    精神の毒。つまり、「不幸を受け入れる思想」を確立することです。
    『耆に学ぶ』p.44
    毒 5番
    不合理というのは、文明が作り出した毒なのです。
    『耆に学ぶ』p.47
    毒 6番
    不合理を仰ぎ見る。文明の毒を受け入れることで人間の精神は強くなれます。文明の持つ毒を、率先して食らうのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 7番
    毒が強く美しい人生を創り上げてくれるのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 8番
    秀れた老人とは、多くの毒を食らい続け、その悲哀をかみしめながら、大きく厚い人格を徐々に創り上げながら年齢を重ね続けた人物のことだと言えるのです。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 9番
    「愛国心」という理念も文明の毒なんです。それを受け入れれば、秀れた人物になり、そのような人間が増えれば偉大な国が生まれてくることになります。
    『耆に学ぶ』p.48
    毒 10番
    肉体の毒、精神の毒、文明の毒。そういうものを吸収すればするほど、人間は、賢く強く老いることができます。
    『耆に学ぶ』p.49
    毒 11番
    革命の思想にとって、最も大切な栄養源が「毒」なのです。
    『耆に学ぶ』p.50
    毒 12番
    真の「老い」は、「精神性」を何よりも重んずる人間にだけ可能なひとつの思想なのです。……そして、この思想こそが、人生最大の毒物なのです。
    『耆に学ぶ』p.50
    毒 13番
    「毒」とは、肉体を痛めつけるもの、また人生の苛酷や悲哀といったものを言うのです。それを受け入れ、愛することが「老いの美学」を完成させていくのです。
    『耆に学ぶ』p.56
    毒 14番
    文明が「病気」であることが分かれば、その毒の量を調整して食らうというのが人生となることも納得できます。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 15番
    いっぺんに毒を飲んだら死んでしまいます。自分が死なない程度に毒を食らうことです。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 16番
    毒の食らい方を訓練するのが、つまりは人生の修行なのです。
    『耆に学ぶ』p.59
    毒 17番
    秀れた文学も、また毒なのです。毒だからこそ、薬にもなり、また生命を死に至らしめることもあるのです。
    『耆に学ぶ』p.60
    毒 18番
    毒を食らい続ける過程そのものを生きるということに尽きます。
    『耆に学ぶ』p.60
    毒 19番
    楽をして得られるものはありません。苛酷で辛い毒を、自ら率先して食べ続けるしかないのです。
    『耆に学ぶ』p.86
    毒 20番
    (毒を食らえの思想とは)汚れの中でどうやって生き延びるのか、というのが人生論であり、その中でどうやって自分の一番大切なものを失わないかだ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 21番
    立ち向かって初めて人間として何か一つを摑んで、頑張れば人間として死ねるということだよ。そのための根本思想が「毒を食らえ」と言う思想なんだよ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 22番
    汚れることを厭うな。わざと悪いことをしろ。
    『夏日烈烈』p.349
    毒 23番
    不合理も、病気も不幸も、全部これは人生論的に言うと毒なんだよ。だから僕は「毒を食らえ」と言って、不幸になれ、不合理を食らえ、と言っているわけ。
    『夏日烈烈』p.350
    毒 24番
    健康というのは考えてること自体が病気なんだよ。だから健康を考えないで死のうとしてると、逆に健康になる可能性があるということだよな。「毒を食らえ」というのはそういう思想だよ。
    『夏日烈烈』p.351
    毒 25番
    本を読んで苦悩することだって毒なんだ。
    『夏日烈烈』p.354
    毒 26番
    (執行草舟自身が)冒険心に富んでいて毒だらけの人間に見えるらしいよ。もう存在自体が毒というか……(笑)。
    『夏日烈烈』p.355
    毒 27番
    「毒を食らえ」というのは、もちろん失敗もあるということなんだ。でも失敗をしたくない成功哲学や健康論というのは、全部最初から失敗だから。
    『夏日烈烈』p.367
    毒 28番
    喧嘩とかも生きる上での毒で、特に男なんかはそうだよな。喧嘩とか言い争いとか、それから憎しみも全部毒であって、つまり生きる上での毒だよ。
    『夏日烈烈』p.378
    毒 29番
    濁がなければ清はないわけ。ということは、毒がなければ、正常なものもない。
    『夏日烈烈』p.378
    毒 30番
    毒がわからないと、当たり前のことだけど「愛」もわからないわけだよ。「愛」というのは、毒と表裏一体だから。
    『夏日烈烈』p.379
    毒 31番
    天国というのは、地獄がないと存在できない。……ところが現代の問題というのは、毒である地獄を忘れようとしている点だと僕には見えるね。
    『夏日烈烈』p.379
    毒 32番
    答えがないのは、つまりは意地悪に一見は見えるのです。それが毒だ。毒があるから考え悩み、そして真実に近づくことができると私は思っています。
    『風の彼方へ』p.54
    毒 33番
    免疫だって、ばい菌が入らなかったら強くならないのですからね。最近の人が非常に好きなのが除菌思想や無菌思想ですが、それこそ現代文明の終わりを示していると思います。
    『風の彼方へ』p.54
    毒 34番
    天孫降臨から始まり、神武天皇における日本国家樹立の過程は、いわば人間の初心を表わす美しさに満ちています。それこそが真の憧れであり毒であるわけです。
    『風の彼方へ』p.32
    毒 35番
    「毒」が芸術を生み出す。
    『孤高のリアリズム』p.248
    毒 36番
    「毒を食らえ」という思想もまた養生なのだ。 
    『生命の理念Ⅰ』p.75
    毒 37番
    「毒を食らう」の代表的な哲学者がニーチェだ。ニーチェって毒を食らい過ぎて脳がやられたんだよ。でも毒を食らうという思想が正しいんだから、ニーチェの人生は正しい人生なんだ。 
    『夏日烈烈』p.363
    毒 38番
    毒を食らう生き方をすれば、行き過ぎちゃう場合もあり得るけど、生命エネルギーを全員燃焼させられることは事実だから。 
    『夏日烈烈』p.367
    毒 39番
    毒を食らって汚れていくことを覚悟するのが、一番健康なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.360
    毒 40番
    少々身体に悪いと思われるものも食わないと、人間丈夫にならない。 
    『夏日烈烈』p.378
    毒 41番
    本とか特に文学というのは、魂の毒だから食らわなきゃならないわけだよ。 
    『夏日烈烈』p.379
    毒 42番
    我々人類は、毒と戦うことによって文明を築いてきたのだ。毒と戦うことによって己れの魂を鍛えてきた。 
    『現代の考察』p.156
    毒 43番
    人間を人間たらしめたものは、すべてが毒であった。人間にとって有益なものは、毒から生まれたものしかない。 
    『現代の考察』p.156
    毒 44番
    毒から逃げるほど、人間は弱くなった。毒を嫌うほど、文明は衰退を(まぬが)れなかった。 
    『現代の考察』p.156
    毒 45番
    我々は、毒によって苛まれ、毒によって苦しめられてきた。それが、我々を人間たらしめてきたのだ。 
    『現代の考察』p.157
    毒 46番
    辛いことに向かう肉体を持つものが人間なのだ。それが動物との違いだ。その肉体は、毒を(あお)ることによって鍛えられてきた。 
    『現代の考察』p.157
    毒 47番
    毒から逃げることは、人間はなかった。それに向かい、それを取り入れ、それを自己の(かて)とするために努力を積み重ねてきたのだ。 
    『現代の考察』p.157
    毒 48番
    毒を考え続けることは、私が「人間とは何か」を考えることに通じていた。 
    『現代の考察』p.157
    毒 49番
    苦しむことが、人間の人間たるいわれである。人間が人間に成ったとき、我々は実存の苦悩を引き受けたということなのだ。その苦悩を、毒だけが強めてくれる。  
    『現代の考察』p.157
    毒 50番
    毒によって、我々は到達不能の場所へ向かって生きる力を得ることができる。そして、それを支える人間的肉体を持つことができるのだ。 
    『現代の考察』p.157
    毒 51番
    嫌なことを、痛いことを、毒物として自己に取り入れ、自己の生命の中でその毒を、自己の生命と化していく過程が人生の一番すばらしい醍醐味(だいごみ)であり、健康の元であり、能力の元を生み出すのです。 
    『現代の考察』p.165
    毒 52番
    この事実という毒から逃げようとすると、一般に言う動物化に向かう日常性が始まることになるのです。 
    『現代の考察』p.166
    毒 53番
    真の毒を自己化することができれば、我々はそれを無限に向かう生命力に変えることができます。 
    『現代の考察』p.167
    毒 54番
    自己の詩をどう生み出すかが人生と言えます。詩を生み出すためには、苦しまなければならない。それが、毒の効用なのです。 
    『現代の考察』p.168
    毒 55番
    毒の消化吸収過程が、人類に共通する魂の共感作用を生むのです。それが真の絆を築き上げます。そして、この真の絆を描いているのが、人間の文化としては文学と言えるのです。 
    『現代の考察』p.169
    毒 56番
    毒によって生命を鍛え、その力が大きくなれば生命を消費して楽しむことができるようになる。 
    『現代の考察』p.187
    毒 57番
    肉体の毒の根本思想は、食べることを考えるなということです。食べ物のことはとにかく考えては駄目です。食べ物のことを考えたら、多分、人間として命懸けで生きる人生を、否定する方向に行ってしまう。 
    『現代の考察』p.195
    毒 58番
    精神の嫌なこと、毒をどんどん食らっていると、色々な幸運も次々に出てくるのです。これは自動的に全部一緒にそうなります。 
    『現代の考察』p.196
    毒 59番
    毒を食らわなかったら、自分が幸福になりたい、自分が成功したい、自分が良くなりたいという欲望だけになる。そのように生きた場合はどういう人間になるかというと、動物になるということです。 
    『現代の考察』p.206
    毒 60番
    もともと価値のある人生というのは毒から生まれるのです。 
    『現代の考察』p.229
    毒 61番
    毒を食らい続けていく過程を老いという。だから楽をしようとするのは、老いと逆の方向です。食らい続けていくことによって、人間は老いるわけです。 
    『現代の考察』p.274
    毒 62番
    燃料とは、それ自体が「危険」であるものを言う。安全で安定したものや、固定したものは燃料にはならない。 
    『「憧れ」の思想』p.135
    毒 63番
    現代の人は、毒の部分や、悪の要素を絶対に認めたがりません。綺麗なものや、善いものだけで作られた世界を求めているのです。ところが、現実にはそういう世界は存在しません。 
    『生命の理念Ⅰ』p.146
    毒 64番
    悪と毒は、人間生活の潤滑油なのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.147
  • 禅 ―――人生に迷ったら

    禅 1番
    「一射絶命」という言葉が元々大好きなんですよ。いまこの一回の射に、全身全霊をかける。本当に自分の生命の本源を傾けるということです。本当にそのときの自分が死ぬんですね。そうしなければ本当の射は行なえない。
    『風の彼方へ』p.24
    禅 2番
    「不発の射」という言葉も大好きです。発射しない射です。自分が射るのではないということですね。自然に手を離れる射。自分の魂として飛んでゆく矢を射るのです。
    『風の彼方へ』p.24
    禅 3番
    禅の言葉は美しいです。だから魂の深奥に響き渡ります。そして永遠に僕に語りかけてくる。生きることの問いを日々問いかけてくるのです。
    『風の彼方へ』p.26
    禅 4番
    僕は禅も人類が生み出したダンディズムだと思っています。変な言い方ですが、仏教の中で禅はあまり抹香臭くない。
    『風の彼方へ』p.34
    禅 5番
    いまは健康第一、安全安心第一の世の中ですが、禅と武士道の共通点は、自分の一命をなげうってでも守るべきものを守ることです。
    『風の彼方へ』p.35
    禅 6番
    禅僧の言葉は、「生命の輝き」があるからカッコいいんですよ。生命の本源とは、重く冥く深い深淵なんです。だからその奥から発してくる真の力はもの凄いエネルギーを持っている。
    『風の彼方へ』p.37
    禅 7番
    武士道とは痩せ我慢とダンディズムだとつくづく思います。そして禅も同じような気がするんですよ。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 8番
    北条時宗はまさにそうですが、自分が不幸を受け入れる覚悟を持てば、自分以外のもっと大きい生命が躍動するという、そういう働きが武士道にも禅にもあるような気がします。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 9番
    人間は不幸を受容する気がないと生命の幸福は摑めない。それをさせてくれるのが禅であり、また禅の裏打ちによってその哲学的理論が発展してきた武士道ではないか。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 10番
    僕は『葉隠』を読んでも、その中に禅を感じます。
    『風の彼方へ』p.38
    禅 11番
    道元が「只管打坐」と言っているように、目的を持たずに坐ることは、自分の命を殺していくことによって、本当の命と邂逅しようとしているのだと思うんです。
    『風の彼方へ』p.39
    禅 12番
    禅は否定です。武士道もすべて否定なのです。否定というのは、実は全ての根源だと思っています。否定の哲学だけが、本当の肯定を生むのです。要は、本当の命です。
    『風の彼方へ』p.40
    禅 13番
    キリスト教では死ぬことによって永遠の生命を受けると言います。禅もそれに近い。
    『風の彼方へ』p.40
    禅 14番
    達磨の「面壁九年」ではありませんが、禅僧たちが坐禅を組んでいるのは、僕から見れば確かに全てが自己の否定だと見えます。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 15番
    禅僧が自己を否定して、否定して、否定して、否定している姿を見ると、本人だけでなく見ている人間の生命力も上がってくるのです。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 16番
    自分を捨てるための真の坐禅の姿は崇高です。崇高とは何だろうかと言ったら、否定そのものの姿なんです。
    『風の彼方へ』p.45
    禅 17番
    「無」の本質は刀剣の如き切れ味を持っており、その刀身は凄まじく冷たい光を放っている。
    『風の彼方へ』p.46
    禅 18番
    乃木希典は禅で学んだ否定の哲学と武士道の魂を持って、自ら信じる戦いを貫いて祖国を勝利に導いたと言えます。
    『風の彼方へ』p.49
    禅 19番
    ぶつかって、ぶつかって、ぶつかって、ぶつかっていけば、必ず生命の本質に触れることができます。
    『風の彼方へ』p.50
    禅 20番
    昔の禅僧の本なんてすごいですよ。本気で読んだら、死ぬか立ち上がるかのどちらかしかない。まかり間違えば死ぬ危険が潜んでいない「教え」などは、僕は全て嘘だと思っています。
    『風の彼方へ』p.58
    禅 21番
    人間は誰でも活動したり遊んだりしたい。それなのに坐らせるから意味がある。
    『風の彼方へ』p.58
    禅 22番
    白隠禅師は弱い者のために生きた人ですが、書を見る限り、弱い人を口で慰めたりすることは一切なかったと思うのです。
    『風の彼方へ』p.66
    禅 23番
    僕が仏教の中で禅宗が好きなのは、ご利益を言わないからです。ただ坐るだけ。ただ祈るだけ。それがいいのです。
    『風の彼方へ』p.75
    禅 24番
    この世のことは、全てが理屈だと僕は思います。それを乗り越えるものが僕は禅と武士道の精神だと思っているんです。
    『風の彼方へ』p.83
    禅 25番
    禅はいまそのものに全力投球を行ない、体当たりをする。
    『風の彼方へ』p.83
    禅 26番
    釈迦は生命の本質を求め続けた人だと思います。求め、求め、求め、求め続けている過程で死んだということです。
    『風の彼方へ』p.86
    禅 27番
    自分の生命を使い切ることが、本当の生命の価値であるとわかることが禅の「悟り」に近いものなのではないかと思います。
    『風の彼方へ』p.130
    禅 28番
    仕事に命がけで打ち込んでいると、精神が自由になるのです。……それこそ融通無碍の境地で、自由で囚われないことが「悟り」に至る道につながるのではないでしょうか。
    『風の彼方へ』p.131
    禅 29番
    人間は職業に打ち込めば悟りを得ることができると僕は思っています。
    『風の彼方へ』p.132
    禅 30番
    (趙州について)禅僧なのに、頭にくれば、文句を言う。文句は言ってはいけないなんて言っていない。本当にその命が躍動しているんですよね。禅の偉大さをその人生で証明している。
    『風の彼方へ』p.140
    禅 31番
    学問的なものは弱いです。社会が荒れたときなんかはすぐにわかります。だから仏教の中では禅が強いんですね。
    『風の彼方へ』p.145
    禅 32番
    禅はキリスト教に近いように見えます。キリスト教というのは、なぜ強いかというと、いま言った理論がないからなんですよ。とにかく信じろと言うだけです。
    『風の彼方へ』p.145
    禅 33番
    西洋人の強さというのは、僕はやっぱりそのキリスト教だったと思うんです。殉教というのも西洋人の強さの最たるもので、教えのためならむしろ死にたいとすら思っていた。だから禅とキリスト教の修行法を見ると似ていますよ。
    『風の彼方へ』p.146
    禅 34番
    最初からきれいなものだったら、武士道も禅も何の価値もないと思います。いいものは悪いものの中から出てくるというか、悪いものがいいものにならなければダメなのです。悪いものを良くするのが生命ですから。
    『風の彼方へ』p.167
    禅 35番
    関大徹は禅僧としていちばん尊敬できる一人です。ちょうど読んだときに僕は死病を抱えていると同時に、死にもの狂いで自分の道を切り拓くときだったので、実にあの本は「神そのもの」に見えました。
    『風の彼方へ』p.211
    禅 36番
    西洋と融合した新しい日本の魂、つまり新しい禅を求める求道の悲しみが徹宗の書にはあるのです。まさに新しい精神の始まりです。
    『憂国の芸術』p.46
    禅 37番
    何と言っても、禅は日本精神の中核です。そして、武士道の根本を支える思想と言えるのです。
    『憂国の芸術』p.41
    禅 38番
    あまり表面的に優しくて美しいことばかり言うのは武士道ではないし、禅も違うと思っているのです。人間は忍んで忍んで、そして最後は間違って「鬼」になってもいいと思っているのです。
    『風の彼方へ』p.167
    禅 39番
    白隠は、禅の極致をその墨跡に示した。
    『孤高のリアリズム』p.211
    禅 40番
    ポール・ヴァレリーは禅の真髄を摑み、それを芸術となした人物なのだ。
    『孤高のリアリズム』p.211
    禅 41番
    特にリアリズムがその人の生命燃焼を支えていたと思うのが趙州(じょうしゅう)です。僕はこの人を死ぬほど好きです。唐末の中国の偉大な禅僧で、『趙州録』は僕の愛読書です。
    『風の彼方へ』p.140
    禅 42番
    大徹和尚は莞爾(かんじ)として野垂れ死にする道を選んだ。僕はこの「痩せ我慢」を諒(りょう)としましたね。 
    『風の彼方へ』p.212
    禅 43番
    禅の文化はこれからの日本に一番必要ではないかな。禅的な考え方は正しい貧しさに向かう、一つの道筋です。 
    『悲願へ』p.103
    禅 44番
    禅は本来は基本的に現世のすべてを否定する「不幸の哲学」のはずなんですよ。一言で禅とは何かを言えといえば、武士道と同じだから、絶対否定だ。すべてのものを否定するのが禅の真髄です。 
    『悲願へ』p.106
    禅 45番
    僕が禅僧の書をたくさん集めているのも、カッコいいからです。スカッとするというか、生命の根源を示してくれると言うか。 
    『風の彼方へ』p.37
    禅 46番
    『禅林句集』は答えがないから有難いんですよ。大人になってからは、禅の言葉は必ずこの本から引いて、正式の言葉で覚えるようにしています。 
    『風の彼方へ』p.230
    禅 47番
    僕も白隠禅師の書が大好きなのですが、なぜ好きかというと、あれが「お札」だからなんですよ。……当時は仏壇も買えない貧乏な人たちがたくさんいて、その人たちのために書いたというのが「書」から伝わってきます。 
    『風の彼方へ』p.61
    禅 48番
    禅はキリスト教に近いように見えます。キリスト教というのは、なぜ強いかというと、理論がないからなんですよ。とにかく信じろと言うだけです。 
    『風の彼方へ』p.145
    禅 49番
    (関大徹の)「病気など死ねば治る」という言葉がぐっときましたね。それを信じて死ぬ覚悟を決めたら、知らないうちに体も回復していました。 
    『風の彼方へ』p.211
  • 生命 ―――人生に迷ったら

    生命 1番
    生命を哭かせる者に、躍動はない。怒れ、しかし込み上げる感情を凝縮せよ。
    『生くる』目次
    生命 2番
    生命というのは、暴れ回ってのたれ死にするためにあるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.97
    生命 3番
    生命体というのは、何か別のものに尽くすために生きている。
    『魂の燃焼へ』p.115
    生命 4番
    真の生命は、悲哀の中にある。
    『生命の理念Ⅰ』p.2
    生命 5番
    「断念」の最終段階まで向かっていくのが、つまりは人生であり、生命なんだよ。
    『夏日烈烈』p.2
    生命 6番
    生きようとするだけであると、生命は死ぬ。死ねば生きるのが生命の哲理なのだ。
    『友よ』p.179
    生命 7番
    この世でもっとも残酷な悪人でも、原水爆を落とすことはできません。できるのは生命に対して無関心な善人だけです。
    『根源へ』p.466
    生命 8番
    生命は、逆説の形而上学である。
    『「憧れ」の思想』p.41
    生命 9番
    私は、自分が宇宙の一環としての人間の生命をもち、その生命には、宇宙的未来が存在していることを実感したのだ。
    『「憧れ」の思想』p.63
    生命 10番
    生命は、科学ではない。生命は、計算ではないのだ。
    『「憧れ」の思想』p.146
    生命 11番
    生命は、絶えず死に、絶えず生まれることで初めて真に生きることができるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.172
    生命 12番
    生命の燃焼—我々の人生で最も重要なことはそれだけである。人生の幸福も不幸も、成功も失敗もすべて関係ない。
    『夏日烈烈』p.3
    生命 13番
    すべての生命力を使い果たして「死に切る」ことだけが人生なのだ。
    『夏日烈烈』p.3
    生命 14番
    生命は、ぶつかり合うことで確かなものになっていく。
    『夏日烈烈』p.1
    生命 15番
    生きるというのは、暗さに立ち向かう勇気の中にこそ潜んでいる。つまり生命の深淵とまっ直ぐに対峙する生き方の中にあるんだ。
    『夏日烈烈』p.20
    生命 16番
    生命は悲哀の中から生まれてきた。だから、暗くて当然なんだよ。
    『夏日烈烈』p.21
    生命 17番
    現代は、人間のもつ動物的な生命の過剰重視からすべてが組み直されてしまっている。
    『夏日烈烈』p.50
    生命 18番
    僕が自分の人生で思うのは、生命的に価値があったことというのはやっぱり、「かっこいい」という感動性だけなんだ。
    『夏日烈烈』p.131
    生命 19番
    意識が自己の外部にあるとき、それも自己から遠くにあればあるほど、多くの生命エネルギーが注ぎ込まれるのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.41
    生命 20番
    公害を避けてカナダの山奥へ移住するのではなく、大都市の中で公害とともに生きようと考えています。それが、私の目指す「生命の理念」なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.23
    生命 21番
    生きるために他の生命を殺すことは、神から許された宇宙の摂理の一つです。
    『生命の理念Ⅰ』p.29
    生命 22番
    生命は、取り替えられないところに価値があるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.55
    生命 23番
    歴史を見ると、民主主義が導入された時代は、すべて国家や民族の生命エネルギーは落ちています。
    『生命の理念Ⅰ』p.83
    生命 24番
    我々の生命が目指していく聖地を、私は見たように思う。
    『風の彼方へ』p.10
    生命 25番
    いまの人は、自分が生きようとするから、変な言い方ですけれども、周りの人が不愉快になり、また自分も弱くなるのだと思います。
    『風の彼方へ』p.39
    生命 26番
    我々が美しいとかおいしいとか思っているものは、還元力や腐敗力から生まれた生命の一瞬の煌めきなんです。
    『風の彼方へ』p.111
    生命 27番
    僕は「般若心経」の中では、あの最後の呪文に「絶対負」を感ずるんですよ。あの「羯諦羯諦波羅羯諦」という梵語の呪文です。あそこに、突進する生命の悲哀を感ずるんですね。
    『風の彼方へ』p.109
    生命 28番
    絶えず戦い続けることが、生命の哲理です。
    『生命の理念Ⅰ』p.60
    生命 29番
    我々の生命とは、混沌の中から生まれた火花のようなものです。
    『風の彼方へ』p.281
    生命 30番
    生命の本源は、平衡にある。垂直を目指す重力と、水平に向かう混沌が交叉する「点」に、我々はいる。
    『憂国の芸術』p.137
    生命 31番
    自立する生命は、他の自立する生命を求め続ける。そのような、生命が有する遺伝的宿命を我々は背負っているのだ。
    『孤高のリアリズム』p.194
    生命 32番
    生命の尊厳を知れば、他の生命の尊厳がわかる。
    『孤高のリアリズム』p.194
    生命 33番
    生命は、一つのものとして単純である。
    『孤高のリアリズム』p.202
    生命 34番
    魔人とは、生命力を支える根源力であろう。つまり、デーモンである。
    『孤高のリアリズム』p.203
    生命 35番
    人間は、目にその人物の生命の奥深くに蠢くデーモンを宿している。
    『孤高のリアリズム』p.203
    生命 36番
    正統とは、破壊でもあるのだ。革命的であることは、生命の真実に繋がっている。
    『孤高のリアリズム』p.244
    生命 37番
    生命自体が、革命なのである。我々は、日々戦い、日々苦悩している。
    『孤高のリアリズム』p.245
    生命 38番
    自己の生命の淵源を知ることは、自己の生命そのものよりも大切なことだと思っている。 
    『悲天』p.364
    生命 39番
    我々は自己の生命の故郷を慕って、咆哮しなければならないのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.172
    生命 40番
    光は、生命の根源を支える量子(りょうし)である。 
    『「憧れ」の思想』p.174
    生命 41番
    生命の淵源を辿ること自体が、真の憧れに向かう旅立ちなのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.174
    生命 42番
    我々の生命は、憧れに向かうひとつのロマンティシズムと言えるのではないか。 
    『「憧れ」の思想』p.177
    生命 43番
    生命は、すべてが自己責任なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.188
    生命 44番
    生命は権利ではない。それは宇宙から与えられたものだ。 
    『「憧れ」の思想』p.191
    生命 45番
    予言の中に、生命の真実がある。 
    『「憧れ」の思想』p.201
    生命 46番
    生命は、虚飾を確実に見抜く眼を持っている。 
    『「憧れ」の思想』p.224
    生命 47番
    本物の伝統は、その生命それ自体が「憧れ」の本体となっている。 
    『「憧れ」の思想』p.229
    生命 48番
    忍ぶことが、次の生命を求めて呻吟する自己を創るのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.230
    生命 49番
    僕が一番大切にしているものは、今の文明が生まれる以前に人類が誕生したときの、生命のもつ「初心」なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.18
    生命 50番
    そもそも生命って、全部暗いんだよ。 
    『夏日烈烈』p.20
    生命 51番
    現代社会みたいに、明るいものとか社会的な成功とか、そういうものを求めている時代というのは、生命的にいうと、最も生命燃焼が出来ない。 
    『夏日烈烈』p.20
    生命 52番
    かっこいいということが、本質的には最も「生命的」なんだ。 
    『夏日烈烈』p.22
    生命 53番
    我々の生命は、宇宙が創成されたときのエネルギーの「一片」なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.20
    生命 54番
    清らかなエネルギーは、生命の燃焼のために()べるこの上ない燃料と言える。 
    『「憧れ」の思想』p.43
    生命 55番
    我々自身には、成功の力も、豊かになる知恵も、創造の精神も無い。我々はすべて、神の恩寵によってのみ生かされているのである。それを知るために生きることが、つまりは自己自身の本当の生命を生き切ることに他ならないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.24
    生命 56番
    生命の本質は、生命以上のものを指向しなければ何もわからない。その悲しみを見つめ続けなければ、我々の生はないのだ。
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    生命 57番
    生命が、生命として生きるために信仰は生まれたのだ。それを、それだけを語り続けた男が内村鑑三であった。語り続けることによって、内村はすべてに「敗北」した。偉大なる敗北である。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    生命 58番
    狂うことだけが生命を燃焼させる。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.17
    生命 59番
    我々の生命は、危険と対峙するとき、その本質的性能が花開くのである。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.30
    生命 60番
    燃え尽きて、ボロボロになって死ぬのが生命の本懐である。 
    『生命の理念Ⅰ』p.56
    生命 61番
    生きることは苦しみなのだ。それは、憤激なのだ。我々の生命は、燃え尽きることをその使命として存在している。その意味は、苦しむことに尽きる。憤りを抱き続けることに尽きる。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.28
    生命 62番
    不毛は、未完という意味に近い。不毛を恐れることが、生命の敵なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.196
    生命 63番
    私は、若年よりこの埴谷雄高に親しんできた。それは、何か生き切ろうとする淵源に、同一の慟哭を見出しているからに違いない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.2
    生命 64番
    親近感において、私は埴谷雄高に並ぶ者を知らない。それは、生存の本源から来る「何ものか」である。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.2
    生命 65番
    真の生命が燃え立つとき、人の子はその哀しみを抱きしめて死ぬ。人間の、新しい文明を築くために、最も尊い命が犠牲として捧げられることになったのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.23
    生命 66番
    松下幸之助の人生論は、直接には生命論の実際の例題だということになるのです。 
    『悲願へ』p.27
    生命 67番
    命というのは凄いものだからね。誰でも大したものなんだ。皆、宇宙の生成発展のエネルギーが凝縮して生まれて来たんだからね。これは全員だ。私はその力を死ぬまでずっと出し続けようと思って生きているんですよ。 
    『悲願へ』p.150
    生命 68番
    生命は宇宙の根源から生まれてきたものなのだ。その尊さを、本当の尊さを知らなければならない。その生命の本源の尊さを知って、初めて崇高な生き方は生まれるのだ。 
    『悲願へ』p.153
    生命 69番
    呻吟し、悲哀を感ずるために我々の生命は創られた。 
    『悲願へ』p.160
    生命 70番
    呻吟と悲哀を心に持ちながら生き抜くことが、我々の生命の躍動と宇宙の生成発展を認識させてくれるのです。 
    『悲願へ』p.160
    生命 71番
    生命の真実、つまり呻吟とか悲哀を求めると、我々の生命が大きくなるのです。 
    『悲願へ』p.161
    生命 72番
    生命というのは、生命の故郷である永遠性を求め続けなければ躍動しない。 
    『悲願へ』p.174
    生命 73番
    生命というのは、自己の生命を何ものかに捧げ尽くすために存在しているというのが愛の根源であり、それが宇宙的事実なのです。 
    『悲願へ』p.183
    生命 74番
    生命というのは、捧げるものを見つけたら、本当に恵まれた、生きがいのある生命になったと歴史的に言われています。 
    『悲願へ』p.184
    生命 75番
    生命というのは完全燃焼するか、(くすぶ)ったまま死ぬかの違いしかない。 
    『悲願へ』p.185
    生命 76番
    私は完全燃焼した生命は大成功の生命であり、燻った生命はそれこそ社会的な地位がどうであれ、腐った生命だと思っています。 
    『悲願へ』p.185
    生命 77番
    燃焼した生命は、若くして死のうが、歳をとろうが、挫折しようが、どんなに貧乏で死のうが、やったことが全部駄目であろうが、価値のある美しい生命なのです。 
    『悲願へ』p.185
    生命 78番
    生命の完全燃焼というのは、善悪を超越していて、宗教的な言葉で言うと彼岸に存在しています。したがって神の領域に近いということです。 
    『悲願へ』p.185
    生命 79番
    生命の根源は全部、負のエネルギーによって支えられていて、それが生命的に正しいのだという考え方が「絶対負」なのです。 
    ―『悲願へ』p.192
    生命 80番
    「諸行無常」というのは生命の根源の話をしています。根源が立って初めて人間は、自分の生命を躍動させられるのです。 
    『悲願へ』p.195
    生命 81番
    我々の生命は、つまりこの地球上の人生は、「諸行無常」の悲しい世の中を生きているんだということが分かると、生命を愛する気持ちも出てくるのです。 
    『悲願へ』p.196
    生命 82番
    悲哀が分からないなら、人の生命も自分の生命も愛することは出来ない。本当に弱くて(はかな)くて、悲しいものだから大切なものなのです。 
    『悲願へ』p.196
    生命 83番
    本当に生命が大切だと思うなら、生命が持つ悲しみを教えなければ駄目です。 
    『悲願へ』p.196
    生命 84番
    体当たりしてぶつかっていくのが生命の真の価値だということを言っているのです。 
    『悲願へ』p.199
    生命 85番
    (くじ)けて跳ね返されることに価値がある。 
    『悲願へ』p.199
    生命 86番
    「諸行無常」を理解して、人間の生命の悲哀を理解すると、問答無用の生き方と体当たりが出来るようになる。 
    『悲願へ』p.200
    生命 87番
    結果を問うこと自体が間違っている。物質のことを考えた時点で、その人は生命の道を踏み外すと思ってください。 
    『悲願へ』p.200
    生命 88番
    いくら生命論を突き詰めて考えていても、地球上で我々が生きている限り、物質を捨てることは出来ないですから、心配しなくても大丈夫です。 
    『悲願へ』p.200
    生命 89番
    我々は、肉体が大切なのだということは、あまり思わなくていいのです。 
    『悲願へ』p.200
    生命 90番
    体当たりしてぶつかっていくのが生命の真の価値だということを言っているのです。 
    『悲願へ』p.199
    生命 91番
    他人が不幸だと思う人が、生命を燃焼しているということです。 
    『悲願へ』p.227
    生命 92番
    覚悟のない人生は、自己の生命を殺します。そして幸福を志向する心が、必ず覚悟を(ひる)ませるのです。 
    『悲願へ』p.227
    生命 93番
    自分の生命をどこに燃やすかが大問題で、燃やして死ねば不幸でも幸福です。燃やすのに失敗すれば、(くすぶ)った人生で、幸福でも不幸です。 
    『悲願へ』p.232
    生命 94番
    犠牲的精神を払っている人は、犠牲になっているとは思っていない。愛する人に命を捧げたら、それは喜びなのです。 
    『悲願へ』p.238
    生命 95番
    物事というのは、難しいと思った瞬間に零点になります。難しいと思うことは、生命的な逃げです。自分の防御です。 
    『悲願へ』p.268
    生命 96番
    生命というのはもともと、人間としての魂が生きるために肉体をもっているのです。 
    『現代の考察』p.24
    生命 97番
    生命と文明の拮抗作用が、我々の悩みであり、また文明の本質だということです。 
    『現代の考察』p.36
    生命 98番
    道徳は正しいけれども、それを破ることが「生命の躍動」を生むのです。 
    『現代の考察』p.46
    生命 99番
    生きがいなんかなくていい。体当たりして生命を燃焼させるだけです。 
    『現代の考察』p.89
    生命 100番
    毒物を毎日身体に注入していると、自分の存在が他人や他のもの、つまり他者の中に受け継がれるような自己の生命として確立されていきます。つまり自分の生命の個別性が確立してくるのです。 
    『現代の考察』p.167
    生命 101番
    肉体も精神も、とにかく毒物をどんどん取り入れることによって自分の生命力が高まるのです。 
    『現代の考察』p.171
    生命 102番
    自分の生命が大切だったら、臆病になって自分の生命は生かせないということです。 
    『現代の考察』p.284
    生命 103番
    自分はもうがむしゃらに体当たりして、がむしゃらに死んでいけばいい。それが生命の燃焼なのです。それでその燃焼した生命が、運が良ければ人に感化を与えている場合もあり得るということです。 
    『現代の考察』p.284
    生命 104番
    道とはつまり人間文化の生命(いのち)という事なのである。 
    『平成15年度 年末の辞』
    生命 105番
    魔神とは、命がけの初心がもたらす、重力をつんざいた生命エネルギーの総体である。 
    『平成22年度 年末の辞』
    生命 106番
    ドストエフスキーもキリストのことは死ぬほど好きで、それはつまりキリストが生命の本質そのものだからなんだ。 
    『夏日烈烈』p.44
    生命 107番
    自己の生命を愛する、その愚かさだけが、水平を乗り越え垂直を仰ぐ生き方を可能にする。 
    『「憧れ」の思想』p.97
    生命 108番
    我々の生命は、垂直を目指して呻吟(しんぎん)する。垂直を仰ぎ、生命の本質に思いを馳せているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.102
    生命 109番
    到達不能とも思われる、遠いともしびを志向し続ける生命は、その最後の一片が燃え尽きる日まで、生の躍動を繰り返すのだ。
    『「憧れ」の思想』p.174
    生命 110番
    現世を捨てる勇気、泉のかたわらで死ぬ勇気、死の跳躍を果たす勇気、ともしびに向かって生命を燃やす勇気、これらはすべて人間にとって死の原因となるものばかりしかない。 
    『「憧れ」の思想』p.140
    生命 111番
    もともと人生とは、未知の何ものかに挑戦する生命の躍動なのです。 
    『根源へ』p.148
    生命 112番
    (男と女は)陰と陽だから「女らしい」、「男らしい」というのが揃って一つの文明を築くわけ。動物には「女らしさ」「男らしさ」はなくて、生物学的な雄と雌だけなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.80
    生命 113番
    男と女は気なんか合わないに決まってるんだ。僕なんかは一人も合わないよ。女性のことは全くわからないし知る気もない。 
    『夏日烈烈』p.81
    生命 114番
    男は特に生命の本質から入らないと、心だけではノイローゼになっちゃう。女は違うけどね。 
    『夏日烈烈』p.189
  • 詩・歌 ―――人生に迷ったら

    詩・歌 1番
    詩の心が人生に飛躍をもたらす。
    『生くる』目次
    詩・歌 2番
    撃ちてし止まん。命懸けの絆が和歌を生んだ。
    『生くる』目次
    詩・歌 3番
    詩は、人間の魂の雄叫びである。
    『友よ』p.10
    詩・歌 4番
    別れの悲しみを、詩的に感ずる者だけに、真の出会いが訪れる。
    『友よ』p.10
    詩・歌 5番
    詩は人間の魂の雄叫びである。魂の奥底から絞り出された生命の雫とも言える。
    『友よ』p.10
    詩・歌 6番
    美しい言葉には、美しい魂を創り上げる力がある。だから、私は死を愛する。
    『友よ』p.11
    詩・歌 7番
    偉大なる使命ありて、偉大なる詩文が生ずる。
    『友よ』p.14
    詩・歌 8番
    詩も芸術も魂のぎりぎりの雄叫びであり、人生の涙である。
    『友よ』p.20
    詩・歌 9番
    詩は魂の雄叫びなのだ。詩は人生の涙である。
    『友よ』p.20
    詩・歌 10番
    自然の美しさを歌い上げる詩人がいる。自然などほっておけばそれでよい。
    『友よ』p.20
    詩・歌 11番
    闘う人間は、男女の好き嫌いに基づく恋愛の歌は、特に嫌いだ。
    『友よ』p.20
    詩・歌 12番
    厳しい韻律を踏んだ言葉以外のものは、厳しい人生観から出てきた言葉ではない。
    『友よ』p.10
    詩・歌 13番
    荘重な韻律を踏んで話す人物は、自己の人生を芸術と化している。
    『友よ』p.23
    詩・歌 14番
    どんなにすぐれていると思われる内容の事柄でも、幼稚な軽薄な言葉で書かれている詩や文学は、決して信用してはならない。
    『友よ』p.23
    詩・歌 15番
    いかに蔑まれようと、歌わなければならない。
    『友よ』p.24
    詩・歌 16番
    敦盛を、私は事あるごとに謡い舞ってきた。
    『友よ』p.37
    詩・歌 17番
    惚れて恋して、そして謡い舞えば、本当の自分の生が生きてくる。
    『友よ』p.43
    詩・歌 18番
    信長の生き方こそが、実は敦盛の唯一の詩釈なのである。
    『友よ』p.43
    詩・歌 19番
    詩は、日常性から超越する心を、我々に示唆し促す芸術ではないか。
    『友よ』p.46
    詩・歌 20番
    人生の本質は涙なのだ。人間が生きるために、詩を必要とするいわれは、ここに存する。
    『友よ』p.52
    詩・歌 21番
    詩は寂々として読むものであり、愁として感ずるものなのである。
    『友よ』p.52
    詩・歌 22番
    感動する書物や、一生涯の友となるような詩に出会うのは、いかに難しいことか。
    『友よ』p.59
    詩・歌 23番
    およそ詩を読む楽しみは、偉大なる人物と自分との魂の交流と交感にある。
    『友よ』p.68
    詩・歌 24番
    白楽天の詩は、いかに取るに足らない物でも芸術に昇華し、またいかなる些細なでき事も、たちまちのうちに哲学化してしまう、全く驚くべき天才の詩と言うことができる。
    『友よ』p.69
    詩・歌 25番
    思索は、あくまでも人生の行動と結びついて、初めて価値を生むのだということを、私はロングフェローの詩から学ばせてもらった。
    『友よ』p.88
    詩・歌 26番
    偉大な詩を語ることは、大なる苦痛を伴う。
    『友よ』p.88
    詩・歌 27番
    希望のうちに滅び去ることこそが人生ではないか。それが、自己の人生を詩と化することではないか。
    『友よ』p.109
    詩・歌 28番
    私が詩を愛するのは、それが人間の生き方に美をもたらす力を秘めているからである。
    『友よ』p.111
    詩・歌 29番
    詩は喜び、哀しみ、愛し、憎む人間を表現する芸術である。
    『友よ』p.111
    詩・歌 30番
    生き方はそのまま、詩となり得る。
    『友よ』p.111
    詩・歌 31番
    詩は文ではない。魂である。涙である。
    『友よ』p.111
    詩・歌 32番
    万巻の書物を読んでも人生を構築できないが、愛する詩の一篇は自己の人生を築き上げる力がある。
    『友よ』p.111
    詩・歌 33番
    自分の好きな詩を探し求めると、自己がわかる。
    『友よ』p.111
    詩・歌 34番
    私は、詩に教えられることが多かった人間である。だから、私は詩的な人間となっている。
    『友よ』p.111
    詩・歌 35番
    自己の愛する詩をもてば、自己の人生が詩的になる。
    『友よ』p.111
    詩・歌 36番
    思い出だけしか、詩的な自己をつくることはできない。
    『友よ』p.113
    詩・歌 37番
    よきもの、偉大なるもの、詩的なるもの、価値あるものはすべて、それをなしたる人の思い出の産物なのだ。
    『友よ』p.113
    詩・歌 38番
    卑しさは誰でもがもっている。もっているからこそ、それを克服するための夢に生きることができる。そのために詩がある。
    『友よ』p.114
    詩・歌 39番
    魅力ある人は存在そのものが詩となる。
    『友よ』p.114
    詩・歌 40番
    夢こそが詩である。
    『友よ』p.114
    詩・歌 41番
    私は、冷たきものの中に、熱き思いを感ずるのである。これが己の人生を詩となす心であろう。
    『友よ』p.116
    詩・歌 42番
    魂を探求するものは自ずから詩人となる。
    『友よ』p.122
    詩・歌 43番
    魂そのものが詩であり、詩はまた魂とも言える。
    『友よ』p.122
    詩・歌 44番
    我々日本人の心は歌でしか表現できない。
    『友よ』p.446
    詩・歌 45番
    不完全な現在に妥協してはならない。過去の人類がなし遂げたロマンティシズムを詩となすのだ。
    『「憧れ」の思想』p.212
    詩・歌 46番
    真の歴史というのは、実は神話のことなのです。つまり、それが最も古い「詩」だからです。神話は純粋に精神の問題を扱っています。だから、考古学の対象になりません。
    『生命の理念Ⅱ』p.77
    詩・歌 47番
    日本の「祈り」は、言霊の中にある。この国は、歌も祝詞もすべてが祈りなのだ。
    『憂国の芸術』p.107
    詩・歌 48番
    ますらをの 魂とぞ思ふ 言の葉の 降り行く道を 我れは行くべし
    『憂国の芸術』p.115
    詩・歌 49番
    私は、歌によって、自分の想いを未来へ届けようと思っているのです。歌には神が宿ります。だから、自己の心が正され、自分の生命のすべてを、その対象にそそぎ込むことができるようになるのです。
    『憂国の芸術』p.39
    詩・歌 50番
    僕なんかは、長年意味を取り違えて誤解していた和歌がたくさんあるんだけど、とにかくその歌がかっこよくて好きだったから自分の生命や人生の本質をそれらが作ってくれたんだ。
    『夏日烈烈』p.33
    詩・歌 51番
    『万葉集』なら歌を読めば古代人の魂がわかるんだ。
    『夏日烈烈』p.213
    詩・歌 52番
    『万葉集』の精神というのは元々あるんだけど、やっぱり『万葉集』という言葉として、物質化して残ってないと現代人には伝わらないんだ。
    『夏日烈烈』p.213
    詩・歌 53番
    魂に詩の心を与えること。魂の食物は詩なのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    詩・歌 54番
    詩とは過去に美しく生きた人々のその生き様と死に様に共感し感動することなのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    詩・歌 55番
    誰でも人として生きる限り、何か無限に向かって心が拡がっていくような瞬間がある。そのような心の状態を詩という。 
    『生くる』p.262
    詩・歌 56番
    詩の心とは突き抜ける心に通ずる。 
    『生くる』p.262
    詩・歌 57番
    飛躍はする(・・)のではなく、くる(・・)のだ。詩の心を大切に育てれば、飛躍はくる。
    『生くる』p.262
    詩・歌 58番
    歌は、日本人の生き方において、奥深い思いを表わす唯一の手段としてあった。それは日本人にとって、宗教心に通ずる働きをしていたと私は思う。 
    『生くる』p.378
    詩・歌 59番
    歌は赤心(せきしん)と呼ばれる誠の心、真心だけしか歌えない。 
    『生くる』p.376
    詩・歌 60番
    歌は赤心だけしか受けつけない。そのかわり赤心があれば、一片といえども歌に高貴さをもたらす。 
    『生くる』p.376
  • 死 ―――人生に迷ったら

    死 1番
    自由自在に動き回って、愉しむことができるのは、還るべき「永遠の家」としての死があるからなのだ。
    『生くる』p.288
    死 2番
    死を想え、貫くものを見なければならない。
    『生くる』目次
    死 3番
    志とは、そのゆえに死することである。
    『生くる』目次
    死 4番
    死もまた未来。動かせる運命を愉しめ。
    『生くる』目次
    死 5番
    幸福ではない、仕合せになるのだ。心があれば、死すら仕合せとなる。
    『生くる』目次
    死 6番
    生き方よりも死に方を決めることが大切なのです。歴史に見る例で言えば、武士に生まれたのなら自分の意志で武士らしく死ぬ、その死に方です。
    『根源へ』p.14
    死 7番
    私自身の死は、このラクリモーザの中にあるという考えは、今でも変わらない。
    『友よ』p.148
    死 8番
    星はすべて役目によって生まれ役目によって死ぬ。
    『友よ』p.267
    死 9番
    死を認識する生き物が人間である。その認識によって我々は神を志向する。
    『友よ』p.289
    死 10番
    人間は裸一貫で生まれてきて、裸一貫で死ぬ。
    『友よ』p.393
    死 11番
    いま、我々は「人間として」どう生き、どう死ぬのかを見つめ直さなければならない時期にきていると思います。
    『根源へ』p.9
    死 12番
    死の一部こそが生なのだと知らなければなりません。死が主であり生が従なのです。
    『根源へ』p.12
    死 13番
    動物の死は、肉体の死と同じです。しかし人間の死は、希望を失ったとき、人間として死ぬのです。
    『根源へ』p.430
    死 14番
    僕は娘から「お父さん、そろそろ死なないとかっこうがつかないよ」って言われてるんだよ(笑)。
    『夏日烈烈』p.523
    死 15番
    我々は毎日、死んだ細胞を入れ替えて生き続けている。つまり、死の上に生が載っかっている。だから、死に続けることが生きることなのです。
    『風の彼方へ』p.107
    死 16番
    死ぬことが本体であり、それがわかってはじめて、この世の幸福を一瞬味わうことができるんです。
    『風の彼方へ』p.114
    死 17番
    人を愛するのは、相手が死ぬ存在だからです。
    『風の彼方へ』p.114
    死 18番
    釈迦は「死苦」と言っていますが、その苦しみとしての死とは、現世の「色」の世界の中の死です。
    『風の彼方へ』p.115
    死 19番
    僕は現世で休息をとりたいと思っていません。死後の永遠の休息が、待っていますから。
    『風の彼方へ』p.116
    死 20番
    我々の死は、宇宙を支配する「愛の法則」の一部だということを忘れてはなりません。死は人間の世界だけの話ではなくて、宇宙も同じなのです。
    『風の彼方へ』p.121
    死 21番
    死ぬということは、慈悲であり、愛なんです。死ぬことそのものが愛なんです。
    『風の彼方へ』p.121
    死 22番
    そもそも自殺する権利は人間にはないのです。いま言ったように命は元々自分のものではなく、与えられているものですから。
    『風の彼方へ』p.122
    死 23番
    死を嫌がったら燃焼できません。社会保障と安全とか安定を考えると、人間は自分の生命を使い切れないですよ。
    『風の彼方へ』p.123
    死 24番
    必ず死ぬと思っていたら自殺はしないですから。原爆もつくりません。
    『風の彼方へ』p.125
    死 25番
    リアリズムから逃れる人は臆病ですよ。死から逃れるということは、リアリズムから逃れるということですからね。
    『風の彼方へ』p.150
    死 26番
    自分の死を見つめられるということは他人の死も見つめられるんですから、そうすると割とものが見えるようになるので、会社も儲かるんです。
    『風の彼方へ』p.150
    死 27番
    いい死を迎えるために、生きているときは修行する。そして、死んだあとが永遠の生命という本体に行き着くのです。
    『風の彼方へ』p.206
    死 28番
    国家とは、国民に死に場所を与える機関だと僕は思っています。死に場所がないと、人間は本当の生きがいを見出せないのです。
    『風の彼方へ』p.262
    死 29番
    戦後は、戦争嫌いが高じて、戦争で死ぬことが悪いことだとみんな思ってしまった。でも、誰でもわかることですが、人間は全員死ぬわけで、死が本体なのです。問題は死に方だけなのです。
    『風の彼方へ』p.281
    死 30番
    人間っていうのは成長期が終わったら、あとはもうボロボロになって死ぬだけなんだ。そこに向かってどう生きるかだけが大切なんです。
    『魂の燃焼へ』p.160
    死 31番
    死を想わなければ生はない。
    『根源へ』p.12
    死 32番
    死が主であり、生が従なのです。
    『根源へ』p.12
    死 33番
    死について絶えず考えなければ本当の生はない。
    『根源へ』p.13
    死 34番
    自分自身が、すばらしい死だと思うものに向かうのです。その形に決まりはありません。人間のもつ価値を知り、そのために生きて死ねば、それでよいのです。
    『根源へ』p.15
    死 35番
    ただ自己の決めた死に向かって生きるだけです。
    『根源へ』p.15
    死 36番
    他者をひとり生かすために、自分ひとりが死ぬ。誰にでもできることではない。しかし憧れます。
    『根源へ』p.16
    死 37番
    三島由紀夫は、自分がどう生き、どこへ向かって、どのように死ぬのかを決めていた人です。
    『根源へ』p.18
    死 38番
    死生観を立てるのは難しいと言えば難しいし、簡単と言えば簡単なのです。その気になれば誰だってできる。
    『根源へ』p.25
    死 39番
    死後に本当の感化力を残す生き方が本当の人生であり本当の感化力であると感じます。 
    『見よ銀幕に』p.502
    死 40番
    憧れに向かうことによって、自己の死を本当に死ぬことができる。 
    『「憧れ」の思想』p.219
    死 41番
    「死の問題」、それが数学者に課せられた情熱の根源である。そのゆえに、数学者とは、つまりは詩人そのものに他ならないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.18
    死 42番
    実は人間が死ぬということは、死ぬおかげで助かっていることも多いのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.56
    死 43番
    人間の死に際の本質を芥川ほど見事に描き切った人はいない。 
    『夏日烈烈』p.26
    死 44番
    いつか死ぬのは、それこそ天命でしかない。人力では計り知ることはできない。計り知ることのできぬことなどを気にしていては、人生は一向に生きられない。 
    『友よ』p.79
    死 45番
    他の一切のものと人間とを分かつ最も大いなる文化は「死者が生者を支配」する文化なのである。 
    『平成17年度 年末の辞』
    死 46番
    死者を敬い、死者を慕い、死者を弔う心こそが人間の最も崇高な心なのである。 
    『平成17年度 年末の辞』
    死 47番
    死の舞踏が、我々人類を創り上げたことを知らなければならない。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    死 48番
    情があればすべては生き、情が無ければ全ての事柄は死すのであろう。 
    『見よ銀幕に』p.228
    死 49番
    私の前進が止まるのは寿命が尽きたとき、つまり死んだときです。死ぬまで体当たりをする。私の意志は死して、のち()むということです。 
    『悲願へ』p.187
    死 50番
    人間はいつかは死ぬに決まっているのです。要は、どう死ぬのかということに尽きます。 
    『悲願へ』p.188
    死 51番
    (おのれ)が死なねばならぬ時には死ぬ事が真心なのである。そこに真の日本の神が現出するのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.13
    死 52番
    垂直を仰ぐ生き方とは、絶えず「死の跳躍」を覚悟して生きることに尽きる。 
    『「憧れ」の思想』p.27
    死 53番
    人が真に生きるには死者を鎮める事が最も重要な人類の人類たるいわれの文化であると確信します。 
    『見よ銀幕に』p.237
    死 54番
    宇宙とは、死の空間なのだ。その漆黒の空間に我々の存在がある。その存在は、地獄の炎に焼かれながらこの地上に降り立ったのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
  • 宇宙 ―――人生に迷ったら

    宇宙 1番
    自分はこの世の中で、単なるちっぽけな「点」でしかない。
    『生くる』p.346
    宇宙 2番
    音楽を聴けば、私はいつでも自己の精神を宇宙の彼方へと飛翔させることができます。
    『根源へ』p.220
    宇宙 3番
    ともしびとして瞬く憧れが、遠く冷たく見えた。それは、青い涙のように漆黒の宇宙に浮かんでいた。
    『「憧れ」の思想』p.18
    宇宙 4番
    人間は、宇宙の意志である。
    『「憧れ」の思想』p.21
    宇宙 5番
    我々は、宇宙の中心と直結しており、宇宙の申し子なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.30
    宇宙 6番
    我々はロマンティシズムの子孫である。我々は、宇宙を創り上げた力の分流なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.125
    宇宙 7番
    肉体が生きるだけなら、この宇宙に「人間」などは必要ない。
    『「憧れ」の思想』p.246
    宇宙 8番
    文明によって形作られた脳髄を破壊すれば、人間は生命エネルギーのままに思考することになり、生命の生まれ故郷である、宇宙の永遠に向かって放射されていく。
    『おゝポポイ!』p.485
    宇宙 9番
    宇宙というのは混沌であって、その混沌があるから、恒星の光にも意味があるんだ。恒星の光じゃなくて、実は混沌が主人公だ。
    『夏日烈烈』p.20
    宇宙 10番
    宇宙の暗さの中に居なきゃ星の燃焼なんて何の価値もないんだから。
    『夏日烈烈』p.22
    宇宙 11番
    宇宙の本質は混沌であるということがわかっている。
    『夏日烈烈』p.46
    宇宙 12番
    言葉だけじゃなくて生命そのものが宇宙の力つまり沈黙によって支えられ、その中で一瞬の輝きを放っているんだよ。
    『夏日烈烈』p.178
    宇宙 13番
    神もやっぱり自分の存在を認識してくれるものが、宇宙に必要なんだ。そこで、神の存在を認識するために人間というものを創ったということなんだよ。
    『夏日烈烈』p.236
    宇宙 14番
    「火」というのは、ある意味では宇宙の本質であり、生命の本質なんだ。
    『夏日烈烈』p.260
    宇宙 15番
    笛というのは、空気の振動そのものが音波を創っている。その空気の振動が音になる境目に何か宇宙と生命の交錯のようなものを僕は感じるんだよね。
    『夏日烈烈』p.505
    宇宙 16番
    「宇宙動けば我れ動き、我れ動けば宇宙動く」と、私は信じているのだ。
    『生命の理念Ⅰ』p.32
    宇宙 17番
    宇宙に遍満する生命によって、地球上に存在する物質が集められて生命ができたのです。そして、その生命は、生命自信を継続的に発展させるために、宇宙に遍満する生命エネルギーそのものをキャッチしやすい形として作られたと言ってもいいでしょう。
    『生命の理念Ⅰ』p.33
    宇宙 18番
    自己の意志で、宇宙の本質を志向できる存在は、全物質の中で人間のみです。人間以外にこの力があるものはこの宇宙にありません。
    『生命の理念Ⅰ』p.51
    宇宙 19番
    真の祈りは人間の欲の対極にあります。宇宙と自己の同化です。
    『風の彼方へ』p.74
    宇宙 20番
    宇宙があって、生命があるのだ。生命があって、文明はある。神が立って、人間が立てるのだ。人間が立って、文明は初めて立つことができる。
    『憂国の芸術』p.139
    宇宙 21番
    宇宙には「遠心性」と「求心性」、この二つの原理が働いています。遠心は、無限の宇宙の涯てに向かって熱情を放射することです。求心とは、逆に、中心核の一点に向かって熱情が凝縮していく営みと言えるでしょう。つまり、これらが「呼吸」です。
    『憂国の芸術』p.29
    宇宙 22番
    宇宙とは、それ自体が呼吸する生命です。そして、そこから我々の生命が生まれました。だから生命も呼吸なのです。
    『憂国の芸術』p.28
    宇宙 23番
    大空には星がある。昼の空にそれは見えないが、厳としてそれはある。
    『孤高のリアリズム』p.255
    宇宙 24番
    僕は、仕事や商売の細かいことなんて、いままで考えたこともない。基本的に、宇宙、生命、文明のことしか考えていませんね。それに付随して、肉体があり、会社があり、仕事がある。
    『魂の燃焼へ』p.77
    宇宙 25番
    (人類滅亡について)魂レベルで言えば、我々のこの肉体が滅びるだけで、我々をつくった生命エネルギーは宇宙に遍満しているわけだから、また違うものが生み出されると思いますよ。
    『魂の燃焼へ』p.108
    宇宙 26番
    宇宙に遍満している生命エネルギーは「負のエネルギー」であり、「回転エネルギー」です。だからいずれ我々の肉体から出てっちゃうわけです。それが死ぬということ。
    『魂の燃焼へ』p.111
    宇宙 27番
    (我々の生命は)どんなにちょっとだって、壮大な宇宙エネルギーの一部だということを忘れてはならない。だから我々は、そんな壮大なことでもできる。
    『魂の燃焼へ』p.114
    宇宙 28番
    太陽だって、燃えて、燃えて、燃え尽きて、いずれ爆発してなくなる。なくなって星雲になって、次の星ができる材料になるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.115
    宇宙 29番
    自分が一つの小さな星だとしたら、自分がなくなってどういう星の材料になるかを考えるのが人生であり、それを生きがいと呼ぶんです。
    『魂の燃焼へ』p.116
    宇宙 30番
    精神的量子というのは負のエネルギーであり、宇宙に遍満しているわけだから、同調している人に自動的に入ってくる。
    『魂の燃焼へ』p.116
    宇宙 31番
    宇宙空間っていうのは、愛のエネルギーに覆われている。僕は行ったことないけど、宇宙船で行った人が、みんな地球に戻ってくると宗教に帰依するようになりますよね。
    『魂の燃焼へ』p.119
    宇宙 32番
    ああ、宇宙って愛なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.119
    宇宙 33番
    (人が死んだら)最終的には、宇宙空間に出ていくんですよ。でも、しばらくは地球上にいるね。
    『魂の燃焼へ』p.124
    宇宙 34番
    「負」のエネルギーと呼ばれるものは、すべて波動なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.217
    宇宙 35番
    身体がなくなっちゃっても、自分の中に入っている精神エネルギーはなくならない。
    『魂の燃焼へ』p.217
    宇宙 36番
    宇宙の虚空の中にあって、無限の混沌の虚空の中にあって、初めて花火は価値があるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.103
    宇宙 37番
    生は巨大である。それは、宇宙と直結して呼吸する「何ものか」なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.176
    宇宙 38番
    宇宙は、愛の法則によって成立している。 
    『「憧れ」の思想』p.193
    宇宙 39番
    我々の生命は、宇宙の薫風(くんぷう)に乗って立ち上がってきたのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.308
    宇宙 40番
    「絶対負」は、生命の根源的実存であり、宇宙の本質的淵源なんだ。 
    『夏日烈烈』p.22
    宇宙 41番
    我々は、宇宙の中心と直結しており、宇宙の申し子なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.30
    宇宙 42番
    美学というものはすべて宇宙に貫通する順番を表現し、体現したもののことなので、その順番に合わせれば合わせるほど宇宙の本源に近付くことになるのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.186
    宇宙 43番
    我々の肉体が、重力を知ったとき、我々の魂が屹立したのだ。この宇宙空間を知る者こそが、人類を創っている。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    宇宙 44番
    人類とは、宇宙から生まれた生き物に違いない。宇宙の漆黒の悲哀が我々の故郷となっている。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    宇宙 45番
    人間の精神というものは、必ず宇宙に繫がっているのです。だから、鍛えれば鍛えるほど、より確かに宇宙に繫がっていく。 
    『悲願へ』p.40
    宇宙 46番
    不合理なことに苛まれれば苛まれるほど、人間は宇宙に繫がっていく。宇宙に繫がるとは、一言で言えば愛の本質が分かるということなのです。 
    『悲願へ』p.40
    宇宙 47番
    必要なものはどこにあるかというと、宇宙の果ての我々の魂の故郷にあるのです。それは、宇宙の果てにあるのです。その宇宙の果てにあるものを摑まなければならない。 
    『悲願へ』p.53
    宇宙 48番
    崇高を理解するためには、人間は自己の淵源を知らなければならない。宇宙とその生成発展の悲哀である。その万物流転の無常の中から我々は生まれたのだ。 
    『悲願へ』p.154
    宇宙 49番
    「絶対負」というのは、私の思想の根源です。これは宇宙の根源から出発して、すべてのものにその力が作用しており、すべてのものは「内部的な力」そのものに価値があるのだという考え方です。 
    『悲願へ』p.191
    宇宙 50番
    私が言う「絶対負」というのは、宇宙根源の力なのです。つまり、負が上なのです。 
    『悲願へ』p.192
    宇宙 51番
    地球上で我々が正のエネルギーと思っているものの方が、宇宙では特殊だと言えるのです。 
    『悲願へ』p.192
    宇宙 52番
    素直な心ということによって、先ほど言った宇宙の摂理が立ってくるのです。 
    『悲願へ』p.247
    宇宙 53番
    文明というのは、実は自然に生まれたのではなくて、宇宙法則を古代人が地球上に移し替えることによって生まれたと言えます。 
    『現代の考察』p.45
    宇宙 54番
    宇宙は「満たされざる魂」であり、「未出発の弁証法」から成り立っている。宇宙を司る者は、「無出現の思索者」である。それは、この世において同時的に存在する重層的「次元世界」を構成しているに違いない。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.29
    宇宙 55番
    我々は、有限の中に無限を持ち、無限から有限を生み出している。現世の中に、極微の世界と銀河の渦巻く極大の世界が共存しているのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.29
    宇宙 56番
    地球の怒りは、宇宙の怒りに繋がっている。紅蓮のマグマは、サタンに変身した神の化身とも見える。いや、そう見なければ生命の尊厳はわからない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.12
    宇宙 57番
    崩れ去る宇宙の物質の中にあって、我々の生命は「直立」を欲している。それが、生命の掟なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.102
    宇宙 58番
    垂直は自己と宇宙の結び付きであり、無限の発展しかない。 
    『「憧れ」の思想』p.54
    宇宙 59番
    「ともしび」は、自らを志向するものとして宇宙を生み、そこから(したた)ったものが生命だった。 
    『「憧れ」の思想』p.20
    宇宙 60番
    人類とは、宇宙から生まれた生き物に違いない。宇宙の漆黒の悲哀が我々の故郷となっている。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    宇宙 61番
    「般若心経」には心が洗われます。もちろん、それが宇宙と生命の本質だからに決まっています。何の期待も抱かせないということは本当に尊いことだと思います。 
    『風の彼方へ』p.43
    宇宙 62番
    宇宙エネルギーを、我々の生命に血肉化するには、悪魔的な力がいる。 
    『現代の考察』p.416
    宇宙 63番
    我々は宇宙の一部であり、我々の真の住処は宇宙の果ての生命の故郷にあり、それを目指して我々は生きなければならないということなのです。 
    『悲願へ』p.55
  • 幸福 ―――人生に迷ったら

    幸福 1番
    恨みをはらせば、幸福へと導かれる。生きる力の働きに違いない。
    『生くる』目次
    幸福 2番
    幸福は、不幸によってのみ支えられている。不幸が、幸福なのだ。そこに、生命のもつ真実が隠されている。
    『生命の理念Ⅱ』p.3
    幸福 3番
    私の生が、どれほど偉大な永遠の力によって創られたのかを考えるとき、私は本当に幸福を感ずる。
    『友よ』p.288
    幸福 4番
    大いなる大生命の下で、すみっこの方で生かされている幸福を感ずる。
    『友よ』p.291
    幸福 5番
    死生観を与えてもらえる時代が本当はもっとも幸福なときなのです。
    『根源へ』p.20
    幸福 6番
    人間は、崇高の中に真の存在の幸福を感ずる。
    『「憧れ」の思想』p.53
    幸福 7番
    私は、幸福な人間であった。それが、私の弱点であった。
    『「憧れ」の思想』p.143
    幸福 8番
    幸福は実体ではなく、それは我々の「感覚」に過ぎない。
    『「憧れ」の思想』p.147
    幸福 9番
    安易な幸福ほど、自己の生命を殺すものはない。憧れを殺し、愛を殺してしまう。生命は、幸福を求めてはいない。
    『「憧れ」の思想』p.147
    幸福 10番
    いまの時代がきついのは、みなが幸福になろうとしているからです。
    『おゝポポイ!』p.220
    幸福 11番
    本当に幸福なら、死ぬことを厭う人は一人もいません。もし死ぬのが嫌だとしたら、その人は幸福ではないのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.95
    幸福 12番
    二十歳で死んだ人を、若すぎる死だから不幸だというのは、自己中心の傲慢な考え方です。本当に生命を燃焼した人が二十歳で死のうが三十歳で死のうが、寿命の長さは関係なく、幸福な人生だったのです。
    『風の彼方へ』p.133
    幸福 13番
    幸福の追求が自分の生命力を萎めてしまうことに気づかなければなりません。だから極端に言えば、人間は不幸を受容する気がないと生命の幸福は摑めない。
    『風の彼方へ』p.38
    幸福 14番
    自分自身が精一杯生きて、悲痛と苦悩、そして充実と幸福を体感したときに、他人からみて個性的な人になっているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    幸福 15番
    良い面、悪い面が混ざっているから人間は一生苦しむ。苦しみ続けて死ぬのが人間です。それなのに、苦しまないところに行こうとするからどちらもダメで無気力になる。僕はこの苦しまない幸福志向こそが進化論の行き着いた結果だと思っています。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 16番
    人間は絶対に幸福だけにはなれません。なった場合は、幸福も含めて全てのものを捨てたときだけです。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 17番
    希望とか価値観とか夢とか、あらゆるものを捨てなければ、人間は幸福にはなれないのです。
    『風の彼方へ』p.257
    幸福 18番
    幸福を生み出す者は、自らには不幸を課するのだ。だから、不幸を受け入れる者だけが、何事かをなすのだろう。
    『孤高のリアリズム』p.201
    幸福 19番
    幸福になろうとしなかったから、幸福になったのだ。
    『孤高のリアリズム』p.255
    幸福 20番
    「人は幸福になる必要などない」と戸嶋靖昌は言っていた。
    『孤高のリアリズム』p.255
    幸福 21番
    私はね、規律と云ふものが飯よりも好きなんです。人間に真の美しさと荘厳さを与へ真の幸福を創り上げる原動力は規律に生きる生き方の中にあると感じますね。
    『見よ銀幕に』p.16
    幸福 22番
    幸福は不幸を生み、不幸が幸福を築き上げる根源ともなっているように思う。
    『「憧れ」の思想』p.41
    幸福 23番
    小さな幸福を求めるものは、それすら得ることはできません。
    『根源へ』p.255
    幸福 24番
    落ち込み野郎っていうのは頭にくるね。生きていることそのものが、どのくらい幸福なことかわかっていないっていうことだよ。
    『魂の燃焼へ』p.227
    幸福 25番
    僕はこれまで生きてこられただけで、すごく幸福だと思っている。だからいつでも幸福になんかなる気はないと言っているんだ。
    『魂の燃焼へ』p.227
    幸福 26番
    幸福にだけなりたい人、そして成功だけを望む人には、出会いという生命の哲理は永遠にわかりません。
    『根源へ』p.404
    幸福 27番
    幸福を求める人間は、幸福を得ることができない。
    『根源へ』p.406
    幸福 28番
    不条理の中に人生を投げ込むことができれば、いかに不幸に見える人生を送っても、最後には幸福を感ずることができるということです。
    『根源へ』p.406
    幸福 29番
    不条理こそが本当の幸福を生み出す。
    『根源へ』p.406
    幸福 30番
    悲しみがあるから喜びがある。不幸があるから幸福がある。
    『根源へ』p.461
    幸福 31番
    幸福になりたいとのみ願っている者は絶対に幸福になれません。
    『根源へ』p.461
    幸福 32番
    不幸になりたいと考えている方が、幸福になれる可能性がある。
    『根源へ』p.461
    幸福 33番
    不幸を嘆く必要などまったくないのです。不幸は幸福と何ら変わりません。
    『根源へ』p.461
    幸福 34番
    不幸は幸福の原因となり、悲劇はあらゆる人間性の練磨の原因となっているのです。
    『根源へ』p.465
    幸福 35番
    (答えが)わからないから、我々は生きることができる。その幸福を知らなければならないんだ。
    『夏日烈烈』p.105
    幸福 36番
    幸福は不幸によってのみ支えられている。 
    『生命の理念Ⅰ』p.3
    幸福 37番
    いつも人を恨んで不幸のどん底にいた人が、自己の生き方や生活態度を改めているうちに、ある日突然、自分には種々の幸福がすでに与えられていたと見えてくるときがある。それを運勢変換と呼ぶのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.74
    幸福 38番
    ただ一つ言えることは不幸の中から生まれ出づる価値も沢山あるのだと知ることであろう。 
    『見よ銀幕に』p.589
    幸福 39番
    幸と不幸は複雑に交錯(こうさく)し、ときに出会いまたときには離れ離れとなって我々の人生を包み込んでいる。 
    『見よ銀幕に』p.638
    幸福 40番
    真の幸福とは、憧れに向けて自己の生命をすべて燃焼することに尽きる。 
    『「憧れ」の思想』p.198
    幸福 41番
    不合理なことにぶつかっていくと、心は幸福になりますよ。もともと、幸福は結果論なんですよ。 
    『悲願へ』p.106
    幸福 42番
    その足元にある当たり前と思われる幸福を大切に思い(はぐく)(いつく)しむことが人間の人生にとって最も重要なことなのだ。 
    『平成16年度 年末の辞』
    幸福 43番
    我々の時代を(おお)う消費文明とは神と道徳を失った人間が、それに替わるものとして追求しだした代替の人生の幸福論なのです。 
    『見よ銀幕に』p.451
    幸福 44番
    健全な人間関係と健全な肉体の中に神仏から与えられた全ての幸福があるのだ。 
    『平成16年度 年末の辞』
    幸福 45番
    今の人って、不幸が大嫌いじゃない。不幸が大嫌いだと、たぶん動物化していくよ。動物に不幸はないからね。 
    『夏日烈烈』p.269
    幸福 46番
    天命に生き天寿に死すということが独立自尊の人間の最大の幸福であり、また最大の誇りなのである。 
    『平成18年度 年末の辞』
    幸福 47番
    弱さとは環境が整わなければ自己の幸福を見い出せない性格にある。 
    『見よ銀幕に』p.306
    幸福 48番
    自分自身の幸福だけを追求するエゴイストは決して幸福にはなれません。 
    『見よ銀幕に』p.558
    幸福 49番
    忠義に生きる人間にして初めて愛というものを育て上げることができるのだ。真の愛情とは本当の忠義から生まれ出づる幸福なのだと私は深く感ずる。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.3
    幸福 50番
    自分の背後には、いつでも鉄仮面を覆った者がいる。そして、その者と自分との間に、「幸福」と「不幸」が行き来しているのだ。もしかしたら、「生」と「死」もそうかもしれない。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.14
    幸福 51番
    幸福を考える場合に一番気をつけなければいけないのは、幸福は自己を離れた概念だということなのです。 
    『悲願へ』p.59
    幸福 52番
    自分が幸福になりたい人間は、すべてエゴイストなのです。 
    『悲願へ』p.60
    幸福 53番
    自分が愛するものに幸福になってもらいたいと願う心が、宗教を生み文化を創り上げた。 
    『悲願へ』p.60
    幸福 54番
    他者の幸福を築くために自己は犠牲になるのが、人間の正しい本当の命の活かし方なのです。 
    『悲願へ』p.60
    幸福 55番
    自分の幸福を思えば、それはエゴイズムだと再認識しなければなりません。自分が幸福になりたいと思ったら、即そのままエゴイズムに陥るのです。 
    『悲願へ』p.60
    幸福 56番
    幸福を他者に与える場合は結果として、必ず自分は犠牲にならなければならない。この自己犠牲が愛の本質なのです。 
    『悲願へ』p.61
    幸福 57番
    不幸の中の喜び、不幸の中の活路、不幸の中の生き甲斐というものを見出せる人にならないと駄目だと思う。 
    『悲願へ』p.65
    幸福 58番
    平和も幸福もすべて人に与えるもので、繁栄と平和と幸福を他人に与えようと思う人は、自分は不幸を顧みないということになるのです。 
    『悲願へ』p.65
    幸福 59番
    幸福になりたかったら、必ず人間は保身に走る。 
    『悲願へ』p.66
    幸福 60番
    不幸になってもいいと思うと、反骨精神も出てくるし、色々なものに挑戦する気概も出てくる。 
    『悲願へ』p.66
    幸福 61番
    松下幸之助の言う平和や幸福というのは、それが唱えられたときには、「祈り」だったということに気がつかなければ駄目なのです。 
    『悲願へ』p.68
    幸福 62番
    豊かになったら次は貧しくならないと幸福はない。貧しくなってきたら、また豊かに向かわないと幸福はない。 
    『悲願へ』p.78
    幸福 63番
    幸福という状態はいつでも動いていて形はないということです。幸福という状態があると思っているから、今の日本人が皆、傲慢で怠惰になってしまった。 
    『悲願へ』p.78
    幸福 64番
    今の若者には不幸を教えた方がいい。不幸を教えると真の幸福になれる。 
    『悲願へ』p.88
    幸福 65番
    自分が好かれたいというのも幸福思想なのです。私は嫌われることは何とも思っていないので、何でも言えるし、何でも書ける。それは不幸でいいからです。 
    『悲願へ』p.88
    幸福 66番
    もう幸福を追求することが皆の中で、当たり前になってしまっているのだよ。だから、あえて不幸になろうとするぐらいじゃないと中和できないということだ。 
    『悲願へ』p.105
    幸福 67番
    私は、これからどうやったら不幸になれるのかと本当に考えているのです。でも私は、結構自己の思想が確立しているから、何をやっても幸福になってしまうんだ。 
    『悲願へ』p.106
    幸福 68番
    不合理なことにぶつかっていくと、心は幸福になりますよ。 
    『悲願へ』p.106
    幸福 69番
    不幸とか幸福は形があるものだと思ったら、間違うということです。 
    『悲願へ』p.107
    幸福 70番
    不幸とか幸福というのは、基本的には心の問題で、形がないんだ。だから、その人が不幸だと思えば不幸、幸福だと思えば幸福なんだ。 
    『悲願へ』p.142
    幸福 71番
    平和も幸福も何も、実際価値にはならないということなんだ。 
    『悲願へ』p.144
    幸福 72番
    国家そのものが楽しさとか幸福とか、そんなものばかり求めている。だから、自分の幸福だけを求める小さな人間ばかりになってしまったと思っています。 
    『悲願へ』p.161
    幸福 73番
    幸福と不幸も混ざり合っている。正と邪もそうで、絶対に正しいこともないし、絶対に悪い(よこしま)なこともない。柔と剛、軟らかいものは硬いものを含み、硬いものは軟らかいものから成り立っている。 
    ―『悲願へ』p.180
    幸福 74番
    自分が幸福になりたい人間は、絶対に幸福は手に入らない。 
    『悲願へ』p.218
    幸福 75番
    幸せな人は燃焼していない。幸福だなどと思われている人は、すべて駄目だと思った方がいい。 
    『悲願へ』p.227
    幸福 76番
    何がなんでも、幸福にはならないと思っていますよ。幸福になったら、男の価値が下がると思っています。 
    『悲願へ』p.232
    幸福 77番
    幸福というのは自分に適用した瞬間に、全く当たり前なのですが、単なるエゴイズムになってしまう。 
    『悲願へ』p.236
    幸福 78番
    幸福というのはもともと愛する人とか、愛する会社とか、愛する国とか、そういうものに対して持つ概念なんです。 
    『悲願へ』p.236
    幸福 79番
    あの人は幸福な人生を送ったという人の話がありますが、そういう人の人生というのは、本で客観的に読んできましたが、実際には全部が不幸です。 
    『悲願へ』p.236
    幸福 80番
    優れた人というのは、皆、他人の幸福が自分の幸福なのです。 
    『悲願へ』p.260
    幸福 81番
    我々の真の幸福は、文明社会の一員として自己の生命を文明そのものに捧げ尽くすことにある。 
    『現代の考察』p.15
    幸福 82番
    現代を生きていく上での方法論ですが、私がここ五十年、六十年に亘り常に考えてきたのは、とにかく自分が幸福になろうとする考え方を捨てない限り、決して命懸け、つまり体当たりの生き方はできないということなのです。 
    『現代の考察』p.26
    幸福 83番
    現代人は皆、幸福という麻薬に毒されていると思った方がいい。幸福というと聞こえはいいですが、実はそれはエゴイズムのことなのです。 
    『現代の考察』p.26
    幸福 84番
    これが幸福だという形はない。幸福だと感ずる、認識すれば、幸福だという概念のことなのです。 
    『現代の考察』p.26
    幸福 85番
    『青い鳥』が示す通り、もともと幸福というのは死ぬ日まで足下にあるということです。命をもって、自分が生きているなら、誰でも幸福は足下に必ずあるのです。 
    『現代の考察』p.26
    幸福 86番
    幸福に気づかない人には幸福はないのです。 
    『現代の考察』p.27
    幸福 87番
    自分の愛する人がどうすれば幸福になるのか、自分が勤めている会社がどうすれば幸福を得られるのか、こういうことを考えるのが人間の正しい存在だということです。 
    『現代の考察』p.27
    幸福 88番
    幸福と成功を願うほど、自分を弱くみじめにする考え方はありません。 
    『現代の考察』p.46
    幸福 89番
    幸福追求者というのは、文明の中に甘んじようとしているのです。つまり、文明に自己の生命が負けたということです。そうして甘んじていると魂も腐っていきます。 
    『現代の考察』p.53
    幸福 90番
    すべての間違いは幸福になりたいことから起きるんです。 
    『現代の考察』p.75
    幸福 91番
    菌食は食文化として我々を幸福へ導く神勅としての文化であるのだ。 
    『平成15年度 年末の辞』
    幸福 92番
    天命に生き天寿に死すという事が独立自尊の人間の最大の幸福であり、また最大の誇りなのである。 
    『平成18年度 年末の辞』
    幸福 93番
    尽々と感ずるのは、人間というものは、いつの時代も他者の役にたち、他者の幸福を見て己の幸福を感ずる生物なのであるという事である。その為に必要な人間の素質は真心と創意工夫の努力だけなのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.8
  • 友情 ―――人生に迷ったら

    友情 1番
    別れることが念頭にない人間関係は、嘘の関係である。別れを感ずるからこそ、人は友情や愛情を本当に大切にするのだ。
    『友よ』p.11
    友情 2番
    自我を乗り越えた戦友愛は、本当の高貴性を人の魂に与える。
    『友よ』p.11
    友情 3番
    人間は偶然に出会うのではない。出会うべくして出会っているのだ。
    『友よ』p.12
    友情 4番
    自分が使命を果たさなければ、戦友は死ぬ。戦友がしくじれば、自分も死ぬ。大使命に自己を投げ出している戦友との絆は、何とすばらしいものか。
    『友よ』p.13
    友情 5番
    本当に西郷隆盛は不思議としか言えない。こんなに恐い人を私は知らない。こんなに優しい人を私は知らない。こんなに勇気を与えてくれる人を私は知らない。いつも身近にいてくれるのに、決して手のとどかない彼方にいる。
    『友よ』p.138
    友情 6番
    本当に相手の人物を立てているときの問いとは、そのまま答えでもある。
    『友よ』p.229
    友情 7番
    偉大な永遠の活動の中で、私と生のときと場所を共有する人々は、本当に凄い結びつきがあるのだと実感できる。
    『友よ』p.288
    友情 8番
    我々人間は、燃え熾る生の悲哀を知るがゆえに、一人では生きられない生き物なのだ。
    『友よ』p.289
    友情 9番
    火である心が、他の火である心と共感し合わなければ生きられない。
    『友よ』p.289
    友情 10番
    ともに燃え、ともに燃え尽きることこそが人生の最大の幸福なのであろう。
    『友よ』p.289
    友情 11番
    我々は一人では生きられないのだ。ともに生きる者がいて、初めて我々人間は真に生きられる。
    『友よ』p.289
    友情 12番
    我々人間の独自性は、実は他との共存の中にあって初めて生きてくるのだ。
    『友よ』p.290
    友情 13番
    リルケは、四十年以上にわたって我が親友であった。これからも、私の肉体に死が訪れるまでそうであろう。
    『友よ』p.307
    友情 14番
    苦痛が真の友となっている。友であれば一心同体である。
    『友よ』p.313
    友情 15番
    我は今、焔と化していくのだ。焔もまた、我であろう。
    『友よ』p.313
    友情 16番
    ただ祝福されていることを自ら実感すれば、この世の中のでき事も、存在する物も、また自己が出会ったすべての人々も、みな本当に美しいものであったとわかるのだ。
    『友よ』p.333
    友情 17番
    この雲の心こそが、我々の心に歌を思い起こさせ、また歌を吹き込む。雲はいい。雲こそが永遠の友である。
    『友よ』p.351
    友情 18番
    ヘッセよ安らかに眠れ。悪漢政よ穏やかに眠れ。また会う日まで。静かに眠れ。雲の如くに。
    『友よ』p.351
    友情 19番
    自由を守り、愛を断行し、友情を紡ぎ出す勇気がある。
    『友よ』p.403
    友情 20番
    人生は無常だから、すべてに対する心がけは一期一会となる。出会いは、別れるためにある。毎日会っている人とも、いつかは離かれる。
    『友よ』p.404
    友情 21番
    本当に重大な決断で命がけの決断は、人間は自分一人では決してできない。
    『友よ』p.406
    友情 22番
    重大な決断は必ず、恩や友情、愛や信義に基づいている。
    『友よ』p.406
    友情 23番
    真の明治の友情とは、お互いに考え続け悩み続ける間柄のことであり、決して慰めあいではなかった。
    『友よ』p.427
    友情 24番
    友情すら乗り越えて、真に不可解なことに挑戦しなければならない。
    『友よ』p.427
    友情 25番
    すさのをの孤独は周りから愛されている。愛されているから、徹底した孤独の中に生きることができる。
    『友よ』p.436
    友情 26番
    私は、自分が生ききるために文学を友としてきた。
    『友よ』p.452
    友情 27番
    詩のゆえに、多くの友と交わり、また多くの者との別れを体験した。
    『友よ』p.452
    友情 28番
    人間は戦いをともにして絆が深まるんだ。苦労とか辛酸とかね。一緒に苦労した関係にしか真の人間関係は生まれないよ。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 29番
    戦争は多くの犠牲者を生むことも確かだけど、また多くの助け合いや友情や強い愛を生み出してきたことも確かなんだ。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 30番
    戦友はやはり人間関係とか友情の原型だよ。
    『夏日烈烈』p.170
    友情 31番
    日本に生まれた喜びを自分の中に育めば、共感する人もできるんだ。それが友情を育み、仲間を生み、となっていくわけだよ。
    『夏日烈烈』p.296
    友情 32番
    いじめが良いとは言いませんが、人生は嫌なことに耐えてはじめて喜びが生まれるわけで、嫌なことがなければ喜びもありません。だから、いじめるような人間もいるから、本当に心を通わせる友もできるのです。
    『風の彼方へ』p.56
    友情 33番
    愛情や友情や、互いの献身によって結ばれた人たちは、生命エネルギーの共振によってエネルギーを高め合うことができます。しかし一方で、共振に加わらない人々のエネルギーを減衰させているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.86
    友情 34番
    愛情も友情も信頼もその本質を支える柱は規律なんですよ。
    『見よ銀幕に』p. 16
    友情 35番
    (モンテーニュとラ・ボエジーの友情について)どうして、君たちはそんなに心が通じ合えるのかと他者に問われたのです。そのときの答えです。「それは彼であったから、それは私であったから」。
    『根源へ』p.408
    友情 36番
    友情とは共通の夢を有する者の間に生じる。 
    『見よ銀幕に』p.296
    友情 37番
    夢を持ち友情を大切にする者にとって困難はその者の魂を磨く(かて)となるのである。 
    『見よ銀幕に』p.432
    友情 38番
    友情は綺麗事(きれいごと)では手に入らないのだ。心の深くに共通の大義(たいぎ)を持ち本音でぶつかり合い、その反目を越えるところにあるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.485
    友情 39番
    本当の友情とは仲が良いことでは無く義務を通して共通の思い出を創った結果生ずるものである。 
    『見よ銀幕に』p.604
    友情 40番
    友情とは一人では生きれない我々人間の役割分担である。(おのれ)の役割に生きて初めて違う役割に生きる者と友情が創られる。 
    『見よ銀幕に』p.296
    友情 41番
    本来の友情とは、友情らしきものを育くんでいくその過程と結末にその本質がある。全く考え方と境遇そして血の違う人間達が、それらに基づく汚泥を飲み干しつつ、また吐き出しつつ、人生をともに歩んでいる実感を共有しているところに友情の本質がある。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.9
    友情 42番
    友情とは仲が良いことを言うのではない。仲が良いだけなどと言うのは軽薄な関係である。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.9
    友情 43番
    もっと汚いものを見詰め合って、もっと大切なものを見詰め合って、そして苦しみ、そしてともに生きる。ともに生きたくないと思ってともに生きる。そこに友情が育くまれるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.9
    友情 44番
    性別も年齢もすべてを乗り越えて、人と人が真に交感したとき、そこには友情が生まれ、その友情が、永遠の(いのち)を創り上げていくのではないか。 
    『友よ』p.29
  • 読書 ―――人生に迷ったら

    読書 1番
    読書とは、歴史と自己が織りなす、血と魂の触れ合いである。
    『生くる』p.19
    読書 2番
    古来、書籍は先人たちの血と汗の結晶であった。
    『生くる』p.21
    読書 3番
    つねに謙虚なる気持で良書に触れないと、何も対話できない破目になる。相手は口を利かないのだ。
    『生くる』p.22
    読書 4番
    魂の対話なき読書は読書ではない。
    『生くる』p.23
    読書 5番
    良書を読むと、時代にふりまわされない存在としての自己確立が進んでくる。そして何よりも、過去の偉大な人々と触れることにより、人間の持つ価値に目覚める。
    『生くる』p.25
    読書 6番
    どんな本でもそうだけど、一行でも感動したらその本は読んだ価値があるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.31
    読書 7番
    一冊の本というのは、一つの神秘なんだよ。紙じゃないんだ。
    『魂の燃焼へ』p.135
    読書 8番
    ゲーテを知らぬ者はこの世にいないであろう。そしてまた、ゲーテを真に知る者もこの世には多分いまい。
    『友よ』p.103
    読書 9番
    私にとって、人間として生きるために必要な事柄は、すべて『葉隠』の中にあった。
    『「憧れ」の思想』p.40
    読書 10番
    書物を通して、私は多くの「焦がれうつ魂」と遭遇した。それらの魂がもつ、忍ぶ恋に涙を流し、私もまたそれに続かんと欲してきた。
    『「憧れ」の思想』p.41
    読書 11番
    非現実の中から現実を見出す安部公房の秀れた寓意に、私はまさに現実から目をそらすことで現実の理解を深める「現実的人間」を感ずる。
    『「憧れ」の思想』p.61
    読書 12番
    「きれい事」の書かれた本は、何冊読んでも何もならない。自己の中に、より多くの「きれい事」が積み上がっていくだけである。
    『「憧れ」の思想』p.223
    読書 13番
    人間の本当の食料は、書物である。
    『「憧れ」の思想』p.244
    読書 14番
    字を読むことは、読書ではない。読書は、書物の中に鎮もれる魂と自己との共感なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.244
    読書 15番
    私が、憧れに向かう人生に船出できたのは、書物の力だけに与かっている。
    『「憧れ」の思想』p.247
    読書 16番
    秀れた書物に込められているのは、人間をその淵源に向かって解き放つ、遥か遠くに向けられた願いと言えるだろう。
    『「憧れ」の思想』p.250
    読書 17番
    本は死ぬために読むのだ。
    『「憧れ」の思想』p.256
    読書 18番
    真の読書をしたいのであれば、役に立たないものを読んでいくのだという覚悟をもって、書物に臨んでいかなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.272
    読書 19番
    シェークスピアは荘重な訳が僕は好きだね。最近の軽い口語のは好まない。シェークスピアはやはり「偉大性」を感ずる訳がいい。
    『夏日烈烈』p.222
    読書 20番
    疑い深い人は、どんな本でも疑ってるよ。それでいて、インチキ本に却ってひっかかる。それはね、インチキ本は、他者が絶対に信じるように書いてあるからなんだ。
    『夏日烈烈』p.360
    読書 21番
    ただ一つ今の時代のいいところは、書物がこれほど簡単に手に入る時代はない、ということだ。
    『夏日烈烈』p.478
    読書 22番
    だいたいにおいて、期待などというものは浅いんです。そんなものは単なる欲望に決まっています。本も読者に期待させる本は内容の浅い本です、中身が凄い本は、哲学であれ、文学であれ、みんな否定です。
    『風の彼方へ』p.43
    読書 23番
    本は難しいまま読むのがいちばん早く理解できるんです。
    『風の彼方へ』p.152
    読書 24番
    出版社の罪ですね。僕は出版社の人間に会うと必ず言いますが、テレビと競っているから本をダメにしてしまっているんですよ。
    『風の彼方へ』p.152
    読書 25番
    わからないものを読むから、そのうちわかるようになるんです。
    『魂の燃焼へ』p.29
    読書 26番
    自己に対する問題提起、疑問、それから人生でどんなことに体当たりすればいいのか、何を考えればいいのか。その材料を過去の偉大な人たちからもらうのが読書だってことに尽きるんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.35
    読書 27番
    答えというのは、自分の人生においての実践の中から見出すものなんですよ。答えは本には載っていない。答えを本の中に見つけようとしちゃだめなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.36
    読書 28番
    古典と呼ばれる良書には、どれをとってもその著者たちの魂と真心が貫通している。それを感ずることが読書なのだ。
    『生くる』p.21
    読書 29番
    読書人は確固たる自己、すなわち孤独なる自己を育成することにより、人生の価値を豊かならしめてきた。
    『生くる』p.21
    読書 30番
    書物は口を利けないのだ。そして、この魂の対話なき読書は読書ではない。
    『生くる』p.23
    読書 31番
    礼を重んずる心によって、初めて過去の書物の価値が自己の中に投影される。
    『生くる』p.23
    読書 32番
    自分自身が讃嘆できる良書を読めば、自己の精神は躍動を始める。
    『生くる』p.24
    読書 33番
    僕は、小学生のときから古典を読んでいたけど、なぜ読めたかというと、内容をわかろうとしなかったからなんだ。
    『魂の燃焼へ』p.29
    読書 34番
    本はわかろうとしちゃだめです。共振し、共感するのが読書なんだ。
    『魂の燃焼へ』p.29
    読書 35番
    どんな難しい本でも、何かを問われているんだと思えば、簡単に読めるんです。
    『魂の燃焼へ』p.37
    読書 36番
    乃木希典は、人生そのものが「読書」だった。つまり、真の教養人です。
    『魂の燃焼へ』p.40
    読書 37番
    書物だけが、憧れを放射してくれるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.243
    読書 38番
    字を読むことは、読書ではない。読書は、書物の中に(しず)もれる魂と自己との共感なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.244
    読書 39番
    書物がなければ、私はただ一きれの肉片に過ぎなかった。 
    『「憧れ」の思想』p.247
    読書 40番
    自己の生命の本質と、その宇宙的意味を考えることを憧れに向かう読書と呼ぶ。 
    『「憧れ」の思想』p.252
    読書 41番
    読書とは死を学ぶためにある。 
    『「憧れ」の思想』p.254
    読書 42番
    読書は、自分の命をどうやって捨てるかを考えるために行なうのである。 
    『「憧れ」の思想』p.256
    読書 43番
    秀れた書物は、その一冊一冊が墓碑銘なのだ。命がけで読むのが当然だとわかるに違いない。 
    『「憧れ」の思想』p.257
    読書 44番
    読書については、わかろうとしたら全部駄目。読めば読むほど駄目になってしまうよ。 
    『夏日烈烈』p.35
    読書 45番
    僕が埴谷雄高を好きな理由は、未完のわからないものに挑戦しているから好きなんだ。 
    『夏日烈烈』p.108
    読書 46番
    埴谷雄高の文学は大きいんだよ。だから、飽きないよね。男らしくて、勇気がある。 
    『夏日烈烈』p.108
    読書 47番
    文学とは、人間が生き方を模索し苦悩する時代に必要とされたものなんだ。 
    『夏日烈烈』p.373
    読書 48番
    文学の基本はね。今我々がやっているような「語り合い」なんだ。 
    『夏日烈烈』p.373
    読書 49番
    本を読むとは、実は自分の人間性との対決ということも言えるんだよ。 
    『夏日烈烈』p.360
    読書 50番
    『根源へ』は、「お前ら読書の中に死ね」くらいの気で書いている。僕自身も読書に命を懸けてきたから、読書して死ぬのが人間の道だということを書いているわけだよ。
    『夏日烈烈』p.287
    読書 51番
    (読書は)自己の生命が、燃焼を果たしていくための唯一の武器となる。 
    『「憧れ」の思想』p.268
    読書 52番
    読書だって、健康には悪いよ。そもそも文明って、健康に悪いことをすることを言うんだよ。 
    『夏日烈烈』p.258
    読書 53番
    私は常々、「本は星である」と言っている。 
    『「憧れ」の思想』p.249
    読書 54番
    読書の真の意味は、基本的に精神と情感の食べ物を毎日食べるために行なっていると思えばいいのです。 
    『現代の考察』p.175
    読書 55番
    優れた人が苦しんだ意見だから価値がある。そしてそれは本でなければ駄目なのです。 
    『現代の考察』p.251
    読書 56番
    本を読んでも、神にお伺いを立てても、自分に都合よく解釈してしまうだけなら、何にもなりません。 
    『生命の理念Ⅰ』p.95
    読書 57番
    人間だけが、不幸に耐え、それを生きる力に変換することが出来る。不幸に弱い人間は、読書が足りないのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.251
    読書 58番
    自己の中に、沈黙を創るために読書というものはある。 
    『「憧れ」の思想』p.270
    読書 59番
    特にリアリズムがその人の生命燃焼を支えていたと思うのが趙州(じょうしゅう)です。僕はこの人を死ぬほど好きです。唐末の中国の偉大な禅僧で、『趙州録』は僕の愛読書です。 
    『風の彼方へ』p.140
    読書 60番
    私は文学作品を読むときには、呪物や供物として読んでいる。本の中に神が棲んでいる、活字の中に棲んでいる、行の中に棲んでいると思いながら読んでいる。 
    『現代の考察』P.438
    読書 61番
    本は人類の石碑であり、遺産つまりストーンヘンジや何かと一緒です。 
    『現代の考察』P.439
  • 武士道 ―――人生に迷ったら

    武士道 1番
    武士が何故に武士かと言えば、それは己の意志で死ぬからである。
    『生くる』p.99
    武士道 2番
    日本文化と呼ばれるものの、すべてを貫く唯一の価値は、武士道しかない。
    『生くる』p.117
    武士道 3番
    武士道は、恩のために己を使い尽くして燃え尽き、最期は木端微塵になるという思想です。
    『根源へ』p.264
    武士道 4番
    武士道とは、歴史の精神である。日本人が、その涙の中から生み出したものである。
    『「憧れ」の思想』p.62
    武士道 5番
    武士道に支えられ、私は砂漠を歩いてきた。それどころか、武士道の精神を抱き締めた私の目には、砂漠が美しいものに映ってきたのである。
    『「憧れ」の思想』p.206
    武士道 6番
    多分、未完のままに死ぬのだろう。しかし、武士道の精神は、それでよいのだと私に囁き続けてくれるに違いない。
    『「憧れ」の思想』p.209
    武士道 7番
    西郷が負けたことにより、武士道が死んだのです。
    『おゝポポイ!』p.462
    武士道 8番
    我々が今、天皇崇拝だと思っているものは実は武士道なのです。
    『生命の理念Ⅱ』p.80
    武士道 9番
    私は武士道の精神だけで生きてきた。それだけで、今までやってきたのだ。それ以外には、何もない。
    『風の彼方へ』p.9
    武士道 10番
    神武天皇の即位は一つの日本的武士道の完成と見ているんです。
    『風の彼方へ』p.31
    武士道 11番
    神武天皇と大伴氏や物部氏の人々が、日本という国の根幹を「尚武の精神」を貫く民族集団にしたいと思った。それが日本の武士道の精神の源流です。
    『風の彼方へ』p.32
    武士道 12番
    僕は小学生のときに『葉隠』を読んで武士道が大好きになって、武士道の生き方を貫いてきたつもりなのですが、武士道とは痩せ我慢とダンディズムだとつくづくと思います。
    『風の彼方へ』p.38
    武士道 13番
    この世のことは、全てが理屈だと僕は思います。それを乗り越えるものが僕は禅と武士道の精神だと思っているんです。
    『風の彼方へ』p.83
    武士道 14番
    自分が不幸を受け入れる覚悟を持てば、自分以外のもっと大きい生命が躍動するという、そういう働きが武士道にも禅にもあるような気がします。
    『風の彼方へ』p.38
    武士道 15番
    武士道でもいちばん大切なのが反骨精神です。それを僕は「無頼の精神」と名づけているんです。
    『風の彼方へ』p.163
    武士道 16番
    僕は、武士道の中心にある思想は「瘦せ我慢の哲学」だと思っています。痛くても痛くないと言う。お腹が空いていても「武士は食わねど高楊枝」ではないですが、腹一杯の顔をして知らんぷりをしている。
    『風の彼方へ』p.164
    武士道 17番
    三島由紀夫も死ぬために生きていました。これが武士道思想であり、死ぬために生きるのが人生であり、生命の本質だと三島由紀夫は言いたかったのだと思います。
    『風の彼方へ』p.206
    武士道 18番
    髙橋泥舟の蛇行は、真の武士にしか書けぬものである。
    『憂国の芸術』p.128
    武士道 19番
    さむらいの書は、「夜の精神」によって潤い、そして満たされている。
    『憂国の芸術』p.129
    武士道 20番
    戦う者の書には、独特の柔軟がある。……「直」であって「曲」の極点を極めているのである。
    『憂国の芸術』p.130
    武士道 21番
    武士は、絶えず自己に還ることによって、そこから彼岸に向かって飛翔する存在である。
    『憂国の芸術』p.130
    武士道 22番
    戦う者は、殺す悲しみに生きる。それが、武士の書を形創っている。
    『憂国の芸術』p.131
    武士道 23番
    乃木希典は、孤高の血を生き抜いた。つまり、真の武士であったのだ。己れの血で己れの生き方を貫いた。
    『憂国の芸術』p.132
    武士道 24番
    伊東祐亨の書には、青春がある。さむらいが、明治を見上げているのだ。
    『憂国の芸術』p.135
    武士道 25番
    一人の男の素裸の真心が生み出す真の「祈り」としての武士道的慈愛の魂です。その墨が、紙幅をなめて見る者の生命の中に突入してくるのです。そのような迫力が白隠にはある。
    『憂国の芸術』p.43
    武士道 26番
    日本文化の背骨は、一言(いちげん)にして断ずれば、「武士道」ただひとつである。
    『生くる』p.117
    武士道 27番
    日本は、武士道のほかには何も価値のあるものを生み出すことはなかった。
    『生くる』p.117
    武士道 28番
    誠のためには命を投げ出し、いかなる争いをも戦い抜くその覚悟が、日本精神の源流をかたちづくり、武士道の淵源となった。
    『生くる』p.117
    武士道 29番
    武士道とは、恩のゆえにいつでも戦い、いつでも命を投げ出す、「尚武(しょうぶ)の精神」を言う。
    『生くる』p.118
    武士道 30番
    日本においては、すべての背骨が武となっている。
    『生くる』p.119
    武士道 31番
    武の精神とは、目的のためには死をも厭わぬ、その考え方にある。
    『生くる』p.117
    武士道 32番
    日本人は古来、学者や芸術家にも武士道を求めている。
    『生くる』p.119
    武士道 33番
    日本文化はすべて、武士道精神を求めている。
    『生くる』p.119
    武士道 34番
    武士道の心が貫かれている限りは、日本人はいつまでも日本人らしくあり続ける。
    『生くる』p.120
    武士道 35番
    武士道を重んじていた時代には、みごとな死が多かった。
    『根源へ』p.97
    武士道 36番
    私の中の武士道が、ウナムーノを求めていた。 
    『情熱の哲学』p.271
    武士道 37番
    志の代表例であった武士道は、その理想を主君の馬前で討死するという一事に絞っていた。 
    『生くる』p.256
    武士道 38番
    真の武士道は自己の魂の中で本当に成熟してきた真の正義がなくして成し得ぬものである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.16
    武士道 39番
    武士道によって生きる生き方は、また「常を養ふ」つまり「養常」の生き方によってしか維持発展させ得ぬことも確信した。 
    『平成15年度 年末の辞』
    武士道 40番
    武士道とは、不合理に身心を捧げる清冽な生き方そのものである。 
    『「憧れ」の思想』p.122
    武士道 41番
    私は『葉隠』を読み、これが自己の全生涯の出発点を創った。それ以後、私はその武士道を噛み締めながら自己を形成してきたのだ。その「悲痛」を分かち合える人物こそが、埴谷雄高に他ならない。
    『見よ銀幕に』追補7 p.2
    武士道 42番
    武士道には空前にして絶後の能動の美がある。武士が何故に武士かと言えば、それは己の意志で死ぬからである。自分で自分の腹を斬るからである。 
    『生くる』p.99
    武士道 43番
    無頼の精神は、武士道精神の中で一番重要なものだと思っているので、私はいつでも本に書いているのです。 
    『悲願へ』p.69
    武士道 44番
    私は体当たりしか出来ない。それが正しいなんて言ってはいません。正しかろうが間違っていようが、死ぬまで武士道の思想に基づく体当たりをして死んでいくという話をしているだけだ。 
    『悲願へ』p.120
    武士道 45番
    日本では諸行無常や物心一如は武士道精神に昇華され、その精神の中から、日本的経営哲学の理想の一つである石門心学の思想を生み出していったのです。 
    『悲願へ』p.167
    武士道 46番
    私は武士道が大好きなのですが、武士道を愛の根源的な文化だと思っています。 
    『悲願へ』p.187
    武士道 47番
    武士道に邁進して生きると、愛が肚に落ちてくる。 
    『悲願へ』p.187
    武士道 48番
    私は、日本の武士道の中に、人間の崇高性から(したた)る涙を見出して生きてきた。それを、自己の魂に刻み付けながら生きてきたと思っている。 
    『現代の考察』p.14
    武士道 49番
    すべての思想が、武士道に収斂(しゅうれん)されていく過程こそが私の人生だった。 
    『現代の考察』p.14
    武士道 50番
    武士道とは、人間が人間であろうとする魂の雄叫(おたけ)びである。 
    『現代の考察』p.14
    武士道 51番
    武士道は、民族の魂が具現化した日本文化の中枢なのだ。 
    『現代の考察』p.14
    武士道 52番
    「運命への愛」という考え方に、現代人が武士道を行なうための根源思想があるだろう。 
    『現代の考察』p.15
    武士道 53番
    自分に与えられた運命こそが、自己の武士道の根幹を作り上げるのである。 
    『現代の考察』p.15
    武士道 54番
    義を貫くための文明的叡智が武士道なのである。 
    『現代の考察』p.15
    武士道 55番
    武士道によって、私は本当にやりがいのある仕事を、この世で仕上げてきたと思っている。 
    『現代の考察』p.15
    武士道 56番
    武士道とは、道徳を破る力である。文明に対して、生命の一撃を食らわせるものなのだ。 
    『現代の考察』p.16
    武士道 57番
    文明に敗けた者は、幸福だけを求めて生きる。我々は、そうならぬために武士道を学ばなければならない。 
    『現代の考察』p.16
    武士道 58番
    我々は、武士道に基づく新しい死生観を持たなければならない。運命を味わい、不合理を楽しむ。そして文明や自分の宿命から自己の魂を救済するのである。 
    『現代の考察』p.16
    武士道 59番
    武士道とは、文明社会の中にあって、自己の魂を救済するために打ち立てられた文化なのだ。 
    『現代の考察』p.16
    武士道 60番
    現代の武士道とは、その精神を自分の命よりも大切なものだと思うことによって成り立つ。そして魂の救済が、自分の肉体の命よりも大切だと信ずることに尽きるのだ。 
    『現代の考察』p.16
    武士道 61番
    文明に対する「反骨精神」がある程度認識できないと、武士道的な生き方というか、命懸けの生き方は分からない。 
    『現代の考察』p.18
    武士道 62番
    「武士道」とは「人間が人間であろうとする魂の雄叫び」ということです。 
    『現代の考察』p.18
    武士道 63番
    各民族それぞれに、その魂を自己自身と成し、そのために自己の生命すら捨てる覚悟を持つ生き方を文化として樹立できればそれは武士道となります。 
    『現代の考察』p.19
    武士道 64番
    仁義の相克を自己の命に懸けて乗り超えるものが武士道の根源です。 
    『現代の考察』p.41
    武士道 65番
    不良性を帯びることによって、自己の責任で自己の生命を愛せば、武士道が貫徹できる。 
    『現代の考察』p.46
    武士道 66番
    武士道というのは、何度も話しますが、最初からうまくできる人はいませんから、始まりは皆、すべて「痩せ我慢」からなのです。 
    『現代の考察』p.50
    武士道 67番
    武士道の根源は自己の魂の救済です。 
    『現代の考察』p.52
    武士道 68番
    自分の人生で、ただの一つでも、他人のせい、または親のせいとかね、思うんだったら、一切、武士道は貫徹できないし、何も分からない。 
    『現代の考察』p.114
    武士道 69番
    武士道的でないものは、どんなに得する運命が来ても捨てている。どんなに損な運命でも、武士道的に格好がよかったら、全部やって呑み込んでいる。 
    『現代の考察』p.131
    武士道 70番
    武士道というのは一つの魂の価値観だから、魂の価値観っていうのはやっぱり、自分がどう生きるかだけで、他人は関係ない。血縁かどうかも関係ない。武士道というのは、自分がそれを貫徹するかどうかだ。 
    『現代の考察』p.135
    武士道 71番
    現代が正しいということではなくて、文明はすべて価値があるということがよく分からないと、武士道の価値は分からない。 
    『現代の考察』p.144
    武士道 72番
    武士道を本当に生きようとしたら、武士道に生きてない人間を軽蔑する心がなかったらできるわけがない。 
    『現代の考察』p.148
    武士道 73番
    武士道というのは、他人は関係ない。自分が死ぬべきときに死ぬのか死なないのかだけなのです。だから他人が関わったらもう駄目で、他人は誰もやらないと思っている方がいい。 
    『現代の考察』p.256
    武士道 74番
    武士の子どもに生まれて、武士になるというのは、一つの権益です。今で言うエリートですが、その部分だけだったら子どもは必ず馬鹿息子になる。権利と共に義務を伴わなければ駄目なのです。 
    『現代の考察』p.266
    武士道 75番
    ハチ公は武士なのである。 
    『見よ銀幕に』p.220
    武士道 76番
    武士道を実践面で支えて来た生活文化が菌食であるという事も私は確信するに至った。 
    『平成15年度 年末の辞』
    武士道 77番
    日本においては食生活も武士道、商売も武士道、芸術も武士道、家族主義も武士道、恋愛すらもまた武士道でなければ真の日本の文化としての道にならぬという事を悟った。 
    『平成15年度 年末の辞』
    武士道 78番
    武士道によって生きる生き方はまた「常を養う」つまり「養常」の生き方によってしか維持発展させえぬことも確信した。 
    『平成15年度 年末の辞』
    武士道 79番
    武士道の根源の(たい)は神から発するものであり、その用は独立自尊という事なのである。 
    『平成18年度 年末の辞』
    武士道 80番
    武士道とは、不合理に身心を捧げる清冽な生き方そのものである。 
    『「憧れ」の思想』p.122
  • 希望 ―――人生に迷ったら

    希望 1番
    生命の悲しみを知らなければ、人間には希望はない。
    『友よ』p.14
    希望 2番
    希望とは、悲しみの極致を体験した者だけが感ずるのである。
    『友よ』p.13
    希望 3番
    正義だけが、人間に夢をもたせ、希望を与えることができるのだ。
    『友よ』p.252
    希望 4番
    「創世記は、初めにではなく終わりにある」(ブロッホ『希望の原理』より)
    『根源へ』p.429
    希望 5番
    希望がなければ、人間は生きることができない。
    『根源へ』p.430
    希望 6番
    希望とは、人類の文明に宿る高貴性の追求である。
    『根源へ』p.431
    希望 7番
    希望だけが人間に神と永遠を志向させる。
    『根源へ』p.431
    希望 8番
    (人間の希望は)不幸と悲哀と絶望によって支えられている。
    『根源へ』p.431
    希望 9番
    不幸と悲哀と絶望の体験が多いほど、希望は生命の中で成長します。
    『根源へ』p.431
    希望 10番
    生命は、合理的にはわからないから希望があるのです。
    『根源へ』p.431
    希望 11番
    私は希望を、生命のもつ永遠の神秘と呼んでいるのです。
    『根源へ』p.432
    希望 12番
    希望は、安定を好まず、狂気の熱情を人間にもたらす。
    『根源へ』p.432
    希望 13番
    人間は希望によって発展し、豊かさによって黄昏を迎える。
    『根源へ』p.432
    希望 14番
    (『ドン・キホーテ』と『葉隠』は)絶望が生んだ希望の哲学と言ってもいい。また、歴史的に、現にそうであった。
    『根源へ』p.433
    希望 15番
    『葉隠』は狂気の哲学です。それは「死に狂ひ」であり、絶対にかなわぬ憧れである「忍ぶ恋」です。今流に考えると辛く不幸なことですが、それが人々に希望を与え、武士道の幸福を生み出していたのです。
    『根源へ』p.434
    希望 16番
    文明に音楽が必要なのは、それが人間の希望をつなぎ止める原動力となっているからでしょう。
    『根源へ』p.435
    希望 17番
    秀れた芸術はその根底に音楽をもっているのです。そして、過ぎ去った楽園を悔恨し、明日への希望を生み出しているのです。
    『根源へ』p.435
    希望 18番
    音楽は、人間に過去の記憶を呼び戻させる働きがあるのです。そして、そこから真の希望が湧く。
    『根源へ』p.435
    希望 19番
    希望とは、理想を慕う悲しみの中から生まれるのです。
    『根源へ』p.435
    希望 20番
    音楽によって、希望が紡ぎ出されるのは、音楽が時間の芸術だからです。
    『根源へ』p.436
    希望 21番
    我々生命が時間の係数である限り、音楽は過去と未来を貫いて、現在に希望をもたらす力を秘めているのです。
    『根源へ』p.436
    希望 22番
    音楽性に支えられた魂が芸術を生み、それが悲哀を包み込んで希望を生み出していくのです。
    『根源へ』p.436
    希望 23番
    「私はある。我々はある。それで十分だ。ともかく始めなければならない」(ブロッホの言葉)。これこそが希望を持った人間の言葉なのです。
    『根源へ』p.438
    希望 24番
    希望とは、つまりは革命なのです。
    『根源へ』p.439
    希望 25番
    世界をいまだ未完成の過程と理解しなければ希望は生まれない。
    『根源へ』p.439
    希望 26番
    人間とは、ただ願って願って願ってそして死ぬ存在なのです。
    『根源へ』p.440
    希望 27番
    (人間は)かすかなる希望を見つめて生きる。
    『根源へ』p.440
    希望 28番
    価値のない行為を、本気で「為す」という悲しみの中にこそ希望を見出すことができるのです。
    『根源へ』p.441
    希望 29番
    人間の生命から生まれる真の希望とは、カントの言葉を借りれば「目的のない合目的性」(Zweckmäβigkeit ohne Zweck)です。
    『根源へ』p.441
    希望 30番
    待つことそのものが希望であり、人生である。
    『根源へ』p.443
    希望 31番
    人生とは、実は何もわからないのです。ただ生きる。将来を信ずる。
    『根源へ』p.443
    希望 32番
    希望とはいいものでもないし、楽しいものでもない。それは、ただ生命の本質であるということです。
    『根源へ』p.443
    希望 33番
    (椎名麟三『邂逅』について)「わかって欲しいとき」、人間は虚無に陥りエゴイズムに走ることを描き、その結果、すべての希望を失うのだと説いています。
    『根源へ』p.445
    希望 34番
    「時代に対する責任を背負うとき」(椎名麟三『邂逅』より)真の希望を得る。
    『根源へ』p.445
    希望 35番
    人間の生命の奥深くには希望が隠されている。
    『根源へ』p.445
    希望 36番
    本物の希望は不満足の中からしか生まれない。
    『根源へ』p.446
    希望 37番
    希望とは帰るべき故郷を指し示すことによって、人間に憧れを抱かせる。
    『根源へ』p.447
    希望 38番
    革命の戦いにあって、不幸と苦悩を乗り越えた人にだけ、希望という恩寵がくるのです。
    『根源へ』p.447
    希望 39番
    つまり、希望とは革命の申し子なのです。
    『根源へ』p.447
    希望 40番
    希望は満足と幸福に浸ると消滅していってしまう。
    『根源へ』p.447
    希望 41番
    偉大な業績というのは、すべて使命(die sendung)が創り出すものです。その使命は希望からしか生まれてきません。
    『根源へ』p.447
    希望 42番
    希望だけが、われわれを未来に向かって開かせる力があるのです。
    『根源へ』p.447
    希望 43番
    自己自身と出会うことによって、希望という名の自己の生命が残る。
    『根源へ』p.448
    希望 44番
    聖書の中で神が「光あれ」と言ったけど、あれがすごい希望というロゴスになるんだよ。
    『夏日烈烈』p.20
    希望 45番
    生命も同じさ。真っ暗な中にあるから、その輝き自体がすごい希望になるんだ。
    『夏日烈烈』p.22
    希望 46番
    人類の最大の願望・希望といったら、自分の存在の記憶だよ。
    『夏日烈烈』p.364
    希望 47番
    「禍福はあざなえる縄のごとし」のように、苦しんで苦しんで、苦しんだ結果、全てのものに耐え抜いた地点が「絶点」です。死の淵から浮かび上がる、真の憧れであり、人類の希望です。
    『風の彼方へ』p.318
    希望 48番
    希望が、私の思想の根源を形創っている。希望だけが、われわれ人間の有する真の価値だと私は信じているのだ。
    『憂国の芸術』p.9
    希望 49番
    希望とは、永遠に続く「魂の渇望」を言っている。それは、人間にとって無限の旅となるだろう。
    『「憧れ」の思想』p.237
    希望 50番
    望みがなければないほど、違う方面を見ればもっと大きな望みが生まれてくるということです。
    『悲願へ』p.55
    希望 51番
    人間以上のものに成らなければ、決して到達できぬ「何ものか」に向かって我々は歩まなければならないのだ。その苦難の道筋に希望の明かりを灯してくれるものこそが、毒に他ならない。
    『現代の考察』p.157
    希望 52番
    内村鑑三は最後に「かの、来たりつつあるもの」だけに希望を繋いだのだ。つまり、キリストの「復活」。神の再臨である。そして、再びすべての人々に見捨てられた。
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    希望 53番
    モーセの生涯こそが、憧れの真の意味を、我々に教えてくれるのである。憧れが生み出す信念によって、多くの奇跡が成された。そして、その奇跡の数々が、今日に繋がる文明を築き上げた最大の民族を創り上げたのだ。
    『見よ銀幕に』追補7 p.9
    希望 54番
    我々人類は、AIと対面するときその潜在的傲慢さを露呈するのだ。AIは、教えられた通りに考え、その通りに行動する。私はそのAIの存在の中に、いまの人類を乗り越えたその先にある輝かしい「何ものか」を感ずる。
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    希望 55番
    死を超越する「生命の神秘」に脳髄を焦がし、その先にある大いなる「未来」に命をかけるのだ。
    『「憧れ」の思想』p.99
  • 個性 ―――人生に迷ったら

    個性 1番
    (葛藤の中から生まれた混沌としたものをゲーテは「デーモン」(魔性のもの)と称していた。)デーモンがなければ、秀れた個性も育ちません。
    『根源へ』p.125
    個性 2番
    個性とは、美しいものであり、また汚いものでもあるのです。両方がなければならない。
    『根源へ』p.125
    個性 3番
    個性は頭で考えた綺麗事ではないのです。
    『根源へ』p.125
    個性 4番
    一般的に言って個性は常識の中から生まれます……常識とは、歴史の中で徐々に確立されていった倫理なのです。
    『根源へ』p.128
    個性 5番
    個性を生むためには、責任が必要と考えていただければわかりやすいと思います。責任が、ペルソナを持つ真の大人を築き上げていくのです。
    『根源へ』p.129
    個性 6番
    「能面をつけたら個性が消えるじゃないか」と言う人間には「個性」は理解できません。
    『根源へ』p.129
    個性 7番
    ピカソの中では、魔性と人類愛が坩堝(るつぼ)の中で溶け合い、めらめらとしたデーモンの魅力を放っています。それがピカソの貪欲な個性を輝かせているのです。
    『根源へ』p.133
    個性 8番
    強い個性は、性欲や名声欲などの強い魔性を中心とした強烈な生命力を持った人間が、歴史と猛烈に葛藤することによって生まれていることです。
    『根源へ』p.136
    個性 9番
    個性ある芸術家の生涯を見れば、教育によって個性を創ることはできないことがわかります。
    『根源へ』p.137
    個性 10番
    皇室を戴く日本独自の伝統こそが、日本人の「個性」を生み出す中核となるものと言えるのではないでしょうか。
    『根源へ』p.139
    個性 11番
    皇室の伝統を見た場合、日本は間違いなく、他に類例を見ない個性の国なのです。
    『根源へ』p.139
    個性 12番
    服装がもつ個性は、英国紳士そのものに個性があることを示しています。
    『生命の理念Ⅰ』p.212
    個性 13番
    個性とわがままとはまったく別な考え方です。本来の意味での個性には、そういう子供じみたわがままは含まれません。
    『生命の理念Ⅰ』p.208
    個性 14番
    制服を着るということは、その制服を作った人の個性を受け入れることを意味するからです。つまり師弟の関係になるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.210
    個性 15番
    仕事に打ち込めば打ち込むほど、自分の中から個性が光り輝いてくるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.215
    個性 16番
    個性というのは、自分が何かに合わせた後から出てくるものであり、自分自身に備わっている個性など存在しません。
    『生命の理念Ⅰ』p.216
    個性 17番
    個性の根底には、必ず意志と哲学が存在します。自分は何者であり、どう生きるのかということが哲学であり、そこから個性が生まれるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.218
    個性 18番
    すべてを捨てなければならない。万能だった自分をひとつに限定するのだ。
    『生くる』目次
    個性 19番
    個性とは、憧れに向かう「生命の慟哭(どうこく)」である。
    『生命の理念Ⅰ』p.208
    個性 20番
    職人だろうが、何だろうがいっぱしの人って何か「持ってる」んだよ。
    『夏日烈烈』p.82
    個性 21番
    個性は個人のものではありません。個性は、文明や文化に根差した思想の中にあります。
    『生命の理念Ⅰ』p.209
    個性 22番
    個性は教育できません。教育できるのは、わがままを抑えることだけです。それが教育の根本なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.216
    個性 23番
    自分自身が精一杯生きて、悲痛と苦悩、そして充実と幸福を体感したときに、他人からみて個性的な人になっているのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 24番
    個性は、人間の存在理由であり使命なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 25番
    損得を考えた瞬間に、個性の輝きは消えるのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.244
    個性 26番
    バッハの曲の深遠さは、様式に合わせるところから生まれたのです。そして、様式に合わせている人間の、心の状態や人間性のことを個性と呼ぶのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.255
    個性 27番
    受け身の姿勢では、決して個性は生まれません。個性は生命の躍動であり、能動的な部分だからです。
    『生命の理念Ⅰ』p.281
    個性 28番
    人体に抗原抗体反応があることが、ひとりの人間を創り生かしめている生命エネルギーの個別性ということの証明なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.54
    個性 29番
    世界平和が完全無欠に完遂されたら、人類は全員が免疫不全状態になります。人類という種の絶滅した状態が、世界完全平和ということなのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.60
    個性 30番
    持つ人によって、物の個性は大きく変わります。
    『生命の理念Ⅰ』p.219
    個性 31番
    本の蔵書にしても、ある個人の集めた本を見ればその人の思想がわかります。
    『生命の理念Ⅰ』p.220
    個性 32番
    灰皿でも彫刻でも何でも、人間が作ったものの中には作った人間の思想が表現されています。その思想の部分が個性なのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.220
    個性 33番
    個性は、人間の存在理由であり使命なのです。
    人間らしい生き方とか真に幸福な人生と呼ばれるものが個性です。
    『生命の理念Ⅰ』p.226
    個性 34番
    親の遺志を継いで商売に励んでいれば、人から「あの二代目は個性的だ」と言われます。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
    個性 35番
    「うちの商売はどうあるべきか」というものがはっきりしているときに個性が輝くのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
    個性 36番
    武士も武士道に近づくほど個性的になりますが、何も特別なことはしていません。紳士も個性的な人ほどいつも同じ恰好をしている。
    『生命の理念Ⅰ』p.227
    個性 37番
    他人と同じになろうとして、どれだけ努力したとしても人間は全員違います。違わなければ人間ではありません。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.44
    個性 38番
    我々はすべて宇宙的存在で、個性がある。 
    『悲願へ』p.98
  • 運命 ―――人生に迷ったら

    運命 1番
    運命は、自分が自分自身と出会うことによって発現するのです。
    『根源へ』p.142
    運命 2番
    運命は、この世にただ一つしかない自己固有のものです。
    『根源へ』p.142
    運命 3番
    運命を引き寄せるには勇気がいる。
    『根源へ』p.142
    運命 4番
    動かざる「命」を軸にして、その周りを「運」が回転する。
    『根源へ』p.143
    運命 5番
    運命とは、その人自身が自覚をして、自己の人生に挑戦する姿勢をもって、初めて姿を現わす。
    『根源へ』p.143
    運命 6番
    自分独自の魂を育まなければ、運命は回転を始めません。
    『根源へ』p.144
    運命 7番
    運命を生きない人間はただの動物です。
    『根源へ』p.145
    運命 8番
    運命を生きることで野垂れ死にするかもしれない。しかし、それは仕方がない。それを許容しなければならないのです。
    『根源へ』p.145
    運命 9番
    運命に対する反発はそれを受け入れているから起こるのです。
    『根源へ』p.146
    運命 10番
    芸術というものは反運命なのです。反運命そのものが、実は運命を生きるということなのです。
    『根源へ』p.148
    運命 11番
    運命を生きれば真の生きがいを摑めることもあり、また摑めないこともあり得るということです。そして、たとえ摑めなくても、自己固有の人生を生きた人物が経験した人生は、失敗ではないのです。
    『根源へ』p.148
    運命 12番
    自己固有の運命を生きれば、敗北しても歴史に残る偉大な生き方ができる可能性、つまり夢がある。
    『根源へ』p.149
    運命 13番
    不幸を厭うような人間には、運命の女神はほほえみません。
    『根源へ』p.150
    運命 14番
    ベートーヴェンの第五に明らかに示されるように、運命は回り始めると止まりません。
    『根源へ』p.150
    運命 15番
    運命が回り始めると人生は怖い。怖くなければ人生ではない。
    『根源へ』p.150
    運命 16番
    運命は車輪として回転し出し、回り始めたら、もう誰にも止められない。
    『根源へ』p.150
    運命 17番
    運命とは勇気を持った人間だけが享受できるもので、動物には運命はありません。
    『根源へ』p.150
    運命 18番
    運命を生かすには勇気を持つしかない。
    『根源へ』p.150
    運命 19番
    自己の体内に「露刃剣」を有することが、運命を生きる人間には絶対に必要なことなのです。
    『根源へ』p.153
    運命 20番
    運命の終着点は死です。死は、実は肉体ではなく、自己固有の運命に訪れるものなのです。
    『根源へ』p.158
    運命 21番
    死という還るべき故郷があるからこそ、ひとりの人間も民族も、自己の運命を徹底的に生きることができるのです。
    『根源へ』p.158
    運命 22番
    自己の運命だけを信じて、それにぶち当たり、それを受け入れ、またそれを乗り越えて生きてきた。
    『夏日烈烈』p.2
    運命 23番
    宮沢賢治には悪いけど、宮沢賢治が読めなかったのが、たぶん僕の運命なんだと思うんだよ。
    『夏日烈烈』p.89
    運命 24番
    力一杯運命にぶつかり、与えられた生命を力一杯生き切る。それだけが大切だ。
    『夏日烈烈』p.103
    運命 25番
    (『邪宗門』の)「六終局」の本質というものを考えることが自分の運命だと思ってる。
    『夏日烈烈』p.126
    運命 26番
    運命は面白いよ。運命を楽しむにはね、悪くなってもいいという気持ちがなくてはだめなんだ。
    『夏日烈烈』p.251
    運命 27番
    不幸になったり、悪くなったりしたらそれも自分に与えられた運命だからその状態を受け容れてまた楽しむんだよ。
    『夏日烈烈』p.251
    運命 28番
    子供がだめなら、それはそれでその子の運命だからしかたがない。
    『夏日烈烈』p.252
    運命 29番
    自分の将来なんて、そんなものは運命にまかせて、つまり風まかせで充分なんだ。
    『夏日烈烈』p.256
    運命 30番
    宿命を認め、その中で自分の運命を楽しむ。
    『夏日烈烈』p.295
    運命 31番
    自分の運命を嫌がる人が、最も駄目な人生を送っている。
    『夏日烈烈』p.298
    運命 32番
    ものすごく不幸に見えても、ものすごく馬鹿に見えても、運命にぶつかった人の人生というのは、それなりに完結した立派な人生なんだよ。
    『夏日烈烈』p.298
    運命 33番
    僕は革命家を自称しながらも同時に運命論者でもあるから、自分に来た運命を全部受け取って、その中でのたうち回ろうが何しようが生き切った人が好きなんだ。
    『夏日烈烈』p.489
    運命 34番
    来たものを好き嫌いで見て自分の好きなものしか受けないと、つまらない人生になってしまう。人生は運命を受けると面白いんだよ。
    『夏日烈烈』p.519
    運命 35番
    自己の運命を愛し、自己の運命に哭かなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.16
    運命 36番
    我々の生命とその運命は、理解できるほど単純な現象ではない。我々の人生は、理解できるほど、つまらぬものではないのだ。
    『「憧れ」の思想』p.124
    運命 37番
    僕はすべて本音で体当たりしかしていない。それで駄目なら、それでいいと思っている。それが自分の運命だし、自分にはそれしか出来ないもの。 
    『夏日烈烈』p.257
    運命 38番
    宿命の中にはすでに、自分独自の魂を創り上げるための萌芽がすべて入っているのです。 
    『根源へ』p.144
    運命 39番
    自分独自の魂を育まなければ、運命は回転を始めません。 
    『根源へ』p.144
    運命 40番
    運命とは勇気を持った人間だけが享受できるもので、動物に運命はありません。 
    『根源へ』p.151
    運命 41番
    運命とは、独自の生命に与えられた幸福のすべてであり、また不幸のすべてである。 
    『「憧れ」の思想』p.296
    運命 42番
    自分の幸福、自分の成功、それを本当の意味でゼロにすることは出来ないと思いますが、まあその時代の水準以下まで持っていけば、天命というのは自分の目の前にあるものですから、必ず気づいてくれます。 
    『悲願へ』p.234
    運命 43番
    運命とは、自分の生命と自然とか文明との関わり合いを言うのです。 
    『現代の考察』p.29
    運命 44番
    命懸けで自分の生命を生かす生き方をするには、その運命を愛さなければならない。 
    『現代の考察』p.30
    運命 45番
    自分の運命を愛すると、自然や文明と自分の生き方が正しい関係に入ることができるのです。 
    『現代の考察』p.30
    運命 46番
    自分の運命を愛すれば、皆さんも必ず、本当に愛した場合は、自分の命よりも大切なものがあるということに気づくのです。 
    『現代の考察』p.30
    運命 47番
    自分に心地よいことばかりやっていると、自分に与えられた運命というのは見えないのです。嫌なことばかりやっていると、自分の運命が見えてくる。 
    『現代の考察』p.196
  • 自由 ―――人生に迷ったら

    自由 1番
    制約がなければ自由は放縦に流れ、目的は空想と化し、夢は虚構となる。
    『生くる』p.51
    自由 2番
    食えなければ、食わねばよろしい。
    『生くる』目次
    自由 3番
    自由とは命の屹立です。
    『根源へ』p.211
    自由 4番
    不自由が真の自由を生む。
    『根源へ』p.199
    自由 5番
    人間の人間たるいわれは、自由への渇望と言えるのではないか。
    『根源へ』p.200
    自由 6番
    自由は制約の中から生まれ、制約の中で初めて認識されてきた。
    『根源へ』p.201
    自由 7番
    制約があって、はじめて自由がある。
    『根源へ』p.201
    自由 8番
    自由なる人物は、命がけの義務と責任を誰に言われるのでもなく、自己自身で、自分に課しているのです。
    『根源へ』p.203
    自由 9番
    真の自由は、義務と責任を自分自身で、誰が見ていなくとも、また何も言われなくとも、自らに課せる人間にだけ与えられるのです。
    『根源へ』p.203
    自由 10番
    「人はパンのみによって生くるにあらず」とは、人は魂の自由を求めて命懸けの人生をおくるべきであり、その先に神の国があるのだという「魂の伝言」です。
    『根源へ』p.205
    自由 11番
    人間にとって、もっとも尊いのは魂の自由なのです。肉体ではない。
    『根源へ』p.205
    自由 12番
    自由とは過酷な戦いによって勝ちとるものなのです。それは生命の輝きであり、雄叫びとも言えましょう。
    『根源へ』p.206
    自由 13番
    責任と義務を愛し、それらに向かうような生きかたをすると、自由が向こうから寄ってくる。
    『根源へ』p.207
    自由 14番
    自由を問題にすると、その先にあるのは戦いしかない。
    『根源へ』p.207
    自由 15番
    自由がなければ、平和になるのです。実は平和を謳歌する現代には自由がないことも気づかなければなりません。
    『根源へ』p.207
    自由 16番
    自由は人間にとっていちばん尊いものであり、それを獲得するために戦いは必須となる。それが生命の法則であり、生命にとってもっとも尊い価値なのです。
    『根源へ』p.208
    自由 17番
    戦いから逃げず、生涯戦い続ける気概を持った者にのみ自由は訪れるのです。
    『根源へ』p.209
    自由 18番
    ウナムーノは、真のスペイン的な、高貴なる自由をもとめて生涯にわたり呻吟しました。その熱情と涙に強く共感して、私は自らの魂を形創ってきました。
    『根源へ』p.210
    自由 19番
    (「真の自由とは不滅性への渇望である」という)ウナムーノの言葉は魂を震撼させます。言葉そのものが涙なのです。自由を渇望する悲哀から生まれた、ひとつの精神と言えましょう。
    『根源へ』p.210
    自由 20番
    生命とは危険で不安定なものなのです。だから、それを持つ我々は悩み続ける。しかし、そこにこそ自由がある。
    『根源へ』p.211
    自由 21番
    未来に向かってその無限の荒野に向かって自由自在に挑戦をして行くのが人生の醍醐味に決まっている。
    『夏日烈烈』p.257
    自由 22番
    自由というのは、自らが求めて創り出していくものなのです。
    『根源へ』p.212
    自由 23番
    自由を得ようとするには覚悟が要ります。一歩誤れば死ぬこともあり、気が狂うこともある。
    『根源へ』p.212
    自由 24番
    自由とは神から人類に与えられた試金石だと私は考えます。
    『根源へ』p.212
    自由 25番
    神という深淵から、人間の文明は自由を求めて呻き声を上げ続けている。
    『根源へ』p.212
    自由 26番
    (「神から与えられた無限の自由」という)グールドの言葉は、私の中でいつでも自由の本質を表わすものとして響き続けているのです。
    『根源へ』p.216
    自由 27番
    武士には、自由の香りが漂っていた。これは、生命を考える上で、実に大きな事柄である。
    『「憧れ」の思想』p.160
    自由 28番
    (自由の本質とは)個人が自らの考えに基づく意見や思想を持ち、それに自らが責任をもって行動し、その結果に、自己の名誉や地位そして生命すらもかけなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.161
    自由 29番
    「自由」は、生命が「憧れ」に向かわなければ得ることはできない。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 30番
    (ジェントルマン教育は)どのような考え方を持つかは自由であるが、その考え方を自分で獲得する思考力と、それに生命をかける生き方を育成することだけが、教育の目的となったのである。
    『「憧れ」の思想』p.162
    自由 31番
    私は武士道のもつ、生命そのものへの憧れに惚れたことが、自分の自由なる人生の根源を築いてくれたと信じているのだ。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 32番
    不合理が、真の「自由」をもたらすのだ。
    『「憧れ」の思想』p.163
    自由 33番
    「正しく立てる者も自由に立ち、堕ちた者も自由に堕ちたのだ」(ミルトン) 人間の自由とは、こうあるべきものと言えよう。
    『「憧れ」の思想』p.188
    自由 34番
    挑戦する自由を得た者は、同時に、いかなる失敗も不幸も受け容れ、ただ自らの挑戦に向けて身を(なげう)たなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.188
    自由 35番
    僕が六十数年いきてきて、人間について思うのは、「人間は自分の好きなことしかやらない」ということなんだ。
    『夏日烈烈』p.29
    自由 36番
    自由とは、芸術の根底そのものである。
    『孤高のリアリズム』p.207
    自由 37番
    生命の深淵を覗き込めば、人間は自由のために立ち上がらなければいられない。 
    『「憧れ」の思想』p.219
    自由 38番
    説得をしようという考え方そのものが傲慢なんですよ。人間というのは、全部自由な考えを持っているわけです。全員が勝手に生きているんだ。それでいい。あとは自分がどうするかという問題なんだ。 
    『悲願へ』p.117
    自由 39番
    江戸時代は、確かに不自由だった。ところが、最も強い権力が平和を維持していたんだ。 
    『悲願へ』p.144
    自由 40番
    もともと自由が戦いを生むんだ。だから実は戦いとか戦争を嫌だと言っている人は、それこそ自由の放棄だということなんだよ。 
    『悲願へ』p.146
    自由 41番
    野生で生きる自由の方が生命っていうのは、楽しいんだよ。生命の楽しみがなきゃ、生まれてきた意味はないというのが、私の人生論ですよ。 
    『現代の考察』p.87
  • 恋 ―――人生に迷ったら

    恋 1番
    本物志向が現代人の多くから、恋い焦がれるような想像力を奪っている。
    『生くる』p.68
    恋 2番
    昔の激しい恋愛に、我々が心惹かれるのは、そこに一途さがあるからだ。激しく何ものかを求める心があるからなのだ。
    『生くる』p.146
    恋 3番
    私の生命論は、壮絶な恋愛や幸福や喪失や死から生まれてきた。
    『おゝポポイ!』p.472
    恋 4番
    初恋が神話であり、憧れもまた神話です。
    『生命の理念Ⅱ』p.77
    恋 5番
    忍ぶ恋っていうのは、別に男女間の話だけじゃないんですよ。どんなに涙が出ようが突き進む、遠い何ものかへの憧れをそう呼んでいるんだ。
    『魂の燃焼へ』p.63
    恋 6番
    恋愛なんかでも、ハウツー本を読んでいるようなやつはモテない。モテたくて本を読むやつは、とくにだめですね。
    『魂の燃焼へ』p.76
    恋 7番
    忍ぶ恋とは、生命の根源である遠い憧れ想い続ける「精神の力」です。
    『生命の理念Ⅰ』p.20
    恋 8番
    恋愛期間中の読書については思い出すことといえば……倉田百三の『愛の認識との出発』、亀井勝一郎の『愛の無常について』、……スイス人哲学者アンリ・アミエルの『アミエルの日記』、ヒルティの『幸福論』、いずれも人生論の名著といわれるものです。
    『おゝポポイ!』p.395
    恋 9番
    本に描かれる「恋の幸福論」に比べて、私の恋はもっと深かった。思うに、ずーっと「忍ぶ恋」で生きてきましたから、恋の深みが違ったのではないでしょうか。
    『おゝポポイ!』p.396
    恋 10番
    日本人全体が「忍ぶ恋」に生きていた時代というか、戦前の男女の間「淡い思慕」というものがまだ日本に存在していた……。
    『おゝポポイ!』p.399
    恋 11番
    思いが溢れて、彼女への手紙はしばしばあの海外郵便用の薄くて青い便箋十枚以上に及ぶといった具合でした。
    『おゝポポイ!』p.405
    恋 12番
    (大恋愛の末の失恋について)ギリシャ悲劇に書かれていること、あれは物語ではなかったのだ。現実に人間の身に起きたことが描かれているのだ。
    『おゝポポイ!』p.407
    恋 13番
    (大恋愛の末の失恋について)恋としては成就してしまったので、まるで百年連れ添った女房が死んだような感覚でしたよ。
    『おゝポポイ!』p.408
    恋 14番
    恋愛していた二年二ヶ月というもの、私は世界中の碩学が書いた幸福論も浅く見えるほどの幸福感をもったわけです。その幸福感をもったことが、自分を恥じ入った最大の要因でした。
    『おゝポポイ!』p.412
    恋 15番
    自分が一方的に振られただけの話です。そんなとき、女はどういう気持ちかわかりませんが、男としては、そこまで行ったら「死ぬしかない」とそう思いますよ。
    『おゝポポイ!』p.413
    恋 16番
    高校一年から三年まで初恋をしていて、卒業と同時に大失恋。三年間ひたすら想い続けて、でも名前もわからずじまいです。
    『おゝポポイ!』p.156
    恋 17番
    理想も何も、その人のことがただ死ぬほど好きなんですから、こちらとしてはどんどん行きたいんです。そのときだけは「忍ぶ恋」ではいやだったんだから、人間なんて自分勝手なものです(笑)。
    『おゝポポイ!』p.157
    恋 18番
    一人のときはちゃんと薔薇色なんですよ。ひとりはいいなぁ――。それが本人を前にすると金縛りです。
    『おゝポポイ!』p.158
    恋 19番
    (恋愛をしているときに)邪念を祓うために、家の中で「でんぐり返し」を二、三百回も繰り返した日も数多くあったのです。
    『おゝポポイ!』p.163
    恋 20番
    (恋愛をしているときに話かけようと)三年間で書き溜めたメモの束は、厚さ二十センチに達していました。それで一言も話しかけられないんじゃあ、面目もありません。
    『おゝポポイ!』p.164
    恋 21番
    私も恋愛によって自身の二重人格を悟らされたので、必ずしも理想だけを追求しているとは限らないことがわかりました(笑)。
    『おゝポポイ!』p.165
    恋 22番
    恋愛論を語るのに、ヘーゲルを持ち出すのは私ぐらいかもしれませんが(笑)。
    『おゝポポイ!』p.166
    恋 23番
    死ぬほど好きな人に話しかけられないということは、結果論としては「沈黙の行」なんですよ。
    『おゝポポイ!』p.170
    恋 24番
    失恋が生き方を固めさせてくれたのです。
    『おゝポポイ!』p.171
    恋 25番
    もしかしたら、初恋の失恋が自己の生命を「立てた」のかもしれません。
    『おゝポポイ!』p.172
    恋 26番
    (執行の書いたラブレターの矛盾)後のほうに「きみ無くしては生きられない」とあるが、前のほうに「僕は、ただ一人で生きることを誇りとしている」と書いてある……。
    『おゝポポイ!』p.346
    恋 27番
    月をめざして上昇を続けるかぐや姫は、絶対に月にたどり着くことがない。それを知りながら、私は地上でじっと見つめ続けている。
    『おゝポポイ!』p.151
    恋 28番
    毎週、毎週、永遠に月へ上昇を続ける女性の夢を見ては、悲哀に打ちひしがれるという習慣がなくなったときから、なぜか人が驚くような文学論ができるようになりました。
    『おゝポポイ!』p.151
    恋 29番
    一つ選ぶという行為は、当然ながら「偏り」を生みます。一方に偏った魂は哀しみを抱きつつ、もう一方を激しく恋せずにはいられない。
    『憂国の芸術』p.36
    恋 30番
    深遠とは、生命の悲哀を言っている。原故郷に恋い焦がれる、生命の実存である。
    『孤高のリアリズム』p.220
    恋 31番
    究極の恋とは、想い想い、そして想い続ける精神を信念にまで昇華し、それを心に秘め続けることだと言うのである。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 32番
    簡単に成就するものは、恋ではない。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 33番
    打算から生まれるものも、すべて恋ではない。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 34番
    真の恋とは、成就し得ない悲哀なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.38
    恋 35番
    恋に生きることが、生命を燃焼させることに繋がる。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 36番
    恋に完成はない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 37番
    完全にわかり合える恋などはない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 38番
    恋の成就は、人生の一時点の満足に過ぎない。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 39番
    恋は、本質的に悲恋である。
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 40番
    真に重要なのは、異性のことに限らず、到達不能なものに憧れる「焦がれうつ魂」なのだ。
    『「憧れ」の思想』p.40
    恋 41番
    「忍ぶ恋」とは、限りある人生をともしびに向けてただひたすらに歩み続けることを言う。
    『「憧れ」の思想』p.40
    恋 42番
    よく恋愛などで、相手に騙されていたと言う人がいます。自分も相手から愛されていると思ったということです。しかし、愛情は勘違いすることはありません。
    『生命の理念Ⅰ』p.160
    恋 43番
    真の恋愛は本当にすばらしく心温まるまさに人の世の精華とも言うべき事柄である。 
    『見よ銀幕に』p.533
    恋 44番
    僕の生まれながらの運勢は『葉隠』だと思ってたけど、もしかしたら『竹取物語』の「かぐや姫」から滴り落ちた「忍ぶ恋」かもしれないな。
    『夏日烈烈』p.275
    恋 45番
    恋は、憧れの別名とも言えよう。 
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 46番
    生命とは、恋い慕う魂そのものを言う。 
    『「憧れ」の思想』p.39
    恋 47番
    人生の本体は、恋である。人が生きるとは、恋を知るためなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.20(予定) 「伊豆の踊子(1974年)」
    恋 48番
    不幸の根源というのは「恋」なんだ。特に執行草舟推奨の「忍ぶ恋」だ。 
    『夏日烈烈』p.269
    恋 49番
    肉と骨のゆえに、苦しみ、叫び、恋する人間であることが我々の宿命なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.283
    恋 50番
    本当の恋愛というのは、自分がこの人だと思う人に自分の人生と生命を捧げることを言うのです。 
    『悲願へ』p.184
    恋 51番
    忍ぶ恋そのものがまずは毒です。忍ぶ恋という考え方そのものが文明なのです。文明が作り出したものだから毒に決まっている。 
    『現代の考察』p.237
    恋 52番
    恋心というのは、人間の中枢の中の中枢です。それが文明を創ったということも言えるわけです。 
    『現代の考察』p.262
    恋 53番
    人間の恋というのは、本質的に忍ぶ恋だということです。だから遂げられる恋は、まあ人間の本当の恋ではあまりない。人間というのは、憧れる気持ちがその存在の根源です。 
    『現代の考察』p.262
    恋 54番
    何ものかを愛し、恋し、憧れる心だけが「出会い」を生むのだ。その心をいつの日も持つ者は、「出会い」という「神の恩寵(おんちょう)」に恵まれるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
    恋 55番
    未来を恋することが、人類の本質なのである。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.3
    恋 56番
    悲しいまでに、ノアは「人間自身」であろうとしている。その道は、誰も知らぬ道である。神の沈黙だけが、ただにその道を暗示している。それを恋するのだ。そうすれば、この神話は、我々の生命に突き刺さって来る。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.3
    恋 57番
    (ともしびは)故郷を恋する漂泊者のように、それを仰ぎ見なければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.19
    恋 58番
    男女の恋愛ももちろん恋だけど、遠いともしびを求めるのも恋だよ。それからさっきから話している文明とか、生命とか、ああいうものに突進して行くことも、本当にぶち当たればみな恋なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.269
    恋 59番
    遠いともしびを恋する人間は、合理的精神を捨て去らなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.104
    恋 60番
    高く清く悲しい「憧れ」だけが、利休を創り上げたと私は思っている。つまり、死を「想う」精神と、絶対に到達出来ぬものを「慕う」魂のことである。それが、利休を生み出した。「忍ぶ恋」であろう。忍ぶ恋だけが、人間を遠い故郷へ誘ってくれる。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.15
    恋 61番
    一組の男女の真の恋愛は、多くの人々の真心の中から生まれて来るのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.20(予定) 「伊豆の踊子(1974年)」
    恋 62番
    人生の本体は、恋である。人が生きるとは、恋を知るためなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.20(予定) 「伊豆の踊子(1974年)」
  • 人生 ―――人生に迷ったら

    人生 1番
    我々には本当のことはほとんどわからないのだ。わからないから、人生は楽しくて面白い。
    『生くる』p.14
    人生 2番
    人の情に触れれば、それだけで人生は良い。
    『生くる』p.15
    人生 3番
    この世は、理解できなくても良いことばかりなのだ。
    『生くる』p.16
    人生 4番
    一片の赤誠が私を今日まで導いてくれた。
    『生くる』p.43
    人生 5番
    礼とは、すべての存在物との「良い関係を保つ方程式」に他ならない。
    『生くる』p.74
    人生 6番
    人生における重大決意というものは自分一人で、しかもただでできる。
    『生くる』p.98
    人生 7番
    前進前進、改革改革、創意創意、工夫工夫。
    『生くる』p.136
    人生 8番
    理想論は、耳に心地良いが実人生を破壊する力を持つ。
    『生くる』p.143
    人生 9番
    作為は正義の仮面を被って人を洗脳し、必然を悪に見せる。
    『生くる』p.197
    人生 10番
    音楽のままに心の底から悲しみ、涙を流せば、人生とはいかに美しく楽しく、幸福に満ち満ちているものかがわかる。
    『生くる』p.304
    人生 11番
    身軽足軽、人を創らず。荷と絆は背負い続けよ。
    『生くる』目次
    人生 12番
    自分の中の汚いものと直面しなきゃ、人間は成長なんてできない。
    『魂の燃焼へ』p.26
    人生 13番
    人生ってのは一度きりだから。たった一度の人生を悔いなく燃焼させるには、ぶつかるしかない。もう、めちゃくちゃやるしかないんですよ。
    『魂の燃焼へ』p.168
    人生 14番
    自分の生命が、完全に燃え尽きるような生き方をすることだけです。その生き方の善悪や、内容は問わない。それが僕の人生哲学ですよ。
    『魂の燃焼へ』p.170
    人生 15番
    人生は、失敗も成功も関係ありません。寿命の長短も関係ない。楽しいか悲しいかも関係ないのです。
    『生命の理念Ⅰ』p.104
    人生 16番
    完全燃焼、完全に灰になりきって、燃え尽きて、この世に何も無くなるまでやる。これが生き切ることに関する生命の定義であり、生き切るということのもつ唯一の真実です。
    『生命の理念Ⅰ』p.104
    人生 17番
    我々は一人一人、間違いだらけで、どうしようもない人間だが、ゆえあって、生かされている。
    『友よ』p.150
    人生 18番
    人生の悲哀と、真正面から対面して一歩も退かずにいく人間にとっては、痛みもまた休息となり喜びとなる。
    『友よ』p.229
    人生 19番
    己の今が、死んだはずの過去と未来を生き返らせるのだ。
    『友よ』p.395
    人生 20番
    人は死ぬまで満たされてはならない。
    『根源へ』p.254
    人生 21番
    断じて、利口になってはならぬ。
    『「憧れ」の思想』p.67
    人生 22番
    この世は惜しむものであるが、その惜しむ心が強ければ強いほど、却って捨てなければならない。
    『「憧れ」の思想』p.149
    人生 23番
    未完の人生に向けて出帆しなければならない。自分の生を、宇宙へ向けて投げ捨てるのである。
    『「憧れ」の思想』p.176
    人生 24番
    自己の中で、思想として確立していないものは人生では役に立たない。
    『「憧れ」の思想』p.248
    人生 25番
    私は自己の人生そのものを、ひとつの「生命哲学」と考えている。
    『夏日烈烈』p.2
    人生 26番
    人生って、汚れて、ボロボロになって、死んでく過程だから。
    『夏日烈烈』p.232
    人生 27番
    価値がある人生があるとしたら、やっぱり汚れ方が少なかったか、汚れた中でも何か一つ、何かこれだけは守り続けたみたいなものがあるかどうかだよ。
    『夏日烈烈』p.232
    人生 28番
    計算したことというのは全部当たるんで、計算ばかりしてる人って、すごく自分のことを頭が良くて優れていると思っちゃうみたいなんだ。
    『夏日烈烈』p.252
    人生 29番
    苦悩しないよりは、苦悩したほうが健康に悪いに決まっている。しかし、人生はそれが必要なんだ。
    『夏日烈烈』p.354
    人生 30番
    皆がエネルギー回転ができない一番の理由は、自分の人生を有意義にしようと思ってるからなんだ。
    『夏日烈烈』p.501
    人生 31番
    本当の「人格」を有する真の人間は、昔から秘密を持ち、神秘の影が漂っていました。
    『耆に学ぶ』p.38
    人生 32番
    僕は嘘が真実にならなければ人生ではないと思っている。
    『風の彼方へ』p.165
    人生 33番
    文明というのは苦悩ですから、苦悩の果てに何があるか、それを目指すのが人生だと思っています。
    『風の彼方へ』p.318
    人生 34番
    本当は誰の心にも、悪罵や化け物が巣食ってるんですよ。それを、どうにかして出さないようにするのが「人生の修行」じゃないか。
    『魂の燃焼へ』p.26
    人生 35番
    仕事にせよ、恋愛にせよ、人間関係にせよ、みんな人生の壁にぶち当たらなければだめだ。その中から、自分なりの答えっていうのは必ず出てくる。
    『魂の燃焼へ』p.37
    人生 36番
    人生っていうのは、答えを求めて生き続けることに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.41
    人生 37番
    人生はすべて自己責任で、徹底的にやるしかないんだ。がむしゃらにぶつかって、途中で何かで死んだりしたら、それはそのような人生だったと思うしかない。
    『魂の燃焼へ』p.57
    人生 38番
    成功したいやつはだめです。成功したら、人生はかえって小さくなると思ったほうがいい。
    『魂の燃焼へ』p.103
    人生 39番
    根本的に楽しいものはぜんぶ嘘なんだ。悲哀こそが生きるということであり、人生の真実であり、それを抱きしめなきゃだめなんです。
    『魂の燃焼へ』p.122
    人生 40番
    人生を生きるコツは、矛盾をどう楽しむかに尽きます。
    『魂の燃焼へ』p.192
    人生 41番
    人間だから全部はできない。ただ一つのことしかできないのです。
    『憂国の芸術』p.36
    人生 42番
    無限と永遠を志向する者は、未完で終わる人生を覚悟しなければならない。
    『孤高のリアリズム』p.207
    人生 43番
    良いことも悪いことも自分の責任でする、これが人生ではないか。
    『見よ銀幕に』p.46
    人生 44番
    人間が成長するためには少々良くない環境の方が良いのではないか。悩む考えることが人生には必要なのではないか。
    『見よ銀幕に』p.32
    人生 45番
    前人未踏に挑戦することは本当の人生を生き切る者にとっては人生の本質なのだ。
    『見よ銀幕に』p.41
    人生 46番
    影に生きるとは真の人間の人生の本質を表わすものと思料する。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 47番
    人間は何の影になることもできるのだ。その影になるべきものを見出すのが人生の目的なのではないか。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 48番
    人生の涙とは影であることを知ることなのだ。
    『見よ銀幕に』p.66
    人生 49番
    神の如き信念をしても、人生とは自分の思い通りには行かないのである。
    『見よ銀幕に』p.67
    人生 50番
    先達の生き方が心の中でいつでも生きている人は、真の人生を生き切れる人である。
    『見よ銀幕に』p.77
    人生 51番
    人生は累乗の産物である。
    『生くる』目次
    人生 52番
    人生を生ききった人や、何事かをなし遂げた人で、古風でない人間は一人もいないことに気づいた。
    『生くる』p.220
    人生 53番
    人生は失敗も成功も関係ありません。寿命の長短も関係ない。楽しいか悲しいかも関係ないのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.104
    人生 54番
    人生においてこだわり貫き通すものは、そのゆえに苦しみまたそのゆえに乗り越えられるのです。 
    『見よ銀幕に』p.255
    人生 55番
    よく生きるとは日々の人生の中に毎日喜びを発見していくことなのである。 
    『見よ銀幕に』p.434
    人生 56番
    思い通りに生きたいのに思い通りにならぬものに()かれる。そしてまた思い通りに行かぬのに思い通りにしたがる。本当に人生は楽しい。 
    『見よ銀幕に』p.483
    人生 57番
    人生は死ぬまで毎日が本番だ。そして本番は何が起こるかわからぬ。 
    『見よ銀幕に』p.528
    人生 58番
    一日にすべてがある。そして、すべては一日のために存在し、一日は一生のためにあるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.297
    人生 59番
    一陣の風が、その人生を吹き抜けなければ、何の人生であるのか。人生とは風の葬祭なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    人生 60番
    日常が大切なのである。常を養うことが人生の全てなのである。その「常」が何によって裏打ちされているかが重要なのだ。真の「常」とは志または愛情を持ってそれを日常とすることなのである。簡単なことが難しいのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.16
    人生 61番
    時間は他人に盗めない。 
    『生くる』 目次
    人生 62番
    恩を知らねば人としての人生はない。恩に始まり、恩に終わる。それを人生と呼ぶのだ。 
    『生くる』p.239
    人生 63番
    無明の中に本当の価値のある人生の秘密が隠されているのだ。価値の高い本当に美しい事柄は人生においては必ず、その人の無明の中にあるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.11
    人生 64番
    人生は、思いっ切り生き切れば、失敗でいいのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.299
    人生 65番
    哲学者マルチン・ブーバーは、真の生は一回性の流れの中で試されると言った。一回性(die Einmaligkeit:ディー・アインマーリヒカイト)に挑戦する意志が、人生を決めるのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.19
    人生 66番
    この世のあらゆる不幸と悲哀を見つめ続け、それでもこの世を愛さなければならぬ。不可能性の可能性を信ずることが人生のすべてと言えよう。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.24
    人生 67番
    命よりも大切なものが、人生を創り上げている。人生とは、自己の命が何ものに捧げられたかということに他ならない。命よりも大切なもののために生きなければ、元々人生などはないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.13
    人生 68番
    人生というのは、自分が思ったことは必ずできる。 
    『夏日烈烈』p.27
    人生 69番
    本当の人生とは実に正直で簡素なものである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.4
    人生 70番
    自分の体内の奥底に眠る(いのち)の系譜の哀しみに触れることこそ、真に生きるということなのではないか。そのことから目を背ければ真の人生は無いのだ。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.6
    人生 71番
    ユーモアの無い人生などつまらん人生である。しかし世界的なユーモア作家であるマーク・トウェインが言っているようにいつの世も「ユーモアの源泉は悲哀」なのである。
    『見よ銀幕に』追補4 p.6
    人生 72番
    人生の終末が近づく人間にとって、幼き日の思い出は何にも換え難い宝物である。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.1
    人生 73番
    人生とは、つまらぬ思い出を美しい神話と化する、その生き様にかかっているのではなかろうか。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.1
    人生 74番
    生涯にわたって「単調なる困難」というものと、真に向きあえる者だけが人生を詩となせるのである。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.2
    人生 75番
    空気が汚れているという現実を知らされたとき、だったら息ができないなどと悩むような発想をやめない限り、自分の人生を自由に切り拓いていくことはできません。 
    『生命の理念Ⅰ』p.91
    人生 76番
    犠牲を恐れてそれこそ人生そのものを犠牲にするか、犠牲に立ち向かって使命を果たし燃え尽きるか。いずれにしても人生とは自らの生を犠牲にすることなのだ。 
    『見よ銀幕に』p.365
    人生 77番
    真の人生とは、人間として自分自身の肉体と魂を含む全生命が、神のため、祖国のため、仕事のため、家族のため、友垣のために燃焼され尽くすことを言うのである。 
    『平成17年度 年末の辞』
    人生 78番
    不毛の悲哀が大地を支配している。その接線を、我々は生きなければならぬ。その深淵に、我々は死ななければならぬ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.4
    人生 79番
    一人ひとりの人間は、一人ひとりの人間として生きてきたと思っている。しかし、その人間たちの人生は何ら違っているところが無い。多くの人々の思い出は、個別ではなくなっているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    人生 80番
    真実の人生とは人生を本当に真面目に生き切った人々に彼岸で与えられる躍動なのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.15
    人生 81番
    もともと人生とは、未知の何ものかに挑戦する生命の躍動なのです。 
    『根源へ』p.148
    人生 82番
    私の考えは、聞いてもらえれば分かるかもしれませんが、自分の生き方の中から自ら体当たりをして、自己の意見として纏めただけなのです。 
    『悲願へ』p.20
    人生 83番
    割と運の良い人は悲哀がないので何かやけに明るいです。大体、やけに明るい人は駄目ですね。 
    『悲願へ』p.41
    人生 84番
    私は割と激しい方ですから、休息も求めない。休息しようという気がないのです。死ぬまで休まない。独立して三十五年、一日も休んだ日はないです。 
    『悲願へ』p.56
    人生 85番
    自分の存在を慎んで、他のために生きるのが人生です。自分のためだったら全員、我利我利亡者です。 
    『悲願へ』p.62
    人生 86番
    人生は自分で自分を戒めるのがすべての基本です。それを「修身」と言いました。 
    『悲願へ』p.62
    人生 87番
    自分が自分の生命を犠牲にして、誰に尽くすかというのが人生ですから、その対象に尽くす働きが愛なのです。 
    『悲願へ』p.66
    人生 88番
    私は価値ある人の人生は、すべて未完だと言っている。 
    『悲願へ』p.84
    人生 89番
    「体当たり」だけが人生なんだ。 
    『悲願へ』p.108
    人生 90番
    私の経験上、特に子どもに幸福になってもらいたいと思ったら、自分の人生は終わる。 
    『悲願へ』p.114
    人生 91番
    私は体当たりの人生を生きているけれど、私が他者に与えられる感化は、体当たりしかない。それ以外は何にもない。 
    『悲願へ』p.119
    人生 92番
    やるしか人間の人生はないと思っている。分かったことを全力でやるのが人生というものじゃないか。 
    『悲願へ』p.138
    人生 93番
    人間はすべて自分の人生を貫き通さなければなりません。 
    『悲願へ』p.150
    人生 94番
    私は別に優れているわけではなくて、自分の人生を本当に貫いて生き切って来ただけです。 
    『悲願へ』p.150
    人生 95番
    自分の人生を生きれば、皆、人間というのは大したものなんです。 
    『悲願へ』p.150
    人生 96番
    「体当たり」をし続けることが出来れば私の人生は成功だし、出来なくなったら、自分が人生に負けたんだと思う。 
    『悲願へ』p.150
    人生 97番
    人生の悲哀、人生の呻吟、苦しみ抜きながら、何ものかを求め渇望する、そしてすべてのものの命の中に生命の持つ悲しみを見つけること、そういうものが諸行無常ということなのです。 
    『悲願へ』p.160
    人生 98番
    現世的に嫌なこととか、過酷なこと、そして呻吟、悲哀、悲しみ、そういうものの中をただひとりで生き抜くのが生命だと私は思っています。 
    『悲願へ』p.160
    人生 99番
    あらゆるものを勉強して、あらゆるものをその場で毎日捨て去らなければ、本当の人生は生まれない。 
    『悲願へ』p.174
    人生 100番
    理想に生き、理想のために死ぬことだけが私の人生観とも言えましょう。 
    『悲願へ』p.179
    人生 101番
    今の人たちのように軽薄な幸福論を受け容れて生きている人たちは皆苦しんだら、その見返りとして、必ずいい結果を得ようとする。ある程度苦しんだら、じゃあいつまで苦しむのですか、何が分かるんですかと、私も聞かれるのだけど、死ぬまで結論はないのです、人生は。 
    『悲願へ』p.199
    人生 102番
    やり遂げなくたっていい。体当たりに価値があるのです。 
    『悲願へ』p.200
    人生 103番
    問答無用と体当たりの思想は、正しいやり方でどのようにするのかというのが人生論と言えます。 
    『悲願へ』p.208
    人生 104番
    欲望は、捨てて捨てて、欲望なんて関係ないという生き方をしてちょうどいいということを言っているのです。 
    『悲願へ』p.219
    人生 105番
    欲望は必要です。欲望は、原動力なのです。その欲望をどうやったら良く出せるかということです。 
    『悲願へ』p.220
    人生 106番
    愛や仁に支えられた本当の義はそんなにたやすく到達できるものではないのです。日々の鍛練なくして、本当にすばらしい欲望を人間は摑むことが出来ません。 
    『悲願へ』p.221
    人生 107番
    本当に燃焼した人生はかえって世間的には不幸なのです。 
    『悲願へ』p.226
    人生 108番
    私は、不幸だと思われる人生を送ろうと思っています。今のところ、あまりそういう風に見えないみたいですが。 
    『悲願へ』p.227
    人生 109番
    他人から見て幸せそうに見えるのでは駄目なのです。不幸のどん底で死ぬくらいの覚悟がないと、本当の人生は拓かない。 
    『悲願へ』p.227
    人生 110番
    不幸のまま死んでもいいと思わなければ、人生の本当の覚悟は生まれてきません。不幸でいいと思う心が、問答無用と体当たりの人生を招き入れるのです。 
    『悲願へ』p.227
    人生 111番
    自分の人生が幸福だったなどというのは、軽薄な人生を送った人間のたわ言です。 
    『悲願へ』p.231
    人生 112番
    自分の人生が纏まるような、小さな目的で生きている人は、まず魅力がないですよ。自分の人生では出来ないようなことに挑戦している人間にして初めて魅力がある。 
    『悲願へ』p.232
    人生 113番
    自分で自分を幸福だと言っている人の人生ほどつまらない人生はありません。 
    『悲願へ』p.236
    人生 114番
    「今ここで」に全力を尽くすことが人生の本質なのだ。 
    『現代の考察』p.2
    人生 115番
    文学を失うとは、人間としての「生き方」を失うということに他なりません。 
    『現代の考察』p.20
    人生 116番
    自分の人生は不幸でいいと思うことです。不幸を受け容れる覚悟をすれば、自分の生命の輝きを得ることができるのです。 
    『現代の考察』p.46
    人生 117番
    どんなに臆病な人間でも、臆病を否定し、自分で勇気ある人間として生きようとして、それを一生涯貫いて生きれば、それは勇気ある人なのです。 
    『現代の考察』p.50
    人生 118番
    自分では失敗の人生だと思っても、体当たりして思いっきり生きて駄目だったんなら、いい人生なんだってことを言っている。 
    『現代の考察』p.90
    人生 119番
    自分の人生が良かったなんて奴は、私から言えば軽薄ですよ。自分の人生が本当に下らないと思うぐらいの人生を送らないと、私は人間的に生きたと思わない。 
    『現代の考察』p.99
    人生 120番
    伝統に則った命を生かす生き方をするには、つまらない人生と不幸に向かわないと、駄目なんじゃないかと私は思っているわけです。 
    『現代の考察』p.100
    人生 121番
    道徳なんて守れることはないんだから。守らなかった自分というものを嚙みしめないと駄目なんですよ、人生は。 
    『現代の考察』p.101
    人生 122番
    宿命は受け容れるということ、まず。嫌がっていたら駄目。宿命を嫌がっている人が、文句屋であり、ひがみっぽい人であり、何て言うのかな、一生うだつが上がらない人生になる。 
    『現代の考察』p.129
    人生 123番
    みんなだって人生の判断に迷えば必ず自分がやりたい方に行くよ。それも必ず安全な方に決まっている。だから、迷う前に決めとかなきゃ駄目なんです。 
    『現代の考察』p.142
    人生 124番
    成功したら全部駄目だと思う方が良い。成功した奴が一番人生は駄目ですよ。失敗に次ぐ失敗の人間が、尊い人生を送る可能性がある。 
    『現代の考察』p.153
    人生 125番
    人生で良かったと思うことは、すべてが悪かったと思われることだった。 
    『現代の考察』p.161
    人生 126番
    自分の生命が敵と考えるものと接するのが人生なのです。 
    『現代の考察』p.164
    人生 127番
    人生がうまくいかない人は、一例で言えば、自分が馬鹿だと分からない人なのです。馬鹿のくせに自分はすごいと思っている人のことです。 
    『現代の考察』p.166
    人生 128番
    この悪魔と闘うための力をどうつけるかが真の人生論と言えます。 
    『現代の考察』p.172
    人生 129番
    人生は自分の生命を消費できるようになって初めて、一番大きな人生の喜びが得られるということです。 
    『現代の考察』p.188
    人生 130番
    今いいと言われている人生は、実は家畜の人生なのです。安心・安全で怪我をする恐れも少ない。 
    『現代の考察』p.229
    人生 131番
    人間の生命というのは人生の価値のことだから、信じて死ぬことは、私は少しも不幸だとは思っていないのです。 
    『現代の考察』p.231
    人生 132番
    世のため人のために生命を捧げるためには、自分の生命をものすごく価値が高いものにしておかないと意味がない。その価値の高いものをどう捨てるかが人生なのです。 
    『現代の考察』p.244
    人生 133番
    肉体に関することは、わりと動物と共通のものが多い。だから、こんなものは問題外で全部捨ててしまいなさいというのが、私の意見なのです。動物と同じ価値のものは全部捨てる。人間にしかできないものだけを取るというのが、私の根本思想です。 
    『現代の考察』p.262
    人生 134番
    荒涼としたサタンの大地が広がる。果てし無く曲りくねる道が続く。それが人生なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.4
    人生 135番
    人に仕えるということは、間違っている時には相手が言ってくれるということです。目上の人に合わせようとすることで、自我の壁を突き破るのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.97
    人生 136番
    他人に対して説教をする人間は多い。しかし、人生は説教を聞いても何の価値もない。ただ一つ、価値のあるものは共感に尽きる。 
    『友よ』p.24
    人生 137番
    最後に、「不合理の鐘」が鳴り響くとき、人間は個別の人生を取り戻すのだ。つまり、「垂直」の人生に向かって生きる意識の台頭であろう。それは、神の囁きに耳を傾けるときに訪れて来るのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    人生 138番
    人と人の信頼、人と人の(きずな)、人と人の出会いが我々のこの一寸先(いっすんさき)(やみ)の人生の灯(ともしび)と成っているのではないか。 
    『見よ銀幕に』p.528
    人生 139番
    ともしびは遠い。そこには、未完の人生を受け容れた者だけが行けるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.177
    人生 140番
    灯はどんなに小さくてもこの世にはしっかりと存在する事にその最大の価値があるのです。 
    『平成11年度 年末の辞』
    人生 141番
    発展とか向上とか豊かさ等というものは元々誇りのない者が望むものなのである。 
    『見よ銀幕に』p.605
    人生 142番
    神話と共に生きる事こそ人生の本当の目的なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.282
    人生 143番
    あゝ、何という哀しみであろうか。哀しみが解からなければ、人生の真の意味は解からないとすれば、まさに流浪のユダヤ人ほど人生の意味を知って居る民族はこの世には無いであろう。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.6
    人生 144番
    僕は、人生に立ち向かう本当の心がけを一つだけ挙げろと言われれば、「リアリズムと向き合う」と答えます。 
    『風の彼方へ』p.139
    人生 145番
    正直に生きるには人間はいつでも命を捨てる、又は自分自身の人生を捨てる勇気が必要なのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.15
  • ★人間 ―――人生に迷ったら

    人間 1番
    宇宙の時間から言えば、人間の一生は塵から生まれて塵に還る、ほんの一瞬のことです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.102
    人間 2番
    人間は、人間として生きなければ、生命を燃焼させることはできません。ただの肉の塊として、生煮えのまま一生を送ることになるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.106
    人間 3番
    真の人道に基づかぬものなど立志ではない。 
    『見よ銀幕に』p.287
    人間 4番
    非常識が日常と化すとき、人間は想像を絶することを行なうことができる。 
    『見よ銀幕に』p.294
    人間 5番
    人間は心の持ち方で偉大にもなり、それがそのまま卑小にも通じているのである。 
    『見よ銀幕に』p.401
    人間 6番
    人情があって、実行力があって、それでいて別に自分を大した者だとも思っていない。私はこのような人物こそ最も尊いのだと感じます。 
    『見よ銀幕に』p.449
    人間 7番
    子供は全てまだ「負け犬」ではない人間なのである。 
    『見よ銀幕に』p.458
    人間 8番
    人間は苦楽をともにしなければ何の意味もない。 
    『見よ銀幕に』p.520
    人間 9番
    人間とは、一つの生き方しかできないのだ。生命は、「持続する思考」である。 
    『「憧れ」の思想』p.266
    人間 10番
    人間は、宿命を生きなければ生命の躍動はない。生命の奥深くに打ち込まれている宿命を立てるのである。 
    『「憧れ」の思想』p.303
    人間 11番
    人間は、憧れに向かわなければならない。そして、それだけで死ぬのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.309
    人間 12番
    約束を守るということは、人間の生命にとって原点のように私には思えます。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.17
    人間 13番
    本当に心の底からやり遂げようとしたことを挫折し、その事実を認めた人間だけが自分の弱さを知ります。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.28
    人間 14番
    順番を知るということは、我々が自己の生命を燃焼させ、人間として最も人間らしく、幸福に生き切るために欠かせないことなのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.185
    人間 15番
    人間は自分が自分自身を信じることのできる過去を持つことが大切なのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.250
    人間 16番
    人の命を救える人というのはね、勇気を振るって決断する人たちなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.106
    人間 17番
    宿命だけが人間を真底から動かす力を持っている。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.3
    人間 18番
    人間同士の出会いと信頼ほど美しいものはこの世に無い。どんな芸術作品もそれには及ばない。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.15
    人間 19番
    人間は最後の最後ではただひとりだけだ。誰も見ていないが、それでもやらなければならない。 
    『夏日烈烈』p.249
    人間 20番
    考えるべきことは、宇宙、生命、文明、芸術のみなんだ。そういうことだけ考えて生きるのが人間の人間たるいわれなんだよ。自分のことは考えちゃ駄目なんだ。 
    『夏日烈烈』p.253
    人間 21番
    人間として生まれれば、「人間とはどこから来て、どう生きて、どう死んで、どこに行くのか」ということを考えるのは当然だよね。 
    『夏日烈烈』p.291
    人間 22番
    人間は、宇宙の意志である。 
    『「憧れ」の思想』p.21
    人間 23番
    人間は、いま現在、生まれたときに人間なのではなく、将来、本当の人間になる存在なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.79
    人間 24番
    愚かな生き方を貫いた人物は、偉大であり壮絶であった。 
    『「憧れ」の思想』p.79
    人間 25番
    我々は、ロマンティシズムの子孫である。我々は、宇宙を創り上げた力の分流なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.125
    人間 26番
    愛すべきとはつまり自己の弱さを真に知る人のことである。真の弱さを思い知らされることによって、人間は真の夢を育くむことができるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.10
    人間 27番
    人間が人間としての生を見つめながら、自らの憧れに生きることは悲しくまた美しい。 
    『「憧れ」の思想』p.46
    人間 28番
    人間は、憧れに生きるとき、人間以上の何ものかになるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.51
    人間 29番
    人間は、崇高の中に真の存在の幸福を感ずる。 
    『「憧れ」の思想』p.53
    人間 30番
    魂とは、人間の精神が生まれ出づる源泉を形創っている。それは、混沌の中に煌めく重い「質量」である。 
    『「憧れ」の思想』p.31
    人間 31番
    人間の本当の食糧は、書物である。 
    『「憧れ」の思想』p.244
    人間 32番
    真の人間の食糧は、先人たちから発せられる魂にある。 
    『「憧れ」の思想』p.246
    人間 33番
    死を厭わない人間だけが、真の生命の糧を得られる。 
    『「憧れ」の思想』p.140
    人間 34番
    主義主張などより、一人の人間として「いかに生きたか」が重要であり、またそれが人間の魅力を創っている。 
    『友よ』p.18
    人間 35番
    人間とは、本音を言うことが最も難しい動物なのだ。 
    『友よ』p.22
    人間 36番
    人間は、自分と決して真正面から向き合えない。逆に人生を生ききる者は、これができる人間と言える。 
    『友よ』p.22
    人間 37番
    人間はきれいごとに流されて、生きているつもりになっている。もっと人間存在の深奥に迫らなければ本当に幸福な生はない。 
    『友よ』p.22
    人間 38番
    人間の熱情を表現する機械として、蒸気機関車より適切なものが他にあるだろうか。 
    『友よ』p.49
    人間 39番
    人物とはつまり、知れば知るほど魅力の出てくる人のことを言う。人間としての魅力だから、ひと目見てわかるようなものではない。 
    『生くる』p.189
    人間 40番
    人物はとにかく人間味に溢れ、酸いも甘いも嚙み分け、肚があり、面白くて怖くて、馬鹿か利口かわからず、年齢も定かではない。 
    『生くる』p.189
    人間 41番
    昔が良い社会であったとまでは言わないが、昔の方が今よりもずっと人間の心が純情単純で嘘というものが少なかったことだけは確かに言えることである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.6
    人間 42番
    我々の未来は、終わったところから出発した人間によって導かれていくのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.19
    人間 43番
    秩序とけじめがあって初めて人間の複雑な心の働きが、良い面も悪い面も含めてこの世に形として現出するのである。辛い人間関係があって初めて人は人を本当に愛せるのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.6
    人間 44番
    奇蹟というものは必ず一人の人間の勇気ある心によって生まれるのである。自分の心に真の勇気さえあれば人は皆、偉大な存在なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.12
    人間 45番
    人間だけが、不幸に耐え、それを生きる力に変換することができる。不幸に弱い人間は、読書が足りないのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.251
    人間 46番
    人間として生きる価値は、実は不幸の中にある。 
    『「憧れ」の思想』p.251
    人間 47番
    人間というのは、地獄に生きないと人間になれないんだと思うよ。 
    『夏日烈烈』p.314
    人間 48番
    清く慈悲深い真に偉大な人はその心の中に「祈り」があるのだ。その心の中に「聖地」を持って‎いるのである。だから他人がその心の中の真実を窺い知ることは不可能なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.2
    人間 49番
    人間性が花開いたルネッサンスは、もう美しき過去としてヨーロッパから去っていた。そして、新しい何ものかが生まれ出づる前、そこにバロックの精神が横たわっていたのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.2
    人間 50番
    人間のもつ悲しみとは、実は文明のもつ悲しみなのではないか。文明の中で、人間は人間として生きなければならぬ。そこに人間が宗教を生み出したいわれがあるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.7
    人間 51番
    内村鑑三は、近代というものに突き刺さった「棘」である。それは、近代がその内部に秘めてしまったものの「呻き」なのだ。人々はそれを嫌い、私はそれを愛する。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    人間 52番
    私はそのAIの存在の中に、いまの人類を乗り越えたその先にある輝かしい「何ものか」を感ずる。……それは、仰ぎ見るべき「初心」である。生き物にとって、最も尊い神から与えられた「運命」なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    人間 53番
    我々人類は、神の恩寵によって人類となった。我々は、その宇宙の意志を、そのまま受け入れたから人間となったのである。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    人間 54番
    人間は、生まれながらに価値があるのではないのだ。価値は、創らなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.210
    人間 55番
    「生の躍動」に挑む人びとは、無益な受難を受ける人間と考えてよいのではないだろうか。 
    『「憧れ」の思想』p.211
    人間 56番
    人間としての信念に生きるとは、たやすいことではないのだ。命だけでなく、人生のすべてを失う覚悟がなければ、それはできないことなのかもしれない。人間性を貫くとは、そのようなことなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.7(予定) 「杉原千畝」
    人間 57番
    人に仕えるということは、間違っているときには相手が言ってくれるということです。目上の人に合わせようとすることで、自我の壁を突き破るのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.97
    人間 58番
    人間というのは、汚れなきゃ駄目なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.354
    人間 59番
    窮地(きゅうち)に立っての人道主義こそ真の人道なのです。 
    『見よ銀幕に』p.457
    人間 60番
    人間はまず「普通の人」にならなければならない。そして本当の「普通の人」になれた自己が何をなすことができるかが人生の中心課題なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.500
    人間 61番
    目に見えるものさえ人間は正しくは中々見ない。 
    『見よ銀幕に』p.579
    人間 62番
    動物は「環境」の中にただ「棲息」するのみです。しかし、人間は違う。人間は、死ぬために生きる。 
    『生命の理念Ⅰ』p.108
    人間 63番
    この世には、命よりも大切なものがある。それがわからなければ、人間となることはできないのだ。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.38
    人間 64番
    一点に集中することは、自己を滅却するほどの勇気を必要としている。 
    『「憧れ」の思想』p.175
    人間 65番
    人間とは、自らの生きる意味を勝ち取っていかなければならない存在である。 
    『「憧れ」の思想』p.210
    人間 66番
    人間が人間の力で、その人間力をもって支配し得る最高にして最大の機械が、十九世紀の西洋大型帆船であると私は思っている。帆船は人間の勇気、忍耐力、規律、そして英知を最も必要とし、その力によって最大限の性能を発揮するものなのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.7
    人間 67番
    規律の運用は真の紳士のなせる(わざ)である。 
    『見よ銀幕に』p.453
    人間 68番
    スタイルを創り貫くことが紳士の紳士たる原因(いわれ)なのである。ただし、スタイルは勇気と犠牲なくしては貫ぬけない。 
    『見よ銀幕に』p.531
    人間 69番
    人間の潜在意識が、人間の理性を越えたとき、そこには文明史を貫く悲劇が現出する。鹿鳴館の存在自体がその代表であろう。それは文明の悲劇そのものである。人間の悲しみそのものである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.7
    人間 70番
    困難こそが、人間に本来的勇気を奮い起こさせるのである。……人間の決断が偉大で困難なほど、人間は本来的な人間となるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.21(予定) 「オペレーション・クロマイト」
    人間 71番
    人間というのは、未完で終わり挫折しなければ駄目だと私は言っているのです。 
    『悲願へ』p.43
    人間 72番
    人間として先人の後を追い、自分もそのような真の人間として生きるには、人類の祖先たちの苦労を背負うという人生を送りたい。 
    『悲願へ』p.43
    人間 73番
    人間が現世で実際に到達できる絶対的価値というのは何もない。 
    『悲願へ』p.84
    人間 74番
    現世というのは、人間は挑戦することだけに価値がある。その挑戦する生命にね。そして、それが私は正しいと思っている。 
    『悲願へ』p.84
    人間 75番
    未完で終わろうとしない人が、大体において噓つきで、せこくて、(ずる)い奴だということになる。それが損得だけの人間ということです。 
    『悲願へ』p.84
    人間 76番
    人間なんて馬鹿をそのまま許容して、開き直っているのでは、いつまでたっても成長しないに決まっている。 
    『悲願へ』p.91
    人間 77番
    真の人間とは何か。人間の生き方の本質はどこにあるのか。そして、我々人間は、どこへ向かっていくのか。 
    『悲願へ』p.152
    人間 78番
    反自己に苛まれるとは、神ではない存在の人間には絶対値というものは無いということが分かっているか、いないのかという問題です。 
    『悲願へ』p.171
    人間 79番
    人間の正しさとはいつでも、相対的なものなのです。宇宙の摂理に向かう生き方もとりあえずの正しさであり、一番妥当性があるということなのです。 
    『悲願へ』p.171
    人間 80番
    正しい人というのは、あらゆるものの中から最後に必ず愛による決断を得ることが出来る人だということです。馬鹿な人間というのは、自我に(まみ)れた愚かで馬鹿な決断を下す人なのです。 
    『悲願へ』p.182
    人間 81番
    利口な人も馬鹿な人も、実は人間というのは皆、同じことを言っています。同じもので苦しみ、同じことを言っているし、根本的には間違っていることを話している人はほとんどいない。ただ、愛に基づく結論を出したのか、自我からの結論なのか、そういう違いがあるというだけです。 
    『悲願へ』p.182
    人間 82番
    問答無用と体当たりの生き方によって、生命を燃焼し、愛を実践する以外、これから人間としての道を復活させることは出来ないのではないでしょうか。 
    『悲願へ』p.190
    人間 83番
    人間は精神だけが大切で、心だけが大切なのです。 
    『悲願へ』p.193
    人間 84番
    あまりにも肉体を大切にしていると、我々の魂の本質、つまりこの宇宙の果てを目指し、永遠を目指して生きるはずの人間の魂が、徐々に失われていってしまう。 
    『悲願へ』p.201
    人間 85番
    人間というのは弱い。私は死ぬまでそうやり切れば、それがその人の人生だから、本物の人物なのだと思っています。 
    『悲願へ』p.245
    人間 86番
    人間というのは本当の意味で育ちが良くなければ駄目です。運の良し悪しはあるけれど、やはり愛情を与えられて育った人でないと経験を活かせません。 
    『悲願へ』p.255
    人間 87番
    人間は、何故これほどに苦しまねばならないのか。 
    『現代の考察』p.3
    人間 88番
    人間は、人間であり続けようと思えば苦しみ続けなければならない。だからこそ、我々はお互いを(ねぎら)い合うのではないか。 
    『現代の考察』p.4
    人間 89番
    我々は永遠に苦しみ続けなければならないのだろう。それが、人間として生きることではないか。人間であり続けることの代償ではないか。 
    『現代の考察』p.4
    人間 90番
    我々は共に手を携えて、人間として苦しみ続けようではないか。 
    『現代の考察』p.4
    人間 91番
    人類は、道徳を立てることによって文明を築いてきた。しかし、その道徳はまた、我々の生命がもつ個別性と抵触するものでもあった。 
    『現代の考察』p.16
    人間 92番
    人間を乗り超えようとする、つまり自己を超克しようとしなければ決して「本来の人間」としては生きられないのです。 
    『現代の考察』p.19
    人間 93番
    人間以上のものたらんと欲して、初めて真の人間になるのが、我々人間の現実の姿だと私は思います。 
    『現代の考察』p.19
    人間 94番
    人間としての生き方は、文明の一員としての自己認識にそのすべてが懸かっているのです。 
    『現代の考察』p.27
    人間 95番
    物事をやっていく場合に一番考えなきゃいけないのは、人間というのは必ず自分があるので、物事の価値観を見るときには、自分から見た場合と他者を見る場合とを分けられないと駄目だということです。 
    『現代の考察』p.73
    人間 96番
    根源的には、他の動物と人間の最大の違いは、動物は自分さえ良ければいいのに対して、人間は自分以外の何かの価値のために、自分の命つまり大切な命も犠牲にすることができるということなのです。 
    『現代の考察』p.91
    人間 97番
    肉体が一番大切だったら動物と変わらない。人間の人間たるいわれは、その大切な肉体をいざというときに投げ捨てる、その精神に人間の根源が存在していると考えるのです。 
    『現代の考察』p.96
    人間 98番
    自分で立派な人だと自分のことを思うような人間は最低なんだ。 
    『現代の考察』p.101
    人間 99番
    人は人だからね。人の生命というのは代わることもできないし、人間というのは、自分が一所懸命に生きること以外はできない。 
    『現代の考察』p.135
    人間 100番
    我々は、毒を失いつつある。それは我々が真の人間であることを、失いつつあることを意味しているのだ。 
    『現代の考察』p.158
    人間 101番
    簡単な言葉で言うと、苦しみを共にすることによって、人間に共感性が生まれる。苦しみを共にしなかったら、絶対に人間には共感は生まれない。 
    『現代の考察』p.168
    人間 102番
    気の合わない人間と付き合い、その人との人間関係を本当に向上させることができたら、その人間は自分自身が成長し、生命力が向上するのです。 
    『現代の考察』p.176
    人間 103番
    嫌な人と付き合った方が、人間力は上がる。好きな人と付き合っても、気晴らしにはなりますが、人間力は全く上がりません。 
    『現代の考察』p.177
    人間 104番
    人間はとにかく、失敗しなければ成長しないのです。 
    『現代の考察』p.179
    人間 105番
    人間と動物の違いは、自分の意志で、自分の命を投げ捨てることができるのが人間だということなのです。 
    『現代の考察』p.206
    人間 106番
    自分のことを良い人間だなどと思う人は、もう思ったその時点で家畜になるのです。 
    『現代の考察』p.209
    人間 107番
    一番重要なことは、苦労とか不幸というものは実はもっとも人間的なものだということです。家畜のような動物には不幸はないし苦労はない。あれは与えられた生命を死ぬまで生きるだけなのです。 
    『現代の考察』p.229
    人間 108番
    人間というのは文明を創っていく過程で不合理なものに突入したから、苦労とか苦しみとか不幸など色々なものがあるわけです。 
    『現代の考察』p.229
    人間 109番
    人間に与えられたその部分を、積極的に食らうと「人間とは何か」ということが分かってくる。そして人間的成長をしていくことが毒を食らうことだと私は書いています。 
    『現代の考察』p.229
    人間 110番
    人間文化というのは、例えば愛する人がいて、共に飢え死にしそうになったら、食べ物を相手に譲るではないですか。それが人間なのです。 
    『現代の考察』p.230
    人間 111番
    人間の生き方というのは、ただ独りです。キリスト教も全部そうです。自分がどう生きるかです。横や周りの人間は関係ない。 
    『現代の考察』p.258
    人間 112番
    文明の世の中では、もともと人間のすることは自然から言えば病気なのです。 
    『現代の考察』p.261
    人間 113番
    動物学的に言うと、人類がやっていることは、すべて病気なのです。武士道も病気です。キリスト教も病気だし、仏教も病気なのです。禅なんかもみんな病気の最たるものなのです。 
    『現代の考察』p.261
    人間 114番
    最後はみんな人間というのは、()びて、疲れ果てて、ボロボロになって死んでいく。 
    『現代の考察』p.274
    人間 115番
    人類は、神を志向する動物として人類になったということです。 
    『現代の考察』p.281
    人間 116番
    人間存在自体が悪魔なのだから。人間存在を全うすれば、地獄に行くのが当たり前なのです。 
    『現代の考察』p.289
    人間 117番
    現実の人間は醜く自然は厳しい。 
    『見よ銀幕に』p.576
    人間 118番
    実際には、悪魔が見えることが、人間の健全さを現わしているのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.17
    人間 119番
    我々の生命は、勇気と信仰の中に育まれる。自己の生命を、安全で保証されたものにしようとする時、人間は悪霊にその魂を売り渡す。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.27
    人間 120番
    忘れてはならぬものがあった。それは、人類が自己の出生の「原故郷」を確かに見出さねばならぬということであろう。それを見つめ続けて生きなければ、神を見失いつつある人間に未来はない。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.30
    人間 121番
    人間は、神ではないのだ。この簡単な真理が、解かるか解からないかということに尽きる。人間は、それを解かっていないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.3
    人間 122番
    焦がれうつ魂を、抱き締めなければならない。それが人間の使命なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.99
    人間 123番
    無限の荒野、遠い星へ向かって生きる人間が、自己の生命の燃焼をしている人間なのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.314
    人間 124番
    古いものが人間の精神の柱なのである。 
    『見よ銀幕に』p.649
    人間 125番
    文明の目的は、宇宙や生命そして人間の本質を探究することであった。 
    『「憧れ」の思想』p.19
    人間 126番
    沈黙の世界において、人間はそれぞれが、すべて宇宙で唯一の存在なのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.267
    人間 127番
    原始キリスト教の生き方と死に様、つまり、その人間の実存を最も端的に現わしている人間こそが「聖ペテロ」である。 
    『「憧れ」の思想』p.105
    人間 128番
    人間存在というのは、地底から出てくるものと天から舞い降りてくるものとの合体の接合エネルギーにあると思っているんだ。 
    『夏日烈烈』p.310
    人間 129番
    人間の未来は、人間が創り上げなければならない。 
    『脱人間論』p.363
    人間 130番
    人間は、信じるためだけに生きている存在である。 
    『脱人間論』p.53
    人間 131番
    ただ一つ言える事がある。やり抜く人間は誇りを持っている事である。(おのれ)(いのち)に。 
    『見よ銀幕に』p.522
    人間 132番
    誇りの根源は自分の生命でも存在でもないのだ。共通しているものは、その人物の中で生きている死者がその誇りとその結果としての勇気を与え得る唯一の存在なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.522
    人間 133番
    勇気が生命の中枢を支えているのが、真の人類である。 
    『現代の考察』p.416
    人間 134番
    人間を愛さなければ人間の絵など描けないのです。 
    『現代の考察』P.443
    人間 135番
    人間とは、自己の肉体よりも大切なものに命を懸ける存在である。 
    『現代の考察』P.533
    人間 136番
    サタンって、実際に見るとすごい一生懸命で可愛いじゃない。どうして可愛いかというと、我々の本体だからなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.390
    人間 137番
    我々の文明は、人間の本質を探究するために築かれたのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.19
    人間 138番
    純心の本質とは何だろうか。……私は、人間の(たしな)みと(わきま)えなのではないかと感ずるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8(予定) 「伊豆の踊子(1974年)」
    人間 139番
    毎日、情感の食物、精神の食物を食べない限り、人間としての生命を失っていくと思ってください。 
    『現代の考察』p.175
  • ★家族・親子 ―――人生に迷ったら

    家族・親子 1番
    「親しき中にも礼儀在り」という諺が家族といえどもやはり人間関係の中心なのである。無明があって初めて人は人をいたわり、信じ、愛することができるのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.11
    家族・親子 2番
    国家や先祖と結び付かない家族愛は利己主義的で腑抜(ふぬ)けのマイホームを生む。 
    『見よ銀幕に』p.370
    家族・親子 3番
    同じ悲願を共有することが家族であり友達であることの証なのです。 
    『平成13年度 年末の辞』
    家族・親子 4番
    我々のこの五尺あまりの肉体の中には先祖達のあらゆる夢や憧れがはちきれんばかりに詰まっているのである。 
    『平成19年度 年末の辞』
    家族・親子 5番
    昔の家族の強い絆の中では、どんなに嫌いな人間とも、どんなに苦手な人間とも全て絆を断たぬまま付き合っていくのである。そのために一番重要な事柄が秩序とけじめである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.6
    家族・親子 6番
    昔の大家族が真に人を育てる本当の「学校」であったのだ。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.6
    家族・親子 7番
    昔の人の愛情は深い。そして憎しみは浅い。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.6
    家族・親子 8番
    家族とは、精神なのだ。家族が文化であり、文明を作る組織である限りその核は「精神」なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.260
    家族・親子 9番
    昔は、父親がものすごく厳しかったから母親が慕われたわけ。母親は赦しの役なんだよ。でも今はもう父親のほうが赦しだから真の「母」もいなくなってしまった。 
    『夏日烈烈』p.58
    家族・親子 10番
    「損をする」関係だからこその家族ではないかということをもう少し考えなければならないと感じている。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.2
    家族・親子 11番
    家族の本当の愛情とは実は家というものを繁栄させようとする人間の意志によってしか生まれないのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.3
    家族・親子 12番
    真実の愛は綺麗事ではないのだ。愛の絆は戦いの中から生まれるのだ。家にとってなくてはならない存在となるために昔の人は家族同士で戦ったのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.3
    家族・親子 13番
    真実の絆は戦友愛によりよく酷似しているのである。愛は戦いに勝つことによって生まれ、勝つ人間が代々続く家が永続し繁栄するのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.3
    家族・親子 14番
    仲が良いだけの家族の中には大きな嘘がその人間関係の中に存在しているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.3
    家族・親子 15番
    仲良くだけやろうとすれば傍観者にならざるを得ない。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.3
    家族・親子 16番
    真の夢があって初めて人は家族ごと仲間ごと育つのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.16
    家族・親子 17番
    真の日常を送るとは、真の人生とは大変な事柄なのである。だから人と人は助け合わなければ生きていけないのである。日常があって初めて家族の真の絆も生まれるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.16
    家族・親子 18番
    家族の厚い信頼と愛情、そして葛藤の中から多くの偉大なる敗北が生まれ、また偉大なる希望も生まれてくるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.10(予定) 「静かなる情熱」
    家族・親子 19番
    自己の役割を知ることが人格を発生させる基礎だからこそ、家庭の教育が第一歩であった。 
    『生くる』p.182
    家族・親子 20番
    私が子どもの頃、まだ日本の家庭は健全な姿を維持していた。私の父は、三井物産に勤めていた。だから我が家では、三井系企業のもの以外は一切使うことも買うことも許されなかった。 
    『生くる』p.184
    家族・親子 21番
    (私の)家族はすべて、父の仕事のために働き、まるで三井物産の準社員のような生活をしていた。 
    『生くる』p.184
    家族・親子 22番
    教育とは心と心の触れ合いであり、それによって(はぐく)まれる心の成長なのです。それには綺麗事はいけません。善いも悪いも無いのです。教師ですら優れている必要など無いのです。
    『見よ銀幕に』p.298
    家族・親子 23番
    大人が意地悪だろうがまたなかろうが(げん)として大人の世界を持つ限り、子供は子供の世界を打ち壊され、哀しみ、そして成長するのです。 
    『見よ銀幕に』p.367
    家族・親子 24番
    子供は心が自立しているのだ。自由なのだ。そして自由なる者は、大人達にとっては悲劇であることでも、それを生きる楽しみに転化する術をその心の中に持っているのだ。 
    『見よ銀幕に』p.458
    家族・親子 25番
    大人が綺麗事で生き、良い面だけを子供に見せる限り子供は大人にはなり切れません。人間の心はただ正直な生き様を見せることだけが育てるのです。 
    『見よ銀幕に』p.564
    家族・親子 26番
    善人であれ悪人であれ子供の成長にとって一番尊い教育をできる人は、つまりは正直に自分の責任で自分自身の道を歩んでいる人達なのです。善と悪の混合の中から真の人物は育つのです。 
    『見よ銀幕に』p.573
    家族・親子 27番
    父母つまり祖先が歩んだように自分も歩む。ゆえに信念があり独自の道を歩めるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.586
    家族・親子 28番
    子供にとって本当に尊敬できる秀れた大人はみんな魔法使いなのです。そうでない科学的な物わかりの良い大人などは子供にとっての真の先達ではないのだ。 
    『見よ銀幕に』p.603
    家族・親子 29番
    母の涙を知らず、母に甘えるだけの弱者が悪をなすのだ。 
    『見よ銀幕に』p.638
    家族・親子 30番
    父がおり、母がおり、家族がいる。仕事があり友達がいる。人生はこれだけで良い。 
    『見よ銀幕に』p.647
    家族・親子 31番
    やっぱり親が嫌なほうが力ってつくよね。これは良い悪いじゃなくて、生命力って反作用でついていくわけだから。 
    『夏日烈烈』p.257
    家族・親子 32番
    親というのは欠点があるから親なんだ。……それがわからないと人間関係はとれない。 
    『夏日烈烈』p.483
    家族・親子 33番
    子供というのは味噌っかすじゃないと、駄目なんだよ。味噌っかすじゃなくなろうとして勉強するわけだからね。 
    『夏日烈烈』p.499
    家族・親子 34番
    賢く強い真実の母の愛情は、その子供の生涯を貫抜いて、本当の意味の守護神足り得る力があるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.11
    家族・親子 35番
    子供に対する親の愛の本質は悲しい。悲願があり涙があるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.11
    家族・親子 36番
    親子とは、対立することによって発展するものなのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.13
    家族・親子 37番
    私は心底から、このエリオット・ネスのような男になりたいと思っていたのである。ある日、父にその旨を言ったとき、父が「お前には、絶対に無理だ」と答えてくれたことを、やけに鮮明に覚えている。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.16
    家族・親子 38番
    偉い人または一念を貫いた人というのは表面的には損をしたような印象があるのだ。だから子から見ると何かもどかしいのである。ただ子が大人になれば必ずわかる。 
    『見よ銀幕に』p.606
    家族・親子 39番
    親を愛すれば、親の欠点と思われるものは、また親の涙として、何とか補い助けるべく、自分自身を真に活かす原動力となり得る。 
    『生くる』p.422
    家族・親子 40番
    (昔は)鬱陶しくない親っていなかった。親子は、愛し合っているが、対立もしているのです。それが正しい姿、怨親平等(おんしんびょうどう)なのです。 
    『風の彼方へ』p.305
    家族・親子 41番
    歳をとった両親に、幸福を味わってもらいたいと思うことが親孝行なのです。自分ではない。 
    『悲願へ』p.60
    家族・親子 42番
    親子でも対立していない親子ならば、優秀な子は育たない。これだけは保証できる。先生とも対立しなければいけない。先生の言うことを全部聞いている子なんて、どうしようもない。 
    『悲願へ』p.102
    家族・親子 43番
    子どもには子どもの運命があるということをもう一回よく思って、私は私の運命を生き切ることしか出来ない人間だから、子どもも子どもの運命を力一杯生きてくれればいいと思って、それから自己を取り戻したんだ。 
    『悲願へ』p.115
    家族・親子 44番
    そもそも道徳を教科にするのが間違っている。道徳は学校で教える前は、昔は家庭の愛情の下にある躾だったんだ。 
    『悲願へ』p.119
    家族・親子 45番
    親は子に自分の生き方を見せる。子どもがそれに感化を受けるかどうかだ。だから、それを「背中」と言う。背中で教えるものが道徳だ。 
    『悲願へ』p.119
    家族・親子 46番
    自分が生きてきたものが友達であろうが、自分の子どもであろうが、誰かがその背中を受け継いだら、その人の人生は大成功だと私は思っている。 
    『悲願へ』p.131
    家族・親子 47番
    家族だって、嫌なものもあるし、憎しみもあるし、色々なものがある。最後に愛の決断を下すことが出来るかどうかだけが、あらゆる物事が正しいかどうかの仕分けになるということです。 
    『悲願へ』p.182
    家族・親子 48番
    本当に家族を愛する人は、国がもし戦争をした場合は家族を捨てることになる場合もあり得るのです。 
    『悲願へ』p.184
    家族・親子 49番
    この世において、その「義」が抵触するものが「仁」である。その仁を行なうものが家庭なのだ。 
    『現代の考察』p.15
    家族・親子 50番
    家庭を大切にするために、義をすべて犠牲にするというのが現代です。 
    『現代の考察』p.37
    家族・親子 51番
    家庭と仕事というのは、仕事は文明、家庭は愛情だから、もともと反発しているのです。 
    『現代の考察』p.38
    家族・親子 52番
    仕事と家庭をさらに理論的に見ていくと、それは一つの核融合理論とも言えます。この相克するエネルギーを一体化するというのが本当の核融合なのです。 
    『現代の考察』p.39
    家族・親子 53番
    実は人にものを教えることなどは根源的にできない。人というのは、親子もそうですが、先生も感化しかない。感化とは何かっていうと、自分の生き方から(にじ)み出るものなんだ。 
    『現代の考察』p.65
    家族・親子 54番
    親子の関係でも夫婦でも、相手を愛しているなら言葉にならないはずだ。 
    『現代の考察』p.69
    家族・親子 55番
    本当に子どもを愛するなら、子どもの幸福を祈る気持ちがあれば充分だっていうことを言っている。 
    『現代の考察』p.74
    家族・親子 56番
    子どもなんていうのは、みんなろくでもない悪ガキだからね。悪いことをしながら、バランスというか中庸を保つことを覚えていくんだ。 
    『現代の考察』p.126
    家族・親子 57番
    人間にとって一番重要なのは、何でも食べるということです。栄養や健康に良いとか悪いなどとは考えずに食べる。食べ物を出されたら何でも食べる。これが昔の躾の根本です。 
    『現代の考察』p.194
    家族・親子 58番
    家族が大切なら大切なほど、その大切な家族を犠牲にしてまでやらなければならないことが本来の人間にはあるということを言っている。 
    『現代の考察』p.244
    家族・親子 59番
    親に合わせることが親孝行じゃない。私は親孝行とは、自分の命を使い切って燃焼させて、何にも残らないまで使い切ることだと思っています。 
    『現代の考察』p.259
    家族・親子 60番
    私は親孝行の根源というのは、親から貰ったこの命を本当に燃やし尽くし、自分が信じる価値の中に捨て去ることだと思っています。 
    『現代の考察』p.259
    家族・親子 61番
    個人の意見を尊重すると言って、親子の関係に至るまで破壊してしまう。民主主義は、必ずそこまで行き着きます。 
    『生命の理念Ⅰ』p.94
    家族・親子 62番
    真の男と真の女にして初めて真の夫婦に成れるのである。 
    『見よ銀幕に』p.286
  • ★精神 ―――人生に迷ったら

    精神 1番
    生命とは、肉体の活動だけではないのです。魂の淵源を志向する「精神」が立ってこその人間なのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.30
    精神 2番
    この世は人間の心と働き無くしては何も無いのです。人間の持つ夢と祈りが全ての基本なのです。 
    『見よ銀幕に』p.301
    精神 3番
    恐怖心の克服(こくふく)こそが人類の偉大な文化伝統の系譜(けいふ)なのだ。決断力と勇気と忍耐の戦いである。 
    『見よ銀幕に』p.354
    精神 4番
    弱者の弱者たるいわれはその目的性のない意志力の薄弱さにある。そしてその薄弱(はくじゃく)が節度のない欲望を生み出すのだ。 
    『見よ銀幕に』p.414
    精神 5番
    欠点が美しきものを生み出し、正しさが悩みを生み出す人生の哀歓を感じなければならん。 
    『見よ銀幕に』p.480
    精神 6番
    偉大な者が偉大なことをする、または馬鹿者が馬鹿なことをすると考えている幼児の思考の頂点の問題であり、ここを一歩進んだところに真の大人の世界がある。 
    『見よ銀幕に』p.500
    精神 7番
    実行力とはね、頭脳が明晰(めいせき)であってその頭脳を捨て去ったところに存在するものです。 
    『見よ銀幕に』p.568
    精神 8番
    使命というものは何も語らぬ自然現象と目に見ることのできぬ恩と縁で結ばれた人間関係から必然的に生まれ出づるものなのです。 
    『平成14年度 年末の辞』
    精神 9番
    使命を愛し、使命に恋し、使命をいたわり、使命を抱きしめ、使命を己の名誉よりも命よりも財産よりも大切に思う者でなければ使命というものは見えないのであります。 
    『平成14年度 年末の辞』
    精神 10番
    偉大なものへは尊敬の念を持って少しずつ近づかなければなりません。 
    『見よ銀幕に』p.597
    精神 11番
    人間の誇りは高すぎれば(あせ)りを生む。高さよりも深さが重要と感じる。 
    『見よ銀幕に』p.597
    精神 12番
    志は完遂されないのが良いのだ。目的は達成されないのが良いのだ。人生は未完成であることに価値があるのだ。高い志を持って未完成のまま野垂(のた)れ死にするのが良いのだ。 
    『見よ銀幕に』p.617
    精神 13番
    狂気とは価値ある事柄をなし遂げるための資質の一つかもしれない。 
    『見よ銀幕に』p.628
    精神 14番
    真の幸福とは、現世の価値においては、不幸と言われている「人間精神」を知ることなのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.203
    精神 15番
    自分の命よりも「人間の精神」を重んずる生き方が読書の本体である。 
    『「憧れ」の思想』p.245
    精神 16番
    真の生命力とは、精神を育むことでしか得られない。 
    『「憧れ」の思想』p.247
    精神 17番
    日常を突き破るのだ。非日常に自己の生命を(さら)すのである。 
    『「憧れ」の思想』p.256
    精神 18番
    憧れに向かう精神とは、そのすべてが「祈り」なのである。 
    『「憧れ」の思想』p.257
    精神 19番
    何を取り、何を捨てるか。それを決断する力こそが「人格」と呼ばれるものに違いない。 
    『「憧れ」の思想』p.266
    精神 20番
    苦しむことが、勇気なのだ。決めることは、自分を逃がすことになると私は思っている。 
    『「憧れ」の思想』p.267
    精神 21番
    わかる必要もない。ただ、共感すればいい。その憧れに、震えるものを感ずればいい。 
    『「憧れ」の思想』p.268
    精神 22番
    功利を求める心を抑えたときに、自身の中に「真空」が起こる。 
    『「憧れ」の思想』p.275
    精神 23番
    思索の苦闘の末に自分が「焦がれうつ魂」を勝ち取っていくことが読書なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.279
    精神 24番
    突き進むのだ。図にはずれたら、あきらめることが大切である。 
    『「憧れ」の思想』p.279
    精神 25番
    自分が生きる時代の功利に流されることなく、悲痛な日々に身を置くことが大切なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.281
    精神 26番
    我々は、燃え尽きるために生きている。それだけが、真実なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.283
    精神 27番
    我々は真実に向かって突進しなければならない。そのための友が、魂のある書物ということになる。 
    『「憧れ」の思想』p.283
    精神 28番
    書物には、憧れへ向けて走る我々の生命を見守る父祖たちの「魂魄(こんぱく)」が入っている。 
    『「憧れ」の思想』p.277
    精神 29番
    役に立つように見えるものは、すべてが「憧れ」に向かうことを阻害する要因となり得ると思っていなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.286
    精神 30番
    持続する思考が生み出す一日は、自己の生命のすべてでもある。平凡だがすべてである。 
    『「憧れ」の思想』p.297
    精神 31番
    書物は、生きるために読むのではない。それは、正しく死ぬための思想を得るためにある。 
    『「憧れ」の思想』p.298
    精神 32番
    初心が、すべての物事の経過に価値をつけているのだ。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.14
    精神 33番
    人生で何かを積み上げていくのか、何もできずに虚しい生涯を送るかの違いは、この初心を立てること、もっと言えばその初心を貫いていけるかどうかということにかかっています。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.15
    精神 34番
    美しい心が積み重なって意志力になり、美しい心が発展して哲学になる。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.251
    精神 35番
    無限の大海原へ乗り出さなければなりません。その途中で死ぬかどうかは、どうでもいい問題です。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.314
    精神 36番
    自己の宿命に立てば、生命自身が燃え尽きるのだ。燃え尽きるために、生きる必要はない。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.318
    精神 37番
    動物の肉体を宇宙的な人間精神がどう制御して人間らしい人間となるかということだ。 
    『夏日烈烈』p.72
    精神 38番
    貪欲に生きて生きて、足るを知らざる生き方の中に、足るを知る生き方の本質が見えてくるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.9
    精神 39番
    実存は戦いである。実存は悲しい。実存は死ぬ。しかし、人が生まれるとは、実存に生きるためではないのか。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.11
    精神 40番
    「荘厳」とは、我々を幸福へ導いてくれると信じている自然の存在であり、また犠牲的精神に支えられた人類的行為のことなのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.10
    精神 41番
    ノストラダムスとは、十六世紀の「精神」なのだ。その時代、人間の自立が芽生え始めていた。神に包まれていた人間は、神を見る存在へと移行しつつあった。この現象が、ヨーロッパに科学文明をもたらすことになったのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.30
    精神 42番
    精神のために、生命がある。それが、人間に課された生命の意義なのではないか。 
    『「憧れ」の思想』p.21
    精神 43番
    人間精神には、死することの自由もあるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.57
    精神 44番
    人間精神の原初の「清純」こそが、人間の真の未来なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.64
    精神 45番
    まず、そうする。それが、すべての始まりとなる。 
    『「憧れ」の思想』p.67
    精神 46番
    我々は勇気を振り絞らなければならない。自己の運命を信じて、跳ばなければならないときが必ずくるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.125
    精神 47番
    どの時代を生きるにせよ、自分の生命の燃焼を根本に据えているかどうかということに尽きる。 
    『「憧れ」の思想』p.169
    精神 48番
    失敗をしたくない成功哲学や健康論というのは、全部最初から失敗だから。 
    『夏日烈烈』p.367
    精神 49番
    本音で生きない人には真の人生はない。その本音とは、誰にでも経験のある、胸先を突き上げてくるぎりぎりのところのものを指している。それを言えるか、それを実行できるか。 
    『友よ』p.22
    精神 50番
    洗練とは、言行一致の知識を身につけることを言う。学問や芸術が、己の人生の中で生きることを、私は本当の教養であり洗練なのだと感ずるようになった。 
    『友よ』p.29
    精神 51番
    誰も見ている者はいないが、自分は跳ばなければならない。……自己自身の神話を築くために……自らの人生を詩となすために。 
    『友よ』p.64
    精神 52番
    感動することにより人を尊敬し、その尊敬する人に誓いを立てることは、爆発的なエネルギーを生むものだ。 
    『友よ』p.67
    精神 53番
    私は命懸けであらゆることに取り組んできた。そして命懸けこそが、真の(いのちく)が生きることなのだと知った。 
    『友よ』p.78
    精神 54番
    決意は初心にあるのです。 
    『平成12年度 年末の辞』
    精神 55番
    決意は一人ではできないのです。運命を偕にする仲間がいて初めて本物の決意ができるのです。 
    『平成12年度 年末の辞』
    精神 56番
    精神的な道というのは、一番気をつけなければいけないのは、とにかくやり過ぎると、大体、ろくなことはないということです。 
    『悲願へ』p.33
    精神 57番
    道徳は破るためにあるのです。 
    『悲願へ』p.33
    精神 58番
    人間の精神は悲哀から生まれました。 
    『悲願へ』p.40
    精神 59番
    私は死ぬまで過去の「偉大な精神」と対面さえしていれば、それだけで満足です。 
    『悲願へ』p.72
    精神 60番
    実は心が中心で、心のことだけを大切にして生きなければ、物心一如の平衡状態はとれないのです。 
    『悲願へ』p.162
    精神 61番
    現世の幸福、出世、楽しみ、お金、それらはすべて物質です。物質を考えたら必ず、精神は負けてしまう。私はそう確信している人間です。 
    『悲願へ』p.162
    精神 62番
    人間は心の動物であって、心だけが大切なのだということです。本当に心を大切にして生きていくと、幸之助の考えもそうですが、物質は必ず付随してくるということです。 
    『悲願へ』p.162
    精神 63番
    足りないものに向かう精神は、私が「憧れの思想」と言っているものであり、渇望なのです。 
    『悲願へ』p.174
    精神 64番
    プラス思考と今呼ばれているものを捨てて、初めて本当のプラス思考が身につくのです。 
    『悲願へ』p.196
    精神 65番
    本当の精神的な欲望とは、世間的な欲望を捨て去ったところから生まれてくるものだということです。 
    『悲願へ』p.216
    精神 66番
    人間にとって良い物質を生み出すものは、物質を否定している精神主義であるということを言っています。 
    『悲願へ』p.218
    精神 67番
    物質が豊かになればなるほど、本当は死ぬほどの努力で心を磨かない限り、どんどん心が貧しくなって豚になってしまう。 
    『悲願へ』p.239
    精神 68番
    道徳が正しく作動するには何が必要かというと、道徳を動かしている根源的な精神、つまり宗教心なのです。 
    『悲願へ』p.242
    精神 69番
    道徳は人に説教しては駄目です。自分がやりなさいということです。自分がやれば必ず感化を受ける人がいる。 
    『悲願へ』p.287
    精神 70番
    苦しみのないところに労いの心は生まれない。 
    『現代の考察』p.4
    精神 71番
    道徳を捨てては駄目です。道徳というのはそれを持った上で、破らなければ駄目なのです。 
    『現代の考察』p.46
    精神 72番
    武士道精神っていうのは受け容れれば必ず失敗する。失敗して自分が泣くことですよ。 
    『現代の考察』p.152
    精神 73番
    我々の精神は、苦悩と悲痛によって鍛えられ続けた。その克服だけが、我々人間の強力な精神を生み出す淵源となったのである。 
    『現代の考察』p.156
    精神 74番
    決意は一人ではできないのです。運命を偕にする仲間がいて初めて本物の決意ができるのです。 
    『平成12年度 年末の辞』
    精神 75番
    ボランティアというのは難しいところで、精神はいいに決まっている。人を助けて悪いことはないんだ。ただ、ボランティアと表明したら自己になるということです。ただ、いいことをしていると自分が思っただけでも、それはもう自分の見返りになる。 
    『現代の考察』p.286
    精神 76番
    内村鑑三は、近代というものに突き刺さった「(とげ)」である。それは、近代がその内部に秘めてしまったものの「呻き」なのだ。人々はそれを嫌い、私はそれを愛する。 
    『見よ銀幕に』追補7
    精神 77番
    「精神」のエネルギーは、いまも、ともしびと成っているその一点に集約されて放射され続けているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.20
    精神 78番
    憧れとは、ともしびを慕い、想い続ける精神を言う。それは、悲しみである。 
    『「憧れ」の思想』p.22
    精神 79番
    私は宗教哲学が好きなので、聖書を読んでも例えば旧約聖書は全部この崇高ですね。……崇高は怖いです。畏れのないものは、崇高ではないということが重要なのです。 
    『悲願へ』p.29
    精神 80番
    歴史上、価値のあるすべてのもののうち宗教性がないものはありません。人類は、もともと価値のあるものを宗教的と呼んでいたのです。 
    『悲願へ』p.30
    精神 81番
    カッコ良い人達というのはね、みんな好き勝手に生きているのに筋目(すじめ)だけはびしっと通っているんですね。 
    『見よ銀幕に』p.555
    精神 82番
    私が望むものは唯一つ。それは誇りの在る人生を生きたいという事だけです。 
    『平成13年度 年末の辞』
  • ★善悪 ―――人生に迷ったら

    善悪 1番
    実は、人間はこの地上に神の国、天国を作ろうと努力している、唯一の生き物なのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.52
    善悪 2番
    極悪人と極善人は紙一重だと言われますが、どちらもエネルギー量は大きいのです。その大きなエネルギー量が、どこに合っているかが違うだけなのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.93
    善悪 3番
    巨大な悪の根元にも善があり、善の中にも悪があるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.244
    善悪 4番
    善か悪かは人間の志が決めることである。この世はどちらに対しても妨害が湯水のように降り注ぐ。ただの善人にはこの困難は乗り越えられない。 
    『見よ銀幕に』p.428
    善悪 5番
    繰り返し繰り返し反復される善き思い出だけが人間に想像を絶する力を与えることができる。 
    『見よ銀幕に』p.496
    善悪 6番
    責任を持つ者は無責任な人間と対比する場合必ず悪人として描かれる。責任とはその哀しみに耐えて生きることなのだ。 
    『見よ銀幕に』p.544
    善悪 7番
    けじめを重んじる生き方をするなら人間は自分が許されざる者になる覚悟を決めなければならん。 
    『見よ銀幕に』p.613
    善悪 8番
    人間は馬鹿なこともやり、悪いこともやるかもしれないが、ぎりぎりのところで真の信頼に足るものを必ず持っている。 
    『見よ銀幕に』p.652
    善悪 9番
    悪いことを許容すると、善も生まれてくる。 
    『夏日烈烈』p.35
    善悪 10番
    本当の邪なものを、その場で一刀両断にするというのは、最も重要な生命論だ。 
    『夏日烈烈』p.45
    善悪 11番
    いろんなことで悪いとか良いとか考えている人は駄目で、貪ることだけが悪いと覚えておけば、生命の燃焼はできるということだ。 
    『夏日烈烈』p.145
    善悪 12番
    憎しみの行動は憎しみの歴史を血の底から承け継がない限り、本人の精神を破滅させるのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.9
    善悪 13番
    憎しみの歴史は人間であろうとする心を拒絶する歴史である。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.9
    善悪 14番
    本当の善意とは、それを為す人間にとって何の得も無いものなのだ。それどころか、自分自身にもあらゆる危険と侮蔑と中傷をもたらすものなのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.10
    善悪 15番
    真の善意とは真の勇気を有する者にしかできない事柄なのである。そこに崇高な価値があるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.10
    善悪 16番
    他人が一目見てわかるような善意もどきの行為は、実は自分自身のためだけに行なっている偽善的または自己礼賛的行為なのである。そのような行為は、やればやるだけ、その分量に従って卑しい自分を創り上げていくだけなのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.10
    善悪 17番
    真の善意は人間にとって最も尊い行為である。……そしてその行為は、その対象の他者に対して真の幸福をもたらすものなのだ。相手に生の本源を与えるものなのだ。古人はそれを「仁」と呼んだ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.10
    善悪 18番
    真の善行は 己の身を捨ててしかなすことはできぬものなのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.12
    善悪 19番
    何かを決断すること。そのことが無くしてできる事柄はこの世には無い。善も悪も全てそうである。決断するとは、そこに自己が責任を持つということである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.7
    善悪 20番
    本物でない者同士の関係には全く緊迫感というものは生まれない。現代人はそういう関係を好む者が多いが、私はやはり善も悪も本物同士の関係に感動を覚える。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.7
    善悪 21番
    善と悪は、同居している。それがわからなければ、この世では何事もできないだろう。美しいことは、醜いことによって支えられているのだ。また、醜いものの中に、美しいものが潜んでいると言えよう。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.14
    善悪 22番
    体当たりだけが、価値のある生の痕跡をこの世に刻み付けるのだ。その体当たりには、善も無くまた悪も無い。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.18(予定) 「ジャコメッティ ―最後の肖像―」
    善悪 23番
    征服した文明は悪で、征服された文明は善だと我々は思っている。なぜ、そう思うのか。それが一番、自分自身が楽であり、また自分を善人と思えるからだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.22(予定) 「アポカリプト」
    善悪 24番
    悪があるから善が存在する。善があるから、また悪が存在し得るのである。何が正しくて、何が間違っているのか。それが歴史の中に溶け込んでいる。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.11(予定) 「イングロリアス・バスターズ」
    善悪 25番
    悪いことをちょっとすることによって、人間というのはもっと悪い何かを防いできたんだよ。 
    『夏日烈烈』p.353
    善悪 26番
    一廉(ひとかど)の人物で、自分を善人で高く見ている人なんて全くいないよ。 
    『夏日烈烈』p.389
    善悪 27番
    ただ一つ言えることは運不運や環境により裏道を生きる人間でも、一角(ひとかど)の人物となり人望を得た人間はやはり凄い人間であり面白い人間である。 
    『見よ銀幕に』p.270
    善悪 28番
    人間にとっての絶対善は、「他者の生命燃焼に寄与する」ことが、取りも直さず「自己の生命燃焼に直結する」ものをいう。 
    『生くる』p.103
    善悪 29番
    人間にとっての悪は、他者の生命燃焼を阻害することにある。 
    『生くる』p.104
    善悪 30番
    人間にとっての善悪がわかってくると、ここにひとつ、絶対悪と言えるものが見えてくる。それが貪ることである。 
    『生くる』p.104
    善悪 31番
    (絶対悪である)貪りの簡単な定義は「自己の存在が、他者の存在を一方的に害している状態」と表わすことができる。自然も含む他者を、自己存在のために利用するだけ利用し尽くして、何も返さないことを言う。 
    『生くる』p.105
    善悪 32番
    貪る心と貪る行為がない、悪に見えるものは完全な悪ではない。その中にはそれなりに善がある。 
    『生くる』p.105
    善悪 33番
    言葉の中には、人間のすべての美徳と悪徳が含まれている。 
    『生くる』p.111
    善悪 34番
    善意とは自己に主体があるから、他者に対して無関心になる。 
    『生くる』p.153
    善悪 35番
    善意の人は、言うことはすべて正しいが、行なうことは、すべて間違うことになりかねない。 
    『生くる』p.153
    善悪 36番
    まがりなりにも善を行ないたいと思うならば、他者に通じる形を見つけ出すしかない。ほんの少し、その場、そのとき、その相手によって修正し、誠意をもって善を行なおうとすることである。 
    『生くる』p.154
    善悪 37番
    誠意とは善意ではない。汚れ果てても築き上げるものだ。 
    『生くる』 目次
    善悪 38番
    必然から生まれたものはすべてが善となる。悪に見えても善なのだ。 
    『生くる』p.197
    善悪 39番
    自己責任は、目的に向う強い意志と善悪の超越がなければ持てない。この判断ができる者を「(はら)のある人物」と言う。 
    『生くる』p.213
    善悪 40番
    人間は馬鹿でもなんでもよい。悪人でもよいと私は思っている。問題は、恩を知る者か知らぬ者かにかかっている。 
    『生くる』p.239
    善悪 41番
    良い面悪い面が混ざっているから人間は一生苦しむ。苦しみ続けて死ぬのが人間です。 
    『風の彼方へ』p.257
    善悪 42番
    昔の漢方の考えでは、体にいいものは体に悪いから、それをどう調合するかが医者の技量でした。 
    『風の彼方へ』p.256
    善悪 43番
    正しい国は、間違ったこともしているから良いこともできているのです。 
    『風の彼方へ』p.256
    善悪 44番
    生命の本質に横たわる、生きるための戦い。それは善と悪の交錯であり、黒と白、表と裏の不断なき戦いなのだ。我々が生きるとは、それを戦い抜くことに尽きるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.11
    善悪 45番
    ヒトラーとドイツ軍は我々が生きる現代において最大の悪とされている存在である。考えて見ればあたり前で英米が戦争に勝ち、我々はその英米が絶対善とされる社会で生きているのである。 
    『見よ銀幕に』p.505
    善悪 46番
    もともと、自分のことを善人だと思うような人は、馬鹿しかいないということが常識だったのです。 
    『悲願へ』p.34
    善悪 47番
    善人というのは、もともと自分のことを善い人間だと思っている「馬鹿者」のことを言っていた言葉なのです。 
    『悲願へ』p.34
    善悪 48番
    繁栄の本質を摑んで、それを現世に活かせる人は、つまりは「悪人」ということに繫がっているのです。 
    『悲願へ』p.54
    善悪 49番
    悪の力というものは、人が生きる原動力を生み出すものではないでしょうか。 
    『悲願へ』p.55
    善悪 50番
    善人は弱く、すぐに傷つきます。 
    『悲願へ』p.55
    善悪 51番
    悪を呑み込んだ真の人間は、絶望が深ければ深いほど大きな希望が生まれるのです。 
    『悲願へ』p.55
    善悪 52番
    本当にすばらしい人生を送った人の生涯は、基本的には時代を共にしていない人には分からないのです。どちらかというとかえって悪人にも見える。すべて時限立法をやっているのですから。 
    『悲願へ』p.73
    善悪 53番
    善人は何も出来ない。善行をこの世で施すのは悪人なのです。 
    『悲願へ』p.73
    善悪 54番
    昔、力のある人のことを「悪党」と言ったではないですか。楠木正成とか、悪源太何々とか、昔は力のある人、力があって人徳があり本当に何かが出来る人、そういう人間を皆が「悪党」と言ったのです。 
    『悲願へ』p.73
    善悪 55番
    他人を幸福に出来る人、社会に平和をもたらすことの出来る人、社会を繁栄に導くことが出来る人というのは、自分自身は悪人に決まっているのです。または悪の部分を自分が引き受ける人です。つまり悪党です。 
    『悲願へ』p.74
    善悪 56番
    本当のことをやろうと思ったら、自分が悪人にならないと出来ない。やっぱり、自分はいい人間だと思われようと思ったら何一つ出来ない。 
    『悲願へ』p.114
    善悪 57番
    すべてのものが善と悪を含んでいる。軽と重、黒と白を含む。この世には真っ白というものもないし、真っ黒というものもない。必ず少しずつどちらをも含んでいます。  
    『悲願へ』p.180
    善悪 58番
    極端に言うと別に銀行強盗だろうが、犯罪者だろうが、燃焼した人は正しい生命だったと私は思っています。 
    『悲願へ』p.186
    善悪 59番
    悪いことと良いことというのは、外見は同じなのです。ここが人生の難しさと言えば難しさです。 
    『悲願へ』p.208
    善悪 60番
    善行をなすことと、不良性というのは同一なのです。 
    『悲願へ』p.209
    善悪 61番
    善いことを為すのには、もともと悪い考えがなければ為せないのです。 
    『悲願へ』p.210
    善悪 62番
    公的欲望のことを志とか使命と言うのです。そして何よりも昔の日本人は「義」と呼んだ。公的欲望だと、悪い欲望と混同しやすくなってしまうと思います。 
    『悲願へ』p.221
    善悪 63番
    善いも悪いも関係ない。幸も不幸もない。この生命を、「今ここで」すべてのものにぶち当てるだけである。 
    『現代の考察』p.2
    善悪 64番
    何かを貫いた人は全員不良であり、落ちこぼれであり、破れであり、不幸である。だから、不幸になる覚悟がなきゃ何にもできない。 
    『現代の考察』p.75
    善悪 65番
    義を貫ける人間には必ず破れがある。不良だというのは、人のアドバイスを必ず無視するということですよ。 
    『現代の考察』p.76
    善悪 66番
    キリスト教の真の信者というのは、強烈で狂信的です。そういう点では悪の部分は多い。しかし、それがまたキリスト教のすさまじい純粋性も生んでいる。 
    『現代の考察』p.283
    善悪 67番
    善と悪が合わさって人類が生まれている。善だけじゃ何もできないから。キリスト教の中には悪も多いし、仏教も悪の要素は多い。当然、善と悪と両方です。 
    『現代の考察』p.283
    善悪 68番
    今みたいな善を礼賛している文明というのは全部噓です。だから「笑顔のファシズム」と私が言うのは、善しか認めない社会だから、つまりは噓なのです。 
    『現代の考察』p.283
    善悪 69番
    自分を善人だとか、天国なんかに行きたいという人間は、生命として価値がない。 
    『現代の考察』p.289
    善悪 70番
    野心または野望というものを元来悪なのだと元々思っている者だけが魔に取り憑かれるのだ。そしてその者は必ず臆病なくせに栄達を望むという二律背反を犯す者なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.584
    善悪 71番
    人助けとは(おのれ)の身と生を犠牲にする事なのだ。そして真の人助けは己が悪人と成ってしまうぎりぎりのところでしか実行出来ない。 
    『見よ銀幕に』p.373
    善悪 72番
    禁忌(きんき)が在るという事は真に人間の心を豊かにし、生き甲斐を結果としてもたらす。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.1
    善悪 73番
    裏切者の特徴は世界共通である。まず自分を途轍も無く頭の良い人間だと思って居る事。綺麗事が好きで自分を途轍も無く良い人だと思って居る事。愛情や友情や信義というものがまるっきり無いという事。心の底に巨大な不平不満やコンプレックスを持って居る事等々である。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.2
    善悪 74番
    思い出とは楽しい事や美しい事だけを重要視している人にはその真の意味は解からない。善も悪も含めて思い出とは他者との時間の共有に対する喜びと感謝の記憶なのである。 
    『見よ銀幕に』p.495
  • ★創造・破壊 ―――人生に迷ったら

    創造・破壊 1番
    今後、人類が自ら生み出した科学技術によって滅びるとすれば、それは科学や技術そのものによって滅びるのではなく、「遊び」で滅びるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.134
    創造・破壊 2番
    生命には「破滅」よりももっと大きな「憧れ」のようなものがあるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.160
    創造・破壊 3番
    人類は、その誕生以来、いつの日も滅亡の危機に臨み続け、それを克服し続けて今日まできた。いま我々は、それを忘れているのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.28
    創造・破壊 4番
    タンゴの破滅の言葉の中に愛と希望を見い出すことが人生の楽しさなのではないか。 
    『見よ銀幕に』p.483
    創造・破壊 5番
    神よりも人間が大切になってきたとき、人間は享楽とともに、破滅の深淵を自ら眺き見なければ生きることができなくなった。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.2
    創造・破壊 6番
    我々人類は、すでに自己が一度滅んでいることを自覚しなければならないのだ。そうしなければ、我々の未来はない。我々は、悪人なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.19
    創造・破壊 7番
    人間は、宇宙の必要性よりも、自己の文明を高いものだと思ってしまっている。それが、人類の不幸の最大のものではないか。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.21
    創造・破壊 8番
    人間は、自己と違うものを受けつける本能を失ってしまった。それは、自己が絶対に正しいと「狂信」してしまったからに他ならない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.21
    創造・破壊 9番
    人間の最後を決するものは、「忍ぶ恋」だけしかない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.21
    創造・破壊 10番
    人類は、自らの存在に危険を感じるとき、真の希望を抱くことができるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.30
    創造・破壊 11番
    我々人類は、宇宙の塵である。それを本当に知ったとき、実は本当の人類的希望が生まれてくるに違いない。我々が秀れた存在と思うとき、人類はその使命を終えることになる。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.30
    創造・破壊 12番
    人の思い出を破壊する文明は悪です。 
    『見よ銀幕に』p.542
    創造・破壊 13番
    「出会い」を持つ人生だけが真の人生なのである。そしてそれは人間の心だけが創造することのできる事柄なのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.9
    創造・破壊 14番
    創造とは、呻吟の中から生まれてくるのだ。悲しみを抱きしめ、この世の不条理を見つめ続けなければならない。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.24
    創造・破壊 15番
    反骨を支える愛の力によって、近代人は創造の力を得る。近代人の愛の実践は、反骨となるしかないのだ。つまり、反骨精神によって新しい「何ものか」を創造していく道を選んだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.27
    創造・破壊 16番
    人類が滅亡するとき、この記憶に何らかの障害がもたらされると私は思って生きてきた。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.3(予定) 「デイライツ・エンド」
    創造・破壊 17番
    我々は滅び去るのか、それとも新しい繁栄に向かっていくのか。それを決めるのは、我々自身である。我々の生き方であり、我々の精神のあり方なのだ。それが、人類の未来を決定していく。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.4(予定) 「1984」
    創造・破壊 18番
    終末論を考えることが、人類の人類たるいわれを創る。それを失ったとき、我々は人類として滅び去るのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.4(予定) 「1984」
    創造・破壊 19番
    人間は、自分自身がどのようにしてなり立ってきたのかを良く知らない。自分の環境を抜け出そうとするなら、人間は腹をくくらなければならないのである。中途半端な「出発」は、その人間の「人間性」を破壊することとなってしまう。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.6(予定) 「わらの犬」
    創造・破壊 20番
    生き方と死に様は、どうでもいいのだ。「遊び心」が真の命を奪うのである。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.6(予定) 「わらの犬」
    創造・破壊 21番
    現代から見て、我々を破滅に導く人類史が、あのフランス革命に端を発していることは誰もが認めるところであろう。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.8(予定) 「クイルズ」
    創造・破壊 22番
    新しいものは、苦痛と鳴咽の中から生まれ出づる。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.9(予定) 「太陽と月に背いて」
    創造・破壊 23番
    近未来において、今の人間は、人間であることを問い直されるときがくるのだ。技術の発展が、人間を完全な奴隷状態にすることは目に見えている。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.16(予定) 「マトリックス(三部作)」
    創造・破壊 24番
    火というのは文明を築く原動力にもなるけど、もちろん破壊の原動力でもあるわけだよ。 
    『夏日烈烈』p.261
    創造・破壊 25番
    戦争ですべての人間が滅びるわけはないから、戦いが終われば必ず硝煙の中から、また秩序とか愛とか、夢とかが生まれてくるんだよ。 
    『夏日烈烈』p.266
    創造・破壊 26番
    ひとつの文明が滅びて、これから人類の新しい出発がくるんだと信じてるから、僕はこの事業も始めることができた。 
    『夏日烈烈』p.324
    創造・破壊 27番
    三島由紀夫はその自決事件も含めて、復活のための一つの神話の始まりだよな。 
    『夏日烈烈』p.325
    創造・破壊 28番
    人生において、出会いは「新生」を生み、別れは「復活」のみずみずしい息吹きを我々に与えてくれる。 
    『根源へ』p.451
    創造・破壊 29番
    三島由紀夫が主人公に選んでる人たちも皆、本人が「六終局」に向かう人生を選ぶ人。これはしくじれば頸椎(けいつい)を折るという、あの「サルト・モルターレ」だよな。 
    『夏日烈烈』p.122
    創造・破壊 30番
    我々は漆黒の中に燃えようとする「火花」なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.260
    創造・破壊 31番
    人間はその発する言葉によって幸福にもなるし、不幸にもなる。また他人を不幸にもし、幸福にもできる。それどころか、創造をも破壊をもなし得る。 
    『生くる』p.111
    創造・破壊 32番
    自信を持てば、破滅が始まる。 
    『生くる』 目次
    創造・破壊 33番
    創造的な者はすべて古風となる。変革を行なう者もすべて古風になっていく。 
    『生くる』p.223
    創造・破壊 34番
    (日本において)世間がなぜ崩れてきたのか。それこそ、世間の相互関係の中で、長年押さえていたわがままが、欧米型民主主義思想によって、正当化されて恥じらいもなく表面に出てきたことに起因する。 
    『生くる』p.229
    創造・破壊 35番
    中学生の頃に、私はこの便利という考え方によって、すべてが破壊されていくのをしっかりと自覚した。 
    『生くる』p.243
    創造・破壊 36番
    成功が結果として一個人の破滅を招く場合がある。それらを見ると、その人を伸ばした原動力が必ず、嫉妬心や虚栄心のような、歪んだ情念から生まれた劣等感を基礎としていることに気づかされる。 
    『生くる』p.362
    創造・破壊 37番
    いかなる魂を摑み取るか、その選択が個性を創る。 
    『生くる』 目次
    創造・破壊 38番
    万物が滅びゆくなかで、かけがえのないものを養う。 
    『生くる』 目次
    創造・破壊 39番
    特に西洋では十四世紀にルネサンスが始まり、文明の無限発展こそが善となり、その思想の行き着いた先が原子力や生命の操作です。 
    『風の彼方へ』p.252
  • ★高貴・野蛮 ―――人生に迷ったら

    高貴・野蛮 1番
    反骨(気骨)とは私は人間だけに与えられている最も高貴な価値であると考えている。人間が真に生きるには背骨が必要である。その背骨は真の反骨によってしか得られないのだ。 
    『見よ銀幕に』p.216
    高貴・野蛮 2番
    危機に遭遇(そうぐう)したとき、人間は(みづ)からの義務と責任を感じ、人間の最も高貴な尊厳と美しさを示す。 
    『見よ銀幕に』p.379
    高貴・野蛮 3番
    強者の支配しない弱者ほど(あわ)れなものはない。 
    『見よ銀幕に』p.414
    高貴・野蛮 4番
    偉大な人はなりたくてなったのではなく、なるべくしてなったのだ。 
    『見よ銀幕に』p.479
    高貴・野蛮 5番
    人の子である限り弱さは誰れでもあるのです。しかし弱くても何でも良い。戦い続ければ高貴なのです。 
    『見よ銀幕に』p.611
    高貴・野蛮 6番
    恐るべき野獣性は、本能を精神化した人間にだけあるのだ。これを良く制御すれば、高貴性の基礎を作るものともなる。 
    『生命の理念Ⅰ』p.111
    高貴・野蛮 7番
    私が美というものの大切さを常に強調しているのも、美しいものは個性であり、高貴性と生き甲斐に繋がるからです。美しいということは、それほど重要なことなのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.274
    高貴・野蛮 8番
    善というものを激しく求める者はまた巨大な悪を育て上げていくのである。ただ一つ言えることは、西欧の文明とは実に高貴と野蛮とが交錯する恐るべき文明であり、またそこに魅力があるのであろうということである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.15
    高貴・野蛮 9番
    人間は弱い。だから他人から軽蔑を受けることは誰でも人生の途上であることなのだ。しかしその前段階として本当の誇りを心に醸成している者は、それからが違うのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.19
    高貴・野蛮 10番
    全てが奪い尽くされたとき、人間に残るものはその人間を奮い立たせる「記憶」だけなのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.19
    高貴・野蛮 11番
    高貴なる人が、その結末の是非にかかわらず、高貴なる恋愛を体験する。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.8
    高貴・野蛮 12番
    我々の生は高貴である。だから哀しい。それを見つめて生きることは、勇気のある者にしかできない。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.9
    高貴・野蛮 13番
    死者とともに生きる者こそが、真の人間なのだ。死者を悼み続ける者が、高貴を内包する人なのだ。それがわからぬ国家に、日本はなった。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.14
    高貴・野蛮 14番
    十字軍はヨーロッパが近代を生み落とすためには、何が何でも通らなければならなかった道であった。貧しく野蛮であるが、何よりも高貴で正義が存する戦いであった。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.1
    高貴・野蛮 15番
    人類を救う者は、汚れたる者の中から生まれる。そして、弱き者の中から立ち上がるのだ。だからこそ、人類の夢は、多くの犠牲のもとに達成せられるのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.10
    高貴・野蛮 16番
    我々人類は、善と悪、高貴と野蛮のはざまで、呻吟している。それが我々の文明である。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.12
    高貴・野蛮 17番
    我々は親切であると同時に残酷なのだ。理知的であると同時に野蛮なのである。それを知らねばならぬ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.12
    高貴・野蛮 18番
    我々は、自己に与えられた生命そのものを愛さなければならない。それは勇気のいることなのである。しかし、それによって我々は、人間だけに与えられている「高貴性」を取り戻すことができるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.27
    高貴・野蛮 19番
    野蛮性が人間の高貴と文明の輝きを創ったのだ。「精神」だけが、それを創った。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.22
    高貴・野蛮 20番
    「精神」を軽んずる者は、滅び去っていく。自分たちの安楽を求める文化が、人間を衰退させていくのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.22
    高貴・野蛮 21番
    情感が、科学文明を支配しなければならない。愛が、未来を築き上げるのである。信義が、未来の脳髄を支配するだろう。新しい脳とは、古代の野蛮なる脳のことに他ならない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.23
    高貴・野蛮 22番
    言葉の真の価値を呼び戻すには、我々の中にある野蛮性、つまり野性を取り戻さなくてはならないのです。 
    『根源へ』p.71
    高貴・野蛮 23番
    野蛮性を受け入れなければ高貴性はない。野性を受け入れなければ聖性はない。 
    『根源へ』p.461
    高貴・野蛮 24番
    真の勇気が真の愛を生み育むのである。涙を背負うことなのである。それが本当にできる人が高貴なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.11
    高貴・野蛮 25番
    喧嘩とかも生きる上での毒で、特に男なんかはそうだよ。 
    『夏日烈烈』p.378
    高貴・野蛮 26番
    捨て身になれば、いかなる崇高性にも近づくことができる。 
    『「憧れ」の思想』p.80
    高貴・野蛮 27番
    生命は、逆説の形而上学である。死を想えば、生が輝いてくるのではないか。 
    『「憧れ」の思想』p.41
    高貴・野蛮 28番
    「火を噴く今」を食らわねばならぬ。存在の常態とは、宇宙が叫ぶその焔に他ならない。 
    『生命の理念Ⅰ』p.104
    高貴・野蛮 29番
    偉大さとは馬鹿さ加減と狂気から生まれるのだと私は思う。 
    『見よ銀幕に』p.404
    高貴・野蛮 30番
    どのような人間でも極源状態において、その人物から真の魅力が出てくる。 
    『見よ銀幕に』p.652
    高貴・野蛮 31番
    (特攻隊なら)ぶるぶる震えていようが、何しようが、出撃したならその人は勇敢な人だってことだよ。 
    『夏日烈烈』p.129
    高貴・野蛮 32番
    近藤勇がどうして歴史上の人物かっていうと、自分が持っているもの(剣)を虎徹だと信じそれを虎徹だと思える人だということに尽きるんだよ。 
    『夏日烈烈』p.143
    高貴・野蛮 33番
    人間とは、卑しいが、捨てたものではない。卑しさの中に、隠れた勇気がある。そして、勇気の中に卑しさが潜んでいるのだ。だから、人類には希望がある。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.21
    高貴・野蛮 34番
    高貴とは、洗練された野蛮性である。 
    『生くる』 目次
    高貴・野蛮 35番
    高貴性とは、人間の生き方すべてにかかわっている。高貴性があれば、何事でも価値があり、それがなければ、いかなるものも価値がない。 
    『生くる』p.202
    高貴・野蛮 36番
    上品とは、人間たちの比較における、優越感や劣等感の延長線上に位置する概念と言える。そして高貴とは、血と魂の奥底からほとばしる人間の存在理由、つまりレゾン・デートルにかかわる概念となっているのだ。 
    『生くる』p.203
    高貴・野蛮 37番
    高貴は、真の上品さを伴う場合もあり得るが、上品さは決して高貴をそのまま伴うことはない。 
    『生くる』p.203
    高貴・野蛮 38番
    高貴とは、野生または野蛮性をその根底とする。そして、それを持したまま、血と魂が自己の奥底で煮え滾りながら、人類の文明や文化を志向することを言う。 
    『生くる』p.203
    高貴・野蛮 39番
    「自由か、しからずんば死か」これは米国の独立に際して、パトリック・ヘンリーが言った言葉と伝えられている。これほど高貴性が端的に表出されているものはない。 
    『生くる』p.203
    高貴・野蛮 40番
    英国紳士の持つ野性が、大英帝国をして、七つの海の支配者となした。 
    『生くる』p.206
    高貴・野蛮 41番
    独立自尊とは、全員が仲良く手をつないでできるものではない。つまり、高貴性は孤独の中で育まれる。 
    『生くる』p.206
    高貴・野蛮 42番
    現代は生活環境の中に、高貴性が失われている。したがって、我々がこれから高貴性を追求しようとすれば、そう生きた過去の偉大な人物の中で、自分と合う人物を見つけることが重要となる。 
    『生くる』p.207
    高貴・野蛮 43番
    (松下幸之助は)「高貴性」と「野蛮性」の両輪が完全に平衡をとって存在している人物です。 
    『悲願へ』p.23
    高貴・野蛮 44番
    高貴性と野蛮性のこの二つが循環することによって、初めて理想と実践が並行して出て来るのです。だから、二つ揃っていないと理想と実践がかみ合っていかないのです。 
    『悲願へ』p.24
    高貴・野蛮 45番
    今の時代、一番嫌われ失われているものの一つに野蛮性があるのです。これが現代の弱みです。だから野蛮性を、あえて心掛けなければ駄目だと思います。 
    『悲願へ』p.24
    高貴・野蛮 46番
    野蛮性は、本当に今の日本から失われている。これが無いことによって、昔に比べると日本人の意識は非常に穏やかにきれいに、美しい部分はものすごく美しくなっているように見えます。私の考えでは、自分自身の人生において何一つ現実的には実行できないのではないかという感じがしているのです。 
    『悲願へ』p.24
    高貴・野蛮 47番
    高貴性と野蛮性というのは、その複雑な交錯を自分の人生において活かすには多大な修練が要る。だから自分でやってみて、ぶつかって失敗して泣いて、そこから何度も立ち上がらないと、身につきません。 
    『悲願へ』p.24
    高貴・野蛮 48番
    昔はいじめなどと言っても桁違いに凄かった。しかし、こういういじめなども、要するに野蛮性の会得には必要だということなのです。 
    『悲願へ』p.25
    高貴・野蛮 49番
    今のいじめというのは超絶的に陰険なところもあるので、色々問題もありますが、昔の喧嘩は実に面白かったのです。 
    『悲願へ』p.25
    高貴・野蛮 50番
    先輩が後輩に意地悪をしながら物事を教えていくとか、こういうのが自然の形で出る生活には高貴性と野蛮性がうまく入っています。 
    『悲願へ』p.25
    高貴・野蛮 51番
    崇高は怖いです。畏れのないものは、崇高ではないということが重要なのです。 
    『悲願へ』p.29
    高貴・野蛮 52番
    崇高なものは、やはり怖いし、恐ろしい。何か近づき難いものがある。 
    『悲願へ』p.57
    高貴・野蛮 53番
    人間は、崇高を目指さなければ駄目です。 
    『悲願へ』p.68
    高貴・野蛮 54番
    私の本を読んで、信じてもらえると、野蛮性と不良性はついてきます。 
    『悲願へ』p.69
    高貴・野蛮 55番
    崇高は、教育によって築けるものではない。それは、我々一人ひとりの生命の本源から来るものである。 
    『悲願へ』p.153
    高貴・野蛮 56番
    私の好きな「血盟団」という井上日召の率いた国家革新を図ったグループがありましたが、この集団では「体当たりの思想」を「一人一殺」と言っていました。 
    『現代の考察』p.54
    高貴・野蛮 57番
    「崇高」というのはいいことではない。悪も全部含んでいます。悪も含んで、「崇高」なものに憧れるのが人類だということです。 
    『現代の考察』p.261
  • ★革命 ―――人生に迷ったら

    革命 1番
    革命とは、重力を食らう精神である。 
    『「憧れ」の思想』p.171
    革命 2番
    憧れは、革命に向かう人生を創り上げる。 
    『「憧れ」の思想』p.172
    革命 3番
    我々の生命は、革命によって生まれ、革命の中に消滅していく。 
    『「憧れ」の思想』p.172
    革命 4番
    革命の中で、我々の生命の根源は震動する。 
    『「憧れ」の思想』p.172
    革命 5番
    生命は、それ自体が不断の革命を志向している。 
    『「憧れ」の思想』p.172
    革命 6番
    我々は、「革命」によって生の「変容」を遂げることができる。 
    『「憧れ」の思想』p.173
    革命 7番
    自己の人生を、存在の革命に捧げる勇気が、憧れに向かって生きる自己を創り上げていく。 
    『「憧れ」の思想』p.175
    革命 8番
    大文学は、それ自体がすでに革命的だ。 
    『「憧れ」の思想』p.183
    革命 9番
    革命的でない宗教などは、もはや宗教ではない。 
    『「憧れ」の思想』p.190
    革命 10番
    不断の革命を忘れれば、すべてが腐る。 
    『「憧れ」の思想』p.190
    革命 11番
    愛が、革命を創り出している。革命の精神は、愛に基づくことによって宇宙と生命の根源に帰一していくと言えよう。 
    『「憧れ」の思想』p.194
    革命 12番
    革命とは、破壊のことだ。しかし、それは生成のための破壊である。 
    『「憧れ」の思想』p.194
    革命 13番
    破壊と生成の革命には、過酷と悲哀がある。 
    『「憧れ」の思想』p.194
    革命 14番
    存在の革命が終われば、生命は死ぬのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.199
    革命 15番
    革命に生きる者は、自己の生命と生存の根源に対して正直でなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.200
    革命 16番
    生きている限りは革命であり、そのためには停滞の原因となる安定、安心、幸福を可能な限り排除しなくてはならない。 
    『「憧れ」の思想』p.202
    革命 17番
    存在の革命は、犠牲の精神の中にのみ存在している。 
    『「憧れ」の思想』p.202
    革命 18番
    武士道は、革命の精神である。 
    『「憧れ」の思想』p.206
    革命 19番
    人間が革命に臨む精神を得るためには、聞こえのよい処世術を排斥しなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.212
    革命 20番
    満足は生命を殺し、ただ革命の精神だけが「生命の幸福」を生む。 
    『「憧れ」の思想』p.204
    革命 21番
    革命とは矛盾である。我々の文明の底辺を脅かす矛盾と言っていい。 
    『「憧れ」の思想』p.221
    革命 22番
    革命とは、破壊であるとともに、また創造の働きを言っている。 
    『「憧れ」の思想』p.221
    革命 23番
    革命の精神は、権力を嫌っているのだ。それは、生命的な働きであり、魂の問題だと言っていい。 
    『「憧れ」の思想』p.225
    革命 24番
    伝統や技術は、それが守られているということだけで革新に次ぐ革新の波を乗り越えてきているのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.227
    革命 25番
    伝統とは、革命なのである。革命の精神を忘れた伝統は死ぬ。 
    『「憧れ」の思想』p.227
    革命 26番
    伝統と革新。それが人の生命の哲理なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.4
    革命 27番
    革命家は詩人である。その詩人の魂に私は涙を流すのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    革命 28番
    人間の人生の尊厳に、崇高で高貴にして、また野蛮である真実の「涙」というものが存在する限り、革命家と詩人は我々の人生における英雄なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    革命 29番
    英雄とはその人生を芸術と化した者である。青春が芸術を渇望する限り、革命と詩が滅びることは無い。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    革命 30番
    悪と混沌の渦巻くこの世の中で、革命と詩に命を捧げることはたやすいことでは無い。その失敗を批判することは幼児にでもできる。しかしその魂を形成する「涙」を知ることが真の紳士の条件であると私は思う。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    革命 31番
    革命は詩である。詩がなくして何の人生であるのか。革命はロマンティシズムである。その情熱が私と革命家を強く結び付けているのである。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.2
    革命 32番
    革命と詩に生きようとする者にとって、チェ・ゲバラは英雄であった。少なくとも、私の青春ではそうであった。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.3
    革命 33番
    英雄ではあったが、肩を組むことができるような友人のような人であった。ゲバラが死んだとき、私の背骨に何ものかが打ち込まれたことをよく覚えている。その日以来、私はゲバラとともに生きている実感を持っている。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.3
    革命 34番
    名声も物質も求めず、ただ信念のために死ぬことだけが、ゲバラへの本当のはなむけであろうと私は思っている。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.3
    革命 35番
    反骨が実存を生む。実存こそが人生である。だから、反骨の精神こそが人生を創り上げるのだ。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.11
    革命 36番
    生命の中に、革命を取り入れた男が出光佐三なのだ。詩の精神で、自己の人生を歩み続けた男である。それを、見つめなければならぬ。出光の革命を、受け継ぐのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.13
    革命 37番
    古いものが、新しいものを凌駕するのだ。古代の精神が、革命を遂行する。  
     『見よ銀幕に』追補7 p.23
    革命 38番
    新しいものは、古いものを愛することから生まれてくる。新しさだけを求める者は、最も大切なものを失うことになるだろう。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.23
    革命 39番
    新しい生き方とは、我々がこの宇宙に生まれたときの生き方に相違ない。勇気だけが、このようなことを実現する力を持っている。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.23
    革命 40番
    すべての物事は初心に始まり、それが崩れゆく過程と言っていい。そして、それを再確認し再び人間の魂が立ち上がるためには、新しい革命が必要なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.29
    革命 41番
    永久革命に至る戦いの生命的実存の表現形式ということ……それは人類の浄化を生み、人類の誕生の清冽に戻ることだと考えている。「ノアの大洪水」を生き残り、新しい人類、つまり原始の人類を再創造することだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.12(予定) 「天才画家ダリ」
    革命 42番
    人間は「存在の革命」の中を生き切らなければならないよ。埴谷雄高の根本思想だな。 
    『夏日烈烈』p.238
    革命 43番
    歴史の転換期においてはやはり旧い体制を背負う側に魅力的な人物が多い。 
    『見よ銀幕に』p.281
    革命 44番
    松下幸之助的なものを身につける際に、一番重要な考え方だと思うのが、「革命的精神」です。 
    『悲願へ』p.37
    革命 45番
    悲哀がないと不良性は生み出されず革命の精神も生まれてこないということになります。 
    『悲願へ』p.41
    革命 46番
    駄目な人は全部、自分が駄目だと思っているだけと思っていいです。だって反骨精神とか革命なんて、魂がやることだから、その個々人ですよ。 
    『現代の考察』p.85
    革命 47番
    反骨精神っていうのはそういうものです。今勤めている会社の中でも、誰でもできる。 
    『現代の考察』p.86
  • ★現代 ―――人生に迷ったら

    現代 1番
    正常であるということは社会の方向性が間違っている場合は恐いことなのです。 
    『見よ銀幕に』p.247
    現代 2番
    山々も大昔から登りたい人はどんどん登っていた。近代人は自らの体が弱いから知らぬだけである。初めてなどというものはこの世には無いのだ。 
    『見よ銀幕に』p.401
    現代 3番
    いまの日本では始めは良くてだんだん仲が悪くなるという関係が多い。本当の人間の関係は昔から逆なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.463
    現代 4番
    人生とは決して成功やお金や物質という二十世紀的価値だけのものではないのです。 
    『平成12年度 年末の辞』
    現代 5番
    多くを得ようとする思想が現代を毒しているのだ。少なくても良いのである。 
    『平成16年度 年末の辞』
    現代 6番
    人間が頭で考え出した共産主義や民主主義等というような現代思想は、その歴史的単純性のゆえに人間を簡単に洗脳し狂信と狂気へと走らせる。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.9
    現代 7番
    名誉、誇り、忠義、武士道、騎士道は、実は物質的価値だけによって成り立つ思想に冒されている現代社会だからこそ、最も必要とされるものなのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.9
    現代 8番
    人間の心の歴史は旧いほど価値があるのだ。また歴史的根拠の薄い愛は簡単に憎しみにも変化する。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.9
    現代 9番
    私は新幹線は飛行機と並んで大嫌いである。速いもの、効率の良いもの、世間を狭くするものは全て嫌いである。このことは私の不退転の信念である。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.10
    現代 10番
    文明は、犠牲的精神の上に築かれた人類の金字塔である。 
    『「憧れ」の思想』p.192
    現代 11番
    現世とは、辛い場所である。それでいいのだ。そうでなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.307
    現代 12番
    現世をつんざいて生きなければならない。憧れに向かって、この世を突っ切るのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.307
    現代 13番
    現代人は何でも答えが欲しいと言いながら、答えを聞いてもわからないところに問題があります。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.66
    現代 14番
    現代の問題というのは、毒である地獄を忘れようとしている点だと僕には見えるね。 
    『夏日烈烈』p.379
    現代 15番
    濃密な人間関係は、これからの世の中の中枢の課題になると思う。それが一番人生で大切なものだけれども、一番大変で面倒くさいものでもあるんだ。 
    『夏日烈烈』p.173
    現代 16番
    現代における老人の介護問題というのは、実は面倒くさくて、実利に結び付かないものを忌み嫌う社会風潮が生み出した問題で本当のところは老人問題などではないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.2
    現代 17番
    老人を大切にしない家族は亡びるという人生の根本哲理を忘れているのが現代人なのである。老人を大切にする気持が先祖を敬う気持ちを生み、その気持ちが国を愛し、他人を愛する気持ちを生み出しているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.2
    現代 18番
    真の指導者は歴史的には人間が生きるために必要とされてきた。生きるとは肉体的および精神的の両面を意味する。現今の日本ではこのような「根源的な問い」がよくわけのわからぬ豊かさのために等閑にされていると私は感じている。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.4
    現代 19番
    医は仁術なのである。それが太古以来の医の筋目なのである。その筋を近代文明は冒している。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.10
    現代 20番
    伝統に根差さぬ限り、人間は真の美徳をその人生で発揮することはできぬ。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.14
    現代 21番
    近代が生まれるまで、恩は何ものにも変え難い価値であった。特に教育のある人間の間ではそうであった。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.16
    現代 22番
    近代は、人間が生きるために必要とする重大な芯を犠牲にした。それは近代が効率と幸福を追及する上に築かれたものであったからではないか。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.16
    現代 23番
    剥製のような生を送る現代人が存在する。だから、生きている者は死んでおり、死んでいる者が生きているのだ。虚偽と殺戮、つまり「自己」と「戦争」の世界がこの世である。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.4
    現代 24番
    この世は幻影にすぎない。それがわからなければならぬ。その幻影を生き切ることが、真の人生を創り上げる。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.4
    現代 25番
    現代社会は、すでに「本物」と「偽物」の識別が不可能になっている。それは、限り無い「水平化」の歴史がもたらした結末と言えよう。合理主義がもつ、ニヒリズムの跳梁跋扈と言い換えてもいい。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    現代 26番
    本物は本物の価値を失い、偽物は偽物としての価値が生まれる。それが平等化された現代なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    現代 27番
    真実は真実の価値を失い、嘘は嘘としてまかり通っている。だから、他人同士が親しい人間としてふるまうこともできるのである。ふるまっても、何も変わったことは起こらない。それは、個別のはずの人生が、すでに個別ではなくなったからに他ならない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    現代 28番
    水平の恐怖。平等のニヒリズム。私は、誰でもなく、誰でもが私になれる。水平とは、地獄ということである。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.5
    現代 29番
    文明の病を見つめ、それと戦わなければならない。そして、我々人間は、新しい文明を夢見て自分自身の生命を捧げなければならないのだ。それが、人類というものである。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.9
    現代 30番
    自己の運命を生き切る真の強さが、現代人から失われた最大のもののひとつなのだ。自己に与えられた生命を信ずるからこそ、自己の運命を受け入れることができる。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.32
    現代 31番
    アラン・チューリングはその魂を、「現代的荒涼」に捧げた。その見返りに得たものは、変態的生命と魔的頭脳であった。戦争に勝利するために、彼の魔性は止揚したのだ。その舞踏は、地底の魔神と契りを結んだのだろう。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.15(予定) 「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」
    現代 32番
    現代の我々の社会は、オッペンハイマーとチューリングという、二人の異常性格者によって築き上げられた。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.15(予定) 「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」
    現代 33番
    現在、我々は発展したと本当に言えるのだろうか。我々は、つまらない経験だけを積み上げてきたように私は思うのだ。少なくとも、つまらぬものが勝っていた。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    現代 34番
    私は、いまの人類を秀れているとは全く思わない。純粋で初心に生きる「生物」の方が、我々よりも秀れているに決まっている。そうは思わないか。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    現代 35番
    現代人は、我々が人間であることを忘れかけている。人間が何であったのかが、わからなくなっているのだ。それは、今もあり今後、激しく進展していくだろう。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.16(予定) 「マトリックス(三部作)」
    現代 36番
    我々現代人は、すでに半分は奴隷である。文明と技術の奴隷なのだ。……そこから脱出するには、我々は真の人間に戻らねばならぬ。真の人間とは、義の戦いと愛のために死ぬ勇気をもつ存在……つまり、自己犠牲の精神と言えよう。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.16(予定) 「マトリックス(三部作)」
    現代 37番
    安部公房は今の人にもっと読んでほしいよな。もし安部文学と直面した場合、これもまた人生の生きるか死ぬかの大問題になるような文学だ。 
    『夏日烈烈』p.205
    現代 38番
    我々の文明が定義する「完璧」「完全」ということは、いびつで不完全なものを含めて、その上に成り立っている「均衡」のことを言う。 
    『「憧れ」の思想』p.104
    現代 39番
    現代は、自我と運命の相克の中に、生命の燃焼があります。 
    『根源へ』p.224
    現代 40番
    我々は文明の中においては、文明以前の楽園を悔恨しなければ生きられないのです。 
    『根源へ』p.221
    現代 41番
    今の若い人って割と批判に弱いから言っとくけども、人から批判されるのが怖かったら、本音の本は絶対に書けないということだよ。 
    『夏日烈烈』p.335
    現代 42番
    古い伝統を身につけた人間は、新しいものに()み込まれることなく、新しいものを真に活用することができるようになる。 
    『友よ』p.43
    現代 43番
    芥川ほどの人生を送った人が、それでは他にいるのかっていうことだよ。しかし、ああいうのを今の人は嫌がるね。
    『夏日烈烈』p.290
    現代 44番
    戦後日本は戦艦大和を愚弄するところから始まった。それが戦後日本の全ての卑しさの始まりなのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    現代 45番
    今の時代がどういう時代なのか、私にはよくわからない。しかし私にはこの武士の時代のことはよくわかるのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.1
    現代 46番
    不幸になろう、不幸になろうと思って現代はちょうど良い程度なのです。 
    『悲願へ』p.62
    現代 47番
    現代を生きるにあたって、私は「不幸の哲学」で本当に不幸になろうと思った。今はそのくらい思わないと自分を制御できない世の中なのです。 
    『悲願へ』p.64
    現代 48番
    今は、我利我利亡者であることが自慢になっていますから気をつけなければなりません。我利我利亡者がテレビなどでは一番人気があります。 
    『悲願へ』p.67
    現代 49番
    これからの時代は、一人ひとりが自分の人生を自分の力で、自立して生きなければ生きられない時代に、あと三十年とか五十年の内にはなっていくと思っています。 
    『悲願へ』p.74
    現代 50番
    これからは松下幸之助の反対をやるといいです。物をなるべく使わないで、今言った体験、寄り添い、手作りです。 
    『悲願へ』p.80
    現代 51番
    私は実業家であれ何であれ、現世的なものは全部興味がない。現世は大っ嫌いだ。だから少しは何かが出来るようになったと思います。 
    『悲願へ』p.94
    現代 52番
    今の豊かさが表わしているのは、全部、贅沢な物質だけのことなんだ。 
    『悲願へ』p.103
    現代 53番
    私自身のオリンピックに対する考え方を言うと、「オリンピックの時代」というのは現実的にはもう終わっている。現代に対しては何の価値もないと思います。だから今後は終焉に向かうと思います。 
    『悲願へ』p.109
    現代 54番
    オリンピック精神とスポーツ精神そのものが死んでいるから、オリンピック自体、もう意味をなしていない。スポーツが現代社会でこれだけ華々しいというのは、「スポーツ精神」が死んだからなのです。 
    『悲願へ』p.110
    現代 55番
    ノーベル賞ももうすぐ駄目になる。もう存在価値もほとんど無くなっていると思う。あれもあと何年持つかです。 
    『悲願へ』p.111
    現代 56番
    今の社会は、エゴイスティックな自我が創り上げた物質偏重の社会です。物質に偏っているから、その増大エネルギーによって必ず崩壊に向かう社会だというのは、多くの人が見ていて分かると思います。 
    『悲願へ』p.169
    現代 57番
    我々人類は「正しいものを正しい」と出発点で出来なかったので、強いものを正しいとしているのがこの現世と言えます。 
    『悲願へ』p.170
    現代 58番
    渇望しなければなりません。足らざるものが何かということを絶えず求め続ける。現世で満足してしまう人が、人間的には最も堕落していくということです。 
    『悲願へ』p.173
    現代 59番
    今は国自体が平和ボケですから、国も「きれい事」だけを推奨しているのです。 
    『悲願へ』p.189
    現代 60番
    現代のプラス思考というのは我利我利亡者という意味ですから、要するに金儲けだけです。 
    『悲願へ』p.196
    現代 61番
    皆自分の命が大切に決まっていることがよく分かっていない。その決まっているものを大切にしましょうとか、そんなことを国が提唱しているから、もともと強いその本能が増幅して皆が我利我利亡者になってしまう。 
    『悲願へ』p.200
    現代 62番
    今の政治家は、先ほども言いましたが、政治家ではない。あれは芸能人です。だから芸能ネタとしての話なら出来ますが、政治の話題になるとかなり厳しいものがあります。 
    『悲願へ』p.211
    現代 63番
    命が大切だということは誰でも知っていることです。しかし現代人は、その命すら投げ出すということが、人類の文明を生み出し発展させてきたのだということを忘れています。 
    『現代の考察』p.21
    現代 64番
    「現代」の特徴というのは、自分の感情に最大限の価値をつけたことが挙げられます。感情を自己だと思うということです。 
    『現代の考察』p.22
    現代 65番
    幸福を捨てると言うと、大変な抵抗感があるようにも聞こえますが、これは当たり前のことなのです。この当たり前のことをわざわざ言わなければならないのが現代の病です。 
    『現代の考察』p.27
    現代 66番
    最後に失敗し、自らが哭くこと以外に、自己の魂が救われる道は現代にはない。 
    『現代の考察』p.58
    現代 67番
    失敗の数が多いほど、現代においては、自分の魂は救済されます。 
    『現代の考察』p.59
    現代 68番
    (今の)文明の言う通りになったら、家畜になる。文明というのは必ず人間を家畜化していく。 
    『現代の考察』p.77
    現代 69番
    現代は、あえて毒を食らわなければ、人間としての独立自尊を全うできないのだ。 
    『現代の考察』p.158
    現代 70番
    ファシズムというのは、鞭で打つだけがファシズムではありません。「良いこと」しかしてはいけないというのもファシズムなのです。 
    『現代の考察』p.186
    現代 71番
    今は生きるために死ぬという思想は国も社会も認めないので、自然と動物学的な社会になる。だから人は皆、必然的に犬や豚になる生活を送るようになる。 
    『現代の考察』p.186
    現代 72番
    今流行している、すべて許すような表面的な優しさなどは噓に決まっているのです。大きな顔をして表面をつくろう人間ほど、条件が変われば様変わりします。 
    『現代の考察』p.230
    現代 73番
    今の人はみんな成功したがるけれども、人間的なものから言えば成功はもっとも怖いものなのです。なるべく成功しない方がいいです。出世もなるべくしない方がいい。給料もなるべく安い方がいい。高くなれば高くなるほど危険が増えるだけです。 
    『現代の考察』p.268
    現代 74番
    我々の時代を覆う消費文明とは神と道徳を失った人間がそれに替わるものとして追求しだした代替の人生の幸福論なのです。 
    『見よ銀幕に』p.451
    現代 75番
    だから本当に怖いのが、今の民主主義のような考え方なんだ。だって誰も否定できない良いものなんだから。みんな幸福になって、弱い人のために生きて、すべての人が喧嘩もせずに仲良くやりましょうなんて真顔で言っている。何か怖ろしいものを感じなければおかしいよ。 
    『夏日烈烈』p.203
    現代 76番
    (民主主義とは)何かというと、「なし崩し」であり、「ええじゃないか」ということなんだよ。文明でもないし、反文明でもないから、秩序でもないし革命でもない。一番悪いんだよ。しかし、だからこその「きれい事」の中にいられる。 
    『夏日烈烈』p.265
    現代 77番
    現代人は人間の懊悩ということに、価値を感じなくなってるんだよな。今ではゲーテの『若きウェルテルの悩み』なんかもほとんど読まれない。 
    『夏日烈烈』p.290
    現代 78番
    似非民主主義は、人間性の名の下に親切ごかしで、人の荷をはずす正義の理屈を提供する。 
    『生くる』p.191
    現代 79番
    人間は善人になどなってはいけない。なったら、それは昇天ということなのです。今の若い人が無気力だと言われているのは、皆、ある種、昇天しているからです。 
    『現代の考察』P.462
    現代 80番
    現代人は、便利さを神だと思っている狂信的な便利教徒と言える。 
    『生くる』p.243
  • ★仕事 ―――人生に迷ったら

    仕事 1番
    自らやる仕事は健康の元、嫌いなら仕事は病気の元になるのであって、ここの仕分けを摑めなければ、生き切るということもわからなくなるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.123
    仕事 2番
    どんな大がかりなものでも所詮(しょせん)人間のやることは中心にいる一個人の信念によって動いているのだ。 
    『見よ銀幕に』p.283
    仕事 3番
    あまりに美しいものはあまりにも美しい魂の人によって創られるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.284
    仕事 4番
    人間はいかなる性格であろうが、いかなる生まれであろうが、自らの仕事に誇りを持ち地道に精進(しょうじん)する者に与えられる本当の神の恩寵(おんちょう)が、そのけじめとしての最後を美しく飾れる。 
    『見よ銀幕に』p.293
    仕事 5番
    人間の真の関係は苦楽(くらく)をともにする仕事にあるのです。仕事には無限の夢があります。そこが遊びと違うのです。 
    『見よ銀幕に』p.574
    仕事 6番
    仕事をともにするとは、(とも)に生き迷いつつも何より偕に死ぬということである。 
    『平成10年度 年末の辞』
    仕事 7番
    真の人生観に基づく仕事は人生に夢や憧れを与えるものなのです。 
    『平成12年度 年末の辞』
    仕事 8番
    家族が大切なら、そのために死なねばならぬ。会社の仕事を真に愛するなら、仕事に死なねばならぬ。 
    『「憧れ」の思想』p.200
    仕事 9番
    自己の仕事に「死に狂い」ができる人間なら、叫ぶことは必ずできる。 
    『「憧れ」の思想』p.200
    仕事 10番
    仕事は、文明と自己との対話である。つまり、それは現実と憧れとが織り成す葛藤の中にこそあるのだ。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.304
    仕事 11番
    仕事とは、その信仰を通して神、宇宙、生命の摂理に近付くための手段であり、やればやるほど生命の本源に近づいていくものなのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.306
    仕事 12番
    「自分に合った仕事」を選ぼうという考え方に、不幸の根源があるのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.307
    仕事 13番
    「下手の横好き」という言葉もあるように、大体好きなものなど、本人に合っていない場合が多いのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.308
    仕事 14番
    嫌いで、間違っている仕事でも、全身全霊で打ち込めば、必ず自分にとっての正しい道は拓けてくるのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.311
    仕事 15番
    大人になってからでは「死ぬ気」でなければ何も身に付きません。「死ぬ気」でやれば、ホルモンと酵素の代謝を幼児の頃まで逆戻りさせることが可能なのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.312
    仕事 16番
    飛躍がくる人というのは苦悩に挑戦することを当たり前としている人だ。 
    『夏日烈烈』p.119
    仕事 17番
    人生っていうのはね、クビになるような言葉や行動を、クビにならないように言いそして実行するのが醍醐味であり、また生き甲斐を創るんだ。 
    『夏日烈烈』p.121
    仕事 18番
    人があって、物があって、その人に魂があって、その物に魂があって、そこに触れ合いがあって、真実の仕事というものが生まれるのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.8
    仕事 19番
    仕事が存在すれば、そこに夢が生まれ、友情が生まれ、愛情が育まれるのである。それらの事柄によって希望と使命というものが生まれ出づれば、本物の人生というものの血と肉が躍動し、骨が貫徹するのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.8
    仕事 20番
    いっぱしの人って何か「持ってる」んだよ。この「持ってる」というのが、たぶん男性原理であり、何かをなし遂げる力だと思うんだ。 
    『夏日烈烈』p.82
    仕事 21番
    真に価値のある仕事は、この四つの美学(規律、命令、服従、献身)に自己を同一化していき、それに習熟しない限り、できるものではない。 
    『生くる』p.167
    仕事 22番
    四つの美学(規律、命令、服従、献身)は、何しろ人生を美的にしていく。入り込めば入り込むほど人生の価値、仕事の価値が上がっていくのだ。楽しいに決まっている。 
    『生くる』p.168
    仕事 23番
    我々にとって大切なことは、これら(仕事)の美学(規律、命令、服従、献身)を苦しいものだと思い込ませている似非民主主義から、自己を救い出すことにある。 
    『生くる』p.168
    仕事 24番
    すべての人が楽しく生活し楽しく仕事をしたいと言っているが、すでにその「楽しく」という考え方そのものが汚染されているのだから始末が悪い。 
    『生くる』p.168
    仕事 25番
    自分の存在が他人の役に立ち、世の中の役に立って、はじめてそこにやりがい、生きがいが成立し、真の仕事が成立してくる。 
    『生くる』p.169
    仕事 26番
    あらゆる価値が美学化されていく根底にあるものは、……規律、命令、服従、献身である。……これらの美学が、あらゆる仕事を価値あるものとし、歴史の一環となす力を有している。 
    『生くる』p.165
    仕事 27番
    自分から進んで何かをする人間は美しく、させられる人間は不様となる。 
    『生くる』p.100
    仕事 28番
    貪る状態さえ脱すれば、人間は必ず自立する。自立するとは、すなわち自己が、他者や社会の役に立つ人物になることを言う。 
    『生くる』p.106
    仕事 29番
    (秀れた)経営者は、社会的に有用なものを求め続け、自社に対する改革と不満は尽きることがない。現状に自信がないからだ。経営者が自信を持ったとき、会社は潰れる。 
    『生くる』p.137
    仕事 30番
    自信を持っている勤め人は、自分を認めぬ他者の批判しかしていない。……反対に、ひたむきな勤め人は必ず求め続け、会社に対する貢献の足りなさをいつでも痛感している。 
    『生くる』p.137
    仕事 31番
    我々が人生において、何かを為し遂げようとすれば、必ず反対側からは、それをさせまいとする同等の力がかかってくる。一般的に、これを壁と言っている。 
    『生くる』p.157
    仕事 32番
    (壁の乗り越え方は)反作用よりも0.01グラム、つまりほんの少しでも作用のほうの力が強ければ、簡単にできる。要は、自分が押す方向に動くのだ。 
    『生くる』p.159
    仕事 33番
    指揮官がこのぎりぎりの線において、それを好機と見るか、危機と見るかによって勝敗が分かれる。 
    『生くる』p.161
    仕事 34番
    自己の役割を知ることが人格を発生させる基礎だからこそ、家庭の教育が第一歩であった。 
    『生くる』p.182
    仕事 35番
    私が子どもの頃、まだ日本の家庭は健全な姿を維持していた。私の父は、三井物産に勤めていた。だから我が家では、三井系企業のもの以外は一切使うことも買うことも許されなかった。 
    『生くる』p.184
    仕事 36番
    (私の)家族はすべて、父の仕事のために働き、まるで三井物産の準社員のような生活をしていた。 
    『生くる』p.184
    仕事 37番
    日本と欧州の必然は、仕事の質にあるのだ。それにもかかわらず、二十世紀半ばから米国に(おもね)るような大量生産大量消費が始まった。 
    『生くる』p.200
    仕事 38番
    人生においては、志がなく、なんとなくできたことで、大したことは一つもない。 
    『生くる』p.253
    仕事 39番
    仕合せを心の深くから知っていた我々の祖先は、生きるために必要な営みを「仕事」と呼ぶようになった。 
    『生くる』p.402
    仕事 40番
    松下幸之助は、反省力が並はずれて優れていた人だった。一つひとつ失敗して、失敗したらすぐにもの凄い勢いで反省し、その反省が次の成功を生み出すという、もう次々、次々に失敗と反省という歴史の繰り返しです。 
    『悲願へ』p.35
    仕事 41番
    幸之助のこの反省力の根源は何かということです。それは、石門心学に支えられた商道が丁稚奉公の頃から深く深く体の中に叩き込まれていたということなのです。 
    『悲願へ』p.36
    仕事 42番
    松下幸之助が今、生きていれば、新しい「貧しさ」に向かうと思います。貧しさと言うと、少し言葉がおかしいかもしれないけれど、「清貧の思想」です。 
    『悲願へ』p.48
    仕事 43番
    いつでも、成功する人の意見というのは「その時代」にはすべてが夢なのです。 
    『悲願へ』p.48
    仕事 44番
    松下幸之助がPHP「繁栄を通しての平和と幸福」を唱えたときには、PHPの状態というのは、あの当時には全く日本にはなかったものだったのです。だから、宇宙的物語であり、お伽噺です。 
    『悲願へ』p.49
    仕事 45番
    誰もが想像もしないときに「自動車が満ち溢れた社会」を思い浮かべてヘンリー・フォードは、ベルト・コンベア方式の一貫生産を始めたのです。……だから、ヘンリー・フォードは夢だけに生きる気狂いだったとも言えるのです。 
    『悲願へ』p.49
    仕事 46番
    松下幸之助も、私はそういう人だと思うのです。この野蛮性、特に不良性が強く無頼の人だから、その時代のPHP理念が唱えられたのだと思っています。善人は唱えられないです。 
    『悲願へ』p.73
    仕事 47番
    私の経営する会社は目標なんか無い。とにかく、全員その日の仕事に「体当たりせよ」と言っているだけだ。 
    『悲願へ』p.107
    仕事 48番
    その日の仕事に体当たりすれば、必ず仕事はうまくいくし、必ず儲かるということなんだ。儲からない場合は、体当たりしていないって怒るだけです。 
    『悲願へ』p.107
    仕事 49番
    目的がエゴとなる悪循環というのは、合理主義から来る。だから、合理主義を捨てなければ駄目だと言っている。 
    『悲願へ』p.108
    仕事 50番
    「体当たり」をすれば芽が出てくるし、それはすごく不合理な生き方なんだ。体当たりをしていれば、合理主義には絶対にならない。 
    『悲願へ』p.108
    仕事 51番
    共感を人に与えられないのなら、それは嘘だからなのだ。人生も芸術も学問も事業も、本物はすべて共感と呼ばれる感化力を内在している。 
    『友よ』p.24
    仕事 52番
    全員がいいと言っているものは、商売的には大して儲からないですよ。全員が駄目だと思っているものをやり抜いた人間だけが儲けられる。 
    『悲願へ』p.280
    仕事 53番
    大実業家というのは柔軟思考ですからね。決めつけるのではない。 
    『悲願へ』p.283
    仕事 54番
    仕事とは、社会の中において、自己の信ずる「義」を打ち立てる行為に他ならない。 
    『現代の考察』p.15
    仕事 55番
    そもそも仕事というのは何かというと、仕事とは自己の存在がこの世とどのように関係し、この世にどのように貢献できるのかということに尽きるのです。 
    『現代の考察』p.33
    仕事 56番
    仕事とは、各時代ともに、この義を重んずることによって、その輝きを増すことは言うに及びません。 
    『現代の考察』p.36
    仕事 57番
    もともと家庭は、仕事という「義」を貫徹するために必要な生命力の補給基地としてできたものです。 
    『現代の考察』p.37
    仕事 58番
    自分自身に体当たりし、家族にも体当たりして一丸一体にならなければ、家庭と仕事を両立させるという課題は解決できないのです。 
    『現代の考察』p.39
    仕事 59番
    命懸けで生きれば、仕事も家庭もうまくいく。もし仕事がうまくいかなければ、当然家庭を投げ捨てなければ駄目です。 
    『現代の考察』p.41
    仕事 60番
    やれることをやる。やれないことはやらない。人の役に立てることがあれば立てる分だけ立つ。最後までやって、死ぬ日まで働く。これが私の創業した会社の経営方針です。 
    『生命の理念Ⅰ』p.118
    仕事 61番
    営業マンであれば、自分の営業を通して商品を買ってくれたことで、その人に幸福になってもらうことが愛の実践です。すべてのどんな職業の人でも熟達することで愛の実践が出来ます。 
    『生命の理念Ⅰ』p.176
    仕事 62番
    成功と落伍(らくご)紙一重(かみひとえ)である。成功する為の基はまた落伍者と成る素質にも通じる。 
    『見よ銀幕に』p.530
    仕事 63番
    大事業とは(おのれ)を捨ててかからねば出来ない。それは立場の違う多くの人間の立場をつぶさなければ完遂(かんすい)出来ないからである。だから大事業は成功してもやった人間が(むく)われる事は無いのだ。そういう事業こそ真の事業なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.10
    仕事 64番
    事業を始めた人間の孤独というのはそれをやった人間にしかわかりません。もしも駄目なら本当に幼い子と共に死ぬのだと思っていました。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.37
    仕事 65番
    サラリーマンの名誉心は、武士道の思想に非常に近いものです。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.51
    仕事 66番
    何かを為し遂げる人間というのは、他人から馬鹿にされようが何と言われようが、自分の信じる道をまっしぐらに進んでいる人です。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.251
    仕事 67番
    我々にとって大切なことは、これら仕事の美学(規律、命令、服従、献身)を苦しいものだと思い込ませている似非民主主義から、自己を救い出すことにある。 
    『生くる』p.168
    仕事 68番
    人生の価値は、その人間の燃焼によって決まる。仕事による真の人間燃焼である。 
    『現代の考察』P.532
    仕事 69番
    我々の生命活動の痕跡は、我々の成した仕事の中にしか残らない。人間の生命とは、仕事に刻印された痕跡のことなのだ。 
    『現代の考察』P.532
    仕事 70番
    我々の人生はその仕事に燃えることができれば成功であり、仕事に(くす)ぶれば失敗の人生となる。人間は仕事の中にしか存在しない。 
    『現代の考察』P.532
    仕事 71番
    仕事を離れたあらゆる価値は、人間生命にとっては誤魔化しでしかないのだ。 
    『現代の考察』p.532
  • ★戦い ―――人生に迷ったら

    戦い 1番
    絶えず戦い続けることが、生命の哲理です。 
    『生命の理念Ⅰ』p.60
    戦い 2番
    優しくなければ強くはなれない。強く無ければ優しさは断行できない。 
    『見よ銀幕に』p.268
    戦い 3番
    人にとって一番大切なものはその敗れざるものである。 
    『見よ銀幕に』p.269
    戦い 4番
    物事の断行、ときに正義の断行はそれが真実であるほど綺麗事ではいかないのだ。 
    『見よ銀幕に』p.390
    戦い 5番
    闘い続けるには真の美学と真のヒューマニズムが必要なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.398
    戦い 6番
    ()つ人はその流れを受け入れる姿勢があり、負ける人は逃げようとばかりしているのである。 
    『見よ銀幕に』p.461
    戦い 7番
    勝利はいつの日も知恵と勇気がもたらすものなのである。 
    『見よ銀幕に』p.472
    戦い 8番
    人間とはいくらでも強くなれるのだ。困難は人間を磨く道具にしかならない。 
    『見よ銀幕に』p.476
    戦い 9番
    人間は嫌い逃げることによって()けるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.476
    戦い 10番
    戦争とは人間が行なっているものなのであるから実際には実に人間的なものなのである。悲劇の強調や楽観的勇気の方が戦場においても私は却って作られたもののような気がする。 
    『見よ銀幕に』p.482
    戦い 11番
    理屈などを信ずる者は理屈によって滅び、力だけを信ずる者は力によって滅ぶのだ。 
    『見よ銀幕に』p.486
    戦い 12番
    結果が悪く出た場合に、自らがその責任を背負い続けるということが、人間にとっていかに重大な事柄であるのかを考えさせられる。 
    『見よ銀幕に』p.493
    戦い 13番
    戦争と闘いに真に強い人間は戦いというものをでき得る限り避けようと非常な努力をしています。これは歴史上の英雄に共通なことです。そしてどうにもならぬ最後になったときの断固とした決断と実行の速さが凄いです。 
    『見よ銀幕に』p.518
    戦い 14番
    人間は戦うことが嫌なのではないのだ。真の戦いは詩人の言葉にあるように灰の中からダイヤを生むのだ。 
    『見よ銀幕に』p.524
    戦い 15番
    戦う者を戦いに駆り立てるものは家族への愛と友情である。真実の愛を持たぬ者は真に戦い抜くことはできない。 
    『見よ銀幕に』p.536
    戦い 16番
    人間の強さの根源は正義なのです。真実の正義に立脚して人は初めて辛苦に耐え信念を貫けるのです。 
    『見よ銀幕に』p.537
    戦い 17番
    近代戦になる前の戦いにはロマンがあった。殺すも男、殺されるも男であり、戦いが友情と美徳の根元ですらあったのだ。 
    『見よ銀幕に』p.556
    戦い 18番
    戦う者はいつの世もよく生きた者達である。そして戦う者は真に平和を愛する者である。 
    『見よ銀幕に』p.570
    戦い 19番
    任務は観念ではなく遂行しなければならないのだ。 
    『見よ銀幕に』p.578
    戦い 20番
    逆境に直面したとき、人の真価がわかる。 
    『見よ銀幕に』p.569
    戦い 21番
    自由とはそれを脅やかす力に対してはいつでも断固として戦い抜かなければ得られぬものなのです。 
    『見よ銀幕に』p.594
    戦い 22番
    本当の勇気とは勇敢な心が生み出すものではない。本当の任務とは揺れる心に対する自己の挑戦である。 
    『見よ銀幕に』p.604
    戦い 23番
    真の軍隊は正義の断行をする。 
    『見よ銀幕に』p.650
    戦い 24番
    人間を信じ信じ信じ抜かなければ真の戦いというものはできない。 
    『見よ銀幕に』p.652
    戦い 25番
    現代の戦争は屠殺である。そこには人間性の一片も無い。現代は物質至上主義となり、人間の真の歴史、つまり心の伝承を忘れているのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.9
    戦い 26番
    憧れに向かう生命の自由は、いつの時代も戦い取らなければならないものと言える。 
    『「憧れ」の思想』p.218
    戦い 27番
    人格というのは、部下に対する「慈しみの心」だよな。それに優れた人が、司令官として優れた実績を挙げているんだよ。 
    『夏日烈烈』p.137
    戦い 28番
    実力無き者の正義が通ったことは歴史上一度も無いのである。我々の平和は我々の力で守らなければならない。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.7
    戦い 29番
    偉大な人物が、その偉大を生み出すための苦悩と挑戦、それが真の青春なのではないか。青春とは自己と真剣に向き合い、自己と真剣に戦う生命の時間である。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.10
    戦い 30番
    大和はいい。この涙の戦艦は、日本人の涙が生み出し、日本人の涙とともに生き、そして日本人の涙とともに死んだのだ。その死に様によって、日本人の魂を確実に後世に伝えたのだ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    戦い 31番
    戦艦大和が生きそして死んだその涙の人生を考えるとき、私は日本人として自分がどう生きどう死ぬのか、いやどう死なねばならんのかということを我が血に骨に、そして魂に知らしめられるのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    戦い 32番
    血と骨が涙を流さねば戦艦大和のことはわからんのだ。その涙を魂が受け取らなければならぬ。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    戦い 33番
    戦艦大和は明治日本の、西洋列強の軍門に下ることを潔ぎ良しとしなかった、あの日本人の叫びが創り上げたのである。そしてその魂を敗戦後の日本に残すために死んだのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    戦い 34番
    戦艦大和は真の日本人の魂の故郷なのである。そしてそれはそのまま日本人の魂の、我々の父祖の、血の涙を流してこの国を創った先祖達の、まさに墓標なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    戦い 35番
    自分が存在する、その淵源を見つめる者にして初めて、人間の人生を歩むことができる。そこに、多くの人々が死にゆく戦争の後にこそ、実存主義が生まれるいわれがある。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.14
    戦い 36番
    自分の生命よりも、自分の人生よりも、恩が大切ならば、仇討はごく自然に正当なものである。恩よりも大切な価値観が生まれたとき、仇討は悪に変ずる。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.16
    戦い 37番
    戦争は、文明の本質を明らめる働きがある。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.14
    戦い 38番
    守るとは、愛の最も純粋な形を伝えるものだ。愛する人を守る。愛する家族を守る。信ずるものを守り抜く。これらの概念は、実にすばらしく美しい響きを持っている。しかし、その響きを支えている真実はどういうことなのか。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.14
    戦い 39番
    戦争を見ない、知らない、聞かないってなると、生命とか生命の雄叫びに触れないということになってしまう。それが戦後日本の致命傷だと思うよ。 
    『夏日烈烈』p.198
    戦い 40番
    僕の生命論は基本的に(大木惇夫の)「戦友別盃の歌」に尽きるよね。生命の雄叫びっていうのが最も現われているからね。 
    『夏日烈烈』p.198
    戦い 41番
    (生命は)戦うために生まれ、戦いの果てに死に絶えるものである。 
    『「憧れ」の思想』p.24
    戦い 42番
    失敗すれば死ぬこともあるが、勇気を奮い起こし、跳ぶことによって得られる「何ものか」が、生命を真に燃焼させる。 
    『「憧れ」の思想』p.25
    戦い 43番
    勇敢な兵士になるには、鉄砲の弾が飛んでくる戦場は怖くなきゃ駄目なんだ。でも、怖くて逃げたらただの臆病者。怖いところで、どう立ち向かうかが、人生論であり文学であり詩なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.343
    戦い 44番
    恐怖を忘れれば、危険の感覚を持つことはできない。……恐怖は認識して乗り越えていくのが一番の対処法なんだ。 
    『夏日烈烈』p.341
    戦い 45番
    私自身は、共産主義そのものを、その物質性ゆえに大いに嫌っている。しかし、信念のために権力と真向から闘う人間の生き方には、深く感動させられる。 
    『友よ』p.18
    戦い 46番
    過去の闘う人間たちの精神の支えがなくして、私は今日まで、とても生きてはこれなかっただろう。 
    『友よ』p.19
    戦い 47番
    本音を言えば必ず闘いが起こる。善悪ではないのだ。人間生存の根本が、闘争にあることは、自分自身に正直に生きた経験、本音を言った経験のある人間なら誰にでもわかる。 
    『友よ』p.22
    戦い 48番
    人間のもつすべての美徳、つまり友情や愛情、そして信頼や勇気などは戦時に現われることが多い。 
    『友よ』p.60
    戦い 49番
    平和と凡庸は固く結びついている。だから人類には真の平和が訪れない。 
    『友よ』p.61
    戦い 50番
    友情とはともに戦うことである。戦いがあって初めて相手(友)の存在を真に感ずるのが人間である。 
    『見よ銀幕に』p.296
    戦い 51番
    生命とは、生命と生命の拮抗作用なのです。だから常に一方の生命が勝ち、もう一方の生命が負けるということなのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.44
    戦い 52番
    指揮官がこのぎりぎりの線において、それを好機と見るか、危機と見るかによって勝敗が分かれる。 
    『生くる』p.161
    戦い 53番
    愛のない者に、戦い続ける人生は不可能である。愛は戦いの原動力である。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.2
    戦い 54番
    愛が戦い続ける困難な人生を強いるのである。それに耐え続ける者だけが、自分の人生を詩となせるのである。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.2
    戦い 55番
    平和は、与えられるものではないということです。それは、戦いによって得られるものだということなのです。 
    『悲願へ』p.59
    戦い 56番
    楽しいことは戦争に結びつくと思った方がいい。だから、金儲けをすれば戦争が起こる。金を儲けなければ、起こらない。 
    『悲願へ』p.144
    戦い 57番
    私は、戦いはちっとも厭わない。個人的戦いも戦争も何も、どんな戦いでも戦い抜くつもりでいるけれど、それは何よりも自由を重んじているからに他ならない。 
    『悲願へ』p.146
    戦い 58番
    他人が見て感動するほどの行進ができるということは、強い兵隊を生み出すことができるということなんだ。つまり、帝国主義の道徳であり美学なんです。 
    『現代の考察』p.110
    戦い 59番
    戦争の善悪論というのはしても仕方がない話で、戦争をする意志があるから人類の文明が生まれたとも言えます。戦争をする意志がなかったら、要するに自分の意志を通すという意志力がなかったら、人類の文明が生まれなかったということです。 
    『現代の考察』p.118
    戦い 60番
    戦争論というのは、文明論であり人間論なんだよ。だからいい悪いじゃなくて、人類が意志を持っている限り起こるものだということです。 
    『現代の考察』p.118
    戦い 61番
    文明が戦争を生み出したんだから仕方がない。戦争をしたくないなら文明をやめるしかない。屠殺に移ったのはその文明が爛熟(らんじゅく)し過ぎて自殺の方に入ってきてしまった。 
    『現代の考察』p.119
    戦い 62番
    戦争については、みんな野蛮で文明の反対だということを言いますが、文明が戦争を生んでいるということを分からなければなりません。 
    『現代の考察』p.203
  • ★涙・悲しみ ―――人生に迷ったら

    涙・悲しみ 1番
    悲しみは、悲しみ続けなければならぬ。 
    『悲天』p.367
    涙・悲しみ 2番
    本当の情というものは悲劇的なものではなく、夢があり他者を生かすものなのである。 
    『見よ銀幕に』p.193
    涙・悲しみ 3番
    人はみな涙を背負って生きているのである。その涙を乗り越えて勇を振るい立たせるのだ。そのためには愛情や友情や希望や信頼が必要なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.207
    涙・悲しみ 4番
    「情」の質と量があらゆる人間集団の中での「人物」を決定していくのだ。 
    『見よ銀幕に』p.270
    涙・悲しみ 5番
    あの艱難辛苦(かんなんしんく)を突破して南極点に到達したとき、アムンゼン隊の旗を見たときのスコットと隊員達の気持ちはいかなるものであったのかと、もう40年以上も考え続けている。 
    『見よ銀幕に』p.519
    涙・悲しみ 6番
    人生の根本を貫くものが悲しみであって、初めて人生には希望と友情、祖国と信念が生まれるのだ。 
    『見よ銀幕に』p.581
    涙・悲しみ 7番
    人間の生命は、その初めから未来へ向けて投げられたひとつの「悲哀」なのである。 
    『「憧れ」の思想』p.213
    涙・悲しみ 8番
    生命は、悲哀の中から生まれてきた。 
    『夏日烈烈』p.21
    涙・悲しみ 9番
    真の人生は涙なのである。人が生きるとは悲しみなのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.6
    涙・悲しみ 10番
    「涙」というものを、その魂の奥底から信ずる者同士の共感が私を動かすのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    涙・悲しみ 11番
    国家権力に抗して涙を断行することは本当に勇気の要ることなのである。自分自身が本当にやらなければわからない事柄なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.16
    涙・悲しみ 12番
    本当の愛は、美しいだけでも、明るいだけのものでもない。それは、人間の「涙」の中から這い上がってくる「叫び」なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.10(予定) 「静かなる情熱」
    涙・悲しみ 13番
    すべてのいい音楽には涙がある。 
    『夏日烈烈』p.236
    涙・悲しみ 14番
    愚かさは、崇高から滴る涙である。 
    『「憧れ」の思想』p.69
    涙・悲しみ 15番
    人の同情心は、最も尊い。だから、そういうものに訴えかけること自体、実は最も卑怯な生き方となる。 
    『友よ』p.21
    涙・悲しみ 16番
    生きるには喰わなければならない。喰うために生きているのではないのに、喰わなければならないのが人生なのだ。 
    『友よ』p.22
    涙・悲しみ 17番
    もともと、何かの事情でやめるものは決意でも何でもないのだ。その何かの事情の中でも、人情に絡むものは本当にきびしいものがある。本当にやりきれない気持ちにもなる。しかし、別れなければならない。 
    『友よ』p.51
    涙・悲しみ 18番
    真に生きる人は、絶えずこの別れと対面せざるを得ない。まさに、星霜が移るとは人が去ることなのだ。 
    『友よ』p.51
    涙・悲しみ 19番
    人間が芸術を求める心は、人生の本質としての悲しみから生まれている。そうだからこそ、詩は(じゃく)として読むものであり、(しゅう)として感ずるものなのである。 
    『友よ』p.52
    涙・悲しみ 20番
    悲しみは、他人にはわからない。またわかるものであれば、それは真の悲しみではない。 
    『友よ』p.71
    涙・悲しみ 21番
    芸術とはすでにこの世に存在している人間の生の尊厳であり、その尊厳から湧き出づる涙なのではないか。それに触れるべき人生が本当の人生なのではないか。    
       『見よ銀幕に』追補3 p.5
    涙・悲しみ 22番
    偏見を乗り越えた真の人道とは人間の血と汗から絞り出される涙なのです。 
    『見よ銀幕に』p.511
    涙・悲しみ 23番
    私は祖国と涙を伴にしたい。私は祖国の馬鹿さ加減が愛しいのだ。私はそれとともに生きそれとともに死にたい。スパイに舐められ馬鹿にされ翻弄される国を私は愛する。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.2
    涙・悲しみ 24番
    春の雪が舞い、日本は涙の歴史に突入した。そして、その涙が忘れられたとき、我々の国は人間の尊厳を忘れた享楽の国へとなり下がっていった。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.3
    涙・悲しみ 25番
    ヘブライ民族の「詩」を生きたイエスは、ただひたすらにイザヤの預言を成就するために生きようとしていた。民族の魂とその涙だけが、イエスの勇気を支えていたのであろう。それ無くして、この受難に耐えられる者はいない。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.23
    涙・悲しみ 26番
    神の怒りの日、我々人間の生命がもつ宇宙的価値が問われることになる。それは、私が「涙」と言い続けているものだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.12
    涙・悲しみ 27番
    最後の審判は必ず来るのだ。生命を輝かせねばならぬ。最後の審判の日、価値を持つものは、ただ「涙」だけなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.12
    涙・悲しみ 28番
    人類が滅びようとするとき、それを救うことができるものは、ただに人間が流した「涙」だけなのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.16
    涙・悲しみ 29番
    すべての哀しみを乗り越えて、人間の精神の活動は輝いていく。精神の輝きを支えているものは、その奥底を流れる涙そのものに他ならない。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.7
    涙・悲しみ 30番
    自分の中に本当の「正義」というものを抱かずしてなせる価値ある仕事はこの世には無い。この「正義」とは傲慢の対極にある「涙」という意味である。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.16
    涙・悲しみ 31番
    自己の魂の裡深くにあって「涙」と化している「正義」は、必ず歴史的に国家権力に対する反骨精神としてこの世に現われてくるのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.16
    涙・悲しみ 32番
    この人の世を創り上げていくものは人の願いであり夢であり涙であるのだ。その霊魂というものは過去から現在を通り未来永劫へと引き継がれるのだ。その引き継がれていくものが宿命として我々を真に動かしているのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.3
    涙・悲しみ 33番
    責任を持つとは悲しみを背負い涙を引き受けるという意味である。そして全ての本物の決断を支えている最も重要な要素は愛情なのである。愛情の無い人間には善行も悪行も何もできないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.7
    涙・悲しみ 34番
    私の魂も、地球に降り注がれた祖先の涙の痕跡なのである。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.17(予定) 「ゼロ・グラビティ」
    涙・悲しみ 35番
    美の出発は、人生の悲しみを自らが抱きしめることによって、初めて実感することができる。 
    『友よ』p.71
    涙・悲しみ 36番
    風とは、憧れである。風とは、慟哭なのだ。そして、何よりも、悲しい生命の実存を運ぶ「時間」そのものを表わしている。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    涙・悲しみ 37番
    別れとは、「有限な生命を認識するためのけじめである」。 
    『根源へ』p.450
    涙・悲しみ 38番
    真の憧れや希望は、悲しみの中から生まれるのです。 
    『根源へ』p.453
    涙・悲しみ 39番
    生命とは、宇宙に実存する「悲願」が創り上げたものである。 
    『生命の理念Ⅰ』p.2
    涙・悲しみ 40番
    苦悩の地平線に、我々の生命の本源が横たわっているのだ。 
    『悲天』p.365
    涙・悲しみ 41番
    すべての生命は未完で終わるように決定されている。それが生命の宿命である。 
    『「憧れ」の思想』p.176
    涙・悲しみ 42番
    惜別(わかれ)宿命(さだめ)が来るその日まで、偕に愉しみ且つ悲しもうではないか。 
    『平成10年度 年末の辞』
    涙・悲しみ 43番
    幸福は不幸を生み、不幸は幸福を生み出すのです。生きるとは、そういう悲しみの上に展開される生命の舞踏なのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.99
    涙・悲しみ 44番
    (森鴎外の『阿部一族』の)本体は、今話した文明の悲劇なんだ。つまり文明から生まれた武士道という生き方の悲哀だな。それが、生命の淵源に触れ、宇宙の静謐をかいま見させてくれるんだ。
    『夏日烈烈』p.188
    涙・悲しみ 45番
    真の恋とは、成就し得ない悲恋なのだ。想い続ける願いなのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.38
    涙・悲しみ 46番
    「風立ちぬ いざ生きめやも」とは、ポール・ヴァレリーの信念を表わす詩行である。そして、私自身が生きるために自己の信念として持した言葉でもあるのだ。この言葉には、人生そのものが存する。生きることの悲哀が、言葉を貫徹する霊魂として屹立する。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.1
    涙・悲しみ 47番
    人間ほど悲しくも美しい生き物は存在せぬであろう。 
    『見よ銀幕に』p.442
    涙・悲しみ 48番
    人間が文明を抱えている限り、人間存在が悲哀であることは前提なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.391
    涙・悲しみ 49番
    升田幸三は、いつでも()いていた。私に向って、私の魂に向って。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.17
    涙・悲しみ 50番
    およそ飛躍を行なった人々に共通しているものは、涙を知る人生を送った人たちであった。 
    『生くる』p.260
    涙・悲しみ 51番
    人間の持つ生命の本質は悲哀にある。 
    『生くる』p.302
    涙・悲しみ 52番
    悲哀と向き合い悲哀を知り尽くさなければ、煌めく一瞬の喜びを抱きしめることはできない。 
    『生くる』p.302
    涙・悲しみ 53番
    涙は音楽に(いのち)を注ぐ。 
    『生くる』p.304
    涙・悲しみ 54番
    音楽のままに心の底から悲しみ、涙を流せば、人生とはいかに美しく楽しく、幸福に満ち満ちているものかがわかる。 
    『生くる』p.304
    涙・悲しみ 55番
    音楽に助けられて悲しめば、その悲しみと涙は、必ず天上の至福によって慰められる。 
    『生くる』p.304
    涙・悲しみ 56番
    親を愛すれば、親の欠点と思われるものは、また親の涙として、何とか補い助けるべく、自分自身を真に活かす原動力となり得る。 
    『生くる』p.422
    涙・悲しみ 57番
    苦しみを共にするというのは、自己以外の外部にある価値を他人と一緒に苦しみながらやるということです。 
    『現代の考察』p.237
    涙・悲しみ 58番
    苦しいことは自分に秘めなければ駄目です。さっきから言っている苦しみというのは、共通の目的として外部にある苦しいことを一緒にやらなければ駄目だということです。 
    『現代の考察』p.237
  • ★国家・歴史 ―――人生に迷ったら

    国家・歴史 1番
    歴史とは、ロマンティシズムです。文学に近く、詩と呼ぶべきものなのだとわからなければなりません。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.75
    国家・歴史 2番
    歴史とは、現代の人間が未来へ向かって誇りをもって生きていくために存在する詩なのです。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.75
    国家・歴史 3番
    ヨーロッパとはつまりフランスのことを意味しているのだ。 
    『見よ銀幕に』p.409
    国家・歴史 4番
    無名の人の血と汗の上に歴史は創られる。 
    『見よ銀幕に』p.418
    国家・歴史 5番
    歴史とは正義や善を主張する必要などないのではないか。大地を愛し、人を愛し、国を愛することだけが真実なのではないか。 
    『見よ銀幕に』p.508
    国家・歴史 6番
    人道主義とは綺麗事ではないのです。人間の真の歴史や文化からしか生まれてこないのです。だから真の人道主義者はいつの世も頑固でいじ悪な人間なのです。 
    『見よ銀幕に』p.511
    国家・歴史 7番
    どんな人間もこの世における役目(やくめ)がなければ生きられない。その役目を正しくはっきりと人間に与えられる時代と社会が良い世の中なのである。 
    『見よ銀幕に』p.529
    国家・歴史 8番
    私は生まれたときから真の故郷を求め続けているのです。その真の故郷とは当然、誇り高き歴史の継続する祖国である日本なのです。 
    『平成13年度 年末の辞』
    国家・歴史 9番
    どんな地道な道であれ役目に生きる人間の美しい姿をその存在によって社会に示すこと。 
    『平成11年度 年末の辞』
    国家・歴史 10番
    国を愛し、人を愛する。そしてそれを何が何でも貫抜く。このことだけが人の心を動かし、また真の人生を築くのだ。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.3
    国家・歴史 11番
    国が偉大であるとき、その偉大さを支えているものはどこの国、どの時代においても間違いなく武士道なのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.19
    国家・歴史 12番
    大英帝国には理不尽なる武士道がある。だから強力なのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.19
    国家・歴史 13番
    本当に人を愛するとは涙を己が運命として背負うことである。歴史の中に自分を生かすことである。人の真心に応えることである。そういうことを真に実行することが真の勇気なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.11
    国家・歴史 14番
    (武士道と騎士道の)文化のヨーロッパにおける始まりがこのテルモピレーの戦いなのだ。なお、現代のアメリカ帝国に継承される物質文明の始まりが古代ペルシャ帝国なのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.2
    国家・歴史 15番
    美徳は「守る」ことによって生まれ出づるのである。自分以外の他者を真に守らなければならぬとき、歴史的伝統を有する民族は真の勇気と美徳が発動されるのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.14
    国家・歴史 16番
    英雄を崇拝するとき、国家は興隆する。そして、英雄を蔑ろにするとき国は衰退するのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.22
    国家・歴史 17番
    西洋に支配された文明は、決して「美しいもの」だけではなかった……文明の毒は、文明がある限りこの地球上を覆っているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.22(予定) 「アポカリプト」
    国家・歴史 18番
    生命の邂逅が突然起こるように、文明の邂逅も突然起こる。そのとき、どちらの文明により多くの愛と献身があるのかという問題である。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.22(予定) 「アポカリプト」
    国家・歴史 19番
    思い出が、人生を創る。思い出が、人間を創る。愛情、友情、信義、犠牲的精神、そのようなものが、思い出とともに我々人類の文明を築き上げてきた。そのことが、よくよくわかっていなければ、人間の人生はない。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.3(予定) 「デイライツ・エンド」
    国家・歴史 20番
    人類の歴史とは、魔法の歴史なのだ。魔法には、人類の原点が潜んでいる。我々は、魔法を求め、魔法の中に生き、そして魔法の中に死にたいと思っているのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.13(予定) 「ハリー・ポッター シリーズ(全8作)」
    国家・歴史 21番
    欠点が長所となり、また長所が欠点ともなり、その二つが相まって織り成す、壮大な織物が人間の歴史を創っている。 
    『生くる』 p.422
    国家・歴史 22番
    私は歴史の中に、途轍もない美しさと偉大さとを見ているから、自分のことを好きなのだろうと思っている。 
    『生くる』 p.423
    国家・歴史 23番
    およそ詩を読む楽しみは、偉大なる人物と自分との魂の交流と交感にある。そして、その偉大なる人物の導きにより、自己を明らめ生命と歴史を志向するところにある。 
    『友よ』p.68
    国家・歴史 24番
    また真の夢や情熱というものは、しっかりとした人間的な歴史に裏打ちされて初めて持続的な価値を持つのだ。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.10
    国家・歴史 25番
    いまフランス文化と呼ばれるものは、ほとんどがルイ十四世の貫き通したものに負っている。 
    『生くる』p.92
    国家・歴史 26番
    ルイ十四世は、フランスの栄光を背負い、国家の威信を誠とした。 
    『生くる』p.93
    国家・歴史 27番
    親を慕うことだけが、歴史であり自分の(いのち)を燃焼させることに繋がる。 
    『生くる』 p.422
    国家・歴史 28番
    あらゆる価値の中に潜む美を磨き上げ、歴史過程の一環となしていくことこそが、美学化と呼ばれるにふさわしい。 
    『生くる』p.164
    国家・歴史 29番
    美学化が高度に洗練されたとき、人はそれを芸術と認識する。そして、それが歴史を創る。 
    『生くる』p.164
    国家・歴史 30番
    日本は神話に示される通り、国の初めから、世界で最も平等のいきとどいた国だったと私は感じている。 
    『生くる』p.120
    国家・歴史 31番
    文化は、その中心を貫く、背骨に意味がある。日本人の背骨は武士道にある。 
    『生くる』p.123
    国家・歴史 32番
    「自由か、しからずんば死か」これは米国の独立に際して、パトリック・ヘンリーが言った言葉と伝えられている。これほど高貴性が端的に表出されているものはない。 
    『生くる』p.203
    国家・歴史 33番
    英国紳士の持つ野性が、大英帝国をして、七つの海の支配者となした。 
    『生くる』p.206
    国家・歴史 34番
    日本と欧州の必然は、仕事の質にあるのだ。それにもかかわらず二十世紀半ばから米国に(おもね)るような大量生産大量消費が始まった。 
    『生くる』p.200
    国家・歴史 35番
    身を捨てて、歴史や文化を守ろうとする戦いを忘れた人間は、背骨を抜かれた腑抜けと言える。 
    『生くる』p.414
    国家・歴史 36番
    長い封建制を経た国は、その文化の中に、深く人倫の道が根を下ろしている。 
    『生くる』p.415
    国家・歴史 37番
    封建性は、大領主と小領主、そして多くの領民たちの、土地を媒介とする主従関係によって成り立つ。その人間関係は、恩と忠義の絆がすべてとなる。 
    『生くる』p.415
    国家・歴史 38番
    つまり、私は歴史から生まれ、歴史の中に死ぬ。 
    『生くる』p.421
    国家・歴史 39番
    歴史は科学ではない。歴史は親である。血と言ってもよい。そこからは詩が生まれ、歌が紡ぎ出される。 
    『生くる』p.421
    国家・歴史 40番
    真の歴史は、我々の肉体を媒介として続く、心の継承にある。 
    『生くる』p.421
    国家・歴史 41番
    歴史の中に親を見なければならない。私には歴史の間違いや欠点は、私を育てるために親が流した涙として見える。 
    『生くる』p.422
    国家・歴史 42番
    神話を信じなければならぬ。それが真実をはらむからである。 
    『生くる』p.423
    国家・歴史 43番
    国民一人ひとりが国家を創っているんだ。だから偉大な国は偉大な文学を生み出したという歴史があるんだよ。 
    『夏日烈烈』p.373
    国家・歴史 44番
    松下幸之助の憂国は、また世界のあり方を考える人類的思考に支えられた「思想」でもあるからだ。 
    『悲願へ』p.3
    国家・歴史 45番
    損得でものを考えると、片一方に突っ走った方が当面得するような感じがあるんですよ。歴史を見てもよく分かります。 
    『悲願へ』p.83
    国家・歴史 46番
    自分と違っていても、道徳的な人が集まれば、文明社会は出来る。 
    『悲願へ』p.101
    国家・歴史 47番
    我々が文明社会をつくるのに、どうしても守らなきゃいけない掟は、本当にモーセの十戒で充分なんだ。十もないと思う。日本でも憲法といっても聖徳太子でも十七条だ。大体そんなものです。 
    『悲願へ』p.102
    国家・歴史 48番
    民族の生き方というのは、全部体内、血の中にあるんで、最後を言えば自己だけです。それと自己と家族、それから地域、自分の目の届く範囲、その範囲で自分の思想を実行するのが一番重要なことなんだ。 
    『悲願へ』p.121
    国家・歴史 49番
    本当の体感というのは見える範囲でしか駄目ということです。だから世界市民なんかとんでもない話です。 
    『悲願へ』p.122
    国家・歴史 50番
    無常から生まれた我々の祖先が、涙の中から文明を立ち上げた。それは苦痛と悲哀の歴史であり、人間の生命がもつ偉大性の歴史であった。それが分からなければ、崇高な人生は分からない。 
    『悲願へ』p.154
    国家・歴史 51番
    国のために、自分の生命を捧げた人がいたのだ。世の中のために、自分を捧げ尽くした人がいたのだ。崇高とは、その生き方に倣うことではないか。 
    『悲願へ』p.154
    国家・歴史 52番
    我々が国のことを憂えるとか、日本の将来を考える場合に、まず我々は自分自身が宇宙から与えられている自分の生命と、その生命が創り上げた文明という順番に考えていかないと、本当のところは分からないで終わってしまうということなのです。 
    『悲願へ』p.157
    国家・歴史 53番
    少なくとも国のことを思うとか、祖先のことを思うとか、地域社会のことを思わなければなりません。そうすれば憂いが生まれ、悲哀が生まれ、苦悩が生じてくる。そういう悲しみの中から出てくるものが、大きい自分自身を創るのだと言えます。 
    『悲願へ』p.161
    国家・歴史 54番
    自分の人気が気になっているなら、それは芸能人なのです。芸能人が悪いというのではありません。これは真の政治家とは道が違うと言っているのです。 
    『悲願へ』p.168
    国家・歴史 55番
    美しい社会というのは絶えず、すべての人が努力をしていて、何らかの涸渇感を持っている社会なのです。 
    『悲願へ』p.173
    国家・歴史 56番
    本当に国のためにやるというのは愛の根源です。そのために出した結論は最も正しい結論だということです。 
    『悲願へ』p.182
    国家・歴史 57番
    一人の人に本当に捧げられる人は、国にも必ず捧げられます。 
    『悲願へ』p.184
    国家・歴史 58番
    人間とは、絶えず「今」を生きる実存であった。歴史は、今の限り無い集積とも言えるのではないか。 
    『現代の考察』p.1
    国家・歴史 59番
    文明を破れば、不幸が襲ってくる。しかし、文明は破られることによって躍動するのだ。 
    『現代の考察』p.16
    国家・歴史 60番
    民族のいわれは神話から出ているのです。 
    『現代の考察』p.20
    国家・歴史 61番
    文学を失うということは、神話の心を失うということに(つな)がります。つまり、民族的死です。 
    『現代の考察』p.20
    国家・歴史 62番
    肉体の命が何よりも大切だったら神話は成り立たない。そして神話的な犠牲の精神がなければ、人類に文明は発祥しなかったのです。 
    『現代の考察』p.21
    国家・歴史 63番
    良い時代というのは、自分が考えなくても命を投げ捨てる場所を国家が示してくれる時代のことなのです。 
    『現代の考察』p.24
    国家・歴史 64番
    文明とは、人類の歴史の中のほんの一瞬のことで、正しく使うか使わないかはその時代に生きる人次第となります。 
    『現代の考察』p.29
    国家・歴史 65番
    文明社会を生きるには、道徳と生命が織り成す相克エネルギーを乗り超えなければ駄目なのです。 
    『現代の考察』p.45
    国家・歴史 66番
    文明というのは人間の犠牲的精神によって生まれてきた。だから会社であろうが国であろうが、ただ一人の人を愛して、愛するもののために命を捨てるっていうのが文明を築いた人間の根源なんだ。 
    『現代の考察』p.119
    国家・歴史 67番
    愛国心がなかったら、少なくとも近代文明はもたない。近代文明というのは愛国心だけが築いたものと言えます。 
    『現代の考察』p.120
    国家・歴史 68番
    自分の先祖を愛しなさい、というのは自分の先祖はどんな人間でも、まず愛さないと自分自身の運命が生きないという意味なんだ。先祖を嫌うということは自分の宿命を嫌うということなんだよ。 
    『現代の考察』p.128
    国家・歴史 69番
    国家とは人民の親でなければならぬ。親が親で無くなって行く過程が近代化という事であったのだ。 
    『見よ銀幕に』p.276
    国家・歴史 70番
    国も個人も焦れば必ず合理主義を生むのだ。 
    『見よ銀幕に』p.286
    国家・歴史 71番
    あの大日本帝国は、熱情をもって近代を駆け抜けた一つの魂であった。…人間の憧れと、生存の雄叫びを響かせながら、その国家は終末を迎えたのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.16
    国家・歴史 72番
    (第一次世界大戦前夜)時代は、ベル・エポックと呼ばれたのだ。しかし、その深層には、人間の煮え滾るような情念がうず巻いていた。正しさの足下に、悪魔がいた。価値観が問われることの無い、完全な社会。それが悪魔を養う社会なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.17
    国家・歴史 73番
    イエスは、人類のもつ生命の雄叫びのゆえに、受難を引き受けているのだ。つまり、魂を知る新しい時代を築くためだけに、己れの身を生命の歴史に捧げたと言ってもよい。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.23
    国家・歴史 74番
    内村鑑三は、ただひとりで、近代という怪物と対峙したのだ。すべての者が、近代を享受している時、彼一人だけは近代を拒絶した。それは、内村が生命の故郷を愛するからに他ならない。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.6
    国家・歴史 75番
    僕はそういう現代の風潮を「笑顔のファシズム」と名付けている。戦後の似非(えせ)民主主義をそう命名しているんだ。 
    『夏日烈烈』p.40
    国家・歴史 76番
    何も語らずに生きそして死んだ人々の悲しみを噛み締め、その墓に(ぬか)ずく事こそ子孫である我々の義務なのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.7
    国家・歴史 77番
    十字軍というものは、ヨーロッパとその不肖の鬼子であるアメリカの文明の本質を表わす重大な歴史的事実なのである。換言すれば、中世の数百年間に及ぶ十字軍の活動が近代西洋文明を築き上げる土台に成ったと言っても過言ではないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.15
    国家・歴史 78番
    十字軍の活動というものは実は現代でも種々に形を変えて行われて居るのである。それが最も「正直」な形で出現して居るのがまだ朴訥(ぼくとつ)であった中世のヨーロッパ史なのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.15
  • ★科学 ―――人生に迷ったら

    科学 1番
    科学思想と物質礼賛によって魂を抜かれつつある現代にこそ、武士道は必要なのではないか。私は、そう確信するのである。 
    『現代の考察』p.14
    科学 2番
    「運命」を受け容れると、ものすごく科学的な自分でいられる。 
    『現代の考察』p.112
    科学 3番
    毒を食らうということを積極的にやると、物事を科学的に見ることができるようになります。 
    『現代の考察』p.198
    科学 4番
    我々が今、科学と呼んでいるものは、宇宙から見れば塵のような存在にすぎない人間の、そのまた従たるものです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.34
    科学 5番
    人間は科学がなくても、病気がなくても、昔から全員死ぬのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.48
    科学 6番
    あの科学の巨人パストゥールは、人間に仕えるための科学を提唱していました。今にして、その深い科学的洞察力を私は常に(しの)んでいるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.150
    科学 7番
    『論語』というのは科学だ。 
    『夏日烈烈』p.180
    科学 8番
    『論語』というのは、孔子が持ってる「思想」だと思っている人が多いけど、違うんだよ。ある人との対話によって出て来た相関関係の、相対性理論なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.181
    科学 9番
    医を学問だと思って居る者は必ず悪魔に成る。医を科学だと思って居る者に至っては必ず悪魔以下の者に成り下がるのである。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.10
    科学 10番
    はやぶさ(小惑星探査機)は祖国がもつ、一つの夢と共に宇宙へと飛翔し、一筋の涙として我々の星へ還って来た。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.12
    科学 11番
    科学哲学の試論が積み上げられて行く。そこには人間の血と汗の結晶が集められる。その血と汗自身が、人間の存在そのものなのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.29
    科学 12番
    素数は、形があって形が無い。その生命は、不合理性の中にある合理性であり、不可能性の中に生きる可能性なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.31
    科学 13番
    素数の真実が証明されれば、その証明そのものが次の問いかけを生み続ける。尽きることの無い宇宙の脈動。呼吸とは、矛盾の別名である。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.31
  • ★日本 ―――人生に迷ったら

    日本 1番
    最近の日本人の一番悪い点は、家庭でもどこでもそうなのですが、争わない、議論をしない。これがとにかく一番悪い癖だと私は思っています。 
    『悲願へ』p.19
    日本 2番
    松下幸之助が分かるということは、新しい戦後の日本を創るための、戦前の(すぐ)れた商道から来る優れた日本人の考え方の根源とその理想が分かることだと私は思います。 
    『悲願へ』p.23
    日本 3番
    今の日本は、(ひど)いものと良いものとが、完全に分かれてしまうような、そういう時代になってきている。それが現代的な軽薄さを生む温床を作っていると私は思っています。 
    『悲願へ』p.23
    日本 4番
    昔の秀れた日本人の特徴である、高貴性と野蛮性の両輪というものが真の人間性にとっては重要だと思うのです。 
    『悲願へ』p.23
    日本 5番
    これからの時代の「豊かさ」は良い意味の「貧しさ」ではないかと思えるのです。 
    『悲願へ』p.56
    日本 6番
    今の日本人は幸福志向が強いので、知らないうちに我利我利亡者になっているということなのです。 
    『悲願へ』p.66
    日本 7番
    悪いけれど今の日本人の思考の程度は幼児に近い。 
    『悲願へ』p.90
    日本 8番
    本を読めとは言いませんが、本を全く置いていないというのは、馬鹿の証明だったのです、以前は。それを平気で「はい、私たちは馬鹿でございます」なんていう家庭を作っているのが、今の日本人だということなのです。 
    『悲願へ』p.91
    日本 9番
    我々は日本人だから、自分の祖国である「日本」が考える上限ということです。 
    『悲願へ』p.123
    日本 10番
    金儲け主義を捨てなければ駄目なんだ。金儲けを捨てて考えてみれば、もう一回日本の伝統に則ったやり方で、いくらでも豊かな社会をつくれるということを言っている。 
    『悲願へ』p.129
    日本 11番
    物質の繁栄によって日本人が失いつつあるものは、この崇高ということなのだ。 
    『悲願へ』p.152
    日本 12番
    日本的思想の基礎を支える武士道精神が分かると、日本人は軸が出来て、その軸に本当の正しい民主主義が根づいて来るのだと思います。 
    『悲願へ』p.167
    日本 13番
    「もののあはれ」を感じたなら、「もののあはれ」という考え方を一歩深めて、それを呻吟とか悲哀の認識(・・)にまで落とし込まないと、思想を確立することは出来ないということです。 
    『悲願へ』p.199
    日本 14番
    日本がもし正しい道に戻るとした場合は、日本の歴史に根ざして、武士道の精神に戻って、天皇家を宗家と仰ぐ大家族主義に戻るしか復活の道はないと思います。 
    『悲願へ』p.212
    日本 15番
    人間のひとり、日本人のひとりとして生まれ、他者の愛によって(はぐく)まれた自分を認識する必要がある。それだけによって、現代に自己の武士道を打ち立てることができるのだ。 
    『現代の考察』p.15
    日本 16番
    歴史的には、日本民族は武士道を愛してきた民族ですが、逆を言うと武士道を愛していたからこそ今の日本民族に成ったのだということです。 
    『現代の考察』p.19
    日本 17番
    武士道を心底愛する国民だというのが、日本人の特徴といえばそうかもしれません。 
    『現代の考察』p.19
    日本 18番
    日本民族というのは、武士道精神に則って初めて商売道徳を語れるし、人生論が言える。色々なことが言える民族なんだ。 
    『現代の考察』p.120
    日本 19番
    武士道精神が復活しないと、日本の憲法論はできない。憲法なんてしょせん紙に書いた条文に過ぎない。運用するのは人間だ。 
    『現代の考察』p.122
    日本 20番
    『古事記』を本当に日本の源流の神話で、自分の存在の根源だと思って読めば、『古事記』は毒になります。今の人は読んでもあれは物語だと思っているから、ならない。 
    『現代の考察』p.249
    日本 21番
    世界中、縄文以来、日本人くらい平和の中で暮らしてきた民族というのはいない。だから、この日本人の平和ボケっていうのは、いくら説いても分からない。平和ボケそのものが日常生活だから。結構きついです。 
    『現代の考察』p.282
    日本 22番
    はやぶさ(小惑星探査機)の生命は、まさに日本人が生きて来た涙が、創り上げた新しい生命なのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.12
    日本 23番
    明治の人間が抱いた西洋に対する憧れが日本人の中に現代では想像する事も出来ぬ才能を開花させた。 
    『見よ銀幕に』p.284
    日本 24番
    明治の富国強兵政策が合理主義一辺倒(戦後にも続く)を生み、それが合理主義者の「成功」を生み、義理と人情の人間達を衰退させたのだ。 
    『見よ銀幕に』p.286
    日本 25番
    ロシア革命時のシベリアにおけるポーランド人孤児の悲劇と日本人の善意は歴史に残る真の日本の誇りである。この道義心こそが真の日本のあり方と云えよう。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.4
    日本 26番
    日本は道義心の国なのである。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.4
    日本 27番
    主張すべき事をせず、外国から指弾されるままに自虐思想の歴史を国民に押し付ける国のあり方を憂える事は我々の義務である。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.7
    日本 28番
    何よりも重要な事柄は日本においては「己を殺して仁を成す」事であった。他を生かす為に自分自身を犠牲にする事ほど尊い人間関係の原点は無いのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.13
    日本 29番
    この世の中で本当の美しさを貫抜いて生きる事は大変な事柄であろうとは感ずる。しかしその美しさを多くの日本人達が実際にやり、そういう生き方を生き抜いた人間達がまた多く居た事も事実である。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.15
    日本 30番
    義経は、あの偉大な日本武尊(やまとたけるのみこと)と並んで、我が国におけるロマンティシズムというものを支えて居る双璧である。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.4
    日本 31番
    日本においては道と名の付く全ての文化の根底には武士道が在る事を私は年とともに深く感じ確信して来たのである。 
    『平成15年度 年末の辞』
    日本 32番
    武士道は日本の歴史の背骨なのである。日本人の血であり、日本文化の骨格なのである。 
    『平成18年度 年末の辞』
    日本 33番
    この国が、武士の国であると認識する者がいる限り、我が国はいかなる困難も乗り越えて行くであろう。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.3
    日本 34番
    三島文学がもつ優美は、武士道の血から発する野蛮性によって裏打ちされているのだ。戦後の日本は、三島の自決の日をもって終った。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.19
    日本 35番
    乃木大将を理解することは、日本を理解することだ。 
    『夏日烈烈』p.246
    日本 36番
    西行は、悲しいほどに優雅であった。そして、それ以後の日本が抱えた、喜びと悲しみをその一身に体現していたのである。 
    『「憧れ」の思想』p.150
    日本 37番
    日本に生まれた喜びを自分の中に育めば、共感する人も出来るんだ。それが友情を育み、仲間を生み、となっていくわけだよ。 
    『夏日烈烈』p.296
    日本 38番
    日本は戦後七十年間、「毒を食らわない国」だから老いることも出来ない。 
    『夏日烈烈』p.357
    日本 39番
    日本を知ることは先祖を知ることに繋がる。先祖を知れば、新しい日本に夢を(たく)すことができる。 
    『友よ』p.43
    日本 40番
    日本は、古代から歌の国として栄えた。日本に歌が生まれたことは、この民族が言葉を言霊(ことだま)と言って神聖視していたことと深く繋がっている。 
    『生くる』p.374
    日本 41番
    戦艦大和は日本人の心意気が創り上げた神話である。 
    『見よ銀幕に』p.282
    日本 42番
    西洋的文明に比して、我々は古くから循環思想を大切にしていた。その最たる考え方の一つに「怨親平等(おんしんびょうどう)」があります。(うら)みと親しみが平等、同じだということです。 
    『風の彼方へ』p.252
  • ★神 ―――人生に迷ったら

    神 1番
    日本は絶対神という概念を持っていないので、神から分離したという意識はあまり日本人にはない。だから、日本人の場合には武士道を捨てたことが神から分離したようなものですよ。 
    『現代の考察』p.138
    神 2番
    命の根源というのは自分と神との直結の中にあるのです。 
    『現代の考察』p.259
    神 3番
    親も子も全部関係ない。神の前、宇宙の本質の前で自分の生命をどう燃焼させるか、どう捨てるかの話です。 
    『現代の考察』p.259
    神 4番
    文明というのはもともと動物がやるべきものではない。文明は神を志向して、それを繰り返し、繰り返し、繰り返しやっていくことによって、我々は本当の意味で神に近づいていかなければならない存在だった。 
    『現代の考察』p.261
    神 5番
    神が我々に文明を営まなければならない使命を与えたところから、人類は苦しむようになった。 
    『現代の考察』p.261
    神 6番
    人間の魂とは何かと言うと、神の心のことです。人類的に見て神の心は何かと言うと、文明の中枢を創っている心や、音楽の心、絵画の心、芸術の心です。 
    『現代の考察』p.263
    神 7番
    人を愛する心、慈悲の心、そういうものが神の心なのです。それを魂と呼ぶわけです。だから魂というものには、個別性はない。 
    『現代の考察』p.263
    神 8番
    はやぶさ(小惑星探査機)は生きものである。しかし、我々と同じ組成の生きものではない。それは工業技術が創り出した生きものである。だが、その中には確実に生命がある。神が宿っているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.12
    神 9番
    素数は、宇宙の秩序を表わすと共に、その無秩序を表出しているのだ。それが神の摂理、真実というものなのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.31
    神 10番
    我々は本当に人を裁く事が出来るのか、本当の本当の裁きはやはり神にしか出来ないのであろう。 
    『見よ銀幕に』p.244
    神 11番
    体の(しん)から神を感ずる時がなければ本当の人生の姿は見えてこない。 
    『見よ銀幕に』p.312
    神 12番
    神がいる時、人間は返って自由だったのだ。神は善でも無く悪でも無いのだ。この世の出来事は全て神の恩寵(おんちょう)なのだ。 
    『見よ銀幕に』p.350
    神 13番
    我々の時代を(おお)う消費文明とは神と道徳を失った人間がそれに替わるものとして追求しだした代替の人生の幸福論なのです。 
    『見よ銀幕に』p.451
    神 14番
    人間の力は神仏の加護と歴史の恩恵無くしては全く無力なのである。 
    『平成16年度 年末の辞』
    神 15番
    志は神仏と歴史の恩寵である。 
    『平成16年度 年末の辞』
    神 16番
    健全な人間関係と健全な肉体の中に神仏から与えられた全ての幸福が在るのだ。 
    『平成16年度 年末の辞』
    神 17番
    秩序の中には、神がいるのだ。だから生命は、秩序に哭(な)き秩序の幸福を味わわねばならぬ。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.184
    神 18番
    神に通ずるものは真心だけなのである。真心とは愛する者、愛する国、愛する価値の為に(おの)が全生涯を捧げ尽くす事なのである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.13
    神 19番
    人間の悪徳は全て神を恐れぬ所から生ずるのである。「神を恐れる事は知識の始めである」と聖書に書かれて居る事は、人類の文明と文化の本質を喝破したものである。 
    『見よ銀幕に』追補2 p.13
    神 20番
    日常性の中に神を呼び込む事。その為に必要なものは、至誠(しせい)、友情、愛情、そして正直。これ等の事柄が神と(とも)に存在する時、そこに真の忠義が生まれ、真の慈愛(じあい)が生ずるのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.4
    神 21番
    人間のもつ悲しみとは、実は文明のもつ悲しみなのではないか。文明の中で、人間は人間として生きなければならぬ。そこに人間が宗教を生み出した謂われがあるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.7
    神 22番
    我々自身には、成功の力も、豊かになる知恵も、創造の精神も無い。我々はすべて、神の恩寵によってのみ生かされているのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.24
    神 23番
    人間は、思索することによって、神に限り無く近づいて行くのである。そのために、人類は「生命」というものを与えられているのだ。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.29
    神 24番
    ノアは、人類に突き刺さった「神の(とげ)」である。私は、ノアの神話が、人類の未来を拓く「科学」だと思っている。それは、神の科学と言えるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.3
    神 25番
    人間の未来は、神によって決められている。その未来を信じ、憧れ、恋し続けることが我々の本来の姿を創っている。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.3
    神 26番
    我々人類は、神の恩寵によって人類となった。我々は、その宇宙の意志を、そのまま受け入れたから人間と成ったのである。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.19(予定) 「エクス・マキナ」
    神 27番
    神もやっぱり自分の存在を認識してくれるものが、宇宙に必要なんだ。そこで神の存在を認識するために人間というものを創ったということなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.236
    神 28番
    私は音楽を通じて神と対峙していたのです。芸術の中に神を見ていたのに違いありません。 
    『根源へ』p.232
    神 29番
    人間の無限進化というのは、神に向かう進化のことだけなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.303
    神 30番
    悩みには、神と悪魔が同居している。それを見分けなければならない。 
    『生くる』 目次
    神 31番
    「言葉は神であった」と聖書に記されている。「言葉は霊である」と日本人は考えてきた。近世に至るまで、日本では言霊(ことだま)と呼んで、言葉を崇敬してきた。 
    『生くる』p.266
    神 32番
    神に向かって、永遠に上昇し苦しみ続けなければならないというのがキリストの言っている垂直思考なんだ。 
    『夏日烈烈』p.209
    神 33番
    真言(しんごん)の御利益っていうのは、求めている人に神仏がくれる恩寵なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.388
    神 34番
    哲学や宗教ではよく、自己を否定して「無」になれと述べている。しかし、これをやったら大抵の人が失敗する。天才のほかは、無になどなれない。ただ自己の存在を、限り無く小さなものとしていくことができるだけだ。 
    『生くる』p.349
    神 35番
    松下幸之助の潜在意識は、ものすごく神を志向する宗教性が高い。 
    『悲願へ』p.30
    神 36番
    本当にキリスト教の信者だった西洋人は、皆一生涯悩み続けていたのです。自分は駄目な人間だということでね。そして、私が尊敬する過去の偉大な西洋人たちはその苦しみの中から生まれてきた人たちなのです。 
    『悲願へ』p.34
    神 37番
    これは、近代の苦悩をただひとりで乗り越えた男の神曲なのだ。ウナムーノは、その長い旅路の果てに「神の現前」を見た。 
    『ベラスケスのキリスト』p.Ⅴ
    神 38番
    神を失った世界において、芸術だけが崇高を目指す人間の「実存」なのだ。 
    『現代の考察』p.416
  • ★言葉 ―――人生に迷ったら

    言葉 1番
    今のこの優しく、美しい世相からは、差別用語として追いやられている言葉が、例えば「痩せ我慢」とか「意地」とかが人間の本当の生き方をやる際の何か重要なものなんだ。 
    『現代の考察』p.108
    言葉 2番
    「見返す」というのも、ちっとも嫌な思想じゃない。言葉を変えれば「気概」だ、「何くそ!」という。「何くそ!」がなくて何ができるかということですよ。 
    『現代の考察』p.108
    言葉 3番
    文明とか文化って何かと言ったら、言葉は悪いけれど差別のことなんだ。もともとどちらも、他との差別化なんですよ。差別化が文化を生んだと言える。 
    『現代の考察』p.108
    言葉 4番
    (日本は)国の初めより、「言霊の(さき)はふ国」として同胞意識を育てた。 
    『生くる』p.374
    言葉 5番
    神を志向する動物としての人間の価値は、まさに言語にあるのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.302
    言葉 6番
    すべて、バランスが大切なのだ。昔の言葉で言う、「塩梅(あんばい)」である。 
    『生命の理念Ⅰ』p.91
    言葉 7番
    文化の前には、如何に言葉などは無力であるか。そして真の友愛の心が在れば如何に少ない言葉で本当の心が通じ合えるものであるか。しかし()しむらくは、如何にその心を持つ者の少なき事か。 
    『見よ銀幕に』p.484
    言葉 8番
    宇宙には、意志があるのだ。その意志が、我々の言語を創り上げたのである。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.284
    言葉 9番
    必然的に文学が好きな人は言語能力が身に付き、考える力がどんどん高まっていって、結果的に頭がいいと言われる人間になっていくのです。 
    『生命の理念 Ⅰ』p.298
    言葉 10番
    『万葉集』の中には、日本という国の、日本語という言語で書かれた歌の中に、古代人が感動したことのすべてが遺されているんだ。 
    『夏日烈烈』p.31
    言葉 11番
    キリストの言葉も「六終局」と同じ言葉が多いんだよ。そして、それはすべてが「黙示録」であり「終末論」なんだ。 
    『夏日烈烈』p.116
    言葉 12番
    言葉は人間にとって神なんだ。言葉が人間の存在理由(レゾン・デートル)のすべてなんだ。 
    『夏日烈烈』p.177
    言葉 13番
    あらゆる言語は神と人間をつなぐものとして誕生したのです。 
    『根源へ』p.69
    言葉 14番
    言葉は、自己の魂と、宇宙や生命との対話のために編み出された「個性」の根源そのものを形創るものなのです。 
    『根源へ』p.71
    言葉 15番
    軽薄な言葉を使う人間は、間違いなく人間が軽薄なのだ。……昔から立派な人、苦労をした人はみな韻律のある荘重な言葉を使っていた。 
    『友よ』p.23
    言葉 16番
    人生を真正面から受け入れ、力一杯生きている人の言葉は必ず厳しい。荘重な韻律を踏んで話す人物は、自己の人生を芸術と化している。 
    『友よ』p.23
    言葉 17番
    人間の本源にあるものを引き出すには、基本的に言葉は古いほど良い。古い言葉は情念に直接の作用をおよぼすからだと思う。 
    『友よ』p.46
    言葉 18番
    人間は、その発する言葉によって幸福にもなるし、不幸にもなる。また、他人を不幸にもし、幸福にもできる。それどころか、創造をも破壊をもなし得る。 
    『生くる』p.111
    言葉 19番
    言葉の中には、人間のすべての美徳と悪徳が含まれている。 
    『生くる』p.111
    言葉 20番
    「言葉は神であった」と聖書に記されている。「言葉は霊である」と日本人は考えてきた。近世に至るまで、日本では言霊(ことだま)と呼んで、言葉を崇敬してきた。 
    『生くる』p.266
    言葉 21番
    人間の存在と文化が、言語と共に発展してきた以上、言語を深く習得し、言語について考察することは、人間の本質を理解するうえで極めて重要となる。 
    『生くる』p.267
    言葉 22番
    言葉の研究は、流行の思想や考え方に振り回されない自己を築くことに繋がる。 
    『生くる』p.267
    言葉 23番
    言葉は便利とか効率など、近代の流行思想で考えるべきものではない。 
    『生くる』p.267
    言葉 24番
    古いもの(書物)は少なくとも、民主主義の名の下に、わかりやすくという理由だけで変形されてしまった現代の日本語よりも、心に響くものが多い。 
    『生くる』p.267
    言葉 25番
    日本は、古代から歌の国として栄えた。日本に歌が生まれたことは、この民族が言葉を言霊(ことだま)と言って神聖視していたことと深く繋がっている。 
    『生くる』p.374
    言葉 26番
    言葉に出来る事など知れて居るのだ。真実は言葉に出来ない。だからこそそこに人と人のいたわり合いが生まれるのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補1 p.1
    言葉 27番
    喋れないなんてことは悪いことじゃないんだよ。違う言葉を喋るということなんだよ。 
    『夏日烈烈』p.178
    言葉 28番
    言葉だけじゃなくて生命そのものが宇宙の力つまり沈黙によって支えられ、その中で一瞬の輝きを放っているんだよ。 
    『夏日烈烈』p.179
    言葉 29番
    沈黙の静けさや悲しみを噛み締めていない言行が、軽薄なものを生み出していると思うな。 
    『夏日烈烈』p.179
    言葉 30番
    言葉に出来ないものすごい苦しみが本当の言葉を生み出す。 
    『夏日烈烈』p.179
    言葉 31番
    本人が努力して努力して、いろんなことを摑んでるんだけど、今一歩言葉に出来ない苦しみ。これを孔子は「()」と云ったんだよ。「悱せざれば発せず」だ。 
    『夏日烈烈』p.179
    言葉 32番
    我々の言葉は沈黙の部分によって支えられている。 
    『夏日烈烈』p.179
  • ★恥・罪 ―――人生に迷ったら

    恥・罪 1番
    道徳を破ることが、恥を生み出したのだ。そして、その恥こそが武士道の根幹を作り上げてくれた。 
    『現代の考察』p.16
    恥・罪 2番
    恥は、幸福を求める者にはない。それは、不幸を受け容れる覚悟をもつ者のみが感じられるものなのだ。 
    『現代の考察』p.16
    恥・罪 3番
    恥のない人間は、人間とは言えません。 
    『現代の考察』p.48
    恥・罪 4番
    人間は恥がなければ文明の中を生きる人間ではない。この恥という概念が、人間の崇高な感情を生み出す根源になっているのです。 
    『現代の考察』p.49
    恥・罪 5番
    私は恥ずかしいという気持ちが、もっとも尊い、人間の崇高な感情の基本だと思っています。 
    『現代の考察』p.49
    恥・罪 6番
    道徳は破らなければ駄目ですよ。道徳を破ると、恥の概念が出てくるから、その出てきた恥を抱えながら生きなきゃ駄目だと言っている。 
    『現代の考察』p.81
    恥・罪 7番
    道徳を破ったことは全部、恥になります。だからまず道徳がなきゃ駄目ですよね。さらにそれを破る自分がいなければならない。破ったことが恥として本人の中に蓄積していかないと。 
    『現代の考察』p.100
    恥・罪 8番
    まず道徳がないと恥は感じてもらえないでしょうね。だから躾という道徳の基本くらい大切なものはないのは事実です。 
    『現代の考察』p.101
    恥・罪 9番
    失敗した場合には、生きていれば生き恥。死んだら恥にならないというのが武士道です。 
    『現代の考察』p.141
    恥・罪 10番
    人生そのものが、酸化過程であり汚れていく過程なのです。その汚れていく過程の中に、人生論や生命論があるのです。 
    『生命の理念Ⅰ』p.147
    恥・罪 11番
    人間というのは、汚れなきゃ駄目なんだよ。 
    『夏日烈烈』p.354
    恥・罪 12番
    恥は人間をどこへ連れていくのか。 
    『夏日烈烈』p.312
    恥・罪 13番
    「恩を知らねば、人にあらず」と昔の人は言っていた。その恩とは、記憶からのみ生まれるのではないか。記憶がなければ、約束はない。記憶がなければ、恥はない。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.3(予定) 「デイライツ・エンド」
    恥・罪 14番
    僕は恥の概念だけで人類の将来は決まると思ってるんだよ。だって人類の人類たるいわれは、恥だからね。 
    『夏日烈烈』p.312
    恥・罪 15番
    アメリカ的なものは何故(なにゆえ)に魅力があるのかがよく解かる。それは文化と恥と信念さえ捨てれば簡単に富を手に入れられる無限の可能性を秘めているからなのである。 
    『見よ銀幕に』p.624
    恥・罪 16番
    名誉心を失うことによって、現代人は恥を恥だと思わなくなったのです。 
    『生命の理念 Ⅱ』p.39
    恥・罪 17番
    人間は、罪によって滅びるのではない。その宇宙的存在価値の有無によって、滅びるのである。人間の発祥そのものが、すでに宇宙の必要性から出ていたのだ。我々は、いまそれを忘れようとしている。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.21
    恥・罪 18番
    サド侯爵は人間であった。罪深くあろうとも、人間そのものであった。人間が神に成り替わろうとした革命の時代にあって、サドは人間の現実を貫いた。私はサドの中に、破滅する人類に対抗する一つの「原始性」を見出しているのだ。つまり、生命だ。 
    『見よ銀幕に』追補8 p.8(予定) 「クイルズ」
    恥・罪 19番
    いつの世も権力と世間はきれいごとで飾っている。たたかれ(さげす)まれることを(いと)う人間は、真に生きることはできない。 
    『友よ』p.23
    恥・罪 20番
    たたかれない人間に、勇気がわかることはない。恥辱の底で涙にくれ、そのぎりぎりのところから湧き出した勇気以外のものなど勇気ではない。 
    『友よ』p.23
    恥・罪 21番
    如何にたたかれようと、語らなければならない。如何に蔑まれようと、歌わなければならない。それが、何よりも自分を律することに繋がる。 
    『友よ』p.24
  • ★永遠 ―――人生に迷ったら

    永遠 1番
    私は貧しい方が好きだ。一生に亘って一人の思想家で生き、そして死にたいし、死ぬまで休む気も全くない。どうせ死ねば永遠の休みが待っているんですから。 
    『悲願へ』p.87
    永遠 2番
    永遠性というものは永遠に手に入らないわけだから、これは絶えず足りないわけです。 
    『悲願へ』p.174
    永遠 3番
    文学の使命は、永遠に向かう憧れを描くことにある。 
    『「憧れ」の思想』p.182
    永遠 4番
    生命の故郷には、生命の悲哀が屹立している。それが、生命の永遠性なのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.283
    永遠 5番
    人生とは真の思い出を創るために与えられている時間なのだ。その真の思い出だけが人に深い永遠の眠りを約束する唯一のものなのだ。 
    『見よ銀幕に』p.561
    永遠 6番
    人生を祭儀とする時、人は本当の人生を生き、そして永遠の(いのち)を持つ事が出来るのではないか。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.4
    永遠 7番
    (イエスは)我々の「霊」が、神から生まれていることを証すために、己れの生命をその根源へ捧げている。そして、霊魂の不滅を人類の魂に打ち込み、生命の尊さを文明に刻印しようとしているのだ。その行為によって生命の永遠を謳い上げた。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.23
    永遠 8番
    バッハは神に通じているのだ。だから、その精神は永遠の中に棲む人間以外には解からない。永遠の中に棲むとは、つまりは孤独の「呼吸」を生き続けることなのである。 
    『見よ銀幕に』追補6 p.25
    永遠 9番
    永遠こそが、哀しみを湛える生の本源なのである。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.9
    永遠 10番
    永遠の命とはつまり型は違っても他者の為に死ぬ事なのではないか。 
    『見よ銀幕に』p.592
    永遠 11番
    革命と詩を信ずる者は永遠の青春を生きるのである。 
    『見よ銀幕に』追補3 p.1
    永遠 12番
    生命ほど尊いものはない。だからこそ、それを(なげう)つ者どもに、永遠がほほえみかけてくれるのであろう。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.6
    永遠 13番
    勇気は、自己に破壊をもたらし、そして自己の人生そのものを輝けるものへと導く。つまり、自己が永遠に参画するのだ。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.9
    永遠 14番
    美は永遠である。そして、人間の(いのち)から滴り落ちる一粒の涙である。美を求める者は哀しい。多分、哀しみの中にこそ生の本質があるのだろう。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.9
    永遠 15番
    スパルタ王レオニダスに率いられた300人の(つわもの)達は永遠の(いのち)に生きて居るのである。彼らの存在の伝承が後にキリスト教と融合して、ヨーロッパに、我が国の武士道に匹敵する騎士道というものを生み出したのだと私は信じて居る。 
    『見よ銀幕に』追補4 p.2
    永遠 16番
    安土城は、史上類を見ない城であった。そして幻の如くこの世を去った。だからこそ永遠に成ったのである。 
    『見よ銀幕に』追補5 p.6
    永遠 17番
    プロメテウスが、神から火を盗んだとき、我々の文明は出発したのだ。その火が、永遠と結び付こうとするロマンティシズムを感ずる。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.11
    永遠 18番
    絶対に不可能なことを、人間は求めているのだろう。しかし、それが永遠というものの実体ではないか。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.11
    永遠 19番
    我々人間は、紅蓮の炎に焼かれながらも、それを従がえようとして喘ぎ続ける。人間が生きるとは、永遠を掴み取ろうとすることに他ならない。永遠を目指さない者などは、人間ではないのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.11
    永遠 20番
    いま、人類は自分自身の文明によって滅びようとしている。それは、永遠を求めることをやめたからである。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.11
    永遠 21番
    人類として、正しい生命のあり方を生きれば、永遠の生命を与えられる。そして、その根源は「愛の実現」にある。これが人間の生命の「初心」なのだ。 
    『見よ銀幕に』追補7 p.24
    永遠 22番
    到達不能とも思える永遠に向け、跳躍をしなければならない。 
    『「憧れ」の思想』p.97
    永遠 23番
    水は雲を抱きしめ、雲は水を生かす。そして、それらは大宇宙に溶け込んでいく。永遠の中に、すべてのものは同化されていくのだ。 
    『友よ』p.14
    永遠 24番
    よい別れによって、我々は永遠を摑み取る生き方ができるようになる。 
    『根源へ』p.458
    永遠 25番
    (人間が)自由自在に動き回って、愉しむことができるのは、還るべき「永遠の家」としての死があるからなのだ。そのことが本当にわかれば運命は拓き、そして愉しむことができる。 
    『生くる』p.288
    永遠 26番
    生命を充分に燃やせば、その価値はこの世のあらゆる価値を凌駕して輝く。(いのち)そのものの価値が、無常を乗り越える。それが永遠に繋がるのだ。 
    『生くる』p.384
    永遠 27番
    肉体は消滅する悲しみに価値があり、心は継承されてゆく喜びに価値がある。 
    『生くる』p.421
    永遠 28番
    それは、現前のキリストとの出会いであった。戦いの末に辿り着いた、自己と同一化したキリストである。ウナムーノは、自己の永遠の故郷に帰り着いたのである。 
    『ベラスケスのキリスト』p.Ⅳ
    永遠 29番
    これは、近代の苦悩をただひとりで乗り越えた男の神曲なのだ。ウナムーノは、その長い旅路の果てに「神の現前」を見た。 
    『ベラスケスのキリスト』p.Ⅴ
    永遠 30番
    ベラスケスの偉大な絵画が、ウナムーノに霊感を与えた。その霊感によって、ウナムーノは自己の生命の淵源と触れ合ったのだ。 
    『ベラスケスのキリスト』p.Ⅴ
    永遠 31番
    ウナムーノは呻吟を続ける。この思想家は、肉と骨の新しい永遠を見つめ続けているに違いない。 
    『ベラスケスのキリスト』 p.ⅲ
    永遠 32番
    神に向かって、永遠に上昇し苦しみ続けなければならないというのがキリストの言っている垂直思考なんだ。 
    『夏日烈烈』p.209
    永遠 33番
    「ともしび」は宇宙の彼方、永遠の遠きにあり、それを受ける我々の生命の深奥にもあるのだ。 
    『「憧れ」の思想』p.20

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