執行草舟の生涯を写真で辿ることのできる「執行草舟写真館」のページへようこそ。執行草舟の前半生を纏めた自著『おゝポポイ!』(PHP研究所)にも収録していない、未公開のエピソードや写真も多数お楽しみ頂けます。

写真をクリックすると拡大され、当時のエピソードが楽しめます。

執行草舟写真館

  • 祖父・執行弘道(父方)
  • 祖父・早野小三樹(母方)
  • 父・執行一平
  • 母・早野千鶴子
  • 1950年(0歳)、誕生。
  • 1953年(3歳)、兄・大輔(6歳)とともに。
  • 1953年(3歳)、母(27歳)と茅ヶ崎にて。
  • 1954年(4歳)、茅ヶ崎の海で流される。前列右端。
  • 1957年(7歳)、国立第一病院に入院。
  • 1957年(7歳)、宮崎龍介・柳原白蓮に可愛がられる。
  • 1958年(8歳)、立教小学校入学式にて。
  • 1958年(8歳)、画家・林武と出会う。「薔薇」林武 画、執行草舟コレクション
  • 1958年(8歳)~1961年(11歳)、病気の副作用に苦しむ。左から二番目:小学校1年生(8歳)の頃、立教小学校同級生と。
  • 1958年(8歳)、兼高かおるに可愛がられる。テレビ番組「世界の旅」の表彰式にて、父と兼高かおる。
  • 1960年(10歳)、イタズラしかしなかった。
  • 1962年(12歳)、ジャングルジムから落ちて頭を真っ二つに割る大けがを負う。
  • 1963(13歳)、喧嘩しかしなかった。
  • 1963年(13歳)、小学校一年から習っていたヴァイオリンを辞める。一番右:ヴァイオリンを習い始めた8歳の頃。
  • 1964年(14歳)、香港・マカオ旅行、母、兄とともに。
  • 1964年(14歳)、斎藤正夫に出会う。
  • 1964(14歳)~1967年(17歳)、斎藤正夫による撮影で中学一年の頃、河口湖写生旅行にて。
  • 1966年(16歳)、三島由紀夫と出会う。三島から直接もらった「夏日烈烈」の書。
  • 1967年(17歳)、高校一年で初恋に落ちる。高校入学直前の東北の修学旅行にて。
  • 1968年(18歳)、八ヶ岳の山荘にて、三島由紀夫と語る。
  • 1969年(19歳)、トインビーの『歴史の研究』で目をつぶす。
  • 1969年(19歳)、立教大学、法学部に入学。写真は立教大学本館モリス館。米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリスの寄付により建立。
  • 1969年(19歳)、SP1万枚、LP2千枚!レコードコンサートを開く。
  • 1970年(20歳)、1972年(22歳)、千葉県富浦海岸で友人たちと海の家を経営し、ボロ儲けする。左が祐輔。
  • 1973年(23歳)、森有正と交流する。
  • 1974年(24歳)、大正海上火災就職、派遣された宇都宮支店にて。その後、すぐ会社を辞める。
  • 1975年(24歳)、神奈川県の三崎向ヶ崎にある三崎船舶工業㈱に勤め始める。写真は三崎船舶工業㈱社長の平井顕。
  • 1975年(25歳)、ドッグハウスに暮らす。写真は三崎船舶工業㈱の社屋内にて。
  • 1975年(25歳)、三崎の親分・悪漢政に出会う。
  • 1976年(26歳)、統一ベトナムの新造船の仕事に携わる。写真は清水から横浜に回航した汽帆船。
  • 1977年(27歳)、テキサス州ダラスへ行く。テキサスからメキシコまで車で旅行をした時、メキシコ・ヌエボ・ラレードで仲良しになった友人のお嬢さん。
  • 1977年(27歳)、立教大の留学センターでキリスト教学科の大学院の女子学生に一目惚れし、大恋愛に至る。
  • 1978年(28歳)、城ヶ島で自決を決意、失敗に終わる。三崎船舶工業㈱の屋上にて、城ヶ島大橋を臨んで。
  • 1979年(29歳)、目黒不動に日参し始める。日参をしていた頃。
  • 1981年(30歳)、お見合いで結婚が決まる。妻・充子と出会う。
  • 1981年、熊野古道への新婚旅行にて。祐輔30歳、充子25歳。
  • 1981年(31歳)、個人研究として発酵菌及び食物関連について実地研究を開始。『内村鑑三全集』により「絶対負」という生命の根幹思想が構築される。写真は尊敬する内村鑑三。
  • 1983年(33歳)、娘・真由美が生まれ、まもなく妻・充子が亡くなる。
  • 1984年(33歳)、バイオテック株式会社を設立する。
  • 1986年(36歳)、製造部門の日本生物科学を設立する。
  • 1986年(36歳)、群馬県藤岡市に最初の工場を設ける。写真はその工場である日本生物科学株式会社(現・㈱日本菌学研究所)にて、実験機材を前に。
  • 1987年(37歳)、最初の工場が手狭になり、同じ群馬県藤岡市の新工場に移転。当時の製品パッケージ(メルゲンは当時カルゲンという名前)。
  • 1988年(38歳)、バイオテック株式会社を港区虎ノ門に移転する。工場写真パネルの前で。
  • 1989年(39歳)、日本生物科学株式会社 新館工場をつくる。写真は現在でも使われている高圧滅菌装置。(2019年7月時点)
  • 1989年(39歳)、大型機械スプレードライヤーを新館に設置。巨大な機械の導入とともに、工場見学に訪れる人も増える。
  • 1990年(40歳)、会社でも研究所でも英国人紳士風のスタイルで過ごす。
  • 1990年(40歳)、会社の初めてのグッズであるBIOTEC手帳を作り、お客様、関係者の方に配るようになる。
  • 1991年(41歳)、藤岡工場にて研究を続け、翌年には担子菌類菌糸体の培養及び、有用成分の分離抽出法をはじめ特許5件を取得。
  • 1992年(42歳)、次々と会社に話を聞きに来る人が増え、ついには問答形式の勉強会が始まる。写真は港区虎ノ門の社長室にて。
  • 1994年(44歳)、社内報「メガヘルス」の刊行開始(現在刊行および販売終了)、以降2003年まで10年間刊行し続ける。あらゆる質問に対し、その場で迷いなく答え続けた。メガヘルス巻頭には毎号社長の肖像写真が掲載された。(左)
  • 1998年(48歳)、蔭桜盃をバイオテック創立十五周年の年末食事会に向けて、社員用に作る。
  • 1998年(48歳)、会社の年末食事会で、松竹の映画で使用された特攻隊の衣装を着る。この年から、執行草舟が一年を振り返って書き下ろした「年末の辞」が始まる。
  • 1999年(49歳)、工場が群馬県知事より表彰を受ける。『見よ銀幕に』の執筆開始。創業以来、会社の動きをその都度、社員・お客様へ自ら伝えることを常としていた。
  • 1999年(49歳)、赤坂プリンスホテル旧館にて年末食事会を行ない、肖像写真を撮影する。
  • 2001年(51歳)、自身の名前を「草舟」と号す。号の由来は吉田松陰の「草莽崛起」から取られた。「草舟由来」を読み上げる。
  • 2001年(51歳)、新商品ガイアレン発売開始。
  • 2001年(51歳)、赤坂プリンスホテル旧館にて、年末食事会の余興でシルエットで登場。
  • 2002年(52歳)、名前を祐輔から「草舟」に変えて以来、和歌がとめどもなく思い浮かび、この頃5000首以上の歌を書き留める日々。
  • 2002年(52歳)、奈良の月山鍛錬場にて、刀をつくる。
  • 2002年(52歳)、再度、奈良を訪れる。神武天皇陵を参拝する(左)。
  • 2002年(52歳)、奈良で多数写真を撮影する。
  • 2002年(52歳)、執行草舟コレクションの蒐集が大幅に増える。東郷平八郎の書(左)、白隠の書(右)の前で。
  • 2002年(52歳)、画家 戸嶋靖昌による肖像画制作が始まる。
  • 2003年(53歳)、『見よ銀幕に―草舟推奨映画―』刊行。奈良の志賀直哉邸にて撮影したカットが、同著扉の写真となった。その後まもなく志賀直哉の作った茶器「たぬき」がコレクションに加わる。
  • 2003年(53歳)、群馬と長野に跨る荒船山(左)、三波石峡(右)を訪れる。
  • 2004年(54歳)、大阪支店開設。大阪支店に飾ってある熊鷹のはく製を前に(左)。吉野神宮にて参拝(右)。
  • 2004年(54歳)、バイオテック創立二十周年の記念品として、直筆の「涙」が染め抜かれた風呂敷をつくった。
  • 2005年(55歳)、執行草舟コレクションが増え続ける。
  • 2007年(57歳)、画家 戸嶋靖昌が2006年に病没(享年72歳)し、遺品と作品を譲り受け、その画業を顕彰することになる。
  • 2007年(57歳)、スペインから花粉を輸入しビーポーレン加工食品「メガポリン」を新しく発売する。
  • 2008年(58歳)、戸嶋靖昌記念館を設立。同館館長に就任する。友情の写真は2003年の頃、戸嶋とともに。
  • 2008年(58歳)、「大和し美し」展(MIHO MUSEUM/千葉市美術館)に安田靫彦の作品コレクション貸出。展覧会場に行く前に滋賀県大津市の建部大社も参拝する。
  • 2009年(59歳)、「権鎮圭」展(武蔵野美術大学美術館)にコレクションの「自刻像」(権鎮圭作、戸嶋靖昌遺品)作品を貸出。
  • 2010年(60歳)、最初の著作、『生くる』と『友よ』を講談社より出版。「安田靫彦」展(ニューオータニ美術館、川崎市市民ミュージアム)にコレクション貸出。
  • 2011年、バイオテック株式会社 本社ビル竣工。虎ノ門のビル内にあった看板のロゴを外して、麴町へ移動させる。
  • 2011年(61歳)、月刊オピニオン誌『正論』に、執行草舟のインタビュー「根源へ ―草舟立言―」(聞き手:編集長 桑原聡)が連載開始。
  • 2012年(62歳)、会社の創業時より、自身の右腕として事業を支えていた取締役営業部長の上原安紀子が病を得て亡くなる(享年59歳)。
  • 2013年(63歳)、『根源へ』刊行。
  • 2014年(64歳)、母・千鶴子(享年88歳)が亡くなる。
  • 2014年(64歳)、バイオテック創立三十周年記念品として、「風の草舟」(戸嶋靖昌作)のミニチュア(右)を制作した。
  • 2015年(65歳)、「武蔵府中 炎の油画家5人」展(府中市美術館)にコレクション貸出。
  • 2015年(65歳)、駐日スペイン大使館にて「孤高のリアリズム―戸嶋靖昌の芸術―」展主催。
  • 2015年(65歳)、『魂の燃焼へ』刊行。
  • 2015年(65歳)、妻・充子の三十三回忌に鈴の記念品をつくる。
  • 2016年(66歳)、ワック株式会社の雑誌『歴史通』に自身の半生を語るインタビュー連載開始。4月に自身の会社に娘の執行真由美が会社の後継者として入社する。
  • 2016年(66歳)、父・一平(享年96歳)が亡くなる。
  • 2016年(66歳)、『孤高のリアリズム―戸嶋靖昌の芸術―』『憂国の芸術』『耆に学ぶ』刊行。NHK日曜美術館収録が入る。
  • 2017年(67歳)、社名変更 株式会社 日本生物科学(旧 バイオテック株式会社)、株式会社 日本菌学研究所(旧 日本生物科学株式会社)。日本菌学研究所 本社工場竣工 新工場に移転。この時より、美術・出版事業(非営利)を含めて、BIOTECを包括的総称として使用。
  • 2017年(67歳)、『おゝポポイ!』『「憧れ」の思想』刊行。『生命の理念』刊行。
  • 2017年(67歳)、千代田区六番町のセルバンテス文化センターにて「戸嶋靖昌の見たスペイン」展開催。
  • 2017年(67歳)、歌集 『悲天』の復刊に助力する。
  • 2017年(67歳)、スペイン思想研究の大家 佐々木孝先生と交流が始まる。
  • 2017年(67歳)、神戸大学医学生・佐堀暢也との対談を、真夏の3日間で行なう。
  • 2018年(68歳)、PHP研究所 経営雑誌『衆知』に、円覚寺管長 横田南嶺老師との対談が連載される。
  • 2018年(68歳)、『ベラスケスのキリスト』『情熱の哲学』刊行。日本・スペイン外交樹立150周年、サラマンカ大学800周年記念イベント「いま、ウナムーノを問う」展、主催。
  • 2018年(68歳)、『夏日烈烈』『風の彼方へ―禅と武士道の生き方―』刊行。
  • 2019年(69歳)、BIOTEC事業の公式ホームページ立ち上げ、執行草舟公式ウェブサイトの充実を図る。
  • 2019年(69歳)、㈱イマジニアの教養メディア10mtvオピニオンに出演する。神蔵孝之氏と。
  • 2019年(69歳)、九州大学医学部百年講堂にて九州大学名誉教授 井口潔先生の召喚により講演会を行なう。
  • 2019年(69歳)、『食えなんだら食うな』の復刊企画に協力する。

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