草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 西脇順三郎「宝石の眠り」より

    現在に めざめるな
    宝石の限りない 眠りのように

 美しい言葉である。私は、この美しさの中に自己の運命を感じているのだ。私が美しいわけではない。しかし、私の与えられた運命は美しいものだと信じている。それが、たとえどのようなものであれ、美しいに決まっている。いかなる不幸に襲われようと、いかなる困難に苦しもうと、私は自己の運命を愛する。だから、美しいものに決まっているのだ。私の人生は、私自身の武士道を貫き果てるだけだと思っている。だから、静かで美しい人生だと思っている。
 私は、いま六十九才を数える。今日まで、私は『葉隠』の武士道だけで生きて来た。だから私の思想は過去の時空だけに在ったと言えるだろう。私は私の武士道を以って、自己の運命だけを生きて来たのだ。どのようなものか、それすら全く見当のつかぬ我が運命に向かって、突進と体当たりを喰らわせて来た。つまり、私は過去の思想に基づいて全く分からぬ未来に向かって生きて来たのだ。運命とは、「まだ・ない」何ものかを信ずる精神が生み出す躍動である。
 私はそれを生きた。つまり、過去と未来のど真ん中を突っ走って来たのだ。私は、現代の社会に全く興味がない。私には現在はない。私は、現在という時間を生きてこなかった。私は現在を見る気はない。また見てもいない。そして今日、一つ言えることは、現在が無かったから私は武士道を貫けたのだということに尽きる。現在が嫌いだから、私は生きられた。現在が好きなら、私は突進も体当たりも出来なかっただろう。

2019年6月10日

西脇順三郎(1894-1982) 詩人・英文学者。慶應義塾大学を卒業し英国へ留学。帰国後は母校の文学部教授を務めた。シュールレアリスムを日本に紹介したことで知られ、昭和新詩運動を推進した。代表作に『旅人かへらず』、『第三の神話』等がある。

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