草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 芥川龍之介『或阿呆の一生』より

    人生は一行のボオドレエルにも()かない。

 芥川龍之介の苦悩が、私を救ってくれた。本当の人間の本当の苦悩が、四面楚歌の私の人生を救ったのだ。私は武士道に生きていた。だから、もう生きることが出来ない状況に何度遭遇したか分からない。その最初の突破力を私に与えてくれた言葉が、この芥川の言葉だった。到達不能の憧れに向かって体当たりを繰り返すことが、私の人生そのものを創っていた。死の突進を支えるものは、真実だけしかない。いかなる愛も優しさも、私を癒すことは出来ない。
 芥川龍之介の言葉には、微塵のきれい事もない。厳しく暗く重い、人間生命の真実があるだけなのだ。この言葉を批判することは簡単だ。その人たちは、分かりもせぬ他人の人生に、夢と希望を与える言葉を与えている。そんなものはこの世に溢れている。しかし、芥川のように、真摯に自己と対面している言葉はほとんどない。そのほとんどない貴重な心情が、この言葉の核心なのだ。我々は、一行の詩にも劣る人生を生きている。
 人間の生命は崇高である。しかし、それはその崇高に目覚めての話なのだ。我々の肉体は豚と何ら変わらない。これを本当に見つめ続けることが、私は本当の勇気だと思っている。そこから立ち上がることが、人間の本来だと信じている。一行のボードレールとは、魂の深底に存在する、我々本来の真の価値を表わしている。その価値を目指して生きなければ、我々の人生は一行の詩にも及ばないのだ。真実の厳しさほど、本当の勇気を奮い立たせてくれるものはない。

2019年7月22日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.148,230
芥川龍之介(1892-1927) 大正時代の作家。『羅生門』、『河童』、『或阿呆の一生』等数々の有名作を発表したが、「ぼんやりとした不安」を理由に若くして服毒自殺。明治・大正の日本が遭遇した「近代の苦悩」を象徴する人物の一人。また、長男の比呂志は新劇俳優、三男の也寸志は作曲家として知られる。

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