草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 倉田百三『愛と認識との出発』より

    夢見ることを()めた時、その青春は終わるのである。

  本書は、戦前の旧制高等学校の生徒に、最も読まれた本として名高い。日本のものでは、他に西田幾多郎の『善の研究』、阿部次郎の『三太郎の日記』が挙げられよう。私は小中学生のときから、旧制高校の気風をこよなく愛していた。全国にあった三十三の旧制高校それぞれの校歌と寮歌は、すべて私の愛唱歌だった。学生服にマント、そして高下駄という弊衣破帽でただ独り、寮歌を歌いながら読書に明け暮れていた。それが、私の中学から高校の生活だった。
  そのような理由で、この『愛と認識との出発』は、愛読書の中の愛読書だったのだ。読みに読んで、体当たりの突進を喰らわせていた本の代表と言えよう。私は本書によって、戦いの中から紡ぎ出される愛と運命の軸心を学んだと思っている。自己の信念による戦いにとって、何が最も大切なものなのかを感ずることが出来たのだ。それは正直と清純である。この二つが屹立していなければ、自己の信念を打ち立てることは出来ない。この本によって、私はそういう確信を得たのだ。つまり本書は、真の恩人のひとりとなった。
  本書が再刊されるとき、倉田百三は出版後十五年の経緯を含めて、この本を締め括る言葉を発した。その最後の言葉が、冒頭の感慨なのだ。この名著の要約と言っていいだろう。人生とは、青春のことなのである。それが愛と運命を信ずる者の生きる姿勢だ。正直と清純が、その人生を支えてくれるに違いない。人間は、夢に生きなければならない。夢だけが、必ず自己の人生を創ってくれるのだ。死ぬ日まで、夢から醒めてはならない。そして死が、新しい夢への旅立ちを手伝ってくれるだろう。

2021年9月4日

倉田百三(1891-1943) 劇作家・評論家。西田幾多郎に傾倒し、京都の「一灯園」にて宗教・文学に専心した。その後、作品を次々に発表し大正期を代表する作家となった。代表作に『親鸞』、『出家とその弟子』等がある。

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