草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ロジェ・カイヨワ『戦争論』より

    しかし生きるものはすべて、恐ろしいものである。

    《 Mais tout ce qui vit est terrible. 》

  生きるということは、恐ろしいことなのである。ひとつの生命が生まれ、そして死ぬまでには、恐ろしい深淵が口を開いて待っている。生きるとは、それそのものが前人未踏の冒険なのだ。それは戦いであり、革命でもあるだろう。生きるものはすべて、その真っ只中を生き抜くのだ。だから、その生きるものもまた恐ろしいものと成っている。魔を制するものもまた、魔ということになるだろう。我々はそれを忘れてはならない。それを忘れるとき、人間は人間であることを捨てることになる。
  生の哲学者カイヨワは、この生命の本質をその『戦争論』において述べた。自己の思想の核心に、あの第三帝国のヨゼフ・ゲッベルスの言葉を引用した。冒頭の言葉がそれである。ここに私はカイヨワの持つ戦争観の本質を見ているのだ。人間は戦争を恐ろしいものだとしている。そして、人間の悪の根源を戦争の歴史に与えている。そこに、戦争の捉え方の間違いがある。人間の悪の逃げ道に、戦争は使われているのだ。戦争などは関係ない。人間とは、恐ろしいものなのだ。
  その真実は、却って表面的な綺麗事を捨てたナチス・ドイツの宣伝相によって語られたのである。人間の持つ本当の恐ろしさを思考するとき、戦争などは児戯に等しいものとなるだろう。戦争の中に人間悪を押し込めてしまう人類の歴史は、本質的な人類の終末をもたらす危険がある。本当の恐ろしさは、正しさの中にあるのだ。本当の恐ろしさは、幸福の中にあるのだ。本当の恐ろしさは、綺麗事の中にあるのだ。我々は人類の持つ恐ろしさを、もう一度考え直さなければならない。

2022年2月19日

ロジェ・カイヨワ(1913-1978) フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者。バタイユやレリスとともに社会学研究会を設立。社会学的な視点から遊びと聖性を研究、先鋭的な批評活動を展開。また、文学や社会学のみならず昆虫学や物理学など、多岐にわたる分野において考察を行なった。『人間と聖なるもの』、『遊びと人間』等。

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