草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • エミール・シオラン『涙と聖者』より

    最後の審判のとき、人が吟味するものはただ涙だけであろう。

    《 Au Jugement dernier on ne pèsera que les larmes. 》

 エミール・シオランは、我々の生存に「根源的問いかけ」を与えてくれる。人間の生命は、何故この大宇宙において実存しているのか。その問いかけの原初の形態が、冒頭の言葉を支える思想である。この思想の中に、私は人間存在の根源的実存を見据えているのだ。我々が神の審判を受けるとき、神は何を問題とするのか。私はシオランを凌ぐ答えを、他に知らない。それは、我々人間の認識し得る絶対的苦悩だけなのだ。真の人間に至りたいと願う、その精神の苦悩である。
 シオランは、それを「涙」と言っている。我々が人生を生きるために苦しんだ、その苦しみそのものの価値を掬い上げてくれたのだ。苦しむことの尊さを知れば、人生は展開を始める。人間の生は、苦悩の中から芽生えて来るのだ。安楽を志向し、成功や幸福を目指す者には真の人生はない。我々は、人間としてこの世に生を受けた。だから、真の人間の価値を目指すことによって生の充実を得る。最後の審判は、自己の生を使い果たした人間にだけ与えられるに違いない。
 私は、高校のときにこの言葉と出会った。そのときの衝撃を、今も忘れることが出来ないのだ。シオランとの出会いは、私の生命の奥深くに『葉隠』の思想を打ち込んでくれた。「死に狂い」「忍ぶ恋」そして「未完の生」が、私の中に涙と化して溶解したのだ。人生を生き切るのは、自己の涙だけでいい。真の涙さえ持っていれば、あとは死ぬまで生き切るだけでいい。私はシオランの思想によって、自己の武士道を磨いた。その幸運と喜びは、年を経るに従って増幅し続けている。

2019年12月2日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.263,468、『夏日烈烈』p.237、『孤高のリアリズム』p.401
エミール・シオラン(1911-1995) ルーマニア出身の思想家。ベルクソンやニーチェを学びパリで活躍。モンテーニュの懐疑主義を称賛し、箴言集の形式で数多くの作品を発表した。近代の人間が抱える不条理を主題にする。代表作に『涙と聖者』『告白と呪詛』等がある。

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