草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • マルセル・プルースト『失われた時を求めて』より

    人が愛するのは、そのすべてを所有していないものだけだ。

    《 On n'aime que ce qu'on ne possède pas tout entier. 》

 人間にとって、最も大切なものは愛に他ならない。愛に比せば、いかなるものも塵芥に過ぎないだろう。人間とは、愛の断行のために創られた存在なのではないか。そのために、この宇宙に実在しているのではないだろうか。人間は愛である。そう結論づけるだけの経験が、私の人生には起こった。そして愛の本源こそが、宇宙の実在なのだと分かった時期があった。その本源に向かって生きることが、我々人間の宇宙的使命を創り上げているのである。
 その愛の根源は、神秘に包まれている。我々を生み出した深淵の彼方に、その神秘はある。我々は、宇宙を創り出した神秘から生まれたのだ。愛とは、その神秘そのものを言う。だから、我々は神秘なるものを愛するのだ。我々の知性は、知性によって分かるものを愛することは出来ない。合理的なものを、我々は愛することは出来ないのだ。我々の知性の及ばぬものを我々は愛する。不可思議な、実在を愛する。我々の実存の故郷に向かって放射される「何ものか」を、我々は愛する。
 プルーストのこの言葉は、愛の深奥を私の肚に打ち込んでくれた。苦しみ続けた、愛の苦悩の多くが氷解した思い出がある。分からないから愛するのだ。不合理だから信ずるのだ。自信のある人間が、義のために立ち上がった歴史はない。不可思議な深淵が、我々を立たせる。我々は、分からぬ者のために死ぬ。それが正しいから死ぬのではない。愛するから死ぬのだ。信ずるから死ぬのだ。その不合理を断行することが、生き物を人間に変える。

2019年12月23日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.253
マルセル・プルースト(1871-1922) フランスの作家。洗練された感性と教養を持ち、若き頃より文才を発揮。記憶や意識、そして時間をテーマに小説を書き、二十世紀の文学に革命をもたらした。三十代から死の直前まで描き続けられた大作『失われた時を求めて』が代表作として知られる。

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