草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ヘンリック・シェンケヴィッチ『クォ・ヴァディス』より

    もっと大きい、もっと大事な幸福がある。

 これは、私が「幸福」とは何かについて考え始めたきっかけの言葉である。小学校三年のときと記憶する。この古代ローマ帝国と、その迫害を受ける原始キリスト教社会を描いた文学は、私に魂についての深い考察を強いたのだ。この文学の中に生きた人々と、実在の聖ペテロや聖パウロの生き方は、私の魂に忘れ得ぬ刻印を残した。この壮大な文学そのものが、人間の真の幸福について語り続けていた。人生において、幸福ほど大切なものは無い。しかしまた、幸福ほど人間を堕落させるものも無いのだ。
 幸福に浸ったとき、人間は自己のエゴイズムに取り憑かれる。幸福とは、自己に当てはめる考えではない。幸福とは、愛するもののために祈る観念なのだ。そして、永遠に向かって生きる、その希望そのものを言っているに違いない。摑むことの出来ぬ憧れに向かうことを、私は真の幸福だと思っている。幸福を摑んだとき、人間は必ず堕落する。幸福とは、記憶の中に存在する、過去の失われた故郷に他ならない。その記憶の先に向かう、我々の生き方なのだ。
 私の幸福論は、この文学にその出発点を持つ。六十年を経て、私はその幸運を噛み締めているのだ。遠い憧れに向かう、真の幸福を私は知ったように思う。現状を肯定し、自己存在にあぐらをかくことだけは無かった。私は善きに付け悪しきに付け、いつでも明日に向かって生きて来た。その人生の記憶の中に、幸福の残骸が転がっている。幸福とは過ぎ去ったものの記憶であり、まだ来ぬ未来への期待なのだ。本当に美しいものは、今はない。

2020年1月27日

ヘンリック・シェンケヴィッチ(1846-1916) ポーランドの小説家。大学卒業後、新聞社の特派員として社会時評を書きながら小説の執筆を開始。歴史長編で人気を博し、初期キリスト教徒の苦難を描いた『クォ・ヴァディス』で国民的作家としての地位を確立した。ポーランド人として初めてノーベル文学賞を受賞。

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