草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 魏徴『唐詩選』(述懐)より

    人生意気に感ず、功名()れか(また)論ぜん。

    《 人生感意気 功名誰復論 》

  私は、心意気だけで生きて来た。信奉する葉隠がそのようなものだから、必然的にそうなってしまった。だから、私には心意気の他は何もない。そして、この頃に至ってその幸福を噛み締めている。私は現世のものを多く失って来たが、何よりも美しいものを手に入れて来たように思う。それは、魂の躍動である。呻吟と言った方がいいかもしれない。苦悩であり、咆哮とも言えよう。そのようなものだ。それが、私の心意気を支えて来た。そしてその心意気のゆえに、私は多くの偉大な魂と交流することが出来た。
  その心意気について、私の最も早い時期に、最も大きな影響を与えてくれたのが冒頭の言葉だった。歴史上、最も尊敬する人物のひとりである魏徴が、こう言っているのだ。これは『唐詩選』にある。その中で、「述懐」は最も愛する詩と言えよう。唐詩選を座右に置いて、私は青春を過ごした。その中心の思想が、この言葉なのだ。あの唐帝国建国の功臣が、こう言っているのだ。私は、この思想に倣う人生を築こうと決意した。そしてその決意は、半世紀以上に亘って揺らぐことがない。
  自己の運命に、真正面から体当たりする人生である。それ以外のことは、全く意に介す必要がない。現世のことは、すべて適当にやっていればそれでいい。人間の魂が問題なのだ。自己の運命を愛するのだ。自己の運命の生きる場所だけに、「世界」はある。他の場所は原っぱである。分かり合える者だけが大切なのだ。他の者は空気だ。それが魏徴を創った。目に見えるその「偉大性」はすべておもちゃなのだ。飾りである。見る必要はない。魏徴の魂だけを見つめ続けなければならない。

2020年8月3日

掲載箇所(執行草舟著作):『生くる』p.178、『友よ』p.135、『夏日烈烈』p.4、『風の彼方へ』p.185、『現代の考察』p.52
魏徴(580-643) 中国、唐初の政治家・学者。皇帝の太宗に重用され、宰相として活躍。太宗にじかに諫言するその節を曲げない人柄で知られ、『貞観政要』にそのやりとりが残っている。『梁書』『陳書』『北斉書』『周書』『隋書』の各正史の編纂に関与した。

ページトップへ