草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ハンス・カロッサ『ルーマニア日記』より

    一度も葬られなかったものが、どうして復活できようか。

    《 Wie soll auferstehn, was nie begraben ward ? 》

  ハンス・カロッサのもつ夢に、私の魂は震えていた。それは苦悩と絶望が生み出す、真の人類的希望のように思えたのだ。人生に体当たりするその姿勢に、私は自己の生き方を重ね合わせていた。『美しき惑いの年』や『詩集』は、私が青春を生き切るためには絶対に必要な書物だった。つまり、命の恩人ともなっている文学なのだ。カロッサに思いを馳せるとき、私はいつでも自己の青春に戻ることが出来るのだ。人生とは、青春に戻ることの積み上げなのではないか。
  生きることは、死ぬことである。私はそう思って、今日までを生きて来たのだ。それが私の武士道だった。死ぬことを経験せずして、どうして生きることが出来るのか。ただ漫然と生きることは、私には全く分からなかった。私は、死の経験によって生きることを学んだのだ。冒頭の言葉は、そのような私の思想に寄り添ってくれた思想である。生きることは、生まれて来たことではない。死んで、復活することなのだ。復活した生こそが、本当の生を司る。それが私の実感と言えよう。
  復活の思想に支えられたキリスト教が、私の肌にことのほか合うのもその理由に与るのだろう。死ぬ経験のない者は、生の燃焼もない。生の体当たりは、必ず死の淵に人間を堕とし入れるのだ。この世に殺された者だけが、真の人生を手に入れることが出来る。殺された生が、正しい人間の生である。その生をひっさげて、我々は復活をするのだ。そしてキリストのように、永遠の生を手に入れなければならない。朽ち果てる生にしがみ付く者に、真の人間燃焼はない。永遠の先に、真の現世があるのだ。

2022年1月15日

ハンス・カロッサ(1878-1956) ドイツの詩人・小説家。大学で医学を学び、医者として働きながら執筆活動を続ける。第一次大戦時には軍医として従軍。内省的かつ自伝的な作品を数多く発表した。代表作に『幼年時代』、『美しき惑いの年』等がある。

ページトップへ