草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • フェルナンド・ペソア『不穏の書』より

    人生とは、自分が知っているもののことだ。

    《 A vida é para nós o que concebemos nela. 》

  ペソアは、それ自身が宇宙的実在である。ペソアの中に、人生の深淵が口を開いている。そして何よりも、宇宙の呼吸が鳴動しているのだ。その独特の「郷愁」の中には、未来が咆哮している。ペソアの郷愁は、過去を懐かしむそれではない。それは、まだ見えぬ何ものかを求める、魂の呻吟である。決して到達できないものを求める、真の希望とも言えるだろう。それがペソアの魂の中に、美しい郷愁を創り上げている。そこから来る悲哀の慟哭に、我々のもつ生が共振するのだ。
  冒頭の言葉は、そのペソアの信念と私が考える思想である。そしてそれは、私自身の信念でもあるのだ。人生とは、自分自身である。それ以上でも以下でもない。自分自身が、自己の生を創っているのだ。だからこそ、我々は美しいものを見なければならない。崇高なことを目指さなければならないのだ。人類の生み出した偉大な精神に触れなければならない。我々が為していることが、我々の人生を創っているのだ。我々の人生は、自分が知っている世界から出ることはない。
  だからこそ、その世界を崇高なものとしなければならないのだ。崇高なものは、人類が築き上げた「精神」の中に存する。そしてその精神は、宇宙の実在をこの地上に実現しようとした祖先たちの魂の集積とも言えよう。自分が知っているものが何なのか。人生はそれを問われ続けるのである。自己固有の生を築くのだ。人間の魂の中には、宇宙が存在している。真の我々の魂の中に、その崇高の種はすでに存在しているのだ。それと直面することだけが、真の人生を築き上げる。体当たりの人生によって、それは紡ぎ出されるだろう。

2022年1月22日

フェルナンド・ペソア(1888-1935) ポルトガルの詩人・作家。一時期リスボン大学で学ぶ。貿易会社で働きながら執筆を続けた。のち詩誌『オルフェウ』の創刊に参加し、ポルトガルにおけるモダニズム運動を推進した。生前はほぼ無名であったが、膨大な遺稿が死後に高い評価を得るようになった。『不穏の書』、『不安の書』等。

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