草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』より

    不可能を欲する人間を私は愛する。

    《 Den lieb ich der Unmägliches begehrt. 》

                         悲劇第二部

 私は、不可能を求めて生きて来たように思う。この不可能を、無限と置き換えてもいいだろう。私は、この人間のもつ有限を越えたいのだ。有限のもつ卑しさを何よりも憎んでいる。この肉体のもつ、限り無い弱さに泣かぬ日は無かった。この精神の限り無い低さに、私は苛まれ続けて生きて来たのだ。「それが人間なのだ」という分別者の言葉と戦い続けて来た。それは人間ではない。人間とは、もっと崇高で高貴で美しいはずだ。人間の魂は、宇宙の根源と繋がっている。私はそれだけを目指す。
 私は、武士道の美学に生きて来た。『葉隠』である。その思想は、人間には不可能なことを人間に求めるものだった。その思想に惚れたことを、私は自分の最高の幸運だったと思っている。「死に狂い」「忍ぶ恋」そして「未完」が、葉隠の根幹を形成している。それらはすべて、不可能に挑む人間の魂の軌跡に他ならない。それを仰ぎ見ることが、私の人生だった。それを、この世に実現することが私の唯一の希望である。その実現のためにだけ、私は生きる。その遠い煌きに向かって、私は体当たりを続けていく。
 ここに挙げた『ファウスト』の言葉は、あのゲーテの中心思想に違いない。読んだ瞬間、私はそう思った。それ以来、五十年以上に亘って私の座右に掲げられている。ファウストの悲しみが、深く心に沁み渡る言葉だ。そして、ファウストの真の救いを感じさせる台詞である。命がけのものには、崇高がある。何がゲーテをゲーテたらしめたのかを、私は分かったように思った。私の武士道と、ゲーテの憧れがこの大宇宙で交叉したのだ。私は、不可能こそが人間を創ったと信じている。

2019年8月10日

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832) ドイツの詩人・作家・自然科学者・政治家。ワイマール公国で大臣、宰相を務めながら、イタリアで美術を研究。自然科学の諸分野でも成果をあげた。ドイツ文学における古典主義を代表する人物。代表作に『若きウェルテルの悩み』、『ファウスト』等。

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