草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • オスカー・ワイルド『獄中記』より

    悲哀の中に聖地がある。

    《 Where there is sorrow there is holy ground. 》

  人生において、最も大切なものは何だろうか。これは、すべての人間の生に突き付けられた命題と言ってもいいのではないか。私も人間のひとりとして、この問題では死ぬほどの苦痛を舐めて来たのだ。それは大袈裟ではなく、私の青春などは特にそのために死ぬ思いを何度も経験した。そして、自分なりに摑んだ答えが一つだけある。それが「聖地」である。自分の魂の中に、自分だけの聖地をいつでも持っていること。これ以上に大切なことが、我々の命にとってあるだろうか。
  聖地さえあれば、我々は自己の生命を燃焼させることが出来る。心の聖地から放射される、我々自身の覚悟が、それを可能とするのだ。我々は、愛を直接に認識することは出来ない。愛は、我々人間ひとりの魂にとっては、その存在があまりにも大き過ぎるのだ。しかし、我々の中に聖地があれば、愛は我々の魂の射程に近づいて来る。その聖地を創ることが、人生の修行となるだろう。私の聖地は『葉隠』である。それ以外のものは何もない。私の人生は、葉隠の派生だけによって成り立っているのだ。
  オスカー・ワイルドは、その聖地が悲哀から生まれるのだと言っている。私もその通りだと思うのだ。幸福や喜びが、私に聖地をもたらしたことはない。悲しみが、そして不幸が私の中に聖地を屹立させたのである。私の座右にある『葉隠』が、私の生命の深奥に突入して来たのは、悲痛に喘ぐ時だけだった。死ぬほどに考え続けていた「哲学」が、私と同体に成る時が何度もあった。生命的核融合に近い感覚を持っている。それはいつでも、悲哀の中で、ただ独りでいる時だけだった。

2022年4月2日

掲載箇所(執行草舟著作):『友よ』p.200、『根源へ』p.326
オスカー・ワイルド(1854-1900) イギリスの詩人・小説家・劇作家。大学卒業後、耽美的な生活を実践し社交界の寵児となる。詩や批評など多岐にわたる執筆活動で名声を得たが、男色事件により入獄。その作品は20世紀の文学に大きな影響を与えた。代表作に『ドリアン・グレーの肖像』、『サロメ』等がある。

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