草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より

    私の言語の限界が、私の世界の限界である。

    《 Die Grenzen meiner Sprache bedeuten die Grenzen meiner Welt. 》

  これほどに言語力の大切さを言い切った言葉は少ない。これは間違いなく、ウィトゲンシュタインの血と涙の中から出来上がった言葉である。言語の力だけが、人間のもつ人生の力を決定する。言語とは、自己の中で明確化されている思考の総体を言う。だから、もちろん、明確な行動や力のある沈黙もこの言語に含まれることは言をまたない。言語とは、自己表現の力そのものを言っているのだ。表現できないものは、自己ではない。それを知ることが、自己固有の人生の出発となるだろう。
  人間は、宇宙の偉大な混沌の力によって存在している。だから、人間は宇宙の無限を包含することが出来るのだ。その混沌の中から、地上的価値を抽出する力こそが言語力なのである。つまり、言語力とは想像力の総体に等しいのだ。混沌の力が大きいほど、無限を感ずる力も増して来る。無限を身の内に感ずれば、人間は自己固有の想像力を生み出すことが出来る。その想像力こそが、直接的な言語を生み出すのである。だから想像力ほど大切なものはないのだ。
  その想像力は、人間の中に沈黙として積み上げられ蓄えられる。そこからすべての言語化がなされる。言語のもつ重みは、その沈黙の厚みと比例するのだ。沈黙の深い人間は、また秀れた言語能力をもつことになるだろう。言語化できない沈黙は、沈黙ではない。それは混沌から、この現世に足を踏み入れていない状態に過ぎない。真の沈黙は、遅かれ早かれ必ず言語化されることになる。だから我々の人間存在としてのすべては、我々の言語力の範囲ということになるのだ。

2022年5月28日

ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951) オーストリア出身の哲学者。大学で工学、論理学、哲学を学んだのち第一次世界大戦に従軍。捕虜生活を経て、ケンブリッジ大学のフェローとなり、のちに英国に帰化。言語の有意味性を徹底して追求し、20世紀の哲学に大きな影響を与えた。著書に『論理哲学論考』、『哲学探究』等がある。

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