草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 道元『正法眼蔵』(現成公案)より

    花は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きけん)()ふるのみなり。

 私は道元とその『正法眼蔵』によって、自己の無常観を築き上げて来たと思っている。「当に無常を観ずべし(当観無常)」と道元は言っていた。その根源的思惟が、私の魂を揺さぶるのである。無常の中に、すべての現象を包摂しなければならない。私の青春は、その苦悩のゆえに軋み続けた。道元によって、私の中に武士道が貫通したように思う。道元のゆえに、私はキリストの真実を摑んだと考えている。そして、多くの自然科学が道元の根源的思惟によって私の前に開かれた。
 冒頭に掲げた言葉の美しさに、思春期の私はただ感動していた。この言葉の音韻のゆえに、私は千年のロマンティシズムを感じたのだ。日本の歴史が抱える悲しみを見たように思う。日本人の苦しみを感じたように思った。私の祖父母と両親の人生の哀歓を、その言葉の中に見ていたと言ってもいいだろう。道元の魂の深奥が生み出した思想だと、私は思っている。道元のすべてが、ここに収斂されているように思う。少なくとも私は、この言葉によって道元の魂が肚に落ちた。
 愛され惜しまれるものも滅びていく。花の幸福を呼吸したものが、死んでいくのだ。それを止めることは、誰にも出来ない。雑草はいかに嫌われようと、無限にはびこっていく。死を忘れたように生えていく。しかしそれとても死ぬのだ。いかに美しいものも滅びる。いかに汚ないものも滅びるのだ。好きでも嫌いでも関係ない。この世は、すべてが悲哀に繋がっているのだ。だからこそ、命を一杯に生きる。それ以上に尊いことがあろうか。命をすり減らして生きる。それ以上に美しいことがあろうか。なぁ、そうだろぉ。

2019年11月11日

掲載箇所(執行草舟著作):『友よ』p.354、『根源へ』p.403、『「憧れ」の思想』p.144、『夏日烈烈』p.108、『風の彼方へ』p.170
道元(1200-1253) 鎌倉時代の禅僧で。曹洞宗の開祖。建仁寺に住し興聖寺を開いた後、越前(福井県)に禅の修行道場として名高い永平寺を開山。理論よりも実践を重んじ、その説法・言行は『正法眼蔵』に記録されている。

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