草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 『旧約聖書』雅歌第八章六節より

    愛は死のように強い。

 人間にとって一番大切なものは、愛である。そして人間にとって一番確実なものが、死なのだ。この二つは、無限弁証法的に人生とかかわり、我々の実存を支えている。愛の貫徹は、死を覚悟しなければ出来ない。死と隣り合せでない愛は、すべてが嘘と言ってもいい。我々が本当の死を迎えられるか、迎えられないかは、人生における愛の実行にかかっている。愛は死であり、死はまた愛なのだ。それが肚に落ちたとき、私は自分の新しい生誕を感じることが出来た。
 私は武士道だけで生きて来た人間である。『葉隠』がそれだ。その「死の哲学」を私は抱き締めて生きて来た。その人生を本当に幸運だったと思っている。死の哲学を人生の根本に据えることによって、何か本当の生が分かったように思えるのだ。日々の死の訓練が、日々の生を与えてくれた。生の根源に、私を近づけてくれたように感じている。生の根底に横たわる、愛の淵源を私に感じさせてくれたように思うのだ。死が、愛を教えてくれた。その順序は、決して違えることは出来ない。
 死を見据えなければ、決して愛は分からない。私はそう思う。愛は、愛をいくら考えても、決して分からない。愛ほど大切なものはなく、また愛ほど人を誑かすものもない。私は、死の哲学に生きて来たことを誇りに思う。ほんの少しだが、愛に触れることが出来たからだ。愛は少しでいい。人間は、ただ一回の愛で一生を生きることが出来る。愛は死と同列のものなのだ。多くを求める者は、愛を知ることは決してないだろう。愛ほど大切なものはない。だから、それは一回でいい。

2019年11月18日


ソロモン王(生没年未詳)
『旧約聖書』雅歌 旧約聖書の中の一書。男女の愛が歌われており、これを神とイスラエル民族、またはキリストと教会との間を歌ったものとする解釈など諸説あるが、文学的で聖書の中でも特に美しい詩が歌われている。詩中に何度もソロモン王が登場し、また作者をソロモン王とする説もある。

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