草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 『バガヴァッド・ギーター』より

    私は火であり、供物(くぶつ)である。

 世界最古の聖典のひとつに、『バガヴァッド・ギーター』がある。最古ということは、最も正しい人間観だということに他ならない。人間がまだ汚れる前の、清純な魂を持っていた頃の記録だからだ。人間は神の言葉を、そのまま受け入れていたのだ。つまり、宇宙と生命の法則が直に人間に打ち込まれていたと言ってもいい。我々の文明は、そのような原初の人々によって誕生した。そして人間は、自分たちが何者であるのかを、深く自覚していた。
 あのマハトマ・ガンジーは、自分にとって死とはギーターを読めなくなることだと言っていた。ギーターとはつまり、原初の人間たちの躍動と希望が叩き付けられている書物なのだ。私も年少より、ギーターを愛読して来た。そのギーターの中で、冒頭の言葉こそが私の魂を震撼させたのである。私はこの思想に出会ったとき、自己が確立しつつあった生命論の黎明を感じたことを覚えている。私の内臓の奥深くで、古代の魂が雄叫びを上げていた。
 我々の生命は、火なのだ。それは燃え盛り、そして虚空の果てに消え行く。暗黒の宇宙に煌く、一瞬の輝きと言えよう。一瞬だから、我々の生命は尊いのだ。一瞬だから、我々の人生は美しいのだ。その一瞬の中から、我々はすべての喜びと悲しみを摑み取らねばならない。我々はただひたすらに燃え盛り、ただひたすらに生命を抱き締める。なぜなら、その生命が宇宙の深淵から与えられたものだと知っているからだ。我々の生命は、宇宙の暗黒に向かって捧げられた煌めく供物なのだ。

2020年3月9日

掲載箇所(執行草舟著作):『生命の理念 Ⅰ』p.315、『孤高のリアリズム』p.240、『耆に学ぶ』p.87
『バガヴァッド・ギーター』 古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」中の一詩編であり、ヒンドゥー教徒の最上の聖典。戦争を前に葛藤するパーンダヴァ軍の王子アルジュナと、神の化身クリシュナの対話形式をとる。正義や義務、その他様々な哲学的概念が展開される。

※写真:登場人物のアルジュナ(右)とクリシュナ(左)

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