草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • エリック・ホッファー『魂の錬金術』より

    山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

    《 Where there is the necessary technical skill to move mountains,
    there is no need for the faith that moves mountains. 》

 本当の「技術」は、宇宙の真実と直結している。人間の文明が生み出した技術は、高貴で崇高でなければならないのだ。真の技術は、そうである。文明の技術は、神の掟を代行するものであった。人間は、技術というものの中に神を見出していた。文明の発祥において、技術はいつでも信仰を支えるものであった。その技術が、神を見失った現代文明に至って、我々の自死を招くものにまで成り下がったのだ。民主主義と工業文明が、技術自体を神として祭り上げてしまった。
 冒頭の言葉によって、ホッファーは現代文明に警鐘を鳴らしているのだ。逆説の哲学者の面目が躍如としている。山を動かすほどの信仰が、山を動かすような技術を生み出したのだ。それが、信仰と技術の正しい相関関係である。現代を生きる我々は、それを忘れてしまった。人間が、自己の力で現代の技術を作り上げたと自惚れている。私は、その悲劇的結末が近いように感じている。宇宙の根源的実在から離れてしまった技術には、未来はない。
 技術が神と成ってしまった。それはもう、後戻りの出来ない道を歩んでいる。我々いまの人類は、多分、この技術に食らい尽くされるだろう。それを我々は人類の発展と思うに違いない。しかし、それは違う。我々が本当の「人間」ではなくなるのだ。そして新しい人間が誕生するに違いない。人間とは、神の似姿として選ばれた宇宙的存在物のことを言う。私は、新しい技術が生み出す新しい「人間」が生まれると思っている。その時、我々がどうなるのか。それは誰にも分からない。私は、ホッファーと未来について一日中語り合った。

2020年6月1日

エリック・ホッファー(1902-1983) アメリカの社会哲学者。正規の教育を受けず、独学で幅広い学問を修得。港湾労働者として働きながら著述家として活動し、「沖仲士の哲学者」と称された。著書に『大衆運動』、『波止場日記』等がある。

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