草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 『五祖法演禅師語録』より

    (じょう)(しゅう)()(じん)(けん) (かん)(そう)(ひかり)(えん)(えん) 
    (さら)如何(いか)にと問うて擬すれば 身を分って両断と()す。

    《 趙州露刃剣 寒霜光焔焔 更擬問如何 分身作両断。 》

  私が最も愛する禅の思想である。私はこの言葉の中に、『葉隠』の精神を見出していたのだ。「死に狂い」「忍ぶ恋」そして「未完の生」が、この言語の中に犇めいている。趙州は、禅の極点を示す巨星だった。そして小学生以来、私が誰よりも愛する禅匠であり続けている。その魂の深淵を、後に五祖禅師が表わした言葉なのだ。私はこの思想で、古今東西のあらゆる哲学・思想・文学そして自然科学を截断して来た。その刃が、この言葉から生まれて来た。
  私が現世と戦う剣は、この「趙州の露刃剣」を措いて他にない。これは趙州が、自己の崇高な生命そのものを一振りの剣と化したものである。それが露刃剣だ。露刃剣は、氷の中にあって重く光り続けるひとつの意志なのだ。焔々と燃えながら光る、太古の人間の魂とも言えよう。自己の露刃剣を帯びる者だけが、この世の邪と戦うことが出来る。それは、宇宙と直結した生命を生み出すことが出来る。露刃剣を佩した者は、人間を乗り越えて原人間に近づくのだ。そして、この天与の剣は己れの目の前にある。
  それを摑むか摑まないか、である。私は摑んだと思っている。露刃剣が「何なのか」と問う人間は、その剣によって斬られるのだ。命がけの生き方だけが、その剣と出会う人生を招く。自己の使命に向かって、不退転の決意で臨む者にこの剣は降される。その者は、この剣の力によって自己の茨の道を切り拓くのである。趙州の魂が降り注ぐのだ。その者は自由になれる。その者は愛を断行出来る。その者は憧れに向かって死ぬことが出来るのだ。私は自己の露刃剣を、死ぬほど大切にしている。

2020年6月29日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.152、『風の彼方へ』p.46
五祖法演(1024頃-1104) 中国、宋の禅僧。五祖山のお寺に住していたことから五祖の名が付いた。中国における臨済宗中興の祖と呼ばれ、『無門関』の著者である無門和尚も法演の系譜を継いでいる。自分の弟子が寺の住職になる際に与えた「法演の四戒」が有名。


神月徹宗「露刃剣」(部分)

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