草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • アルフレッド・テニスン『イーノック・アーデン』より

    知りたいことに答えられるものは、ひとりもいなかった。

    《 None of these could answer him, if question’d,
    aught of what he cared to know. 》

  これは、自分独自の特別な運命を生きる者の、覚悟を表わしているのだ。イーノック・アーデンは、そのような人生を生きた者だった。『イン・メモリアム』に続いて読んだ、テニスンの長編詩である。高校の英語副読本として与えられ、私はそれをのめり込んで読んだ。私は自己の「忍ぶ恋」の武士道的確立の時期だった。その時に、偶然に独自の「忍ぶ恋」を人生において実現した人物の詩を読んだのだ。私の「忍ぶ恋」は、イーノック・アーデンの生き方によって、現世的な力を持つようになった。
  その人生がどうであれ、人間は自己の運命を生きなければならない。この大宇宙に、ただ独りだけの運命を持つ、自己のその運命を生きなければならないのだ。私は、ただ独りの道が何であるのかを知った。そして、その覚悟が生まれたと言ってもいいのではないか。どのような境遇の者でも、人間には自分の生きる道がある。そしてその道を歩めば、自己の運命自体が回転していくのだ。ただ独りの道は、運命的に孤独な道である。それは、他との比較を絶する道なのだ。
  その道を知る者は、過去・現在・未来の三世を通じてひとりもいない。自分の生きる道を教えてくれる人間は、この世にひとりもいないのだ。テニスンの詩と共に、この冒頭の言葉を私は深く味わい尽くしていた。それによって、私は自己の運命を体当たりで切り拓く覚悟が据わって来たのだ。自己固有の運命に生きた人々の魂だけが、私のともしびとなった。それらの人々も、私の知りたいことを教えてくれることはなかった。私の武士道は、暗闇を突き進む以外になかった。

2020年11月9日

アルフレッド・テニスン(1809-1892) イギリスの詩人。美しい抒情性と韻律に富んだ作風により「桂冠詩人」の称号が授与され、ビクトリア朝を代表する詩人となる。日本でも広く愛読された。『イーノック・アーデン』、『国王牧歌』等。

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